大体三匹ぐらいが斬る!!
5.三匹(vol.7)
如月海斗の遺体は、その日の内に回収された。
トリコは、皆と別れて、ずっとそれに付き添っていた。
遺体を診た外界の医師は、この人は何日も前に亡くなっていると言った。
魔界で、回復魔法をかけたにも係わらず、皆、外界で医師の診断と治療が必要なくらい疲れ果てていた。
幸い、入院が必要な程重傷では無かったが、その日は死んだ様に倒れ込んで眠った。
後始末のごたごたを片付けて、仕事はそれで終了だった。
ジョン太が本当に、たちの悪い弁護士を呼びつけていて、浅間の悪事は表に出る事になりそうだった。
「相手の弱みにつけ込んで、金をゆすり取るのに最適な知り合いなら、いっぱい居るからな」
「何て言い草だ」
自称、弱い者の味方の弁護士は言った。
「もうけ話があったら、また呼べよ」
全然、弱い者の味方じゃない。
「学生の頃からの知り合いで…法学部に居た時の」
ジョン太は言った。
おっちゃんの経歴も、今更だが謎だ。
鯖丸は、魔界を出てからも、基本的にぼーっとしていた。
話しかければ返事はするが、後はただ、黙って座っているだけだ。
それなりに、色々な事は考えている様子なので、放っておく事にした。
全部片付いて、撤収の日が来た。
ずっと別行動だったトリコが、由樹を連れて戻って来た。
帰りの新幹線では、皆無言だった。
由樹も、色々な事があって、子供なりに少しは状況が分かっているらしく、大人しく座って、車内販売の弁当を黙々と食べていた。
岡山で在来線に乗り換えて、四国内に入ってからも、皆は無言だった。
新居浜が近付いて来る頃に、やっとジョン太が言った。
「俺、港に置いた車回収するから、ここで降りて各駅に乗り換えるわ」
「ああ、そうだね」
鯖丸は、やっとうなずいた。
「俺も行くよ」
持って来たディバッグに手を伸ばしかけた鯖丸を、ジョン太は止めた。
「なぁ、由樹」
屈み込んで、子供に話しかけた。
「お母さんと鯖丸は、大事な話があるから、おっちゃんと二人で海辺をドライブして帰ろうか」
由樹は、しばらく考え込んだ。
それから、無言で首を縦に振った。
由樹が、ジョン太に連れられて途中下車してからも、二人はしばらく黙り込んでいた。
最初に、トリコが言った。
「話があったんだろ。今、聞くよ」
「うん」
鯖丸は、視線をそらせて、窓の外を見た。
めずらしい。
普通なら、大事な話がある時は、正面切って話しかけて来るのに。
「結婚しよう」
窓の外を見たまま言った。
そんな話をされるのは、前から分かっていたけど、きっとこの先は違う話になる。
「そう言おうと思ってたんだ。でも、ダメなんだろう」
トリコは、黙ったままだった。
「何で、もっと早く言わなかったんだろう、俺。あの時なら、うんって言ってもらえたのに」
「そうだな、たぶんそう言ったと思うよ」
トリコは答えた。
二人はまた、しばらく黙り込んだ。
景色が後ろに流れて行く。
冬の海は、綺麗だが寒々しかった。
「俺じゃダメなんだ」
「分からないけど」
トリコは、少し間を置いて続けた。
「たぶん私は、自分で思ってた程、軽くも器用でもなかったんだ」
「知ってたよ」
鯖丸は、やっと窓の外から目を離して、こちらを見た。
いつもすぐ泣く奴なのに、涙も出ていないのが、余計辛そうに見える。
「ごめんな。私も、お前の事は好きだけど、でも…」
あの時とっさに、海斗の方に駆け寄ってしまったのは、本心だった。
そんな事、気が付かなくても良かったのに。
「いいんだ」
鯖丸は言った。
無理矢理笑おうとするな。余計辛いだろうが。
「地球に来てからずっと、毎日こんなに楽しかった事なんてなかったよ」
きっと、毎日辛い事の方が多かったんだろうなと思った。
いつも脳天気な顔をしているくせに。
「今まで、ありがとう」
駅に着いてから、トリコは電車で帰った。
鯖丸は、いつも通り歩いて戻るつもりらしく、そこで別れた。
調子に乗っている時なら、余裕で家まで走って帰る距離だが、背中を丸めてとぼとぼ歩いている。
電車が鯖丸を追い抜いた。
トリコは、窓からずっと、見送った。
鯖丸は、こちらには気が付かないで、地面に視線を落としたまま歩き続けて、視界から消えた。
元通りの毎日が始まった。
バイトして、学校に行って、部で練習して。
普通に過ごせているのが、自分でも割と不思議だった。
あれから、魔界の仕事はまだ入って来ないので、トリコにもジョン太にも会っていない。
その日は、数日前から始めたガテン系のバイトで、帰りは夜になっていた。
体を動かしていると、何も考えなくていいから、楽だった。
さすがに少し疲れたので、走らないで歩いていた。
小雨がぱらつき始めた夜の街を、ぼんやりと何も考えずに歩いた。
街がいつもより賑やかだ。
十二月に入ってから飾られ始めたクリスマスツリーも、今日は少し華やかに見える。
街を、サンタがうろうろしている。
ああ、クリスマスイブだったのかとぼんやり思った。
特に、何の感情も湧いて来ない。
明日から、ケーキが安売りだから、一個買おうかと考えた程度だった。
何も考えずに歩き続けていた鯖丸は、気が付いて立ち止まった。
ぼーっとしていたので、トリコの家の方へ歩いて来てしまっていた。
「何やってんだ、俺」
引き返そうと角を曲がった場所から、路地の向こうに見慣れたアパートが見えた。
この方向から見える台所の窓に、灯りが点っている。
きっと、フライドチキンとケーキか何かが、テーブルに乗っているんだろうなと思った。
由樹は現実的な子供だから、たぶんサンタなんかは信じてないけど、プレゼントに何かもらえるのは、楽しみにしているだろう。
トリコは、どうしているだろうか。
あんな事があった後だから、そんなに元気じゃないかも知れないけど、こんな日くらいは楽しく過ごせる様に、小さなツリーを飾っているかも知れない。
二人とも、笑っていたらいいなと思った。
自分が泣いているのに気が付いた。
どれくらいその場所に立っていたのかも、思い出せない。
走り出した。
通い慣れていた道を、全速力で突っ切った。
ガソリンスタンドから、ここ数十年、クリスマスになるとヒットチャートに上がって来る、定番のクリスマスソングが流れてくる。
歌の通りに、小雨が雪に変わっていた。
楽しかった事を、色々思い出した。
近所の公園で遊んだり、変な料理を作って嫌がられたり、一緒に洗濯物を畳んだり、買い物に行ったり。
浮かんでくるのはなぜか、日常の些細な事ばかりだった。
賑やかな通りを過ぎて、薄暗い線路脇の路地に入った時には、ほっとした。
家賃が安い代わりに治安も少し悪くて、ライトアップしている様な洒落た住宅も無い地域だ。
古い木造アパートの階段を、一気に駆け上がった。
まだ壊れていて、鍵がかからなくなっているドアを開け、布団の上に倒れ込んだ。
本当に、毎日が楽しかった。
今まで、こんな事は無かった。
ああ、そうかと気が付いた。
彼女が居ないとか、それ以前に、俺、今まで誰かを好きになった事、一度もなかったんだ。
こんなのが初恋なんて、あり得ないだろ…。
物凄く辛い。
どうしていいか分からない。
布団に突っ伏したまま、声が出なくなるまで泣き続けた。
「鯖丸が掴まらないんだけど」
その日、ジョン太が出勤すると、めずらしく一番早く来ていた所長が、声をかけた。
クリスマスから数日が過ぎて、世間はもう正月モードに変わっていた。
事務所の棚にも、そろそろ付けようかという注連飾りが置かれている。
「ああ、そう言えばメールも返信がないですね」
しばらく、そっとしておこうと思っていたので、それ以来特に連絡はしていない。
「年明けに、二三日入ってもらおうと思ってるんだが」
所長は、ジョン太の方を見た。
どうにかして連絡を付けろと言う意味だ。
「分かりました」
もう一度、メールを入れる事にした。
送信が終わって、普通に仕事を続ける内に、昼前になっていた。
仕事のメールなら、割合返信は早い奴なのだが。
学校はまだ、冬休みだろうが、部活かバイトかも知れない。
どちらにしても、この時間帯ならたぶん大丈夫だと思って電話をかけた。
呼び出し音がしばらく続いてから、留守電に切り替わった。
「ジョン太です。年明けに仕事があるから、連絡下さい」
短く用件だけ吹き込んで、電話を切った。
夕方まで待ったが、何の連絡もなかったので、もう一度電話をかけた。
今度は、留守電に切り替わる直前に、電話を取った様子だが、無言のままだ。
しばらく、そのままの状態で、いきなりがたんという変な音と共に電話が切れた。
「何やってんだ、あいつ」
背後で、遮断機の警笛がかすかに聞こえていた。
確か、線路の近くに住んでいたはずだ。
「家には居るみたいです」
ジョン太は言った。
「帰りに、様子見に行ってみますよ」
口も利けないくらい落ち込んでるのか、あいつ。
まぁ、ショックだったのは分かるけど。
「済まんが、そうしてくれ」
所長は言った。
実は鯖丸は、もっと大変な事になっていた。
先日から体調が悪くて、ふらふらしながら帰って来て、そのまま寝てしまっていた。
今朝になって起きようとすると、頭がくらくらする。
「ああ…辛過ぎて目が回って来た」
そのまま倒れ込んで、もう一回眠った。
次に目を覚ました時には、確実に事態が悪化していた。
起き上がれない。
頭ががんがんする。
水が飲みたいのに、目の前にある流しまでたどり着けない。
もうダメだ。
俺きっと、失恋のショックで、死んでしまうんだ。
それ、たぶん風邪かなんかだと、的確に突っ込んでくれる人が居ないので、倒れたまま一人でボケ続けている。
元々頑丈なので、実は、生まれてこの方、一度も風邪をひいた事がないのだ。
さすが、最強のバカ。
何度か、携帯が鳴っているのは気が付いていた。
何度目だか分からないが、どうにか手を伸ばして、適当な場所を押した。
ジョン太の声が聞こえて来た。
来年がどうとか言っているが、内容が頭に入って来ない。
「おおい、お前生きてるのかー」
どうにか、そんなセリフが聞き取れた。
死にそうだから助けてと言おうとしたが、声が出なかった。
そのまま、携帯を取り落として、力尽きた。
アパートの階段を、大きな荷物を背負った小柄な人影が登って来た。
「おおぃ、レイジ居るかぁ」
ドアを叩いてから、鍵が壊れているのを見て、ドアを開けた。
「もう寝てるのかよ。お土産持って来たのに」
鯖丸の、数少ない友達、山本弘が部屋に入って来た。
入り口で少しもたついて、靴の紐を解いてから、勝手知った他人の部屋に上がり込んだ。
以前より少し綺麗になっている部屋の中に、久し振りに会う友人がぶっ倒れている。
何をどうしようとしていたのか、なぜかズボンは半脱ぎのままで、上半身だけ上着とフリースを巻き付けて、伸ばした手の先には、開いたままのケータイとコップが転がっている。
ズボンは脱げかけだが、どう見ても、これから一発抜こうとか、そういう楽しい状態ではない。
「お前、何やってんだよ」
子供ぐらいなら入りそうなザックをその場に下ろして、山本は屈み込んだ。
「あ…山本の幻覚が見える」
ひどい声だ。聞き取るのがやっとだった。
「本物だ。お前これ、すごい熱じゃないか。医者行ったのか」
返事がない。
「薬は…飲んでないな、たぶん」
「水…」
飲むという単語に反応したらしい。
コップに水を汲もうとして、力尽きていたのか…と、山本は状況を把握した。
とりあえず、水を飲ませてから、部屋を見回した。
どうせ、体温計なんか持っていないだろう。
布団に押し込もうとして、少し呆れた。
この布団、いつから干してないんだ…ていうか、毛布とか持ってないのか、こいつ。
押し入れを開けたが、思った通り毛布や、もっと暖かそうな布団は入っていなかった。
代わりに、キノコが生えた少年ジャ○プが出て来た。
熱のせいか、体中汗びっしょりで、ズボン半脱ぎにしたまま、布団被らないで寝てたら、それは確実に悪化するだろう。
押し入れに、無造作に放り込まれていたTシャツとジャージを引っ張り出して、無理矢理着替えさせた。
ザックから、シュラフを取り出して、中に押し込んだ。
「暑い…」
「我慢しろ。お前、何か食ったか?」
返事はないが、水も飲めないくらいだから、メシは食ってないだろう。
「薬あるけど、飲む前にちょっとでいいから何か食え」
ザックから、非常食と、薬の入った袋を取り出した。
湯を湧かそうとしたが、ガスが出ない。
週二でしか戻っていなかったので、止めてしまっていたのだ。
「まさか、平地の室内で、こんな事する羽目になるなんて」
絶対、室内では使わないでくださいと書いてある小型のバーナーに火を付けて、コッヘルで湯を湧かして非常食を調理した。
鯖丸のくせに、半分も食べられなかったが、それで良しとして、市販の風邪薬を飲ませた。
「明日、絶対病院行けよ」
山本は、念を押した。
「土産渡しに来たんだけどなぁ、俺」
ジョン太が、鯖丸のアパートまで来た時には、もうすっかり辺りは暗くなっていた。
市内電車の駅を降りて、人しか通れない急な坂を下ると、アパートはすぐあった。
目の前を、線路と河川敷の土手が、二方向から塞いでいて、日当たりは悪いが、駅から徒歩一分で、繁華街も近い、便利な場所だ。
「何だ、けっこういい所じゃないか」
場所は知っていたが、来るのは初めてだった。
建物はぼろいが、思っていた程ひどくはない。
アパートの階段を、降りて来る人影が見えた。
小柄な青年が、自分より一回り大きい人間を背負って、急な階段を、確実な足取りで降りて来る。
背負われているのが、ぐったりした鯖丸だという事は、目で見る前に匂いで分かった。
体調が悪そうだ。
落ち込んでるんじゃなくて、寝込んでたのか、こいつ。
小柄な青年は、初めて見る顔だったが、山本だというのは、何となく分かった。
休学して、外国の山に登りに行っているとか聞いていたので、もっとごつい男だと思っていた。
「山本君?」
一応、声をかけてみた。
「あ、ジョン太だ」
何で呼び捨てなんだよ、こいつ。前に電話で話した時も、そうだったな。
まぁ、こんな名前にさん付けされてもなぁ…と、思い直した。
本名はたぶん、知らないだろうし。
「鯖…武藤君、どうしたんだ」
「熱がひどいんです」
山本は答えた。
「風邪だと思ったから、薬飲ませて様子見てたんだけど、悪くなってるみたいだから、病院に連れて行こうと思って」
川の向こうにある救急病院が、まだ開いていて、診てくれるという話だった。
歩いて十分くらいだし、救急車を呼ぶ程でもないと思ったので、連れて行く事にしたと説明した。
何で、自分より重い奴を担いで、十分も歩こうと思ったんだ、山本君は。
「俺が連れて行くよ。そいつ、見かけより重いだろ」
手足が長いので、細く見えるが、筋肉質なので意外と重い。
「もっと重い人を担ぎ下ろした事もあるし、大丈夫ですよ」
山本は言ったが、素直に鯖丸をジョン太に渡した。
本当に、ひどい熱だ。
「心が弱ると、体も弱るタイプだったのかなぁ」
ジョン太はつぶやいた。
山本は、ジョン太を見上げた。
しっかりしていて頼りになりそうな青年だ。
「こいつ最近、ちょっと辛い事があってね」
ジョン太は言った。
「めんどくせぇ奴だけど、まぁ、よろしく頼むわ」
山本はうなずいた。
「ジョン太って、レイジのお父さんみたいだなぁ」
やっぱり、そういうポジションだったのか、俺は。
「その割には、扱いが軽いんだよなぁ」
ジョン太は少し愚痴を言った。
病院に連れて行かれた鯖丸は、インフルエンザと診断されて、そのまま数日入院する事になった。
「こんなになるまで放っておいて…すごくしんどかったはずだよ」
内科の医者は、首をかしげた。
点滴されて、座薬の解熱剤をつっこまれた鯖丸は、ベッドに寝かされてぐったりしている。
人間ここまでぐったりすると、座薬を入れてくれたのが、若くて中々かわいい看護師だったのも、特に何の感慨もない様子だった。
「しんどいのは、心の問題かと思って…」
どうにか、声ぐらいは出る様になっている。
気になったジョン太は、一応聞いてみた。
「お前、大阪の病院で、しばらくはなるべく安静にして過ごせとか言われてたけど、ちゃんと休んでたか」
「そうだっけ…」
顔色を変えた医者が、大阪の病院から電子カルテを転送して持って来た。
「…で、その後帰って来て、剣道部の練習と、道路工事のアルバイトを…」
ため息をついて、ジョン太の方を見た。
「彼はバカなんですか」
「バカです」
ジョン太は言い切った。
年明けに、所長から連絡が入った。
すっかり元気になった鯖丸は、一応縁起物だというので、病院で出された雑煮を、物足りない顔で食っていた。
「お代わりって、もらえないのかなぁ」
看護師に聞いてみた。
「カロリー計算しているから、ダメです」
断られた。
「ケチ」
文句を言っている所へ、所長からメールが入った。
連絡をくれと短い文章が入っている。
看護師のお姉さんに睨まれたので、パジャマの上から上着を着て、人気のない廊下の踊り場まで出た。
最近のケータイは、病院でも問題なく使えるのだが、人前で話していると、あまりいい顔はされない。
電話をすると、所長はすぐ出た。
「武藤君、あけましておめでとう」
一応、新年の挨拶をしてから、たずねた。
「どう、調子は」
「随分良くなりました。明日退院です。色々、ご心配かけました」
だいぶ、大人の挨拶が出来る様になって来ているが、新年の挨拶を忘れているのが片手落ちだ。
あわてて、後からおめでとうございますと付け加えた。
今年もよろしくと返してから、所長はちょっと声のトーンを落とした。
「実は、あまりおめでたくない話なんだが」
仕事の話だと思っていたので、鯖丸は怪訝な顔で聞き耳を立てた。
「本社のハルオ君ね、今朝亡くなったんだ」
「え…」
集中治療室で寝ていた、ハルオ兄さんの姿を思い出した。
それから、ヨシオ兄さんの事も。
「明明後日葬式なんだ。私とジョン太は、明後日大阪に行かなきゃならんのだが、新年早々から、仕事が入っててね」
自分が呼ばれている仕事は、まだ一週間程日程があるので、それまでにはインフルエンザも完治するだろうと考えていた。
さすがに、明後日は無理だと思うが。
変な間があいてしまったのは分かったらしく、所長は言った。
「いや…魔界に入ってくれと言ってるんじゃないよ。明後日と明明後日の四時から七時まででいいから、事務所で電話番頼めないか。
斉藤さんは四時までだし、皆、仕事で出払ってるんだ」
鯖丸は、少し考えた。
三時間座っているだけでいいなら、出来そうだ。
「分かりました。やります」
「悪いね。行き帰りは、タクシー使っていいから、領収証もらっといてくれ。暖かくして、大事にするんだぞ。辛かったら、ソファーで寝てていいから」
所長とは思えない様な、優しい言い方だ。
俺、そんなひどい状態で、皆に心配かけてたんだなぁ…と思った。
電話を切ってからも、何となく重たい気持ちは拭えなかった。
別に、面識がある程度の知り合いだけど。
そういえば、去年、縄手山で屋根の上に放り投げられていた時、声をかけてくれたのは、ハルオさんの方だったな…と、急に思い出した。
なぜ、今になって思い出せたのかは、分からなかった。
世間でも仕事始めの四日に、鯖丸は久し振りに事務所へ出勤した。
医者にも、人混みには出るなと言われているので、厳重にマスクをして、言われた通りタクシーに乗った。
症状はもうほとんど無いが、周りに伝染すなと厳しく言い渡されている。
事務所には、黒いスーツを着た所長とジョン太が居た。
「悪いな、無理言って」
今から出発なら、飛行機だろう。
一時間足らずで大阪に着く。こちらと現地の、空港までのアクセスを足しても、二時間弱だ。
所長と会うのは久し振りだが、ジョン太は、入院の手続きや、必要な物を揃えてくれたり、見舞いに来てくれたりしていた。
「ううん、色々迷惑かけてごめん」
大げさなマスクを指差した。
「人前に出る時は、付ける様に言われてて。電話取る時は外すから」
まだ、ちょっと声がおかしい。
「そうか、でもまぁ、だいぶ元気そうになったな」
ジョン太は、少し安心した様子で言った。
空いている机の横に、物置から引っ張り出して来たストーブが置いてあって、ヤカンがかかっている。
椅子には、膝掛けとダウンジャケットが掛けてあった。
大げさだけど、変に気が回るのがジョン太らしいなぁ…と思った。
入り口が開いて、斑とトリコが二人で入って来た。
二人の様子だと、今から魔界に入るらしい。
鯖丸の姿を見つけて、入り口で止まった。
今日、電話番に来るのは、聞いていなかったのかも知れない。
事情は知っているらしい斑も、どういう態度を取ればいいか分からないらしく、隣で立ち止まった。
「久し振りだな」
トリコの方から言った。
関西から戻って、二週間ちょっと過ぎている。
まぁ、久し振りと言えばそうだろう。
「うん」
鯖丸は、うなずいた。
「元気そうで良かった」
「お前は、あんまり元気そうじゃないけど」
「だって、病気だもん、俺」
普段通り軽口をたたいて、マスクをちょっとずらして笑って見せた。
うわ、こいつ強っ。
内心はらはらしていたジョン太は思った。
トリコも、つられて少し笑った。
関西から戻って来てから、トリコが笑っているのを初めて見た。
斑が、手早く準備を整えて、入り口に戻った。
ジョン太と所長も、時計を見て、ドアを出た。
「じゃあ行って来る。後、頼んだぞ」
所長が言った。
「はい、行ってらっしゃい」
そそくさとダウンジャケットを着込んで、膝掛けを腰に巻いた鯖丸は、皆に向かって手を振った。
2009.4/19up
後書き
終わりました。
何か、思った以上に長い話になってしまいましたが、最後までお付き合い下さってありがとうございます。
オリジナルでも二次創作でも、こんな年齢の若い男を主人公にしたのは初めてなので(たいがい、おっさんが主役)折角だから、月日と共にどんどん変わって行く所を書いて行こうかと思っていました。
変わり過ぎです。
もう、取り返しが付きません。
二度と戻って来ません。
自分でしでかしといて何だが、AVぐらいで喜んでいた武藤君が懐かしいです。
まぁ、今でもAVを与えれば充分喜ぶと思うけど、延々と続いた話の後書きが、こんなんでいいのかという疑問は残らないでもない今日この頃、皆様お元気でお過ごし下さい。次回予告
折角終わった後に何ですが、次回「続・大体三匹ぐらいが斬る!!」に、続きます。
すっかりやさぐれてしまった鯖丸が、宇宙を舞台に、行く先々で女を引っかけて回る、キング・オブ・デビル、悪魔将軍な話になる…かどうかは、まだ不明。
とりあえず、三匹に新しい仲間が加わります。