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大体三匹ぐらいが斬る!! back next登場人物
武藤玲司(鯖丸) 貧乏な大学生。魔力も身体能力も高いし、知能も低くないが、性格が大バカ。下半身が悪魔将軍。
ジョナサン・T・ウィンチェスター(ジョン太) 犬型ハイブリット。体は強いが、お肌は弱い。基本的には頼りになるおっちゃん。
如月トリコ(トリコ) 元政府公認魔道士。エロい、軽い、巨乳、外界ではロリキャラの最終兵器姐さん。でも、けっこういい人。
柱谷真希(エンマ) NMC関西本社の社員。火炎系の魔法が得意。魔界では男だが、実は女の子。特能、鏡像コピー。
御木元紗理奈(サリー) NMC関西本社の社員。エンマのパートナーで元キャバ嬢。自分と接触した人間を消す、ステルス能力の使い手。
上方ヨシオ NMC関西本社の社員で、お笑い芸人。魔法使いとしては中堅だが、本業ではあまり売れていない。
佐々原修二(海老原) NMC関西本社の社長の次に偉い人。マイティーマウスの別名を持つ凄腕の魔法使い。外見は、凄く地味。
暁(鰐丸) 鯖丸の別人格。ゲイで凶暴だが、根は鯖丸よりいい人かも。大体三匹ぐらいが斬る!!
5.三匹(vol.4)
ジョン太が一人で、穴の周辺から離れてしまったので、皆はハンニバルの様子を見ながら、移動するチャンスを窺っていた。
魔法を使えば、物音を立てないで移動する方法はいくらでもあるが、ハンニバルに感知されるだろう。
魔法も使わないで、マンガの忍者みたいにほいほい移動出来るのは、ジョン太くらいだ。
「ちょっと困った事になりましたねぇ」
海老原さんは、腕組みした。
「夜になったら、移動出来るやろ。幸いあいつ、身体能力は普通やし、夜は寝るからな」
本社の人間だけで追跡している間に、それくらいの事は調べが付いているらしい。
逆に言えば、多大な被害を出して、その程度しか分からなかったという事だ。
「移動手段の事やないです」
黒縁の眼鏡を指先で押し上げて、海老原さんは言った。
「この場所にハンニバルが留まり続けたら、ジョン太が戦力外になってしまいます」
ちょっとどころではない大問題だ。
「彼抜きで、あれと戦えますか?」
「無理」
鯖丸とトリコは、同時に言った。
「囮になってあいつをこの場所から引き離すか、ジョン太の魔力を上げるか…どっちにしろ、お前がやるしかないが」
トリコは聞いた。
「どっちがいい?」
どっちも、出来ればやりたくない。
鯖丸は、俯いて考え込んだ。
「ええんですよ。君一人でそない無理せんでも。出来んのやったら、皆で対策を考えますから」
海老原さんは、鯖丸の肩をたたいて、妙に優しい口調で言った。
「出来るよ、どっちでも」
鯖丸は即答した。
海老原さん…何で今朝会ったばかりの、こいつの操縦方法を把握してるの…。
トリコは、愕然として地味で小柄な男を見た。この人、ただ者じゃないな。
「では、気の毒ではありますが、ジョン太には魔法使いになってもらいましょ。その方が、全体の戦力も上がります」
「よっしゃー、一発びしっとやって来るぜ」
鯖丸は、ガッツポーズを決めた。
「あーぁ、海老原さんにええようにあしらわれて…」
サリーちゃんはつぶやいた。
「想像を遙かに超えるアホやな、こいつ」
エンマ君はため息をついた。
冬の日が落ちるのは早い。
外界の都市部と違って、暖房を入れている駅や商業施設が周辺にないので、昼間から普通に寒かったが、夜になると急激に気温が下がった。
田畑や森林のある田舎の方が、まだ気温の変化がゆるやかだ。
穴を越えた神戸側の方向に、奇妙な灯りが点り始めた。
ちらちらと瞬き始めたそれは、徐々に空へ向かって広がり、様々な色の光が、闇の中に絵を描き始めた。
「え…何、あれ」
何か、不測の事態が起こったのかと思った鯖丸は、地元の人達にたずねた。
「ルミナリエ」
ヨシオ兄さんが答えた。
「昔、震災があった年の年末に、外界でライトアップとか始めたんやけどな…」
関西の魔界が出現するより前の話だ。
「街が魔界に呑まれてから、魔界側でもやろ云う事になって。電気が使えんから、魔法でやっとったら、どんどん変な方にエスカレートして、あんな事に…」
遠くの夜空に、魔法の打ち上げ花火が、次々と展開して行く。
「観光客もようさん来とるし、離れてハンニバルを見張るなら、あっち側がええんとちゃいますか」
「そうですね」
海老原さんはうなずいた。
「鯖丸君、一人でジョン太の所まで行けますか?」
「場所が分かれば」
鯖丸は答えた。
車を隠した場所は分かるが、関西の魔界は初めてなので、会社の常宿が分からない。
海老原さんは、紙の地図を出して、ボールペンで印を付けてから寄越した。
ネットの検索サイトが提供している地図に、後から魔界独自の情報を、手動で綿密に書き込んだ魔界地図だ。
現在地と会社の常宿と車の位置が、丸で囲まれている。
「合流地点は、芦屋の常宿と言えば、ジョン太が知ってます」
鯖丸は、地図を受け取った。
「あの…」
気になるらしく、地図を持ったままたずねた。
「囮の俺が居なくなって、大丈夫なんですか」
「その辺は、少しの間ならどうにかするわ」
エンマ君が、指の先で鯖丸に触った。
見る間に、着ている物はそのままで、姿だけが鯖丸に変わった。
「おお、そっくり」
本人だけはそう言ったが、周囲の人間には、少し違和感がある。
鏡像なのだ。
鏡でしか自分を見た事のない本人には分からないが、微妙に本物とは違っていた。
それでも、ガチで殴り合ったとはいえ、大して付き合いのないハンニバルを騙すには充分だ。
鏡像をコピーしたエンマ君は、一体どの辺まで正確にコピーしているのか分からないが、他人になってしまってそれなりに違和感があるらしく、部屋の隅に行って、何かごそごそ確認していた。
それから戻って来て、微妙な表情でへらっと笑った。
「いや…すごいね、君」
「何が?」
「ジョン太、気の毒に…」
「うわ、それかよ」
一応自覚はあるらしく、叫んだ。
「止めろ、どこまでコピーしてんだー」
「一応、外観は全部」
エンマ君は答えた。
「悪いけど、調節は出来ん」
声まで同じになっている。
「そうなんだ…」
鯖丸は、がくりと肩を落とした。
「えーと、エンマ君って、外界では女の子だったけど、中身は男でいいんだよね」
一応聞いた。
「うん」
「じゃあ、いいか…まぁ」
「いいんだ」
エンマ君はうなずいたが、鯖丸はびしっと振り返った。
「でも、俺が居ない間に、勝手に使うなよ、それ」
「ちっ…」
「ちっ…て何だぁ。何かする気だろ。トリコ、見張っててこいつ」
「別にいいじゃないか」
トリコは、めんどくさいので大雑把な事を言った。
地図の通りに行こうとしたが、勝手の分からない薄暗い街では、難しかった。
いいかげん迷った頃に、車を隠してあった場所にたどり着き、現在地を確認出来たので、やっと会社の常宿に着いた。
入り口で尋ねると、ジョン太は出かけていると言うので、しばらく待った。
三十分以上待った所で、ジョン太は戻って来た。
両手に荷物を持って、割合ご機嫌な感じで歩いて来る。
荷物が、アサルトライフルと延長ケーブルだという事は、すぐに分かった。
ゲートまで戻っていた様子だ。
入り口で鯖丸の姿を見付けると、え…?何で、という顔をしたが、すぐに、こいつがこんな所まで一人で来ている理由が分かったらしい。
何だか諦めた感じでため息をついてから、まぁ、こっちに来いやと手招きした。
さんざん道に迷った挙げ句、一人で待たされていて心細かったのか、鯖丸は嬉しそうな顔で駆け寄った。
うわぁぁぁ、何そんな楽しそうにしてんだ、こいつ。これから何するか分かってんのかよ。
道に迷った事も、三十分待たされた事も知らないジョン太は、満面の笑みのバカを見た。
「バカって無敵だなぁ」
「え…俺って無敵だけど、それが何か」
最近、自分に都合の悪い事実は、聞き流す習慣が付いている。
ジョン太が持っていた延長ケーブルを取って、肩から下げた。
自分の荷物は自分で持つ事に決めているらしい。
「ここで泊まるんでいいの?」
入り口の狭いカウンターで、宿帳を出してもらった鯖丸は、もうペンを握っている。
「ああ、いいけど…。俺もまだチェックインしてないから、書いといてくれ」
「分かった」
特に、住所や電話番号は必要ないので、魔界で使っている名前と会社名を書き込んだ。
「部屋は一緒でいいんだけど、なるべく上の方の階にしてください」
カウンターの中に居る、置物みたいなじいちゃんに、変な注文を付けている。
普通なら、何かあった時に下の階の方が逃げやすいのだが、込み入ったビル街なら、重力操作で移動出来る。
いつの間にか、自分に有利なポジションまで、ちゃんと考える様になっているなぁ…と、ジョン太は少し感心した。
「じゃあ、ちゃっちゃと済ませて、晩ご飯でも食べに行こうか」
部屋の鍵を受け取った鯖丸は、先に立って階段を登り始めた。
「軽い。お前最近、トリコ並に軽いぞ」
ジョン太は、後を追った。
「こんな事、重く考えてて出来るかよ」
「あ…ごめん」
全然平気という訳でもないらしい。
「何か、迷惑かけて悪いね」
「だから、空気を重くするなぁ」
おぢちゃん、若造に怒られてしまった。
部屋は十階にあった。
薄暗い廊下の一番奥で、非常口の真ん前だ。
あのじいちゃん、こっちが魔界の便利屋だと知っているので、ゴルゴがチョイスする様な部屋をあてがってくれている。
ジョン太は、一応習慣で、非常口が開くか確認した。
非常口には嫌な思い出のある鯖丸は、更にドアを開けて階段があるか確認し、壊れないかどうか踵でがつがつ踏んで確かめている。
そこまでせんでも、何かあったら飛んで逃げればいいだろうに…。
「もういいだろ。鍵開けてくれ」
ジョン太が言ったので、鯖丸は部屋の鍵を開けた。
入り口に、魔法をチャージすると灯る明かりのスイッチがあるので、指先で触った。
魔力が高過ぎるのか、微調整が下手なのか、部屋の中は思い切り、パチンコ屋並みに明るくなった。
狭いがこざっぱりした部屋の奥に、ダブルベッドが一個だけ置いてある。
鯖丸の肩から、ぼとりとケーブルが床に落ちた。
「何勘違いしてんだ、あのじじい」
暴言を吐き始めた。
「いや…勘違いはされてないだろ」
どちらかというと、ジョン太の方が諦めはついているらしい。
荷物を置いて、ガンベルトを外し始めた。
「嫌だー、この部屋チェンジ」
「もういいだろ。めんどくさい」
バスルームがちゃんとあるのを確認したジョン太は、明かりを付けて風呂にお湯を溜め始めた。
ああ…ジョン太も照明くらいは点けられる様になってたのか…と感心しかけた鯖丸は、風呂に入る気満々のジョン太を見て、我に返った。
「ええっ、風呂入るのかよ。もういいじゃん、嫌な事は早く済まそうぜ」
言い切りやがった、こいつ。
「うるせぇな。綺麗好きなんだよ俺は」
ジョン太は反論した。
「まずお前から入れ。昨夜ちゃんとした外界のホテルに泊まったのに、何で風呂に入ってないんだ。いつもあれだけ言ってるのに、またパンツも履き替えてないし」
「いいじゃん、冬なんだから。ジョン太、細かい」
鯖丸は文句を言った。
「お前、時々洗ってない犬の匂いがする」
ジョン太はぼそっと言った。
鯖丸はうっとうなって固まった。
普通に言われても厳しいが、犬型ハイブリットに言われると、よりへこむ。
「犬が言うな、犬が」
お互い追いつめられているせいか、黒い部分が丸見えになっている。
二人はにらみ合ったが、風呂が満杯になってあふれ出したので、ジョン太はあわてて止めに走った。
「もういいや、じゃあジョン太先に入って」
鯖丸は妥協案を出した。
「湿った大型犬と色々やるのは、嫌だから、俺」
「どんだけ嫌な事は早く済ませたいんだ、お前。それくらい乾くまで待てや」
ジョン太はその場で投げやりに服を脱ぎ、風呂に入ってしまった。
鯖丸は、刀をベッドの背もたれに立てかけてから、ため息をついて座った。
「えーと、良く考えたら、何でこんな事になっちゃったんだ」
それは、今まで何事も良く考えなかったからだ。
「暁が出て来なけりゃいいけど…」
うろんな事を言い始めた。
「まぁ、いいか。どうにかなるだろ」
その場のノリだけで生きて行くのは、止めた方がいいと思う。
ジョン太が聞いていないのは、幸いだった。
相変わらず、あっという間に風呂から出て来た鯖丸は、頭からタオルを被ったまま、ベッドの上であぐらをかいて、腕組みして何か考え込んでいた。
バカなんだから考えるな…と、ベッドの端っこに小さくなって腰掛けたまま、ジョン太は内心思った。
大体、何で前も隠さないで普通に座ってる訳、こいつは。
元通り、きっちり服を着てしまっている自分の方がおかしい事に、おっちゃん気が付いていない。
「何でまた服着てるの」
鯖丸にも指摘されてしまった。
「ええと…何となく」
答えてから、付け加えた。
「脱がせて欲しいかな…とか」
「ジョン太の冗談は、笑えない」
真顔で嫌そうだ。
「それ、ヨシオ君にも言われた」
諦めたのか、とりあえず自分でシャツを脱いだ。
「それで、どうする」
鯖丸は聞いた。
「え…」
「やる方とやられる方、どっちがいいの、ジョン太は」
どっちも無理っぽい気がする。
「お前、決めてくれ」
おっちゃん、相棒に決定権丸投げだ。
「じゃあ、俺やられる方ね」
鯖丸は、あっさり即決した。いいのか、そんなで。
「お前、大丈夫なのかよ」
バスタオルで、頭をがしがし拭いている鯖丸を、ジョン太は見た。
たぶん、暁の事を言っているのだなと云うのは分かった。
「逆は気の毒かなと思って。ジョン太、男と寝た事なんかないだろ」
お前はあるのかよ…と言いかけてから、気が付いた。
あるんだ、そう言えば。記憶があるのかどうかは、分からないが。
「暁が出てる時の事は、あんまり憶えてないんだけど、あいつたまに、相手が気に入らなかったら、途中で帰ったりするからなぁ」
うわ、それ普通にひどい。
何でそんな事、さらっと話せるんだと思ったが、良く見ると表情が微妙になっている。
いつも脳天気なので忘れていたが、そういえばこいつ、割と想像を絶するひどい目に色々遭って来ているはずだ。
「よーし、じゃあさくっと終わらせて、何か美味しい物でも食いに行くか」
極力軽い感じで言って、残った服を全部脱いだ。
「それで、この後どうしたらいいんだ?」
「普通でいいよ、普通で」
「分かった、普通な」
普通には、割と自信がある。
とりあえず、相手が男だとか天然ボケのバカだとか言う事は、あまり考えない様にして、普通に抱き寄せて体に触って、キスをした。
首の後ろに手を回すと、プラグの接続ソケットに触れた。
一見、青緑っぽい金属光沢の縁取りが、人工皮膚で覆われた差し込み口の周囲を巻いていて硬そうに見えるが、触ると周囲の皮膚と同じ感触で、柔らかい。
軍用とは、少し仕様が違うが、船外作業のプロが使う様な高性能ソケットだ。
大体は同じ仕様なので、中央の人工皮膚解除キーを押して、差し込み口を露出させてから、舌の先で軽く触った。
微電流が通る時の、ちょっと痺れる様な感触があって、鯖丸は妙に色っぽい声を出して、びくりと体を震わせた。
ええっ、これ、エロい事にも使えるのかよ…。
ていうか、ジョン太、普通とか言ってたくせに、何、マニアックなプレイに走ろうとしてるんだ。
接続部分に異物が入ったくらいでトラブルが起こる様な安物じゃないし、まぁいいかと思ってされるままに任せる事にした。
大体、普通って言ったのは、雑にちゃっちゃと済ませてくれという意味なのに、マジでキスまでしちゃって、このおぢちゃんは…。
普通って、人それぞれで難しいなぁ…と考えていたら、こっちを触りながら、照明を落とそうとして、スイッチの方に意識を向けていたジョン太が、急にイライラした感じでガンベルトへ手を伸ばした。
「ああ、もう。何だ、このスイッチうざい」
照明を操作出来る程は、魔力が高くないらしい。
いきなり、銃を抜いてスイッチをぶち抜いた。
狭い部屋の中に、銃声が響いて、鯖丸は両手で耳を塞いだ。
普通から危ない人にジョブチェンジしてしまっている。
「ジョン太、普通は?」
一気に暗くなった部屋の中で、鯖丸は聞いた。
「知らん」
ジョン太は即答した。
「こんなくそ明るい所で、お前の顔見てたら、勃たねぇんだよ」
「当たり前じゃん。ゲイでもないのに、これでええ感じになってたら、引くわ」
それじゃあ、けっこうええ感じになってるお前は何なんだと思ったが、接続部に触ると、変な感じの刺激があるのは知っていてやったので、反論はしなかった。
普段の悪魔超人が、更に進化してしまっている。
「お前、悪魔将軍じゃねぇか、それ」
つい、口に出してしまった。
「何だそれ。俺的には、魔界のプリンス、アシュラマンだったのに」
絶対、悪魔将軍の方がかっこいいのに…。
その辺は、キン肉マン芸人同士で後々争う事にして、リンクを繋ぐのに専念する事にした。
「ジョン太は、こういうの慣れてないんだから、要らん事しないでこっちに任せて」
鯖丸的に普通な感じで触られた。
そうじゃないかとは思っていたが、やっぱりお互い普通じゃない。
「お前、それは違うだろ。やめてやめて…あっ、口でするのとかマジで止めてー」
「うるさい、ちょっと黙れ」
また怒られた。
まぁ、こんなもんでいいか…とぶつぶつ言った鯖丸は、また何か考え込んでしまった。
「まいったな…来る途中で薬局あったのに。ローションとか買っときゃ良かった」
リアルに嫌な話になって来た。
しばらく考えていた鯖丸は、聞いた。
「ジョン太、ファーストエイドキットにワセリン入れてたよね。あれ出して」
「分かった」
手を伸ばして、ベッドの背もたれに掛けてあるガンベルトの物入れから、赤地に白い十字が入ったポーチを取り出した。
お前の方が近いんだから、自分で取れや…と思ったが、そう言えば照明を壊していた。
窓から街の明かりが入っていて、充分明るいと思っていたが、普通の人間には物がはっきり見えない暗さらしい。
ポーチからチューブ状のワセリンを出して、渡した。
添加物も防腐剤も入っていない、普通の薬局とかでは、あまり見ないタイプだ。
「ジョン太、何でこんなのいつも持ち歩いてるの」
「お肌が弱いから」
おっちゃん、変な事を言い出した。
「添加物が入ってるハンドクリームとか、ダメなんだ。アレルギーで」
体は丈夫だが、お肌は弱いらしい。
それ以前に、普通はハンドクリームとか持ち歩かない様な気もするが。
「ジョン太って、変な所で繊細だよね」
鯖丸は、ごそごそ起き出して、ベッドから少し離れた。
「あ、それ塗るんだったら、俺がやろうか…」
何となく、全部お任せにしてしまうのも悪い気がして、ジョン太は聞いた。
「うるせぇ、こっち見るな」
めずらしく、鯖丸の方に泣きが入っている。
「ごめん」
平気な訳はないか…と思った。
暁が色々やってるとはいえ、本人はノーマルなんだし。
背中を向けて、しばらく待つ事にした。
「よーし、準備オッケー」
意外と軽い感じで、鯖丸は戻って来た。
「じゃあ、さくっと終わらせて、串カツ食いに行こう、串カツ」
昨夜トリコに取り上げられていたが、余程食いたかったらしい。
ジョン太は、ちらっと時計を見てから、時間を逆算した。
ええと…今からリンク張って、その後出掛けるとしたら、十時は過ぎるし、夜中にそんなこってりした物食いたくない気がする。
出来れば鍋がいい。水炊きとか湯豆腐とかであっさり終わらせたい。
まぁいいか、先に串カツ屋に行って、十本くらいあてがっておけば…トリコには内緒で。
「分かった。串カツな」
変な予定だけ、先に立ってしまった。
接続までは、本当に簡単に済んだ。
男相手に出来るのかとか、そういう心配以上に、こんなややこしい奴とリンクを張れるかの方が、実際は心配だった。
鯖丸の方でも、ジョン太相手にセックス出来るかどうかより、魔力の接続が出来るかどうかの方が大きな問題だったのだ。
今まで散々、リンクを繋ぐのに失敗しているという話を聞いていたので、もっと大変だと思っていたが、最初に表層を繋ぐまでは、トリコと初めてリンクを張った時より楽なくらいだ。
何だか、見た事のない人の手が、表層に触れてから入り込んで来た。
普通の人間の手に見えたが、ジョン太だという事は分かった。
感触が柔らかくて、何の抵抗もない。
あっという間に通り抜けて行ったので、全体は見えなかった。
気が付くと、学校の廊下の様な場所に立っていて、前にここへ来た人が付けた道筋が、微妙に見えていた。
「ええと…所長とトリコと、後は、誰だ、これ」
知らない感じではないが、魔界では見た事がない人の痕跡が付いている。
けっこう魔力が高い人間の痕跡だ。
背後から足音が聞こえたので、脇へ避けた。
プライバシーを詮索するのも悪いし、中断して、周囲を確認した。
異常に可愛いテディーベアの様な物が走って来る。
何で、ぬいぐるみが生きて動いてるんだと思って良く見ると、毛色がジョン太と同じだった。
うわー、昔はこんな可愛いかったんだ。時間の流れってひどい。
「こっち来るなー」
ぬいぐるみ状の子供は、走りながら振り返って叫んだ。
「やめて、もうやめて」
後ろから、同級生らしい子供達が追いかけて来る。
「お前こそ、もう学校来るな」
「犬は、首輪付けて犬小屋に居ろよ」
「帰れー」
ああ、子供って、けっこうひどい事言うよなぁ…と思った。
自分も、子供の頃、地球から来た転校生をいじめた事があるので、あんまり責められない。
「やめてよぅ」
普通の子供には追い付けないスピードで逃げているので、距離はあっという間に開いた。
絶対強いはずなのに、何で反撃しないんだろう。
「やり返せよ、あんな奴ら」
声をかけてみた。
子供のジョン太は、走るのを止めて、ぐすぐす泣きながら歩き出した。
「だって、僕が叩いたら、あの子達死ぬって、お父さんが…」
立ち止まって、こっちを見た。
「ええ、おじさん誰?」
ジョン太におじさん呼ばわりされるとは思わなかったが、ここでリンクを繋ぐ訳でもないのに、係わるのもまずい気がしたので、先に進む事にした。
小さい頃に、何をされても反撃しない様に、厳しく躾けられていたらしい。
何やってんだ、ジョン太のオヤジ…と思ったが、力の加減が出来ない子供の頃に、もし何かあって相手を殺してしまう様な事があったら、この程度のトラウマでは済んでいない。
まぁ、これはこれで、どうにか最善だったのかも知れなかった。
いきなり、縄手山の山中に居たので、ジョン太は驚いた。
鯖丸のトラウマ映像に潜ったら、絶対コロニーをテロリストが襲撃したあの事件に遭遇すると思って、覚悟を決めていたのに、周囲は見慣れた風景だ。
何でここに…と思った目の前に、かまいたちが居た。
当社比で実物の十倍くらいのスケールだ。
「うわ、何だこれ」
振り返ると、一年ちょっと前の鯖丸が居た。
切り落とされた腕を押さえて、怯えた表情でこっちを見ている。
思った以上に印象が子供っぽい。
そういえば、最初はこんなだったな…こいつ。
これ、俺が助けた方がいいのか?それとも、別の俺が助けに来る段取りになってるのか…
決断する前に、視点が入れ替わった。
鯖丸の視点に入ってしまっている。
体中が痛くて怖い。
目の前に居るごつい男が、銃を乱射してから、こちらに走って来た。
ものすごくかっこいい犬だ。
何だー、この当社比で十倍男前の俺は。
抱き上げられて走り出した。
記憶として辻褄は合っているが、俺はそんな、ドッグショーに出る様なびしっとした犬じゃないし、お姫様抱っことかしないで、普通に肩に担いでたし…ああ、何か微妙にいたたまれない。
「やめてー、この場面パス」
叫んだ瞬間、暗闇の中に突き落とされた。
良く考えたら、魔法を使い始めて四ヶ月しか経っていない素人が、あんなひどい目に遭ったら、トラウマ映像に加わっていても不思議ではない。
ないけど、あれはないだろ…。めっちゃ恥ずかしい。
軌道上の宇宙空間を落ちて行きながら、ジョン太は考えた。
その割には、普段全然尊敬されてないよな、俺。別にいいけど。
現在は完成している大規模コロニーが、建造中の姿で見えて来た。
じゃあ、やっぱり行き先はR-13だ。
下手に宇宙へ出た経験があるので、裸で宇宙空間に居るのは、怖かった。
服くらいは着ているが、宇宙服ではなく、普通にさっき脱ぐまで着ていた服だ。
息が出来なくてパニックになりそうだったが、ここは現実じゃないんだからと自分に言い聞かせて、どうにか正気を保った。
R-13が近付いて来て、エアロックも通らず、中に吸い込まれた。
一瞬で、光学兵器と血の臭いと、人が発する恐怖の匂いが漂って来た。
ジョン太が、可愛い黒人の女の子と、ベッドで抱き合って眠っていた。
これのどこがトラウマ映像か分からない。
ジョン太本人も、女の子と大して変わらない年齢に見えた。
たぶん、高校生くらいか。
目を覚ました女の子が、にこりと笑った。すごく可愛い。
どちらかと言うと、幸せな記憶だ。
「何だよ、ガキのくせに生意気だぞジョン太。おじさんそーゆーのは良くないと思う」
さっきおじさん呼ばわりされたのが、尾を引いている。
がつんとドアが開いて、幸せな光景が一瞬で地獄絵図と化した。
普通なら、不届きなガキが娘に手を出したのを、オヤジが怒っている様な光景だが、オヤジ、ショットガンを装備している。
「えええーっ、マジでそれ撃つのかよ」
本気で発砲された。
さすがジョン太、全弾除けながら、服と靴を拾って、全盛期のジェット・リーの様なアクションで、窓の外に飛び出した。
「このバカ犬が、うちの娘に手ぇ出しやがって。死ねぇ」
本気でショットガンを乱射して来た。
トラウマ映像だという事を差し引いても、これはひどい。
普通の人間だったら死んでいると思うが、たぶん普通の人間だったら、オヤジはここまでキレなかったんだろうなとは思う。
「うわー、可哀相に。何だよこれ」
窓の外を本気のジョン太が逃げて行く。
物凄い速さだ。
戦闘用ハイブリットが、全盛期にどれくらい速く動けるか、トラウマ映像の中とはいえ、確認してしまった鯖丸は、愕然とした。
反則だ、あれ。
考えている間に、別の場所に放り込まれた。
コロニーに居るのは分かったが、居住目的で造られた、地球の周回軌道上にある物とは、明らかに様子が違った。
たぶん、木星の研究者コロニーだ。
記録映像で見た事はあったが、思ったより照明も薄暗くて、何もかもくたびれて見える。
廊下に、壊れた機械が放置されていたり、破れた壁が補修されていなかったり、けっこうひどい有様だ。
のろのろと働いている人間も、くたびれた様子だった。
怪我人も多い。
かなりの期間、周辺宙域で戦闘が行われていたのだ。
何度かは、コロニーの内部にも侵入されたはずだった。
国連宇宙軍の記章を付けた兵士達が、慌ただしく走って来た。
通路の向こうで止まって、一斉に銃を構えた。
周囲の雰囲気から、戦闘状態は、もう解除されているはずだけど…と、ゆるくカーブした通路の奥を覗き込んだ鯖丸は、息を呑んだ。
「ひどい…」
その場にぼんやりと立って、銃口を向けられているのは、何か、人に見えなくもない生き物だった。
骨と皮だけになった体に、ほとんど抜け落ちてしまった白い毛皮の痕跡が、所々残っていた。
バカみたいな顔で、うっすら笑ってこっちを向いているが、たぶん何も見ていない。
ジョン太だという事は分かったが、ここまでひどい状態だったとは、思っていなかった。
三叉路になった通路の両側から、狙撃兵が来た。
十人以上のプロの兵士が、こんな死にかけの男を、用心深く遠巻きにしている。
「撃ちますか?」
この集団の隊長らしき男に、隣に居た青年が聞いた。
「いや…残念だがあの子はもう、救出の必要が無くなった。出来れば説得したい」
ジョン太の表情が、ゆっくりと正気に戻った。
自分の足元に、視線を落とした。
うわ、ダメだあのおっさん。重症のジャンキー見た事ないのかよ。
もういいから、撃つなら早くやって楽にしてやれ。
足元に、子供が倒れているのが見えた。
小さな体をくの字に曲げて、横になって眠っている様にも見えるが、鼻と口から、大量の血が流れ出している。
ジョン太は、しばらく子供を見た。
それから、突然状況を把握したらしい。
悲鳴を上げてその場から逃げ出した。
狙撃兵の一人が、命令を待たずに発砲した。
いい判断だが撃ち出されたのは麻酔弾で、効き始めるまでにタイムラグがある。
当然、狙撃兵の囲いは、一瞬で突破された。
負傷しているのか片足を引きずっているが、それでも速い。
背後から、何発も麻酔弾が撃ち込まれ、やっと倒れた。
ジョン太相手に実弾使わないなんて、ぬるい奴らだと思った。
回復魔法の使える魔界でばかり戦っているので、鯖丸の考え方は、ちょっとおかしくなっている。
倒れてくれて良かった…これ以上はもう、ひどい目に遭わなくて済む。
ほっとして気を抜いた所に、いきなり暁の意識が割り込んで来た。
意識を接続するまでの間に、一度も現れなかったので、大人しくしていてくれると思っていたのに…。
今頃何しに来たんだ、こいつ。
「てめぇ、何で助けに行かないんだ。ジョン太が…ジョン太が死んじゃう」
暁が、マジ泣きしながら、強引に表へ出て来ようとしている。
「お前が助けないから、俺がやる。そこ退け」
いやいや…死なないから。ジョン太、今でもお元気に生きてるから。
暁って、そこまでジョン太の事好きだったのかと、ちょっと驚いた。
今まで、色々男遊びは繰り返して来ていたが、マジでお付き合いしていたのは、一昨年鉄砲玉に殺されたヤクザの幹部くらいだ。
それだって、何処まで本気だったかは、良く分からないし、真面目に治療していたせいか、外界で暁が出て来る事も無くなってしまった。
ジョン太の事は、俺の記憶でしか知らないはずなのに、一体何なんだよ、こいつ。
実は、その辺が一番の原因なのだが、鯖丸本人は気が付いていない。
何しろ、普段はカラオケ好きのダメなおっさんとか思っているくせに、本人が気が付いていない深層の記憶では、当社比で十倍男前の犬だ。
暁を押さえ込むのに集中すると、接続が途切れる。
両方のバランスを取るのが手一杯になってしまって、鯖丸はその場で固まった。
R-13の内部には、無数の死体が転がっていた。
生きて動いている者の気配は、もう、奥の方にしかない。
いくら、宇宙船を大きくしただけの様なマイナーコロニーでも、意外に内部は広い。
テロリストの集団は、雑に小型艇ごと壁を破って突入し、手当たり次第に人と物を壊しながら、奥へ向かっていた。
たぶん、テロリスト側にもそこそこの被害が出ている。
普通の作戦行動ではなく、特攻だ。
無秩序な暴れ方から見て、恐怖心を麻痺させる類の薬を使っている。
軍でも、似た様な効果のあるドラッグは、何度か支給された。
思い出しただけで、吐き気がする。
鯖丸が、人格が分裂してしまうくらいひどい目に遭ったのも、相手が正気ではなかったからだ。
そうでなきゃ、あんな可愛くもなんともないガキを、寄ってたかって犯したりはしないだろろうなぁと思った。
それとも、あいつバカだから、余程相手を怒らせる様な事を、やっちゃったのか…。
どっちにしても、これから見る事になる状況を考えると、気が重い。
ちょっとため息をついて、歩き出した。
ふいに背後から腕を掴まれて、ジョン太は振り返った。
暁だった。
まだ、十代半ばの少年に見えるが、見覚えのある顔だ。
というか、まぁ鯖丸と同じ顔だが。
反射的に殴り倒しそうになった腕を、どうにか止めた。
「何でここに居るんだ、お前」
現実の鯖丸の様子が、明らかにおかしい。
接続が途切れそうだ。
「この先はダメだ」
暁は、ジョン太の腕を掴んだまま、言った。
「頼むから、この先は見ないで」
「そう言う訳にもいかないんだが」
歩き出そうとしたが、華奢な少年の腕が振り払えなかった。
普通なら、そのまま引きずって行ける重さのはずなのに、根が生えた様に動かない。
「何やってんだ、くそっ」
現実の方の鯖丸が怒鳴った。
接続が突然切れて、ジョン太は現実に引き戻された。
こう何回も魔力の高い奴相手に接続事故起こしてたら、俺、頭壊れるんじゃないのか…と、ジョン太はベッドの上に座り込んで、ぼんやり思った。
またダメだったのか…と考えたが、頭がぼーっとして、何の感情も湧いて来ない。
あ、俺今、ちょっとやばいな。
ゆっくり、状況を確認しようとして、鯖丸がもっとヤバイ事になっているのに気が付いた。
倒れたまま、全身が小刻みに痙攣している。
急速に、正気が戻った。
「おおい、大丈夫か」
伸ばした手が、凄い力で振り払われた。
「畜生、二度と出て来んな。帰れ!!」
暴れ回る鯖丸を押さえ込んだジョン太は、しばらくじっと落ち着くのを待った。
「止められると思ったのに…」
ひとしきり暴れて、少し気が済んだのか、鯖丸はジョン太にもたれ掛かって来た。
「いいから、ほら、落ち着け。な」
ゆっくり両手で抱き寄せて、頭を撫でた。
「うん」
こうして見ると、意外と可愛い様な気がして来た。
それから、ふいに我に返った。
いや、待て。何、ええ感じのゲイのカップルみたいになってんだ、俺ら。
ジョン太は、慌てて鯖丸から離れた。
「やべぇ。何か新しいステージが開きそうだった、今」
「何が」
いきなり突き放されて、不満そうな顔で鯖丸は聞いた。
良かった…いつも通りのバカにしか見えない。
当面、怪しい世界へ行ってしまうのは止められたが、肝心の問題が全然解決していない。
ちょっとため息をついて、肩を落とした。
「やっぱり、無理だったな。リンク張るのは」
「何言ってんの」
鯖丸は、ジョン太の正面に座り直した。
「そんなの、リンクが繋がるまでやるに決まってるじゃん」
ええっ、何言い出すの、この子は。
「今のはちょっとヤバかったから、ポジション逆にしてみよう。いいよね、この際」
まぁ、その辺は最初から覚悟していたから、別にいいけど、実物の悪魔将軍を見た後だと、けっこう引く。
「大丈夫、優しくするから」
本気で嫌〜な事を言われた。
「お前は、存在自体が優しくない。特に下半身が」
ジョン太はぶつぶつ文句を言った。
意外と本当に優しくされたので、かえって辛い気分になった。
そうか、嫌な事は雑にちゃっちゃと済ました方がましだな。
おまけに、なんだかんだ言っても、結構上手い。
この間まで、彼女居ない歴と年齢が一緒だったくせに、本当に何なんだ、こいつ。
その辺から、さっき使ったワセリンのチューブを手探りで捜して、キャップを開けている。
鯖丸がキレそうになっていた理由が、良く分かった。
いや…本気で恥ずかしいわ、これ。
「もういいから、それ、自分でやるから寄こせ」
「ダメ」
断られた。
「ジョン太じゃ、無理」
無理って、何がと思ったが、何かコツがあるらしい。
自分でも触った事がない様な奥の方まで、ゆっくり指を差し込まれた。
ああ、俺、何か客観的にひどい事になってる…ここまでひどいと、もう、どうでもいい気がするけど。
「無理って何だ。いや…それ使い切るな。必要だから持ち歩いてるんだ」
空になったチューブをその辺に放り捨てた鯖丸は、変な顔をした。
「明日、その辺の薬局で買えばいいじゃん」
「売ってねぇよ。普通の薬局には置いてないから、ネット通販で買ってるのに…。冬場はそれが無いと、指先の微妙な感覚が…」
おぢちゃん、どこまでデリケートだ。
鯖丸は、ちょっと呆れた顔をしたが、もういいから黙れという感じで、唇を塞いだ。
それから、さっき暴れていた時に、八つ当たりしていた枕をあてがって、少し腰を浮かせてから、ゆっくり入って来た。
絶対無理だと思っていたが、意外とやれば出来るもんだなと感心した。
けっこう痛いけど、我慢出来ない程でもない。
後は、さっき途切れた接続を繋ぎ直すだけだ。
こちらから手を伸ばして接続をやり直そうとしていた途中で、がつんと意識が持って行かれた。
胸ぐらを掴んで、絞め落とされたのに近い感覚だ。
うわー、全然優しくないぞ。まぁ、その方がお前らしいけど。
一瞬で、先刻接続が途切れた場所まで突き落とされた。
上手く繋げなくて、最初からやり直す事になるかも知れないと思っていたが、先刻と同じ場所に居たので、少しほっとした。
いや…場所は同じだが、風景は全く変化してしまっている。
鬱蒼とした森の中に、正方形の檻があった。
檻の中に、何かが居た。
殿と戦った時、簡易接続したイメージの中に居た獣。
あの時ははっきり見えなかったが、こうして間近で見ると、ジョン太本人とは全然違う。
毛羽立った汚い色の毛に覆われた、醜い獣だ。
それはまぁ、百歩譲って、ジョン太の事が嫌いな他人に、こんな風に思われているなら、まだいい。
自分で自分を、こんなひどい姿で認識しているなんて、一体どういう事なんだ。
「出て来いよ。これは、ちょっとひど過ぎる」
獣は、狭い檻の中にうずくまっていた。
体中を、細いワイヤーで巻かれて、鋼鉄の床に括り付けられている。
「何で、こんな事になってんだよ。自分でも、これは違うって、分かってるだろ」
檻の中の獣は、少し顔を上げた。
「うん、分かってる。でも、誰も俺を責めなかったから」
獣は、言った。
「だから、俺は、ここに居るしかないんだ」
獣を縛っているワイヤーが、どんどん増えながら、体を締め上げていた。
「バカだろ、お前」
いつも言われている事を、言い返してやった。
「責められなかったなら、ラッキーじゃないか」
獣は、こちらを見た。
「ガキを一人殺した事くらい、チャラにしてもらえるくらい、すごい事をしたんだよ、ジョン太は。だから、胸を張ってそこから出て来い」
そんな事は、たぶん出来ないだろうと言うのは、分かっていた。
出来るなら、とっくにやってるはずだ。
「出来ないなら、その檻、壊すからな」
今まで意識していなかったが、いつも通り背中に刀を背負っていた。
ゆっくりと抜いて、構えた。
さっき追い返した暁の気配が、微妙に背後に在ったが、この状況なら、邪魔はして来ないだろうという確信があった。
もしかしたら、協力してくれるかも知れない。
「大体、初対面ならともかく、知り合いでジョン太の事嫌いな奴なんて、居ないだろ。普通はそうじゃないんだ。自分がいい人だって、ええかげん分かれや、バカ」
この場所で魔法が使えるのかどうか、分からなかった。
それでも壊せる自信はあった。
渾身の力で斬りつけると、檻の上半分が吹き飛んだ。
残った鉄格子にヒビが入り、がらがらと崩れ落ち始めた。
駆け寄って、獣を巻いているワイヤーに手をかけた。
獣は、顔を上げてこちらを見た。
指にワイヤーが食い込んだが、構わずに引き千切った。
檻の中で自由になった獣は、しばらく戸惑って、それから立ち上がった。
さっき居た廊下に立っていた。
鰐丸はもう居なくて、嫌な気配だけが、奥から漂っていた。
廊下の奥に、女が一人倒れていた。
半ば入り口を塞ぐ様に、体を斜めにして倒れていたが、頑丈な扉は、既にこじ開けられた後だった。
気の強そうな女だ。
体格や筋肉の付き方は、どう見ても宇宙育ちの人間だったが、地球人のテロリスト相手に、死ぬまで立ち向かって行ったに違いない。
体ごと、服までずたずたに切り裂かれて、辺りは血に染まっていた。
見慣れた顔に、何となく似ているので、誰だか分かった。
両親共殺されたと言っていたが、母親は確実に目の前で惨殺されている。
ダメだ、これ。思ってた以上に、ひどい事になってる。
扉の向こうに、その、テロリストらしき集団が居た。
半数は、軽装宇宙服も脱ぎ捨てて、アンダースーツになってしまっている。
軍でも、テロ組織でも、敵陣でそんな事をしていたら、バカ呼ばわりされるだろう。
明らかに、様子がおかしい。
こいつら、たぶん支給された薬の処方を間違えてる。
皆、二十歳前後から二十代前半くらいまでのガキで、指揮官らしき人間も存在しない。
全員素人だ。
その、素人集団の間から、逃げようともがいている子供の手足が見えた。
「やっぱり、来たんだ」
突然、隣で声がした。
はっとして横を向くと、鰐丸が立っていた。
暗い顔で、それでもこちらを真っ直ぐ見ている。
「ジョン太には、絶対見られたくなかったのに」
その辺はお互い様だから、まぁ仕方ないんじゃないかと言おうとして、鰐丸が、全然別の話をしているのだという事に、気が付いた。
何か、まずい事が起こるという意味だ。
自分もそうだが、鯖丸も、リンクを張るのはそうとうむずかしい状態になっているはずだ。
トリコだから、何事もなくやってのけたが、俺に出来るのか…。
「玲司の記憶が戻るかも知れない」
鰐丸は言った。
「それでも、このまま続ける?」
去年、かまいたちの事件で聞き込みをしていた時、鯖丸が言っていた言葉が甦った。
『思い出せるうちに思い出そう。俺みたいになったらダメだ』
「そうか、お前が玲司を守ってたんだな」
鯖丸を本名で、それも下の名前で呼ぶのは初めてだった。
「でも、あいつはもう、子供じゃないし、充分強い」
強過ぎて、ちょっと勘弁してほしいくらいだ。
「分かってる」
鰐丸は、俯いた。
「でも、記憶が戻ったら、俺達が居る意味は無くなる」
鰐丸の隣に、子供が居た。
やはり見慣れた顔だが、まだ幼い姿で、鰐丸の手を握って、じっとこちらを見上げている。
三人居るとは聞いていたが、こんな子供だとは思わなかった。
「待て、記憶が戻ったら、お前達が居なくなるみたいな言い方だが」
その方がいいに決まっているのに、何だか寂しい気がした。
「どうなるか分からない。何事もなくこのままかも知れないし」
暁は言った。
「最後まで見てれば、分かるよ」
「最後まで…」
薬物の過剰摂取で、明らかにおかしくなっている連中に囲まれて、手足をばたつかせながら泣きわめいている少年を見た。
やめてとか、許してとか言う類のセリフは、一切なかった。
辛うじて聞き取れたのは「お前ら全員殺してやる」だ。
昔から、こういう性格だったらしい。
一人目か二人目辺りまでは、暴れながら叫び続けていたが、もう、そんな力も無くなったのか、ぐったりと動かなくなった。
「いや…無理」
暁と、もう一人の子供を押しのけて、ジョン太は前へ出た。
「もう終わった事だって云うのは分かってるけど、こんなの最後まで見てられるかよ」
助けるのは簡単だ。
ただ、ここでそんな事をしたら、どうなるのか本当に分からない。
もう一回接続事故起こしたら、俺、本気で壊れるだろうなと思った。
無事に済んでも、リンクに失敗したら、鯖丸本人にめっちゃ怒られる。
いや待て、リンクが繋がるまでやるとか言ってなかったか。
そうなったら、悪魔将軍様に、やり殺されるー。
「くそっ、後の事なんか知るか」
現実と同じ速さで動けた。
子供を囲んでいる人垣を振り払い、両手を押さえつけている二人を、壁に投げ飛ばした。
ああ、本気でひどい事になってる。
寄って集って、薬物の処方ミスでオーバードーズになった連中にレイプされて、もう、現実を把握するのも諦めた子供が、虚ろな目で天井を見上げていた。
いや、待て。こいつ、どんなひどい目に遭っても、そういうキャラじゃないだろ。
ぼんやりと、宙を見上げていた鯖丸と、目が会った。
ふいに、虚ろだった目に、暗い光が灯った。
子供とは思えない様な、凄い表情で笑った。
無防備になっているテロリストの背後で、中身が空の重装宇宙服が自立していた。
開いたシールドの中から伸びたケーブルが、いつの間にか子供の首筋に繋がっている。
確かに、トラブルがあった時の為に、ケーブルは在る程度伸ばせる仕様になっている。
操作に慣れた者なら、着用していなくても、有線接続していれば、動かす事は出来る。
こいつまさか、ケーブルを拾う為に暴れてたのか?何てガキだ。
惨殺が始まった。
今の今まで、テロリスト達を殺したのは、暁だと思っていた。
本人も、周りの人間も、皆そう思っていたはずだ。
実際は違った。
有線接続のロボットと化した宇宙服が、格闘家の様な動きで、愕然としている男達を床に叩き付けた。
熟練した動作だ。
普段、子供同士でこういう遊びをしていたに違いない。
悪ガキが好みそうなゲームだ。
がつんと脇腹に衝撃があった次の瞬間、体が天井まで持って行かれた。
背骨が折れる、嫌な感触があった。
テロリスト側に視点が移ってしまったのか、玲司が見境無く暴れているせいなのか、もう分からない。
床に叩き付けられた目の前に、滑り止めのラバーが付いた重装宇宙服の足の裏が迫った。
頭蓋骨が潰れるのが分かった。
まだ意識があるのは、現実ではないからだ。
暁が、こちらに来ようとしていた。
「来るな。いいから、好きなだけ暴れさせてやれ」
自分の体が、どこにあるのかもう分からない。
床に座り込んで、狂った様に笑い続けている子供の姿が、全方向から見えていた。
生きて動いている、最後の一人が倒れても、有線で繋がった重装宇宙服は、暴れるのを止めなかった。
血の海の中で、もう生きていない相手を、引き裂いている。
「お前ら、よくもよくもよくもよくもよくも」
もう、正気では無くなってしまった玲司が、俯いたままぶつぶつと唱え続けた。
「みんな死ね!」
暴れるだけ暴れて、重装宇宙服が、やっと止まった。
子供の視線が、入り口の方に向いた。
「お母さん…」
動かなくなった女と、目が合った。
「嫌だぁ、独りになるのは、嫌だよぅ」
呟いて、その場にばたりと倒れた。
一瞬だったが、意識が途切れていた。
次に目を開けると、視点が元に戻っていた。
目の前に鯖丸が居た。
もう、子供の姿ではなくて、現実の武藤玲司と同じ外見になっている。
暁と、もう一人の子供がそばに居たが、二人とも、同じだけ年月を経た姿に変わっていた。
「そうか…お前達、一人じゃ現実に耐えられなかった玲司が創った、兄ちゃんと弟だったんだな」
辛かった時に、兄弟が居たらいいなと思った事はある。
一人っ子なら、たいがい一度くらいは思う事だ。気持ちは分かる。
「暁は俺の兄ちゃんで、ミツオは弟なんだ」
鯖丸が言った。
「俺、ひどいよね。都合の悪い事は、全部暁に押しつけて忘れてたのに、暁なんか居なくなればいいと思ってた」
「忘れた方がいい事の方が、多いんだよ」
暁は言った。
「お前が思い出したいなら、止めないけど」
鯖丸は、うなずいた。
「うん、記憶は全部戻して。もう平気だから」
暁が、優しい顔で笑うのを、初めて見た。
「じゃあ、行け。もう、戻って来るなよ」
鯖丸は、ジョン太の手を握った。
「うん、今までありがとう、お兄ちゃん」
獣の姿が、いつの間にか変化していた。
ジョン太と、ほとんど同じ姿で、こちらを見ている。
「出て来なよ」
鯖丸は言った。
「それとも、俺が引きずり出さないとダメ?」
「いや…」
ジョン太は、首を横に振って、床だけが残った鉄の檻から、ゆっくりと外へ出た。
森の中のやわらかい下草を踏みながら、二歩、三歩と歩いた。
「こんな暗い所、早く出よう」
鯖丸は、先に立って歩き出した。
前方に、明るい空が見えている。
「けっこう好きな場所だったんだけど」
辛い事がある度に、ここへ来て泣いていた子供の姿が見えた。
「さすがに長く居過ぎて、飽きたな」
少し歩くと、突然視界が開けた。
森を抜けて川辺に出ている。
明るくて、気持ちのいい風が吹いていた。
「そうか、現実ではこの場所、もう無かったんだよなぁ」
懐かしそうな口調だ。
鯖丸は振り返った。
ダークブロンドの白人の男が、眩しそうに目を細めて川を見ていた。
一見してハイブリットだという事は分かるが、普通の人間とあまり変わらないタイプだ。
体格以外、外見に共通点は無かったが、ジョン太だという事は分かった。
そうか、何かの具合で原型に近いタイプにならなかったら、こんな外見だったんだな。
鯖丸は、ジョン太の方に手を伸ばした。
「リンク繋いで、戻ろう」
「ああ」
ジョン太は、鯖丸の手を取った。
すうっと、変わっていた外見が、元の姿に戻った。
何の抵抗もなく、きれいにリンクが繋がって、二つの空間にラインが通った。
接続事故とは全く違う、柔らかい抵抗感があって、二人は現実に戻った。
2009.3/4up
後書きのような物
良く考えたら、やおいじゃないかも知れません、これ。
大体、過去の記憶の中をうろうろしてるだけだし。
でも、わたくしとしては良くがんばった。よくやった、わし。
今となっては、何の為にがんばったのかも、謎だけど。次回予告
ジョン太、人外から外人に。トリコが、デビルウィングで空を飛ぶ。そして鯖丸は、また掠われる。
とうとうピーチ姫みたいなポジションになって来ました。悪魔将軍のくせに。
今回、服を着ているだけ、まだましかも。