novel
続・大体三匹ぐらいが斬る!! back next登場人物
武藤玲司(鯖丸) 貧乏な大学生。失恋以来、女関係の暴走がより悪化中の悪魔超人。魔法使いとしても、だいぶ人間離れして来た。将来が微妙に不安。卒論の〆切も不安。
ジョナサン・T・ウィンチェスター(ジョン太) 元宇宙軍特殊部隊所属。戦闘用ハイブリットの先祖返りタイプ。素で強い上に魔力も高い、設定が反則なおっちゃん。装備オプションに腹巻きが加わって、オヤジ度もアップ。
如月トリコ(トリコ) ビーストマスターの二つ名を持つ腕利きの魔女。外界ではロリ、魔界では巨乳のエロ系姐さんだが、基本的な立ち位置はおかん。
ルイス・アレン・バーナード(フリッツ) 先祖返りではなく、本物の戦闘用ハイブリット。一応、宇宙軍の所属だが、集団行動が出来ないので、半端仕事を任される事が多い。
土方里見(バラクーダ) 西谷魔法商会中四国支所の所長。元ヤン。暴れると強いのだが、最近は座ってるだけで、あまり活躍の場がない。「太陽に吠えろ」のボス的存在。
倉田正浩 西瀬戸大理工学部宇宙工学科の教授。何事も爆発させる怪しいおっさん。別名、破壊神倉田。研究の為なら犯罪も辞さない。
村上明日香 軌道ステーションで通訳のバイトをしている大学生。
マクレー 国連宇宙軍の少佐。昔、ジョン太の部下だった。どの部署に属しているのかは謎。
ヤン・コーウェン ハーマン社のエージェント。U08で起こった事故の処理を担当している。
メアリー・イーストウッド U08で行方不明になっている少女。ヤン・コーウェンの孫。
続・大体三匹ぐらいが斬る!!
1.猫のフリッツ(前編)
宇宙空間を横切って、古い人工衛星の残骸が流れた。
地球上に落ちれば、流れ星として願い事を三回ぐらい唱えられる事になるそれは、小規模なマイナーコロニーをかすめて飛んだ。
大型宇宙船をそのまま改造したマイナーコロニーは、公転軌道と自転の両方をめちゃくちゃに乱された。
衛星がぶつかった衝撃で、多数の住人が死んだ。
酸素を供給する装置が破壊され、残った者はコロニーを脱出した。
宇宙空間での活動に慣れた住民達は、二週間近い漂流に耐えて、救助された。
放棄されたコロニーは、軌道を外れ、宇宙空間のある一点に偶然漂って行って、止まった。
宇宙空間で確認されている、数少ない魔界、H201に機体の半分を突っ込んだコロニーは、その場所で静止した。
ノートパソコンに、変な動画が流れていた。
剣道の道着を着た、ごつい青年達が、一カ所に集まっている。
何かの大会の、表彰式の様にも見えた。
マイナーなスポーツらしく、大仰な観客もセレモニーもないが、一応、インタビューらしい男が、カメラの前でマイクを向けている。
優勝者と、二位の、いかにも武道やってますという顔立ちの二人は、普通にそれなりの返答を返していた。
三番目の青年は、どう見ても回りと芸風が違う。
まず、顔が全然強そうじゃない。
自分より上位に入った二人を睨んでいて、気は強そうだ。
「武藤選手は、地球外出身では、学生剣道で初めて全国大会出場を果たして来ましたが、初の三位入賞について、感想を聞かせてください」
たぶん、ケーブルテレビかネット放送の、マニアックなスポーツ専門チャンネルのインタビューだろう。
何となく素人臭い。
「ええと、今日は全員に勝つつもりで来ました。死ぬ程悔しいです」
武藤君が、とんでもない事を言い始めた。
「こいつら、絶対帰りに闇討ち…」
恐ろしい形相の男が、すごい速さでぶっ飛んで来て、武藤君に抱きついた。
カメラから隠しているつもりらしいが、みぞおちにがっつり突きを入れているのが、かすかに見えている。
後から駆け寄った、同じ学校の選手らしき団体が、カメラの前に群がった。
怖い顔の男は、ぶっ倒れた武藤君を抱き上げている。
「ああっ、倒れてしまった。彼は、低重力環境で育っているから、体が弱いんです」
セリフが棒読みだ。
「道を空けてくださーい。医務室に運びまーす」
同じ学校の部員らしき青年が、手際よく先導して、何か武道家にあるまじき暴言を吐こうとしていた青年は、てきぱきと撤収された。
動画は、しばらく、呆然と見送る周囲を映してから、同じ内容をループし始めた。
ジョナサン・ウィンチェスターは、出前のソバをすすりながら、動画を眺めた。
「何回見ても面白いなぁ…特に、溝呂木の慌て振りが」
NMCこと西谷魔法商会の事務所は、昼休みだった。
今年の春に行われた全国大会の動画だったが、入手したのは最近だ。
当人の武藤君が、何も語りたがらないので、どこからともなく手に入れて来たのだ。
「そんなもん、何回も見返して。悪趣味だぞ、お前」
隣の机で、持参した弁当を食べていた如月トリコがつぶやいた。
二人と画面上の武藤君は、仕事上のパートナーだ。
魔界出身のトリコは、仕事でもそのまま、普段の名前を使っているが、二人はジョン太と鯖丸という、いいかげんに付けたとしか思われない名前で仕事をしている。
魔界で本名を名乗るのは、危険だからだ。
魔界というのは、この世界と異世界が接触した場所に出来る穴で、お互いの世界の法則が、周囲に少し漏れ出している。
穴の周囲では、人やその他の生き物が持つ概念が強く働き、魔法と呼ばれる力を発動させる。
もちろん、魔界関係の便利屋なんかやっている三人は、魔力が高い。
外界と呼ばれる、通常の世界では、何の役にも立たないが。
西谷商会は、他に四人の魔法使いと、事務のパートのおばちゃんと、所長、それに、最近雇った魔界の宅配専門の、バイトの男の子一人の構成になっていた。
まぁ、鯖丸も学生だからバイトなのだが、日本では、民間で一番魔力の高い魔法使いとして、けっこう有名だ。
魔法使いとしてのキャリアも、もう二年くらいになる。
「いいじゃねぇか、面白いから」
ジョン太は、適当な事を言った。
この事務所では唯一のハイブリットで、先祖返りタイプなので、犬っぽい顔立ちをして、全身毛皮に覆われている。
「面白がってないで、ちょっとは注意したら?最近あの子、生活態度悪過ぎ」
夫婦でコンビを組んでいる、斑が言った。
「何だっけ、ほら、どっかのベンチャー企業の、女社長の愛人やってるとか…」
「それ、だいぶ前の話。今は…ええと、キャバ嬢と同棲してるんだっけ」
トリコは尋ねた。
「それは、二ヶ月前に別れた」
当の本人が、ドアを開けて入って来た。
大学も四年生になって、以前よりは大人っぽく見えるが、相変わらず年の割に童顔だ。
「何か、生活時間帯が合わなくて、最後はとうとうルームシェアみたいになっちゃってさ」
「少しは相手に合わせてやれ」
ジョン太は注意した。注意する点は、そこじゃないはずだ。
「早寝早起きは譲れないね、武道家として」
公共の場で、闇討ちとか言う奴が、武道家を名乗るな…と、ジョン太は思った。
「確か、五股かけて、全員にボコられたって聞いたけどな、俺は」
斑の夫の平田が言った。
「うーん、最初は二股だったんだけど、股がいくつになったらバレるか、試してみたくなって」
ひどい話だ。昔は、こんなダークなキャラじゃなかったんだが。
「それで確か、今は同じ大学の普通の娘と付き合ってるんだろ」
さんざん悪さをした挙げ句、地球を七周半ぐらいして、普通の地平に着地してしまったらしい。
本当にひどい話だ。
「先週別れた」
鯖丸は、俯いてつぶやいた。
「ペース早いよ、お前」
ジョン太は、本気で驚いた。
「どうせお前の事だから、鬼畜の様なセックスで、素人娘に引かれたんだろう」
「人をそんな、どす黒いキャラに仕立てようとするな」
空いた机の前に座って、パソコンの電源を入れた。
持って来た領収証の処理を、てきぱきやっている。
最近、現場だけではなく事務関係の仕事も、一通り出来る様になっていた。
本人は、普通の会社に就職するつもりらしいが、このまま魔法使いをやればいいのにと、皆が思っていた。
「何か、貧乏に耐えられないって言われて」
「それは、言っても仕方のない事を…」
鯖丸が貧乏なのは、一目見て分かるはずなのだが。
というか、大学生同士のカップルが別れる理由としては、あんまりだ。
「気を落とすな。また、年上で金持ってる女でもひっかけろや」
ジョン太は、すごい慰め方をした。
「そういう路線目指してる訳じゃないのに」
言いながらふとジョン太の方を見た鯖丸は、顔色を変えた。
ジョン太のノートパソコンに、先程の動画がループしていた。
「まさかこれ…」
あ、やば…という顔をしたジョン太が、こそこそと逃げかけた。
「これ動画サイトに投稿したの、やっぱりジョン太かよ。英語で字幕まで付けやがって」
「いや…面白かったから、つい」
「ついじゃねぇ」
珍しく、鯖丸がジョン太の首を絞めた。
「ただでさえ先生に怒られたのに、これ以上世界に広めようとするなー」
一応、まずい事をしでかしたのは分かっているらしい。
黙って話を聞き流していた所長は、鯖丸をちょいちょいと呼んだ。
「何ですか」
鯖丸は、机の前を離れて、所長の所へ行った。
「一昨日の話なんだけど、やっぱり断るつもりなのかい」
一昨日、所長から、久し振りの大仕事が入りそうだと連絡があった。
正直、まとまった金の入る仕事はしたいが、大仕事なら二三日で終わるとは思われない。
「すみません。卒論の進み具合が芳しくなくて、短期以外の仕事は、今ちょっと…」
卒論なんて、まだ全然手を付けて無くて、間際に適当な事をやって切り抜けようと云う学生も多い中、相変わらずその辺は真面目にやっている様子だ。
下半身は、悪魔将軍の様な暴れっぷりだが。
今年の春で、あんなに打ち込んでいた剣道部も、引退してしまっている。
以前から、今年は学業に専念すると言っていたが、言った事は本当にやる奴だ。
「君以外には、出来ない仕事かも知れないんだが」
所長は言った。
鯖丸は、怪訝な顔をした。
いくら、魔力が高くても、俺の代わりぐらいいくらでも居るでしょうという表情だった。
「今度の仕事は、地球じゃないんだ」
「ええっ」
ジョン太も、まだ聞いていない話だったらしい。
驚いた様に言った。
「マイナーコロニーのU08で事故があった事は、知っているか」
ジョン太とトリコも、近くに呼んで座らせ、所長はたずねた。
ジョン太以外は、首を横に振った。
大きな扱いのニュースにはならなかったが、似た様なマイナーコロニー出身で、しかも理工学部の宇宙工学科に居る鯖丸が知らないのは、どうかと思う。
「魔界に、船体半分突っ込んだまま、半年近く放棄されていたんだけどな。何度目かの調査が入る事になった」
「へぇ…」
鯖丸は、うなずいた。
「魔界に墜落したコロニーって、U08だったんですか」
多少は知っているらしい。
「U08って、何やってたコロニーなんだ」
ジョン太はたずねた。
「水耕栽培プラントの、実験かなんか、やってたと思ったけど」
鯖丸は答えた。
「大金をかけた、貴重な実験プラントを、回収したいという話だ。出来なければ、データとサンプルだけでも」
「それはそうでしょうね」
真顔でうなずいている。
「何のんきに相づち打ってるんだ。回収はお前らが行くんだよ」
所長は、三人を睨んだ。
元ヤンなので、相変わらず怖い。
「えーっ、それ絶対、何かの間違いでしょう」
ジョン太が言った。
「あの…私も行くんですか」
トリコが、恐る恐るたずねた。
「もちろんだ」
所長は言い切った。
「断れ、鯖丸。私は、宇宙船どころか、飛行機に乗った事もないんだ」
「それは、断るけど…」
鯖丸は、首をかしげた。
「何で、民間で、しかもバイトの俺なんか指名したんです。普通は、軍とか、レスキューとか、研究機関とかが対処する問題なんじゃ…」
「ジョン太にも、指名が入ってる」
所長は言った。
「昔、国連宇宙軍に居たし、魔界でのキャリアも長いからな」
「そんな、何十年も前の事言われても」
ジョン太はぼやいた。
「十四年前だろ。自分の事ぐらい憶えてろ。ツッコミのくせにボケるな」
納得いかない事まで怒られてしまった。
「鯖丸に関してはな、魔力ランクが高くて、宇宙での船外活動経験が100時間以上ある人間が、他に居なかったからだよ」
「えーと、魔力が高くて船外活動経験のある人なんて、コロニーや月で捜せば、いっぱい居るんじゃないんですか」
国内に居るランクSは、自分も含めて二十数人だと聞いていたが、実際の発生率はもっとずっと高い。
一生魔界なんかには出入りしない人間や、一度か二度、観光で入って、自分の魔力が何となく高いなと思う程度の人間の中にも、高確率ではないがランクSは存在する。
月やコロニーで捜せば、そういう人間も沢山…。
「どうやって捜すんだ」
月面にも、魔界は確認されているが、地球の様に気軽に観光で入れる場所ではない。
宇宙空間なら、尚更だ。
事故でもなければ、一生魔界なんかには入らないだろう。
「地球上で、現在確認されている、船外活動経験のあるランクSは、六人だけだそうだ」
「六人も居るなら、その人達に頼んでくださいよ」
何で俺がと言いたげだ。
「お前は、百才の老人とか妊婦とか病人に、そんな危険な場所へ行けと言うのか」
俺には行けって言ってるくせに…。
「普通に、調査隊を送ればいいんじゃないですか。どうせ、宇宙空間に生物なんて居ないんだから、危険な事なんてないでしょう」
「それは、もうやったらしい。魔界じゃない部分は、くまなく調査したが、魔界部分に入ったとたん、何かモンスター的な物に襲われて逃げ帰ったという話だ」
うわぁぁ、やっぱりそんな危ない所に放り込むつもりだったんだ。
「それはそれとして、とにかく行って来い」
とうとう、身も蓋もない言い方になって来た。
「ボーナスいっぱい出るぞ」
一瞬、鯖丸がぐらっとなっているのが、傍目にも分かった。
「お断りします。俺は地球で、こつこつ地道に生活費を稼ぎます」
「おおっ、鯖丸が貧乏に勝った。偉いぞ」
誉めたトリコは、所長にスポーツ新聞ではたかれた。
「お前は、自分が行きたくないだけだろうが」
「もちろん、その通りです」
あの…俺は行ってもいいけど…というジョン太の意見を、二人は強引に握りつぶした。
鯖丸が帰った後、所長はジョン太だけを呼んで耳打ちした。
「鯖丸を説得して来い。無理だったら騙してでも強引に連れて行くんだ。こんな儲け話、チャラにする訳にはいかん」
「あの…トリコはどうします」
ジョン太は、不機嫌な顔をしているトリコを振り返った。
「あいつ、宇宙どころか日本から出た事もないんです。上じゃきっと、言葉も通じませんよ」
「どうにかしろ。足手まといかも知れんが、魔界に入ったらあいつは必要だ」
所長は、腕組みした。
「あいつなら小さいから、引きずってでも連れて行けるだろ」
「俺に何を期待しているんですか」
ジョン太は、ため息をついた。
二日後、ジョン太は西瀬戸大理工学部に来ていた。
鯖丸は、またケータイの電源を切って、逃げ回っていた。
バイトも、最近は手広くやっているらしく、何処にいるのか見当が付かない。
確実に居る場所で、捕まえるしかない。
あらかじめ聞いて来た倉田教授の研究室は、研究室と言うより、町工場に見えた。
破壊された壁を、トタン板で塞いだ形跡がある。
中からは、恐ろしい物音が聞こえていた。
入口を捜して、周囲を一回りしている内に、振動と共に物音は轟音に変わった。
轟音の音階がどんどん高くなり、鉄骨に波板を貼り付けただけの、四角い建物がゆらいだ。
これはまずいなと思う間もなく、外れたトタン板が、ジョン太を直撃した。
「いや…申し訳ない」
倉田教授は、ジョン太に椅子を出してコーヒーを勧めた。
「用があるなら、こっちに来てくれれば良かったんだが、怪我が無くて幸いだった」
色んな物を爆発させる教授だと聞いていたので、もっと、コントのマッドサイエンティストみたいな男を想像していたが、倉田教授の印象は、全然違った。
つなぎの作業着の上から白衣を着た初老の男で、どっちかというと、学者と言うよりバイク屋のオヤジみたいに見える。
通された場所は、先程の建物に隣接する、もっと小さいが普通の部屋で、本当の研究室はこちららしかった。
本やパソコンや、工作機械類が雑然と並んでいる。
「西谷魔法商会中四国支所のウィンチェスターです」
ジョン太は、名刺を手渡した。
「ああ、今朝連絡をくれた…」
教授はうなずいた。
窓の外では、教授の手下らしい学生が、慣れた手つきで外れたトタン板を張り直している。
良くある事らしい。
「うちの武藤が、いつもお世話になっとります」
「いや、こちらこそ。いつも連れ出して、ご迷惑かけます」
良かった…見た目もそれ程怪しくないし、言ってる事も普通だ。
ジョン太は、少しほっとした。
鯖丸を説得するより、外堀を埋めた方がいいと考えて、教授にアポを取ったのは正解だった。
もう一人の、剣道部の外堀、溝呂木先生と初めて会った時は、大変だった。
正座させられるわ、日本刀は抜かれるわ。
今度はまともな人だ。
名刺を受け取った教授は、自分の名刺を渡そうと考えたのか、ポケットを探った。
それから、背後の机で、パソコンに向かっていた学生に声をかけた。
「篠原君、僕の名刺、知らんかね」
「この前使い切ったから、自分で作ると言われて、印刷用紙買って来てたでしょう」
学生は雑然とした机の上から、名刺用のプリント用紙を引きずり出した。
「忘れてた」
プリント用紙をぞんざいに開封した教授は、一枚分ちぎり取って、ボールペンで名前とメールアドレスを殴り書きしてから、ジョン太に渡した。
ああ、やっぱり普通の人じゃなかった…。
「それで、ご用件は」
「武藤君の事なんですけど」
U08の現状と、依頼内容を手短に説明した。
「教授の方で、行く様に説得していただけないかと…」
ジョン太は、一応付け加えた。
「はっきり言って、報酬もかなりの額ですし、この仕事を受ければ、しばらくは、アルバイトもしないで、学業に専念出来ると思うんですが」
「学問という物はですねぇ、そんな、あっちをがーっと片付けてから、一気にこっちをやってしまおうとか、そういう物ではないんですよ。
地道な作業の繰り返しで、一歩ずつ進めていく物なんです」
ああ、まともな事言ってる。名刺は手書きなのに…。
「それはそれとして、U08は、カナダとEU連合の企業コロニー所属でしたねぇ」
「そうだったと思いますけど」
ジョン太は、あいまいに誤魔化した。
正式に依頼を受けた訳ではないが、依頼内容にはたぶん、企業秘密も含まれるはずだ。
ドアが開いて、コンビニの制服を着た鯖丸が駆け込んで来た。
「すみません、バイトの引き継ぎに手間取って。ストームの稼働実験、もう終わっちゃいました?」
「うん、今、録画したやつ確認してるから」
倉田教授は、パソコンの前に座っている学生を指差した。
画面を覗き込もうとした鯖丸は、ジョン太と目が合った。
「げっ、ジョン太」
速攻で逃げ出そうとする鯖丸の首根っこを、ジョン太は目にも止まらない動きで捕まえた。
「待て、コラ」
「見逃してくれよぅ」
鯖丸は、じたばた暴れ回った。
大柄な剣道の達人を、小動物の様に扱っているハイブリットを、倉田と篠原は、驚いた顔で眺めた。
魔界でならともかく、外界でジョン太に勝てる訳がない。
鯖丸は諦めて大人しくなった。
「何て言われても、行かないからね、俺。ストームの実験も佳境だし、卒論も…」
先程トタン板が吹っ飛んだ建物の入り口から、スケールダウンされたエンジンらしき物体が見えた。
どっちかというと、卒論よりこれが気になって、地球を離れたくないらしい。
「まぁまぁ」
倉田教授は、鯖丸をなだめた。
「いい機会だから、行って来なさい。君が戻って来たら、もう一回動かして見せてやるから」
「えっ」
行くなと言っていた訳じゃないのか。
良く分からない人だが、助かった。
ジョン太はほっとしたが、教授は鯖丸の首に腕を回して、部屋の隅に引っ張って行った。
「それでな、仕事で行くなら、軍関係と接触する機会があるはずだ。EUの戦闘機に積んでる新型エンジンの設計図、盗み出して来い」
「あの…教授…」
「卒論の〆切り、延ばしてやるぞ」
うわー、こいつ変人どころか犯罪者だよ。
鯖丸は、必死でしゃべるのを止める様にゼスチャーしていたが、教授が止めないのでとうとう口に出した。
「ダメです。あの人、聴覚が犬並なんだから、全部聞こえてますよ」
「冗談はさておき」
教授は、すっくと立ち上がって、微笑んだ。
「行って来なさい、武藤君。宇宙での経験を積むのも、将来的には役に立つぞ」
とうとう綺麗事言い出したよ、このおっさん。
「分かりました。盗み出すのは難しいと思いますが、出来る限り憶えて帰りますから。卒論の〆切りはよろしくお願いします」
二人は、がっつり手を取り合った。
「交換条件だから、ジョン太も協力してもらうよ」
「俺を犯罪に巻き込まないでくれ」
ジョン太は一応お願いした。
トリコは、デスクの足にしがみついて、だだをこねていた。
元、政府公認魔導士で、ビーストマスターの二つ名を持つ姐さんが、こんな態度を取るのは珍しい…というより、初めてだ。
「嫌だぁ。宇宙になんか行くくらいなら、地面に埋まってた方がマシだ」
パスポートを取りに行かせようとしただけで、このざまだ。
「そんな怖い所じゃないよ。俺もジョン太も付いてるから、大丈夫だって」
利害関係が一致してしまったので、鯖丸はジョン太側に回った。
「だって、宇宙酔いしたり、宇宙線を浴びて病気になったり、低重力で体が弱ったりするんだろ」
「迷信だ」
鯖丸は言い切った。
「そんなに長期間、由樹を預かってくれる所もないし」
トリコは、来年小学校に上がる一人息子の名前を出した。
「所長がちゃんと手配してくれてるだろ。由樹を言い訳に使うな」
去年の暮れまで付き合ってた相手に、よくあんな厳しい事が言えるな…と、ジョン太は呆れた。
「お前は、自分が行きたいだけだろうが」
トリコの方も遠慮がない。
けっこうひどい別れ方をしたのに、二人ともよく平気で元通り仕事出来てるなぁ…と思った。
まぁ、全然平気という訳でもないんだろうが。
あれ以来、鯖丸は女関係がやんちゃになってしまったし、トリコは逆に、すっかり大人しくなっている。
「宇宙は、いい所だよ。気持ち悪い生き物も居ないし、土とか泥とか、汚い地面もないし…」
鯖丸は、遠い目になった。
それ、地球生まれの人間には、全然いい所じゃないんですけど。
「まぁ、お前が上でちゃんとやれるとは期待してないよ」
ジョン太は、言った。
「魔界に入るまでは、特に役に立たねぇんだから、観光気分で気楽に行けばいいじゃないか」
割合ひどい事を言われているのだが、追いつめられているトリコは、気が付かない。
何だかいい話をされた様に、うなずいてしまっている。
「本当に、それでいいの」
心が弱っていると、人は騙されやすいのだ。
「もちろんだ。俺も鯖丸も、宇宙の経験はけっこう長いんだから、全部任せてのんびりしてればいいさ」
「うん」
普段、この中では一番厳しい事を言うジョン太が、優しい口調になったので、トリコはうなずきかけた。
「そうだよ。俺らに任せて」
鯖丸は、一点の曇りもない爽やかな笑顔で言った。
「お前のはウソだな」
さすがにしばらく同棲していただけあって、見切られている。
「えっ、何で分かるの」
鯖丸は驚いた。
「お前は、ウソ付いてる時の方が、見た目がいい人になるんだよ。分かるわ」
「バカ野郎、バレても本当だと言い張らんか。この根性なし」
ジョン太は、鯖丸の首を絞めた。
いつも通り、ぐだぐだになって来ました。
翌週、幕張宇宙港に、三人の姿があった。
パスポートを作ったり、健康診断を受けたり、仕事以外の出発準備に振り回されていたトリコは、すっかり大人しくなってしまっている。
魔界出身の人間は、普通親以外本名は知らない物だが、トリコの場合元政府公認魔導士だったので、更に戸籍上の名前すら、実生活では使っていない。
周囲の者は、魔界での本名はともかく、戸籍上の名前は如月トリコだと思い込んでいた。
手続きは、大変手間取った。
戸籍上の本名を書かれたパスポートを持って、トリコはむすっとしてゲートに並んでいる。
ここへ来るまでに、生まれて初めて飛行機に乗ったので、この時点でもうよれよれだ。
「意外と、もっさりした名前だったんだねぇ」
鯖丸は、意外そうに言った。
「黙れ。自分だって、もっさりした顔のくせにホストみたいな名前しやがって」
ジョン太はジョン太で、行く先々で金属探知器を鳴らしてしまい、一行は遅々として先に進まなかった。
去年、ハンニバルとやり合った時の弾丸が、まだ体の中に残ったままなのだ。
「こんな事なら、めんどくさがらないで摘出手術受けておけば…」
ゲートを通ってからも、色々な手続きが必要だった。
大気圏脱出と、無重力になってからの注意事項について講習があり、退屈な話を一時間程聞いてから、乗船時間を待った。
ジョン太は、宇宙へ出た経験がある他の乗客と一緒に、講習を免除されて、その辺をぶらぶらしていたが、鯖丸が一緒に講習を受けていたのは驚いた。
「お前、十四、五くらいまで、コロニーに居たって言ってなかったか」
「居たけど、地球から行った事ないから、講習免除されないんだって…」
お役所仕事って…と、嘆いている。
「俺、あと一個身体検査があるから、ジョン太と待ってて」
「健康診断なら、来る前に受けただろ」
「地球外出身だと、大気圏離脱に耐えられない事もあるから、一応全員検査だって」
どう見ても、普通の地球人よりごついのに、気の毒に。
数人の、華奢な体格の人々と一緒に、鯖丸は奥の方へ消えた。
鯖丸は、検査に入った乗客の、一番最後に戻って来た。
てっきり、一目見るなりはいオッケーとか言われて、突き返されて来ると思っていたので、二人ともちょっと不安になった。
「あいつ確か、もう骨密度も普通になってるはずだったよな」
ジョン太は尋ねた。
「その辺は、厳しく管理していたからなぁ」
トリコは言った。
「今でも月イチぐらいで、食生活の記録をレポートにして提出して来るよ」
そう言えば、鯖丸が渡したノートを、赤ペンで添削しているのを見た事がある。
半年以上前に別れた男の健康管理をしているなんて、どうなんだそれ。
お前ら、べつに別れなくても良かったんじゃ…と、つい言いそうになってしまった。
遅くなったくせに、鯖丸は割とご機嫌で戻って来た。
二人が暇つぶしに食べていたアイスを見て、あ、俺も食べようとポケットの小銭を引っ張り出した。
「遅かったなぁ。何かあったのか」
ジョン太はたずねた。
「写真撮ってた」
鯖丸は、アイスのメニューを睨みながら、変な事を言った。
「低重力コロニー出身で、こんなごつい奴珍しいから、記録させてくれって医者が」
「断れよ、そんなの」
「別にいいじゃん。写真ぐらい」
絶対、いい気になって服を脱いで、ポーズまで取っていたに違いない。
体育会系にありがちな、悪い病気だ。
「えーと、チョコチップバナナとマーブルミントと小倉」
よりによって、変なアイスばっかり三段にしようとしている。
注文を通した所で、アナウンスが流れた。
ばらけて待っていた人々が、乗船口に向かい始めた。
「時間がない、行くぞ」
「ええっ、アイスー」
ジョン太に引っ張られた鯖丸は、乗船口に向かった。
出発時の加速と、長時間無重力状態の船旅で、軌道ステーションに着いた時には、トリコはすっかりダメになっていた。
「うわー、この体の軽さ、懐かしいー」
船内から広い場所へ出て、はしゃぎ回っている鯖丸を捕まえて、ジョン太は言った。
「俺、色々手続き済ませて来るから、トリコの面倒、ちゃんと見てろよ」
「分かった」
どこか、自分でも分からない方向に飛んで行き始めたトリコを捕まえて、手すりしかないエスカレーターの様な物に掴まらせた。
「ほら、これ持ってれば、重力がある所まで連れて行ってくれるから」
「先に行ってて、いいのか」
器用に体を捌いて、反対方向へ行ってしまったジョン太を、トリコは振り返った。
とたんにまた、体があらぬ方向に持って行かれそうになる。
「俺ら、観光で来た訳じゃないしね。観光客とは別行動」
一緒に乗って来た乗客のほとんどは、添乗員に手助けされて、広いロビーへ向かっている。
反対方向から飛んで来た、子供達の集団が、こちらを見て笑いながら通り過ぎた。
「地球人だ」
「だせぇ、ふらふらしてるー」
日本語しか分からないトリコは、子供って可愛いなぁという顔をして見送っている。
「こら。てめーら、勝手に入って来るな」
鯖丸は、トリコには分からない言葉で、子供達に怒鳴った。
トリコは、驚いて鯖丸を見た。
子供達は「やべっ」と言い合って、見事な身のこなしで飛び去った。
「あいつら、たぶんどっかのコロニーから来て、月か何に研修旅行にでも行く小学生だな。何で、地球側のゲートに入って来てるんだろう」
「一緒じゃないんだ」
鯖丸が、英語しゃべってるのも、初めて聞いた。
「地球の感染症に、免疫がない子も多いから、分けてるはずなんだけど、抜け道があるし」
昔、そう言う事をしでかしてそうなタイプだ。
「後で、ケツの穴まで消毒された後、謹慎して反省文書かされると思うけど」
絶対昔やらかしてる、こいつ。
エスカレーターが、通路を抜けて、重力のあるエリアに入った。
体が向いていたのとは、全然別方向へ器用に着地してから、鯖丸は、トリコが尻から着地しそうになるのを受け止めた。
一人では、自由に動く事も出来ない。
先が思いやられる。
「俺ってもう、地球人に見えるんだなぁ」
武藤君的には、色々感慨があるらしかったが、トリコは、別の事が心に引っかかっていた。
ケツの穴まで消毒されるのって、この流れで行くと私らの方なんじゃないか。
その通りだった。
更に、何種類もの薬を処方され、注射を打たれた。
白っぽい服を着た、背の高い黒人の女は、相手が片言の単語すら話せないと分かって、問診は諦めたらしかった。
モニターにカルテらしき物を呼び出して覗き込んでいたが、驚いた顔をして、画面とトリコを見比べた。
程なく、東洋人の女が呼び出されて来た。
まだ若い。
学生の様にも見える。
「村上です。ここで通訳のアルバイトをしています」
言葉が通じる相手が出て来て、ほっとした。
「医療関係者ではないので、専門用語は分かりませんが、何か成長不全の様な病気の治療を受けていますか」
「はい」
トリコは、うなずいた。
「診断書と、服用している薬の処方は、健康診断の結果と一緒に、送られているはずですが」
村上が通訳すると、黒人の医者らしき女は、画面をスクロールさせた。
見つけたらしく、別ウィンドウで呼び出して、うなずいている。
機械の操作に、全く手を使っていない。
良く見ると、首筋に鯖丸が付けている様な接続プラグを埋め込んでいて、そこからコードが伸びていた。
「手違いで、別の場所に添付されていました」
村上が、けっこう長いセリフをしゃべっている女の言葉を、ざっくりと短く訳した。
「珍しい病気の様ですね」
トリコには心身成長同調不全症候群という、ややこしい名前の持病がある。
魔界出身で、魔力の高い人間だけが罹る病気だ。
無意識に、魔力で身体能力を底上げする為に、体の成長が遅れたり、最悪止まってしまう事もある。
魔界を出るまでは、普通に成長している様に見えるので、本人すら気が付かない。
外界に出ると、中学生の様な外見になってしまう以外、特に健康上の問題はないのだが、思う所があってこの春から治療に通っていた。
少し、身長が伸びて来ているのが、自分でも分かる。
「副作用が起こる可能性があるので、骨密度を維持する薬を、違う種類に変えるそうです。仕事で同行して来た方と、取り違えて飲んでしまわない様に気を付けてください」
そんな薬を処方されていたのも、分からなかった。
医者らしき女が、通訳を呼ばずに適当に流して仕事をしていたら、大変な事になっていた所だ。
「処方箋が別の所へ行ってたのに、どうして分かったの」
トリコは聞いてみた。
黒人の女は、何でそんな事聞くのかという顔で、大笑いを始めた。
「いくら東洋人が若く見えると言っても、不自然だったそうです」
村上は言った。
「ミセス・アリシアは、有能な検疫技師ですから」
医者とは、少し違う職種らしい。
「そう。ありがとうって伝えといて」
トリコは、村上に言った。
村上は、思った通り大学生で、通訳はアルバイトだと言った。
「出身は九州の大分なんですけど、両親の仕事で子供の頃こっちへ来て、もう十年になります」
鯖丸とは逆のパターンだ。
通訳は、ざっくりして愛想がないが、意外と親切な娘で、連れの二人と合流するまで、一緒に居ましょうと言ってくれた。
「案内板の表示も読めないのに、一人で行動するのは無理ですよ」
「匂いで捜してくれると思うよ。連れの一人はハイブリットだし」
ロビーの様な場所は、割合賑わっていた。
地球に比べると、ハイブリットもかなり多い。
それでも、ジョン太の様なタイプは、少なかった。
「もう一人は、こっち出身で、地球に住んでる学生のバイト。話が合うかも」
「学生なのに、重要な仕事を任されているなんて、羨ましいです」
村上は言った。
「まぁ、バカで軟派だけど」
トリコは言った。
「連絡先なんか教えたら、あっという間にどっか連れて行かれるから、気を付けろよ」
当のバカが、ジョン太と二人でやって来た。
「この子、通訳の村上さん。彼女のおかげで、医療事故が起こらないで済んだよ」
トリコは、二人に説明した。
「そうか、ウィンチェスターです。うちの如月がお世話になりました」
ジョン太は、礼を言った。
「いいえ、こちらで通訳のご用があったら、いつでも呼んでください」
村上は言った。
じゃあ、私はこれで…と去りかけて、ふと立ち止まって聞いた。
「あの…ウィンチェスターさんって、木星の…」
「ああ、別人。親戚でも何でもないから」
ジョン太は、適当な事を言って、その場を後にした。
鯖丸は案の定、どこに住んでるの…とか聞いている。
昔は、こんな子じゃなかったのに。
その日は、ステーションで一泊する事になった。
明らかに観光客向けではない部屋の鍵をもらい、送っておいた荷物を受け取った。
重量の制限があるので、中身は着替えくらいだ。
周囲は、どこまで行っても建物の中で、この辺りから宿泊施設で、ここからが商業施設という様に切り替わりはするが、当然、何処まで行っても外には出られない。
トリコは、低重力で歩く練習の為に少し遠出したが、すぐに飽きて来た。
食事は変な味だし、空気も水も、何の匂いも味もない。
何だかもう、地球に帰りたくなって来た。
人の少ない方に歩いていたら、突き当たりに大きなドアがあった。
勝手に入っても良さそうなので、ドアを押して入った。
中は、少し薄暗かった。
床にだけ照明を入れた、体育館くらいの場所に、ぱらぱらと人が居て、思い思いに寛いだり、話し込んだりしている。
上を見上げると、巨大な青いものがあった。
落ちて来そうだ。
「地球だ…」
初めて見た。
しばらくぼんやり見上げて、回りの何人かがしている様に、床に寝転んでみた。
いい感じだ。
観光客が入れる区画ではないし、周囲はここの住人と、コロニーの人間なのだろうが、特に話しかけられたり、じろじろ見られる事もなかった。
寝転んでいる間に、ちょっとの間うとうとしてしまった。
部屋に戻って、寝る事にした。
部屋に戻ると、ジョン太がドアの前でイライラしながら待っていた。
「一人で、どこ行ってたんだ」
心配していたらしい。
「散歩」
トリコは答えた。
「歩く練習しとこうかなと思って。ぶらぶらしてたら、展望室みたいな所に出たから、しばらく寝てた」
「ほんと、自由な感じだよな、お前ら」
ジョン太は、ため息をついた。
「よく、一人で帰って来れたな」
「来た道を戻るだけだろ」
それが出来ない奴も、いっぱい居るんだが…。
「お前らって、鯖丸も居ないのか」
トリコは聞いた。
まさか、本当に村上とどっか行っちゃってるのか。
「どうにかしてくれ、あの、暴れん坊悪魔将軍」
ジョン太はしばらく頭を抱えていたが、全てを投げたらしく、自分の部屋の戸を開けた。
「十時間後に集合。遅れるなよ」
「分かった」
四畳間ほどの部屋に、必要な物は全て揃っていた。
風呂はないが、シャワーも使える。
アラームをセットして、体を洗ってから、用意されていた服に着替えて寝た。
特に、昼夜の設定はされていないらしい。
十時間後に、身支度を調えてドアの外へ出ると、寝る前と全く変わらない光景があった。
ジョン太も、ぼんやりした顔で、目をこすりながら部屋から出て来た。
何度も、仕事で一緒に泊まっているので、寝起きはいつもこんな感じなのは知っていた。
強面のおっちゃんが、すっかり素に戻ってしまっている。
鯖丸だけが、寝起きなのに元気いっぱいで、廊下の向こうから、すごい速さでぶっ飛んで来る。
きっちり身支度を調えて、少ない荷物を入れたいつものディバッグを持って、何で泊まってる部屋じゃない方からやって来るんだ。
「お早う、待ったー?」
「待ってねぇけど、お前には色々聞きたい事がある」
ジョン太は言った。
「別にいいじゃん。仕事中って云っても、休み時間だし」
だから、連絡先教えるなって言ったのに…。
トリコは、村上の顔を思い浮かべた。
どんな悪さをされたんだか…。
「いいけどお前、あんな真面目そうな娘を、カメハメ師匠伝授の、四十八の必殺技で」
ジョン太は、鯖丸の首を絞めた。
「やってないよ」
鯖丸は反論した。
「一回しか…」
小声で付け加えた。
「彼女、地球に行きたくてバイトしてるって言うから、色々話してて。何て言うか、その場の流れで」
「お前が、土石流を引き起こして、強引にそっちへ流したんだろうが」
信用度ゼロだ。
「もういい。後はカメハメ師匠、説教しとけ。行くぞ」
歩き出してしばらくして、トリコは気が付いた。
「ええ、カメハメ師匠、私?」
一つ下の階層に降りると、シャトルバスが走っていた。
ステーション全体に番号が割り振られた路線図が、壁のあちこちに表示してあって、バスは内回りと外回りの二種類が、リング状のステーションを運行していた。
「山手線みたいなもんなんだ」
「基本的にはそうだな」
字が読めないトリコでも、迷わない構造になっている。
別れていた観光客も、交通機関では合流している。
観光なのに、あの検疫は厳しいだろうなぁ…と、トリコは思った。
地球にも、観光地なんていっぱいあるのに、そんなしんどい思いをしてまで、宇宙に行かなくても…。
検疫まで受けて、この辺をうろうろしている観光客は、ここから更に月まで行く団体だという事を、トリコは知らなかった。
観光客も、ステーションの人間も、誰一人乗り降りしない場所で、ジョン太はバスを降りた。
案内表示の文字が読めている鯖丸にも、どこへ向かっているか分からないらしく、怪訝な顔で後に続いている。
ここに着いてから渡された身分証を提示し、どんどん奥へ進んだ。
奥まった場所にあるあるその部屋は、何となくオフィスだという事が分かった。
中に入ると、二人の人間が待っていた。
どちらもハイブリットだ。
一人は、多少特徴が出ているだけの、通常のタイプで、三十代後半から四十歳くらいに見えた。
もう一人は、ジョン太の様な先祖返りタイプで、こういうタイプにはありがちだが、外見からは年齢が分かりにくい。
何となく、若そうだなという印象だ。
通常タイプのハイブリットの男は、部屋に入って来たジョン太を見ると、ひどく懐かしそうに、表情を崩した。
歓迎しているというより、今にも泣き出しそうだ。
「お久し振りです、中尉殿」
びしりと敬礼して、言った。
「止せよ。退役して何十年経つと思ってるんだ」
ジョン太も、旧知の親友に、久し振りに会ったという表情だ。
二人は抱き合って、互いの背中を叩いた。
「十四年でしょう。ボケたんですか」
「気持ちの問題として、それぐらい経ってんだよ」
ジョン太は、鯖丸とトリコを振り返った。
「今回の依頼者の代理人で、昔の同僚。国連宇宙軍のマクレー少佐だ」
二人に、日本語で説明してから、英語に戻った。
「出世したなぁ…。ああ、こいつらがトリコと鯖丸だ。うちで、一番腕の立つ魔法使いだよ」
マクレー少佐は、不審げに、二人の東洋人を見た。
どう見ても、子供だ。事前に渡された資料には、二十二才と三十三才という、信じられない設定の年齢が書いてあったが。
それから、気が付いて尋ねた。
「もしかしてこの子が、R13の…」
どうせ、宇宙に来れば、この話題は出ると思っていた。
鯖丸は、聞かれる前に自分から名乗った。
「武藤玲司です。R13出身の」
「驚いた。地球人にしか見えないな」
マクレー少佐は言った。
そんな事を言っている本人も、がっちりした体格で、宇宙で暮らしている様には見えない。
目鼻立ちにハイブリットの特徴は出ているが、外見はおおむね、ラテン系の白人だ。
「雄次郎とは、何度か一緒に仕事をした事があるが」
「父をご存じですか」
鯖丸は尋ねた。
「優秀な建築技師だったな。君も、そういう方面に?」
「いいえ、エンジン開発志望です」
英語が分からなくて、会話に入って行けないトリコは、辺りを見回していて、もう一人のハイブリットと目が合った。
ジョン太とは違って、猫科のハイブリットらしく、外見は随分違うが、毛皮に覆われているのは同じだ。
短い、真っ黒な毛に覆われた顔の中で、金色の目がこっちを睨んだ。
外見から年齢は分からないが、雰囲気は生意気な若造だ。
ちょっと肩をすくめて、やれやれという感じで笑ってやると、視線を逸らせた。
二人の様子に気が付いたマクレーは、少し離れた場所に立っているハイブリットに目をやった。
「バーナード軍曹です。あなた方のサポートとして、同行させます」
猫っぽい男は、ふん…という感じで、三人を見てから、腕組みして壁にもたれた。
あまり、態度は良くない男だ。
上下関係の厳しい軍隊で、よくやって行けるなぁ…と、ジョン太は感心した。
それだけ、能力は高いのかも知れない。
よろしくと言って握手を求めたが、無視された。
「すみません。こんな奴ですが、仕事はきちんと出来ますから。魔界に入った経験もありますし、多少は魔法も使えます」
大体、軍人として上手くやって行ける様なタイプの人間は、魔法使いには向いていない。
こいつなら、魔力はそこそこ高そうだ。
「バーナード軍曹、皆さんをシャトルに案内しろ。現地へ向かう」
「はい、少佐殿」
一応、形通りに敬礼して、バーナードは付いて来いと言う風に三人を振り返って、歩き出した。
三人には何の説明もなく、バーナード軍曹はシャトルへ向かった。
低重力に慣れていないトリコには、付いて行けないスピードだ。
ディバッグを背負って両手を空けた鯖丸は、トリコを小脇に抱えて後を追った。
「待てよ。こっちは素人も居るんだから」
バーナードは、ちらりと振り返った。
「連れて来るな、そんな奴」
どんどん先へ行こうとするバーナードを、ジョン太は襟首を掴んで止めた。
「待ってやれ」
振り返って、鯖丸にも言った。
「自分で歩かせろ。早く慣れてもらわないと困る」
「最初からは無理だよ」
鯖丸は、文句を言いながら、トリコを床に下ろした。
「こんな仕事、俺一人で充分だったのに…」
バーナード軍曹は、不愉快そうに言った。
「何で、ガキとじじいのお守りなんか…」
「ジョン太、この猫、殴っていい?」
鯖丸は聞いた。
「やめとけ、こいつ戦闘用ハイブリットだ。お前が竹刀持ってたって、かすらせるのも無理だよ」
ジョン太以外の戦闘用ハイブリットを初めて見た鯖丸は、へぇ…という顔をした。
ジョン太よりは、体も一回り小さくて、体型も華奢だ。
身のこなしがただ者でないのは、歩いているだけで分かる。
「俺みたいな、先祖返りじゃなくて、生粋のハイブリットだしな。こいつとガチでやったら、五分持たねぇかも」
「五秒も要らないぜ」
日本語で話していたのに、バーナードが言った。
えっ…という顔をしていると、ポケットからカード型のラジオの様な物を出して、トリコの方へ投げた。
「翻訳機だ。ここに居る間、お前に貸与される」
トリコは、飛んで来た小さな機械を受け取った。
バーナード軍曹の胸ポケットにも、同じ様な物が入っていて、首筋から細いコードが繋がっていた。
一応、どういう人間が来るかは、きちんと把握していたらしい。
「最初に言っておくが、俺の足は引っ張るなよ。パチもんの犬とどんくさいガキでも、それくらいは出来るだろう」
言い捨てて歩き出したが、何げに歩調をトリコと合わせている。
鯖丸は、本気で殴るつもりらしく、周囲に棒的な物はないかと、きょろきょろし始めた。
「いい…君はすごくいいよ、バーナード軍曹」
ジョン太は、生意気な青年の肩を叩いた。
「自分の立ち位置が良く分かってるのが、いい」
壁に付いたパイプ状の手すりを、強引に引っこ抜こうとしている鯖丸と、翻訳機の設定に夢中になって、周囲の状況など我関せずのトリコを、振り返った。
「人の話は聞かないわ、勝手な行動は取るわ、おまけに自覚症状がない。魔界関係なんて、こんな奴らばっかりだよ」
確かに、こいつらひどいな…と、バーナード軍曹は考えた。
上司のはずのウィンチェスターの話は聞いてないわ、タメ口だわ、備品は壊そうとするわ。
「君は、生意気で協調性の乏しいくそガキだって事を、自分で分かっているのがいいね。やりやすい」
反論しようとしたが、ウィンチェスターは、鯖丸とか言うガキに近寄ってぶん殴った。
「壊すな、バカ。お前の刀なら、向こうで受け取れる」
「今、殴りたいんだよう」
首根っこを掴んで引きずられながら、鯖丸は言った。
いいざまだと、ちょっと笑ったバーナードは、はっと気が付いた。
待て…ウィンチェスターの奴、今、さりげなく恐ろしい事を言わなかったか?
「おい、向こうでってどういう…」
「魔界では、何て呼べばいいんだ」
質問を無視して、ウィンチェスターは言った。
ダメだ、このおっさんも、基本的に人の話は聞いてない。
「フリッツ」
バーナード軍曹は、昔のアングラマンガに出て来る、猫の主人公の名前を口にした。
シャトルは、U08が属している、企業コロニーへ飛んだ。
いくつかの企業が共同出資して、様々な研究開発を行っている所だ。
昨今は、国よりも企業の方が力を持っている場合も多い。
下手な国家予算より、莫大な金が動いているはずだ。
ハンマーヘッドと呼ばれている中規模コロニーは、ステーションからシャトルで一日半かかった。
狭いシャトル内で、それ程仲の良くない四人で過ごすのは不安だったが、特に何の問題も起こらなかった。
鯖丸もフリッツも、デフォルトで敵の多い生意気な若造なので、仲の悪い奴と過ごすのは慣れ切っている。
トリコは、マイペースで、周囲の事などあまり気にしないし、自分だけがストレスを溜めている気がして、ジョン太は釈然としなかった。
コロニーまでは自動操縦だったが、着陸する時には、フリッツが操縦桿を握った。
「俺やりたい。替わってよ」
鯖丸が、コクピットに食い込んで来た。
「八年ぶりに宇宙へ来た様なガキに、任せられるか」
フリッツは、鯖丸を追い払おうとした。
「出来るよ。もっと大きい船でも、やった事あるし」
それ、絶対無免許だ。
人手の足りないマイナーコロニーでは、子供にも普通に船外作業をやらせたり、操縦桿を握らせたりするが、あくまで大人の監修の元だ。
船同士のドッキング程ではないが、着陸は割合むずかしい技術なのだ。
「やってみろ」
ジョン太は、おそろしい事を言って、フリッツを助手席に移した。
「どの程度やれるか、見ておきたい」
失敗したら、フォローするの俺かい…。
八年前とは、多少仕様が変わっているらしく、最初は少しもたついたが、鯖丸は、何事もなくシャトルを着陸させた。
コードを首から抜いて、鯖丸は文句を言った。
「プラグの規格、変わったんだ…。向こうからの誘導が、全然受信出来ない」
「現場では、誰も誘導なんかしてくれないんだ。いい練習になったじゃないか」
今、どんな危険な事が起こっていたか、全く分かっていないトリコは、やっと着いたと喜んでいる。
何て恐ろしい奴らだ。
八年振りに無免許運転したガキに、目視だけでの着陸なんかさせるな。
コクピットに戻って、シャトルを出る準備を始めようとするフリッツの襟首を掴んで、ジョン太はもう一度助手席に戻した。
ちらりと、燃料計を確認し、自分がコクピットに座った。
「俺も一回練習しとこ。久し振りだし」
まだ開いている発着場から、勝手に出てしまった。
「待て、貴様の久し振りって、このガキどころの話じゃないだろう」
確か、退役したのは十四年前だったはず…。
その辺を、乱暴に一回りして、もう一度着陸態勢に入った。
プラグを装備していない者が操縦する為に、ちゃんとヘッドレストの下に音声指示装置が入っているのに、スイッチも入れていない。
仕様が変わったから、分からないとかじゃなくて、絶対わざとだ。
「止めろー、十四年振りだろてめぇ、殺す気か」
「神経質だなぁ、フリッツは」
ジョン太は笑った。
「十七年振りだよ。隊長になってからは、あんまり自分で操縦させてもらえなかったし」
さすがに、鯖丸も顔色を変えた。
「待て、ジョン太。俺と代われ」
「くそっ、こっちに操縦権よこせ」
大騒ぎする鯖丸とフリッツを無視して、スピードを殺さず着陸点に突っ込んだジョン太は、機体をスピンターンさせて、ラインの上にぴたりと止めた。
モニターで外を確認したジョン太は、ちょっと肩を落として言った。
「ダメだ、10センチずれてる」
操縦させてもらえなかったのは、当然だ。何、この大人げない運転。
「普通に運転しなよ、ジョン太」
鯖丸は言った。
「車庫入れが面倒でな」
停止してから、格納スペースに持って行って、ライン上に並べるのが面倒くさかったらしい。
もう降りるつもりでシートベルトを外していたトリコは、天井に張り付いていた。
別に、怖がっている様子もない。
「えーと、じゃあ次は私?」
「それはない」
さすがに、全員が言った。
軽装宇宙服を着けて、シャトルを降りてエアロックを抜けるには、そこそこ時間がかかった。
車庫入れを短縮したがった、ジョン太の気持ちも、分からないでもない。
発着場そのものをエアロック構造にしていないのは、きっと予算の関係だろう。
ハンマーヘッドと云うより、合体させた竹とんぼに似たコロニーは、低重力エリアの方が多い構造になっている。
両端にある、高重力のエリアは、生活空間と、重力が必要な施設に使われているらしかった。
宇宙服を着るのも、エアロックを使うのも初めてのトリコは、もたもたしながら皆の後に続いた。
宇宙服の着脱は、慣れていてもある程度の時間はかかるものだ。
子供の頃から宇宙に居た鯖丸が、一番早かった。
どうやらフリッツは、ずっと宇宙に居た訳ではないらしい。
着替え終わった鯖丸は、トリコが、中途半端な昆虫の脱皮みたいな状態になって、じたばたしているのに気が付いた。
手伝ってもいいか、ジョン太に聞こうとしている間に、フリッツが後ろから掴まえて、姿勢を安定させた。
余計な手出しをし過ぎない、的確な補助だ。
ああいうのは、俺には出来ないな…と思った。
宇宙服を脱ぐと、ほぼ下着の様なアンダースーツ一枚になってしまう。
慌てて、補助しているフリッツと替わろうとしたが、フリッツはスーツを支えたまま向こうを向いて、後ろ手で着替えの入ったショルダーバッグをトリコに渡した。
「ありがとう」
トリコは言った。
フリッツの翻訳機には、たぶんサンキューとかメッセージが出ているはずだ。
「別に、時間がもったいないだけだ。早くしろ」
ツンデレ…こいつもしかして、ツンデレなのか。
アンダースーツの上から服を着たトリコは、お待たせと言った。
「じゃあ、行こうか」
ジョン太が先に立って、エアロックから、低重力エリアへ出た。
本来の依頼者で、U08を所有する、ハーマン社のエージェントに会ったのは、それから数時間後だった。
高重力エリアに入り、食事を済ませて身形を整え、しばらく休憩した。
地球よりは低いとは云え、数日振りにがっつりと重力に引っ張られて、体が重く感じる。
しばらくの休憩は、その為の配慮だったらしい。
フリッツは、宇宙服を脱いだ時に、軍服を仕舞って私服に着替えていた。
軍が調査に協力するのはともかく、軍人のマクレーが、依頼者の代理人だったのも、考えてみればおかしな話だ。
何か、複雑な事情があるのかも知れない。
エージェントは、すっきりと片付いたオフィスの一室で待っていた。
ヤン・コーウェンですと名乗って、握手を求めた。
肌の色は浅黒いが、人種ははっきりしない。割合、背は高い男だ。
「ジョナサン・ウィンチェスターです」
ジョン太は、差し出された手を握った。
「貴方が、あの?」
その辺の話題は、軽く流したいらしいジョン太は、後ろの三人を紹介した。
「うちの魔法使いで、如月トリコと武藤玲司です。それから、サポートに入ってもらってるルイス・アレン・バーナード軍曹」
「魔法使いという職種の方は、初めて見ますが…若いですね、二人とも」
コーウェンは、首をかしげた。
頼りないという意味だ。
トリコが実年齢より若く見えるのは仕方ないとして、俺は一体、幾つぐらいに見られてるんだろう…と、鯖丸は不安になった。
日本では、最近高校生に間違われる事は、少なくなったのだが。
「二人とも、それなりの実績とキャリアのある魔法使いです。ご心配なく」
コーウェンは、うなずいて、皆に椅子にかける様に勧め、自分も座った。
「U08の現状は、ご存じだと思いますが…」
「報道された程度の事なら」
ジョン太は答えた。
翻訳機の音声通訳は、ワンテンポ以上遅れるので、トリコは翻訳機を手に持って、テキストモードで確認している。
どちらのモードも、細かいニュアンスは伝わらない。会話の内容を把握する程度だ。
「実は、魔界側に位置するエリアの状況は、こちらでも確認出来ないのが現状です」
コーウェンは言った。
「ただ、水耕栽培の実験プラントが…何て言うんでしたっけ、魔導変化…している可能性があります」
植物が魔導変化する事自体は、魔界では珍しくない。
しかし、所長が言っていた様な、モンスター的な物になってしまう事は、ごく希だ。
「普通の水耕栽培プラントだったんですか」
ジョン太は聞いた。
コーウェンは、しばらく迷ってから、言った。
「完全閉鎖生態系の実験を行っていました」
成功すれば、外部からの補給無しに、宇宙空間で生活出来る。
素晴らしい技術だが、本当に完成されれば、今までコロニー相手に利益を上げていた企業や国家が、経済的に大きなダメージを受ける。
複雑な利権が、絡んでいそうだった。
おまけに、閉鎖生態系なら、植物だけが運用されていた訳ではない。
様々な動植物と、複雑なバクテリアの類まで投入されていた可能性が高い。
どんな魔導変化をしているか、見当も付かない。
「どの程度の規模だったか知りませんが、プラントごと回収するのは、たぶん不可能ですよ」
ジョン太は言った。
「その辺りはもう、諦めました」
コーウェンは言った。
「データとサンプルを回収していただければ充分です」
それだけにしては、何か言いにくそうに口ごもった。
「それから、これは非公式なのですが」
やっぱり、何かあるんだ…と、全員が思った。
「内部にまだ、生存者が居る可能性があります」
フリッツも、全く知らなかった話らしく、ぴくりと耳を動かした。
「可能なら、救出をお願いします」
「可能ならじゃねぇだろ。そっちが先じゃないか」
鯖丸は、椅子を立ち上がって、コーウェンの襟首を掴んだ。
「俺らなんか呼びつけてる間に、今すぐ行け。どういうつもりだ」
怒鳴っている鯖丸を掴まえて、ジョン太は椅子に頭から叩き込んだ。
「落ち着け」
椅子ごと床に転がった鯖丸に、ジョン太は言った。
「だって…」
鯖丸は反論しかけた。
「二重遭難するくらいなら、救助は諦めるのが常識だろ。分かれ、それぐらい」
鯖丸は、黙って床に座った。
「救助…というか、探索は試みました」
コーウェンは言った。
「プラントの周囲に、酸素濃度の高い、生存可能なエリアが在るのは確かです。事故で遺体が確認されていない九人の内、誰かが内部に居ます」
机の上のモニターに、画像を呼び出した。
HELPと書かれた外壁の一部らしい板が、映された。
「二度目の捜索時に、魔界の外縁で発見されました。一度目には、無かった物です」
モニターの倍率を上げて、文字をアップにした。
「これを書いた人間が、まだ生存している可能性は低いですが…」
拙い文字だ。
トリコの様に、ほとんど英語が分からない大人でなかったら…。
宇宙には、そんな人間はあまり居ない。
「子供…?」
鯖丸は聞いた。
地球でも宇宙でも、大事故からの生還率は、子供の方が高い。
「行方不明者の中で、子供は一人だけです。メアリー・イーストウッド。プラントに係わっていた植物学者の子供です」
モニターに、幼い子供の顔が映った。
薄い色の巻き毛で、少し浅黒い顔の、人種は良く分からないが、可愛い女の子だ。
「私の孫です」
コーウェンは言った。
「公式には、彼女の救出を最優先させろとは言えません」
辛そうな口調だった。
「あなた方の、現場での判断にお任せします」2009.5/9up
後書き的なご挨拶
と言う訳で、続三匹が始まりました。
鯖がひどい事になってますが、立ち直るにはもうちょっとかかるので、まぁ、生暖かい目で見ない振りをしてください。
何というか、女を取っ替え引っ替えする甲斐性が彼にあったというのが、一番驚く点でしょうね。
今回は、鯖丸にはナンパでもさせといて、姐さんの活躍の場をもうちょっと増やして行こうと思ってます。後編予告
鯖丸、ちびっ子にモテモテ。姐さん、ツンデレ軍曹と変なフラグが立つ。ジョン太、いじられキャラ卒業の予感。等の、アクションシーンも何もない、地味な展開でお送りします。