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最後に、三匹ぐらいが斬る!! 0.5 back

また、ぐだぐだした番外編です。閑な時に抜け頃な感じで読んでください。
内容は『ヤクザvs魔法使い』の前年十月くらいから、翌年四月の花見シーン少し前くらいの約半年間の、何て事無い普段の話です。



登場人物

武藤玲司 西瀬戸大理工学部宇宙工学科の院生。四年の春までは剣道部に在籍していた。比較的知能の高いバカ。

有坂カオル 西瀬戸大人文学部英米文学科三年。剣道部所属。生真面目だが、料理の腕と男の趣味が壊滅的な女子大生。

迫田宗光 西瀬戸大医学部五年。武藤玲司の友人。剣道部のOBで、割と付き合いは長いらしい。

山本弘 西瀬戸大五年。武藤玲司の友人。ワンゲル所属。平地より山での出現率が高い。

松本祥子 西瀬戸大人文学部英米文学科三年。有阪の友人。文中には出て来ないがアフロ。通称まっちゃん。

溝呂木雅之 西瀬戸大剣道部の監督。武藤玲司に有阪カオルを紹介した犯人はお前だ!!(犯人扱い)

エロ本 常に隠されるステキな本。

最後に、三匹ぐらいが斬る!! 0.5  後編

 翌日、武藤玲司は有坂カオルを呼び出し、告って付き合う事にした挙げ句、自宅に連れ込むという離れ業を、一時間以内に成し遂げていた。
 通常の人間なら、せめて一日か二日は間を置きそうな物だが、出会い頭の交通事故の様な恐ろしい男である。
 そんな動物みたいな相手に、のこのこ付いて行く有坂も、けっこうファンタジー脳だ。
 実は、早起きして料理が苦手なのに弁当を作ったり、泣いて帰ったりするくらいだから、有坂は武藤先輩の事が好きだったのだ。どこがいいのかとか、そういう基本的な疑問は置いておくとして。
 しかし、向こうから好きだと言ってくれて、有頂天になっていたのもつかの間、事態は予想しない方向に進んでいた。
 六畳一間、風呂無し便所共同で築四十年のアパートに連れ込まれた有坂は、体を縮めて正座していた。
 緊張しているからではない。部屋が汚くて、縮まらないと座る場所がないのだ。
 狭い部屋に張られた洗濯ロープには、普通にパンツが干してあった。
 立ち上がると丁度顔に当たる位置なので、うかつに動けない。
 その辺に散らかったコンビニ弁当やスーパーの総菜の食いかすを拾い集めて、落ちていたレジ袋にまとめていると、声をかけられた。
「紅茶しかないけど、それでいいかな」
「あ…はい」
 まさか、この状況で茶が出て来るとは思わなかった。
 というより、先輩はこの状況を何とも思っていないのだろうか。
 入り口の横が半畳程板張りになっていて、見た事もないくらい手狭な台所らしき物があったが、あまり料理はしないらしく、調理器具はラーメンを作る様な片手鍋と、昔の林間学校で使う様な飯盒だけだった。食器も無い。
 その、ラーメン鍋的な物で、湯が沸かされている。
 嫌な予感がしながら待っていると、鍋と雑誌を持った先輩が、こっちへ来た。
 どこで拾って来たのか、見た事もないくらい古い型のこたつテーブルの上も、色々な物が散らかっている。
 先ず、つま先で畳の上の物を避けて、自分が座る場所を確保した武藤君は、次に雑誌の背でテーブルの上に乗ったゴミをざらざら払い落として雑誌を敷き、その上に鍋を乗せた。
 鍋の中には、ティーパックが入っている。
 うん…こういう人じゃないかなと、何となく分かってはいたけど、ここまで酷いとは思わなかったな。
 有坂は、ちょっと遠い目になった。
 酒屋で、ビールのオマケに付いて来る様なコップを渡された。(山本に貰ったやつ)
 それから、どう見てもファーストフードで取って来た砂糖を差し出された。
「ええと、何かまぜるやつ、要るよな」
 明らかに、一度使った形跡のある割り箸を寄越された。
 まだ間に合う、考え直せ…という言葉が、脳裏に浮かんだ。
 幸い紅茶は普通の味だったので、しばらく向かい合って茶を飲みながら、隙を見て散乱したゴミをかたしたり、どうでもいい話をしたりしていた。
 ふと気が付くと、武藤君はいつの間にか隣に座っている。
 どれくらい「ふと」かと云うと、部屋の中に猫が居るなと思っていたら、気が付くと膝に乗っていたというくらいの「ふと」だ。
 いつの間に懐に入り込んでいたんだ、この人は。
 というか、隣に座っているとか云う状況じゃなくて、すり寄って来て密着している。
 油断していたら、布団の上に押し倒されて、じわじわ服を脱がせにかかっているという有様だ。
 あんまり散らかってるから、そこに布団があったのも気が付かなかった。
 でもきっと、下心があって敷いてたとかじゃなく、いつもこうなんだろうなとは思った。
 まぁ、こういう事になるだろうとある程度は分かって付いて来たけど、物事にはもうちょっと順序とか段取りとか色々あってもいいんじゃないのか…。
 今更手遅れだけど。

 部屋の中が思っていたより薄暗かったので、少し慌てた。
 まだ、夕暮れには早い時間だと思うが、うかつにとうとうしてしまったので、時間の見当が付かない。
 流しの前にある小さな窓の外は薄暗かったが、反対側の窓からは青空が見えた。
 このアパートが、電車の通る土手に密着する様に建てられていたのを思い出した。
 土手に遮られるから、夕暮れが早く感じるのだろう。
 実際は何時なんだろうと思って、バッグからケータイを出して見る為に起き上がろうとした。
 目の前に、武藤先輩の顔がある。
「うわ、近い」
 飛び起きそうになった。
 狭い布団に決して小さくない二人が密着して入っているのだから、近いのは当たり前だ。
 うわー、こういうの何か恥ずかしいー…と、一人でてれてれしているのを余所に、当の先輩は熟睡していらっしゃる。
 有坂カオルは、何だか急激に冷静になった。
 口説いたその足で自宅に連れ込んで、調子に乗って三回もしたあげくに、終わったらすやすや寝てしまうと云うのは、どういう動物っぷりだ、この人は。 まぁ、嫌だった訳でも無いけど。
 布団をめくって起き上がると、お互いそうなのだが裸が目に入る。
 顔はともかくとして、きっちり鍛えられたかっこいい体だ。
 随分手合わせをしているので、そうでなければとても、あんな動きは出来ないだろうと云うのは想像が付いていたが、何だか視線はもうちょっと下に行ってしまう。
 前に付き合っていた人は、もうちょっと何て言うか可愛い感じだったけど、これは、どっちが普通なのかしらとしばらく考えた。
 こんなのが更にああなってこうなっていた訳で、正味壊されそうで無理とか思ったのに、勢いで三回も…。
「うーん、人体の不思議」
 どうでもいい事をつぶやいてから、ふと思い立ってその辺に散らばったノートを掻き分け、先刻見た憶えのあった定規を発掘した。
 理工学部に出入りしている精密機械メーカーの粗品らしく、企業名が入っている。
 しおり代わりに使われていたらしいそれを手に取って、じゃきーんと構えて布団をめくった所で、武藤玲司は目を覚ました。
 目の前には、当然だが全裸で、定規を片手に構えた有坂が、変なテンションの笑顔で迫っている。
「あれ…何?」
「きゃー」
 慌てて、定規をその辺に放り出し、脱いだ服を拾って着始めた。
「いや…計りたいなら、別にいいけど」
「違います違います、うわー」
 思っていたより変な奴だ。残念な様な安心した様な、複雑な気分だ。
「何だよ今更遠慮しなくても、ほーら全身どこでも好きにしてー」
 布団をはね除けてがばーと抱きついた所で、なぜかめずらしく我に返った。
 待てぇ、こういう芸風は改めようと思ってたはずなのに、何やってんだ俺は。
 普通に段階を踏んで、遊びに行く様な余裕はあんまりないけど、海に行ったりとか手を繋いで歩いたりとか、色々ちゃらちゃらしたお付き合いを予定していたのに、自分のダークな芸風が怖い。
 ろくに泳げないくせに、なぜかやたら海辺へ行きたがる習性は謎だが、とりあえずその辺の段取りは、実は告る前に終了しているという事実には、全く気が付いていなかった。

「そういう訳で、今日から俺はダークヒーローの路線で」
 武藤玲司は宣言した。反省して芸風を改めるつもりは無いらしい。
「世界中のダークヒーローに謝れ」
 ジョン太に首を絞められた。
 NMC中四国支所は、昼休みと営業で出払っている者が多くて、残っているのはジョン太とハートと所長の三人だけだった。
「お前、新しい彼女が出来たから、自慢しに来たのか」
「違うよ」
 個人的には嬉しいが、わざわざバイト先に仕事でもないのに顔を出して自慢する事ではない。
「先月のバイト代もらいに来ただけ」
「何だよ、また金無くて困ってるのか?」
 いつもなら月末締めで銀行振り込みなのだが、前もって連絡しておいたので、事務の斉藤さんが現金を用意してくれていた。
 仕事は不定期だが時給も高いし、こうやって融通も利かせてくれるし、危険を伴う事も多いので、単なるバイトでもきっちり保険に入らされてバックアップされている。
 正直、ここでの仕事が無かったら、学生を続けるのは諦めていただろう。
「来週面接に行くから、スーツ買いに行くんだ」
「ええっ、ネクタイも自分で締められないくせに?」
「それは、お店で教えてくれるんじゃないの?ユーザーサポートとして」
 どうせ、一番安いやつを値切って買うに決まっているのに、全国チェーン大型紳士服店も大変な商売だなぁ…と、ジョン太は思った。
「卒業してもうちで働けばいいのに」
 所長は一応文句を言いながらも、斉藤さんが用意していた茶封筒を差し出した。
「ありがとうございます」
 茶封筒を受け取った武藤玲司…というかこの会社では鯖丸は、礼を言ってさっさと帰りかけた。
「待てよ、折角だからその新しい彼女とか見せて」
「あ、いいですよ」
 めずらしくハートが食いついたので、ケータイを取り出して画像を表示した。
「うーん」
 ハートの反応が微妙だ。
 まぁ、客観的にそれ程美人とかいう訳でも無いけど、考え込む程変か?
「ああ…いや、恋愛は自由だと思うけど、男の子を彼女呼ばわりするのはどうかと。こういう場合は彼氏と呼んであげた方が…」
「女だよ。見れば分かるだろ」
 ジョン太と所長にも見せて同意を求めたが、二人とも首をかしげてしまった。見て分からないのか?客観的に。
「一見BLって云うのも、おいしい展開だと思うけど」
 ハートが、フォローのつもりで暴言を吐いて来た。
「BL言うなー」
 武藤君大荒れ。
 その後、昼休みから戻って来たこの会社唯一の人格者、パートの斉藤さんになだめられて一応機嫌は直したが、拭えない一抹の疑問が残った。
 あれ…有坂の事けっこう可愛いと思ってるの、もしかして俺だけ?

 実は、有坂カオルは可愛くない。性格とか別にして外見は。
 容姿が悪い訳ではなくて、化粧でもすればそこそこ見栄えはするのだが、何しろ背が高くてきりっとした顔立ちなので、どちらかというと男前なのだ。
 おまけに、髪の毛もショートカットにしているので、男に間違えられる事が多々あった。
 もちろん、そんなだから後輩の女子にはモテモテ。
 生真面目でちょっと無器用という性格も、男前度を上げるのに一役買っている。
 まぁ、あれが男で「自分、無器用っスから」とか言ったりして俺が女の子だったら「きゃー好きにしてー」とか言って服脱いじゃう、絶対。
 妄想がおかしな方向へ行ったので、修正した。
 紳士服の大型チェーン店は、冬も近付いたこの時期には季節外れとはいえ、同じ目的の学生も見受けられた。
 この手の店に来るのは初めてなので、友人の迫田に付き合ってもらった。
 何でもいいから安いやつくれ…とか、普通は言わない様な注文を、お店の人はそこそこ忠実に実行してくれた。
 まぁ、継ぎの当たったジャージに、よれよれのスニーカーを履いて、頭に粗品のタオルを巻いた様な青年がそういう事を言ったら、店で一番安いやつを出してくれるのは当然なのだが、気の毒な事に、武藤君の体型は普通ではないのだった。
 身長の割に手足が長過ぎるのだ。
 普通ならすらりとして見えて長所なのだが、既製品が合わないというのは意外と困る。
「そんな気はしてた」
 迫田は言った。
 体格はあまり違わないので、面接に行く間くらい、自分の持っている服を貸しても良かったのだが…というか試してみたのだが、全然ダメだったのだ。
「ちくしょう、このアイドル体型め」
 一応文句を言った。
 後ろ姿だけかっこいいタイプだ。
 色々試着して、裾やら袖を直してもらう事になった。
 普通だったら、その辺に吊してある既製品を買って帰れば済むのに要らん出費だが、靴はあまり出なくて売れ残っている大きいサイズのが半額で買えた。
「ええと…靴下は?」
 迫田が聞いた。
「そんな、見えない所に金をかける予定は、全くないね」
 言い切った。
「そうだなぁ、どうせ見えないから穴が空いていても分からないし」
 迫田は同意した。
「穴くらいちゃんと繕ってあるよ」
 武藤君は反論した。
 変な所で意外と器用なのだった。

 夜行バスで首都圏まで移動した後、面接をハシゴして戻って来るという、某○売旅行の格安ツアー並みのスケジュールで就活をこなして戻って来ると、お家の中が様変わりしていた。
 バスは、ネットで検索するとJRの半額ぐらいで往復出来る物が見つかったが、それでも痛い出費だ。
 これで就職決まらなかったらがっかりだなと思いながらアパートの部屋に帰ると、室内が未だかつて見た事もないくらい、すっきりと片付いていた。
 一瞬、間違えて別の部屋に入ってしまったのかと思った。
 主に、コンビニ弁当系のゴミは、全部片付けられて、部屋の中に干していると見せかけて、実は脱いだやつをそのまま洗濯紐に引っかけていた下着類は(匂いをかいでまともそうなやつから順に着用)洗濯されて、ほこり一つない畳の上にきちんとたたんで積み重ねてある。
 ここへ引っ越して以来、二回ぐらいしか干した記憶のない布団は、見た事もないくらいふかふかになって、押し入れの上の段に積まれていた。
 その隣に、マンガと科学雑誌が別々に分類されて、並べられている。
「おお、何だこれ」
 出掛ける前に、部屋の中を少し片付けたいと言われて、有坂に合い鍵を渡したのを思い出した。
 少しどころか別世界の様に片付いている。
 すごいなこれ…と、感心しながら部屋の中を見回した。
 料理は苦手だが、掃除は得意なタイプだったのか。六畳一間の部屋が、思いの外広い。
「すげー、畳の上でごろごろ出来るぞ」
 当たり前の事に感動しながら横になって、ふと首を捻ると、目の前に積み上げられた本とDVDの山があった。
 一瞬で血の気が引いた。
 全部、ため込んだエロ本とAVだ。
 うわぁぁ、こっちも分類されてるぅぅぅ。
 通常なら、中高生の頃に一度くらいは母親にやられてしまう通過儀礼なのだが、早くに両親を亡くしたので、こういう経験が全く無いのだ。
 付き合い始めて間もないのに、熟女セーラー服が好きとかいう特殊性癖まで知られてしまった。もうダメだ。
 言い訳をするか、このままスルーかで悩んでから、そもそも帰って来たのだから普通にメールでもして様子を伺えばいいと思い付いた。
 早速今帰ったとメールを送ると、返事はすぐ来た。
 その後、直に電話で話もしたが、AVの話題は全く無し。
 部屋を片付けてくれてありがとうと礼まで言ったのに、デリケートな話題には触れないまま、会話は終わった。
 ものすごく気まずい。
 とりあえず、部屋の真ん中で腕組みして、新しい隠し場所を考える事にした。
 しかし、こんなに片付いていたら、一体どこに隠せばいいんだ。

 その後、エクストリームエロ本隠しという特殊競技が、二人の間で続いた。
 どんなに巧妙に隠しても、有坂がやって来ると、後にはなぜか発掘した本とAVが積まれている。
 あいつは超能力者か。
「これは、暗に捨てろと言ってるのかな」
 バイトが終わって帰ると、何度目かの発掘が行われていたので、さすがにちょっと問い詰める事にした。
「ええと…」
 有坂は困った顔をした。
「出来れば…」
「何で?」
 内容がちょっと微妙なのはともかく、エロ本やAVを持ってるくらい普通だと思うが。
「何となく嫌なんです」
 うぬー、感情論で来られると論破出来ない。
「まぁ、そうじゃないかなと思うから一応隠してあるのに、何で毎回発掘するの?」
 考古学者もびっくりの発掘率。
「掃除してたら、出て来るんだから仕方ないでしょう」
「畳の下に敷いてた物が、何で出て来るんだよ。忍者かお前は。忍法畳返しか」
 ついきつい口調で言うと、じわっと涙目になっている。
 うわやめて、泣くな。ここで泣くのは反則。
「先輩もやっぱり、色っぽくておっぱい大きい方がいいんですね」
 いや…それとこれは別なんだけど。
 スポーツタイプのブラしかしているのを見た事無いが、どう考えても一目見てAカップなのを気にしているのかも知れない。
 ちっちゃいのは、それはそれでいいのに。まぁ、大きくても別にいいし、正味どうでもいいんだけど。
「どうせ私なんか、無理矢理寄せても谷間なんか出来ないし。帰る、もう帰るー」
 こっちは帰って来たばかりなのに、本気で靴を履き始めた。
「わぁ、待て」
 慌てて引き止めた。分かってたけど、けっこうめんどくさい奴だ。
「片付ける。これは片付けるから、機嫌直して」
 どうにか引き止めてご機嫌を取ったのは、もちろんエロ目的だ。
 付き合い始めて十日程で、既に出来上がったぐだぐだカップルになってしまっている。これでいいのか?
 その後武藤君は、有坂が帰った後、約束通りエログッズを片付けにかかり、三分割して天井裏と(たまに見る用)大学の研究室に確保しておく分と(おそらく天井裏とローテーションする模様)常にディバッグに入れて持ち歩く物(本当に大事なやつ)に分類した。
 確かに片付けるとは言ったが捨てるとは言ってないので、嘘ではない。
 とりあえず、これで一安心。(スイートな考え)

 その後、当然だが天井裏から隠れた財宝を発見した有坂は、とうとう資源ゴミの日に出してしまう暴挙に及んだ。
 さすがにちょっとしたケンカになった。
「人の物を勝手に捨てるなよ」
 それは普通犯罪なのだが、そもそも持っていた物がモザイクの入ってないえぐい裏物で、こっちも犯罪なのでそこまで強くは言えない。
 大体、その辺にケータイを放り出しておいても一回も覗こうとすらしないのに、何でエロ本とAVにだけこんなに過剰反応するんだ。
「だって…」と、有坂は俯いて小声で言った。
「あんなにしてるのに、足りないの」
 AV収集家山本の名言が脳裏に浮かんだ。
『AVは別腹』
 聞いた時は名言だと思ったのだが、今口に出しても理解されそうな気が全くしない。
「あーすいませんね、性欲強くて」
 すっかりなげやりな気分になってしまった。
 やっぱり普通の娘とは無理だったのか、俺。
 貧乏だとか服装が見苦しいとか、そういうのはあまり気にしていない様子だったので、上手く行くかもと思っていたのに。
 本当のお気に入りはきっちり別に確保してあるので、ここは譲って他の物は処分しても構わないのだが、そういう問題じゃない気がする。こんな潔癖なタイプとずっと付き合うのは無理かも。
 第三者の目から見ると、弁当のタコウィンナーがクリーチャーだったり、伏せ字で書かないといけない様な物を定規で測ろうとしたり、何と言うか有坂も普通ではないのだが、武藤君の普通の敷居はだいぶ低い設定なのだ。
 何だかしょんぼりした感じで肩を落としてしまったのを見て、ちょっとやり過ぎたかと有坂は思った。
「あの…」
「無理だったらやめようか」
 急にそんな事を言われた。
「こういう事だけじゃなくて、俺、色々変だから、一緒に居るとしんどいだろ」
 何これ、エッチな本捨てただけで、もしかして別れ話にまで発展してるの?やめてー。
「嫌です。そんな訳わかんない理由で。
 先輩が変なのは最初から知ってるし、ああいうの見つけたら、今度からはなるべく見なかった事にしますから」
 武藤君本人の言っている「変」というのは、性格がおかしいとか奇行が目立つとか、そういう有坂が考えている変とは全然違うもっと深刻な事だったのだが、その理由が分かるのは、ずっと後々の話だ。

 その後、二人は何となく仲直りした。理由は聞かないでください。(たぶん、エロい方へ流れたせい)
 有坂は、相変わらず超能力でエログッズを発掘していたが、三回ぐらいまでは見なかった事にしているらしい。
 という訳で、エクストリームエロ本隠しは相変わらず開催されていた。
 武藤君の方も、一度ゴミに出された本やディスクを、ゴミ収集車が来る前に回収するという技を編み出していた。
 ディスク類は友人のAV大魔王山本が、無くなってもすぐに焼いてくれるのだが、本は中々新しいのを買う余裕がないから貴重なのだ。
 その日も有坂を家まで送った後で、早速資源ゴミ置き場へ直行した。
 もう遅い時間帯なのに、塾帰りなのか中学生くらいの集団が街灯の下にたむろっていた。
 この辺りは、悪い意味で古い町並みが残っている地区で、救急も消防もまともに入れない様な狭い路地が複雑に入り組み、治安もあまり良くなかった。
 住宅街なのに、昼間はともかく夜一人で歩くのはちょっと不安になる様な場所だ。
 もちろん、そんな場所の倒れそうなアパートに住んでいるのは、家賃がすごく安いからなのだが、いくら強くても有坂も若い娘なので、一人で帰らせるのも不安だから、いつも送って行く事にしているのだった。もうちょっと長く一緒に居たいのも理由だが。
 集団とはいえ子供がぷらぷらしているのはめずらしい。
 不良だったら、もっと繁華街に居るだろうし。
「おーい、お前ら早く帰れよ」
 一応声をかけると、五人くらいの集団は「わっ、やべぇ」とか叫んで逃げ去った。
 よく見ると、有坂がマンガ雑誌と一緒に几帳面に括った紐が解かれて、エロ成分の濃い部分だけが持ち去られている。
 うわぁやられた…と最初は思ったが、似た様な事をやっていた過去の記憶がよみがえったので、暖かく見送る事にした。
「少年達よ、団地妻Vsエイリアン地球最後の性戦は君らに託す」
 何、聖闘士星矢の射手座の人みたいな感じで、バカがバカな事言ってるんだか。

 以前からポスターや立て看板を見ていたのに、その日登校するまで学祭だという事に気が付かなかった。
 学祭だからと云って、院生にはあんまり関係ないのだが、学校中がざわざわしていると多少は気になる。
 それに、ゼミの後輩から食券をもらっていた。カレーとおでんがただで食える。
「武藤君、武藤君」
 共同研究者の篠原が、布団から出て来た。
 徒歩十分以内の所に実家があるのに、こいつは何で研究室に布団を敷いて寝ているんだろう…と、時々思う。
 自分も、シュラフを持ち込んではいるが、布団はないわ、布団は。
「剣道部だったよね、君は」
「もう籍は置いてないからOBだけど、何」
「剣道部がメイド喫茶をやっている。行かない?」
「何ですとーぉ」
 初耳だった。というかまぁ、とっくに引退したので、学祭の出し物の事なんか考えもしなかった。
「メイド喫茶は漫研がやってるんじゃなかったのかよ」
 さすがに毎日通る場所に色々貼り出してあるので、そう云う事とか、微妙なお笑い芸人がライブに来る事とかは知っている。
「いや、漫研がやるのはコスプレ喫茶」
 篠原は漫研だったので、その辺は詳しい。
「剣道部って、割と可愛い娘居たよな」
「ああ、紹介して欲しいの?」
「そこまで高望みはしない。ちょっとお話が出来れば」
 理工学部の宇宙工学科は、意外と秀才が集まっているのだが、ただ優れているというより変な奴が多い。
 おそらく、親分の倉田教授が一番変な人なのが原因だ。
 篠原は、素材は悪くないのにオタク系で、しかも女の子は二次元ですらあんまり興味ない、それよりメカが好きという、まぁ、何と言うか変わり者だ。
 めずらしいなと思ったので、付き合う事にした。
「いいよ、食券もらったからカレー食いに行くつもりだったし、その後で良かったら」
 篠原は、特に食券はもらっていない。あまりにも貧乏が知れ渡っているので、後輩から物を貰えるというポジションを確保しているのは武藤君くらいなのだ。
「あと、フリマも先に回るけど」
 医学部とか、割と実家もお金持ち率の高い学生の居る学部からは、けっこういい物が安く出ている。そして、別にお金持ちでもないけど普通の学生も、不要品を売り払って欲しかった物を買おうと考えているので、意外な掘り出し物がある。
 今年の目標は冬用のフリースかセーターと、ジーンズかジャージのズボン。予算は三百円。
 もし、合うサイズの靴があったら五百円以内なら買い。
「フリマは僕も行くよ。毎年マニアックな本出してる奴が居るし」
 篠原は、パジャマを脱いで着替え始めた。
 研究室に布団を敷いて泊まり込む所まではまだ分かるが、パジャマまで持ち込んで着替える神経は分からない。
 しかも、着替えはきちんと洗濯された物を持ち込んでいるから、絶対家に帰っているはずなのに。
「篠原君は何か家に居辛い事とかあるの」
 気になっていたので聞くと、そんな訳無いだろうと云う風な、変な顔をされた。
 まぁ、人それぞれなので、追求しない事にした。

 フリマで、ジャージとセーターを合計二百五十円で買えた。
 ジャージは古そうだったし、セーターも毛玉が出来ていたが、確実に今着ているやつよりマシだ。
 これで冬も暖かく過ごせるし、今のジャージが破れてもどうにかなる。
 その後、篠原と二人でカレーとおでんをハシゴしてから、学祭の人混みの中をウワサのメイド喫茶に向かった。
 大体、毎年の剣道部の出し物はもうちょっと硬派な物だったはずだが、今年は誰が仕切って暴走したのだろう。
 まぁ、防具着用体験会とか、ただ単に臭くて重い物を身に付けるだけの、ほとんど嫌がらせみたいなイベントよりはマシだと思うが。
 何年か前に自分が関わった当時は、なぜか変なお化け屋敷で、竹刀をを持って半裸で客を追い回すという犯罪すれすれの役だった。
 どこがお化け屋敷なのか、当時セッティングした先輩に問い詰めたい。俺はデフォルトでお化けか。
 もちろん、当時の先輩はとっくに卒業して社会人になっている。
 学祭には来ないし、来ていても分からないかも知れない。
 それに比べたら、メイドカフェはまだまともだった。
 もしかしたら、有坂のメイド姿が見れるかも。

 …というのは、もちろん甘い考えだった。
「お帰りなさいませぇー、ご主人様ぁー」
 野太い嫌な声がした。
 メイドは全員、別に美しくない女装男子だった。何でこういう嫌がらせイベントに至ったのか、全く分からない。
「ご主人様の命令だ、帰れ」
 出会い頭で言い切った。篠原はもう、自主的に意識を無くしている。
「わぁ先輩、丁度良かったです。人手が足りなくて」
 拉致された。
「待てぇ、俺を巻き込むなぁ、そしてすね毛は剃れ」
「なるほど、さすが先輩」
 カミソリを渡された。
「ささ、一気にどうぞ」
 メイド服を着て、ご主人様の犬になるのは意外と快感…という、新しい世界の発見はともかく、剣道部は比率としては女子の方が多いはずだ。
「女どもは何やってんだよ」
「男装執事喫茶」
 嫌な返答が返って来た。
「意外と好評です」
 別に、何の違和感もなく執事の格好で女子にご奉仕している有坂の姿が想像出来た。
 確かにあれが男前なのは理解しているが、何だか微妙だ。
「こっちは好評じゃないみたいだけど」
「お客は割と入ってます」
 もちろん、怖い物見たさで。
「こんなサイズのメイド服、どこで見つけて来たんだよ…」
「分かりません。風間が手配したんで」
 普通の爽やかな青年だと思っていたのに、見事に暗黒部分を隠していた様子だ。
「犯人はお前か」
 風間に詰め寄ったが、メイド服で頭にもきっちりプリムまで付けてメイクされた姿で詰め寄っても、何の迫力もない。
 悪い意味で怖いが。
「靴だけそのままというのが、えぐいね」
 立ち直った篠原に突っ込まれた。
 他のメイドさん(男)は、遠目にはそれなりに見える黒っぽい靴を履いている。男物のメイド靴というのが存在しなかったのか予算オーバーだったのかは謎だ。
「僕は口直しに執事喫茶に行くけど」
 スーツを着て接客している有坂の姿を想像した。
 いい…それはすごくいい。出来ればそのまま家にお持ち帰りして、一時間ぐらいかけて脱がしたい。
「待て、俺も行く」
 欲望に弱いタイプなのだった。
「ダメです。指名入ってますよ」
 壁に貼られたメイドさん一覧の一番下に、今撮った写真が後付けされて、玲子ちゃん23才(自称17才)という自分も今初めて知った痛いプロフィールが書き込まれていた。誰の嫌がらせなの、これ。
「これ見て指名して来る変質者は、どこのどいつだー。ふん、別に呼んで欲しくなんかなかったんだから」
 気持ち悪いツンデレが完成。
 実は童顔なので、女装しても比較的耐えられる範囲内だったというだけだ。
 しかし、写真は顔しか写していない。
 やって来るのは当然、身長180センチちょっとで、体重74キロのごつい女装男だ。
 しかも、ミニスカメイド服。
「お待たせしましたーご主人様」
「チェンジ」
 速攻で言われた。
「お客さん、デリヘルじゃないんだからチェンジは出来ませんぜ」
 メイドカフェからぼったくりバーにジョブチェンジしている。
「一本一万からでどうよ」
「うわー、風俗ですらないヤバイ所へ向かってるー」
 同じくメイド服姿の後輩達に取り押さえられた。
 無理矢理メイドにさせられたのに、一瞬でクビになってしまった。

「メイドカフェは風俗じゃなかったのか」
 武藤玲司は腕組みした。
「学祭でそんな事やる訳ないだろう」
 先ず、風俗と売春は違うと言いたいが、疲れるのでやめた。というか、どこまで本気だったのか、怖くて聞けない。
 上手い事メイドをクビになったので篠原と二人で執事喫茶に向かった。
 確実にメイドカフェより客入りがいい。
 ただし、執事と言っても実際は若い女の子なので、どちらかというと間違ったホストクラブみたいになってしまっている。
「何か、普通に男のセバスチャンも居るのな」
 執事は全員セバスチャンだと思い込んでいる篠原が指さした先に、有坂が居た。
 全く何の違和感もない。
 周りには女子が集っていて、そのモテモテっぷりが伺えた。
 ああ、半分でいいからそのポジション譲って…。
「言いにくいけど、あれ俺の彼女」
「まぁ」
 なぜかオカマ言葉で驚かれてしまった所へ、更に周囲から追い打ちがかかった。
「ぎゃー、武藤先輩が出たー」
 妖怪扱いである。
 こちらを向いた有坂が、目を丸くした。
 それは、こんなマッチョメイドがぶらりと入って来たら、誰だって驚くが。
「どうしたんですか、それ」
 当然の事を聞いて来た。
「営業妨害ですか」
 横に居た執事さん(女)が、露骨に嫌そうに聞いた。
「折角着たから、見せに来たんだよ。写真撮ってくれ」
 後輩の女子(執事)にケータイを押し付けて、有坂の肩に手を回して既にピースサインをしている。どこまでバカだ。
「嫌ぁぁ、有坂先輩に触らないでー、変質者」
 久し振りに、世間からの忌憚のない意見を聞いて、さすがに武藤君もむっとしたらしい。
「何ぃ、本物の変質者がどんなに怖いか見せてやろうか、ほら、パンチラ」
 ミニスカメイド服の裾をがばっとめくった。
 履き古した微妙な柄のトランクスが丸見えになった。
 ダメージジーンズはファッションとして有りだが、ダメージパンツというのは完全にアウトだ。
 更に調子に乗って、パンツにまで手をかけた。
 そろそろ、人としてもアウトだ。
 阿鼻叫喚の地獄絵図が展開する直前に、さすが全員剣道部。棒的な物で寄ってたかって変質者を店外にたたき出す事に成功した。
 篠原は、犯罪に巻き込まれる前に、上手い事逃亡していた。

「お願いします、早く着替えてください」
 お店を抜け出して来た有坂は、本気で訴えた。
「えー、折角着たのに。あーすいませーん、ちょっと写真撮ってください」
 嫌がる通行人を呼び止めて、再びチャレンジしている。
 二人で気持ち悪いツーショット写真を撮影して満足したのか、じゃあ着替えてくるわと言った。
 ふと、ミニスカートから出た生足に目が行った。
 うわー、すね毛まで剃ってバカじゃなかろうかこの人。
 そんな事に今頃気が付く方もどうかしているが。
「足、つるつるですね」
 もう少しソフトな表現で言うと、よくぞ気が付いたと本人はご満悦だ。
「実は胸毛も剃っちゃった、よりリアリティーを出す為に」
「元々ないでしょうに」
「あるよ。ほら、この辺に十本ぐらい」
 胸の谷間というか、大胸筋の谷間を指さした。
 それは単なる体毛で胸毛とは言わないんじゃないかな…と思った。
「あと、脇毛の処理も完璧」
「どうしてそこまで思い切っちゃったんですか」
 絶対、後でアホみたいな笑顔で見せて来るに決まっている。しばらく先輩の部屋に行くのはやめよう。
 じゃあ私も戻りますねと有坂が言いかけた時、わらわらと現れた竹刀を持った集団に囲まれた。全員セバスチャン(女)。
 ちょっと出て来ると言ったまま有坂が戻らないので、様子を見に来た一人が、変質者につきまとわれている姿を目撃し、応援を呼んだのだった。
「やめてー、変態のくせに先輩を汚さないでー」
「人気者だなぁ、有坂」
 武藤君はのんきな事を言った。
「何他人事みたいな言い方してるんだ。しまいにゃ警察呼ぶぞ」
 小柄だが、明らかに強そうな女が前に出た。
 一人だけセバスチャンではなく普通の服装だ。
「設楽、何やってんの?卒論終わってないって言ってたくせに」
 西瀬戸大剣道部でおそらく最強の設楽加奈子は、竹刀を構えたままあれ…という顔をした。
 ハイブリットなので公式試合の経験はないが、とにかく強いので、応援に呼ばれたのだろう。
「先輩こそ何やってんですか。院生なのにこんなイベントに参加して」
「いや…人手が足りないって言われて」
 この人、絶対好きでこういう格好している…と設楽は思ったが、さすがに大学四年の成人女性。女子高生に毛が生えた様な一年と違って冷静だった。
「君ら一年は知らないと思うが、この人一応うちの部のOBだから。有坂は私が連れて帰るから、お店に戻って」
 設楽に仕切られた女の子達は、しぶしぶ帰って行った。
「全く…ああいうかっこいい先輩に憧れて入った様な奴は、どうせすぐやめるくせに」
 設楽は、ため息をついた。
 ハイブリットは遺伝子操作された人間なので、生まれつき身体能力が高い。そのせいで公式戦には出られないから、色々思う所はあるのだろう。
「いいじゃん、競技人口が増えれば」
 のんきな口調で言った武藤先輩に、設楽は詰め寄った。
「人前で局部を露出して何やってたんです。相変わらず芸風黒いですね」
「いいじゃん、学祭なんてお祭りだし。大体、まだ出してないし」
「せめて、打ち上げで酒が入ってからにしてください。そういう事は」
 大学では後輩とはいえ、溝呂木先生の道場では先輩で、競技歴も長いので、設楽は割とぞんざいな口を利く。
 ハイブリット相手に、互角以上の勝負をする様な奴は滅多にいないので、それでも一目置かれてはいるのだが。
「何だ、酒が入ったら出してもいいんだ」
「一生仕舞っとけ、バカが」
 とうとうタメ口だ。
「設楽先輩、あの…」
 有坂が、横から口を挟んだ。
「元々、私らが付き合ってるって言ってなかったのが原因ですから」
「えええ」
 設楽は本気で驚いた。ギャグマンガだったら、目玉がびろーんと飛び出るぐらいの衝撃。
「何だよ、言ってなかったのか。恥ずかしいの?」
 バカが何か寝言を言っている。
「いいえ、特に誰にも聞かれなかっただけです」
 友人関係には、ちゃんと話しているし。
「すごいね、君。こんなのと」
 色々どす黒い過去を知っている設楽は、感心した。
「考え直すなら、早い方がいいよ」

 西瀬戸大剣道部(主に一年の女子)のアイドル有坂カオルが、変質者と付き合っているという事実は、夢見がちな乙女(自称)には衝撃だったらしい。
 それだけで十人くらいやめたらしい。どんだけ人気者だ、君は。
 さすがにちょっと後ろめたくなった武藤玲司は、溝呂木先生の道場に顔を出した時に、それとなく聞いてみた。
 別に、やる気のない奴は辞めればいいんだと言われた。
 動機はともかく、続けたい奴は続いてるし。
「お前もそうだったろう」
 昔の事を言われると、何だか複雑な気分だ。
 元々剣道がやりたかった訳ではない。
 本当は、フルコンタクトの空手がやりたかったのだ。
 低重力コロニー出身で、精神疾患の治療の為に仕方なく地球に来た当初は、1Gで生活する為のリハビリで手一杯だった。
 やっと地球に慣れた頃、リハビリの為にも何かスポーツをする事を勧められた。
 推奨設定は、まだひ弱な骨格に負荷のかからない水泳だったが、どうしても格闘技がやりたいと言うと、剣道とフェンシングが候補に挙がった。
 防具も無しに素手で殴り合う様な格闘技は、論外だったのだ。
 今なら、どんな格闘技でも好きな様に出来ると思う。でも、剣道を辞めて、他の競技にシフトする気にはなれない。
「まぁ、そうなんですけど」
 溝呂木先生は、やる気はあっても特殊な事情のある競技者に理解が深い。
 明らかにハンデのある自分を、他の子供達と同じ様に扱ってくれたのは、今でもありがたいと思っている。
「お前ももう大人だから、あんまりうるさい事は言いたくないんだが」
 溝呂木先生は言った。
「有坂保は、私にとっては大切な恩師だ。あまり変な真似はしないでくれよ」
 地方都市の世間は狭い。
 子供の頃から武道に親しんでいた有坂の親が、溝呂木先生と知り合いなのは、当然だ。
「変というのは、どの程度までですか」
 一応、聞いておく事にした。
「どこまで変な事になってるんだ、お前は」
 逆に問い詰められてしまった。
「ええと、今の所学生らしい清いお付き合いです」
 このバカの言う清いは、まだ特殊なプレイはしていませんという意味だ。
 もちろん溝呂木先生はそんな事は知らない。
「そうか。それは良かった」
 全然良くないのだった。

 あっという間に年末が近付いていた。
「学祭がついこの間だったのになぁ」
 有坂と差し向かいで晩ご飯を食べながら、武藤玲司はつぶやいた。
「それは、学祭が十一月の下旬だったからじゃないですか」
 微妙に遅い時期に開催されている。ミニスカメイド服は寒かったなぁと回想した。
 真冬でも生足の女子高生って大変だな。
 ちゃぶ台代わりに使っているこたつテーブルの上には、この家にある唯一の鍋が乗っている。
 ラーメン用の片手鍋だが、中身は本物の鍋物だ。
 とは言っても、何か具の多い湯豆腐みたいなもんなのだが、普段自炊しない武藤君にとっては、温かい鍋物というのはご馳走の類だ。
 有坂の調理技術は、ここしばらくで急激に上達していた。
 すごい物を作っていたのは、単に実家暮らしなのであまり料理をした経験が無かったかららしい。
 最近は普通に食べられるものを作ってくれるし、たまにかなり美味しい物もある。
 ただ、お米を炊くのは無理だった。
 なぜなら、この家の炊飯器は兵式飯盒だから。
 兵式飯盒というのは、空豆みたいなシルエットをした、キャンプや林間学校で使われる…何と言うかまぁ、アウトドアでご飯を炊くアレの事だ。
 ワンゲルから貰って来た、百戦錬磨でぼろぼろになった飯盒は、炊飯器として、鍋として、蓋は食器として、大活躍アイテムだ。
 元々兵隊さんのアウトドア生活用なので、汎用性が高いのは当然だ。
 しかし、これでご飯を炊くには、少なくとも炊飯器ではなく鍋でご飯を炊く技術が要求される。
 そう言う訳で、ご飯を炊くのは武藤君の役割だった。
 一応ワンゲルにも籍を置いているし、キャンプと違ってガスレンジが使えるので、コツを覚えてしまうと意外と簡単なのだ。
 ひっくり返して蒸らしておいた飯盒から、最近百均で揃えた食器にご飯をよそって並べた。
 いい感じにお焦げが出来ていて、保温が出来ないという弱点を除けば炊飯器より美味しいくらいだ。
 冬場に温かい物を食べるのは幸せだなぁ…と思った。
 有坂には、買い物をしたら勝手にお金を持って行って、代わりにレシートを置いて行く様に頼んでいた。
 それで判明したが、自炊すると食費って超お得。
 最近は、コンビニ弁当を極力やめて、スーパーで半額になった総菜を中心にお米は自分で炊く生活だ。
 おかげで、就活に投資したせいでちょっと厳しかった生活が、通常の範囲内に戻った。
 おまけに、こうやって温かくて美味しい物も食べれてるし。
「鍋物って、温かくて美味しいねぇ」
 思った事をそのまま口に出すと、有坂はなぜか辛そうな顔をした。
 湯豆腐に白菜と豚肉を入れただけなのに、そこまで嬉しそうにするなんて、どういうかわいそうな人生を歩んで来たの、この人は。
 まぁ、これはこれで確かに美味しいけど。
 土日は塾のバイトが終わってからになるので、二人で鍋をつつき終わると、もう十時を回っていた。
「そろそろ帰らないといけないだろ。送ってくよ」
 帰りにめずらしく銭湯に行くつもりなのか、タオルと石鹸をディバッグに突っ込んでいる。
 最近寒いから、体育館のシャワーが辛くなったとかいう訳ではなく、どうやらコンビニのバイトに入る前日に銭湯に行くと決めてある様だ。
 まぁ接客業だし、食品も扱うので正しい判断だとは思うが、毎日風呂に入るという選択肢はないのかしらと思う。
 今は冬場だからまだいいけど、夏が来てもこんなだったらどうしよう…。
 段差もほとんどない狭い入り口で、武藤先輩はちゃっちゃと靴を履いている。
「今日は泊まる」
 最初から決めていたので言った。
「え?」
 溝呂木先生の話から、割と厳格な家庭だと思っていたので、聞き返した。
「そんな事していいの」
「いいですよ。子供じゃないんだから」
 もちろん、成人女性が外泊したからと言って、法的に何の問題もないのだが、最近帰りが遅いと父親に問い詰められて、実は付き合っている人が居ると言ったら、凄い勢いで怒られたのだ。親バカもいいかげんにして欲しいと思う。
 そんなけしからん奴はいっぺん連れて来い、足腰立たないようにしてやると言っていた。
「先輩は、ケンカも強いですよね」
 一応聞いた。
「えー、竹刀持ってなかったら弱いに決まってるじゃん」
 がっかりな事実を聞かされた。
「それより、泊まるんだったら銭湯行こ。十一時には閉まるから」
 急かされたので、慌てて後に続いた。

 泊まるつもりだったが、お風呂屋さんに行く予定は入っていなかったので、特に何の準備もしていなかった。
 歯ブラシと洗顔セットくらいは持っているが、シャンプーとかタオルは持っていない。
 シャンプーは、どこで貰ったとも知れない、怪しい試供品を「これ使いな」と言って渡してくれたが、小さなボトルの底に溜まった液体がゲル状になっている。おまけに、気を利かしたつもりで出してくれたタオルは、いつ洗濯したとも分からない代物…というより、確実にだいぶ前に自分が洗濯して以来、全く洗っていない物だった。
 大体、この家にはバスタオルって無いの?
 色々諦めながら銭湯に行くと、入り組んだ路地の中にある古そうな風呂屋は、思いの外人が入っていた。
 温泉はたまに行くが、こういう下町の銭湯は初めてだ。
 温泉に比べれば安いが、思っていた程料金が違う訳でも無くて、毎日入らない理由は何となく分かった。
 ただ、貸しタオル十円とか、昭和の時代を引きずったままの信じられない料金設定が表示されていたので、迷わず借りる事にした。
 カランも温泉施設では見ない様な古いタイプで、見事な刺青が入った姐さんとか、子供連れのお水系の姉さんとか、普段接点のない様な人達が、お年寄りに混じってやって来ている。
 お姉ちゃんいい体してるねぇ…とか、普通自衛隊にでも勧誘される男が言われるような声をかけられて、良く分からない人と少し世間話をしたり、テンションの高い幼児に懐かれたりしながら風呂を上がり、せっかくだから腰に手を当てて牛乳を一気飲みというイベントをこなして外に出ると、武藤先輩が居なかった。
 待ちくたびれて先に帰ったのかも知れないと思ってケータイに電話したが、出ない。
 しばらく待っていると、番台のおっちゃんが声をかけて来た。
「お姉ちゃん、連れの兄ちゃんはまだ出て来てないから、中で待ってな。冷えるだろ」
 まさか、自分が先にあがるという選択肢は予想していなかったので驚いたが、お言葉に甘えて脱衣所で古そうな雑誌を読みながら待つ事にした。

 武藤玲司が風呂を上がると、番台のおっちゃんが声をかけて来た。
「兄ちゃん兄ちゃん」
 手招きをしている。
「何ですか」
 風呂上がりに鏡の前で、奇妙な変身ポーズの練習をしていた所を中断されて、不審に思いながら番台へ近付いた。
 変身ポーズは、戦隊物の練習と、後は魔界で変身した時の決めポーズの二種類で、明らかに魔界でのやつは何の必要もない。更に言うと、全裸である必要は全く無いのだ。
「連れのお姉ちゃんが寒がってるから、早く上がりな」
 女は長風呂という固定観念があったので、ちょっと驚いた。
 脱衣所の古い木製のロッカーを開けると、ケータイに何度か着信が入っていた。
「悪い、今すぐ出るから」
 さすがに、今すぐと言ってから暖簾をくぐるまでの間は、一分も無い。
 有坂は、少し不機嫌な顔をして待っていた。
「意外と長風呂なんですね」
「念入りに洗ってたからなぁ」
 全然悪びれないで、笑顔で言った。
「これで一週間大丈夫」
 大丈夫な訳あるか、このバカが。口に出しそうになったセリフを飲み込んだ。
「寒いから早く帰ろう」
 しっかりと手を握られた。
 あまり人前でそういう事はしない方だと思っていたので驚いた。
 いつになくいい雰囲気だ。
 この際だからちょっと甘えてみようかと思った有坂は、先輩の肩にもたれかかろうとしてバランスを崩した。
 掴んだ腕をぐいと引っ張られたのだ。
「何やってんだ。走るぞ」
 何でですかー。
「は?走るんですか」
 歩いても十分かからないのに。
「走った方があっかいだろ。それに、時間短縮、体力増強と、いい事だらけだ」
 そう言えばこの人、割といつも走ってるなと思い出した。
「分かりました、競争ですね」
 有坂は身構えた。
「手加減しないぞ」
 武藤君もディバッグのストラップを締め直して、本気の構えになった。
 バカ二人は、そのまま路地の向こうにすごいスピードで走り去った。
 番台のおっちゃんは、身を乗り出して二人を観察していたが、ため息をついた。
 今時珍しい昭和の四畳半フォークみたいなカップルだと思って、ノスタルジーに浸っていたのに、何だこの体育会系は。
「ダメだあいつら」
 おっちゃんは、しんみりつぶやいた。

「クリスマスはどうします」
 有坂が思いきって聞いたのは、街中がうかれた雰囲気になって来た十二月下旬だった。
「どうって?」
 自分で作って来たらしい、タッパにごはんとスーパーで買った総菜(タイムセールで半額)を詰め込んだ弁当をむさぼり食いながら、武藤玲司は聞き返した。弁当のメインテーマは満腹感最優先。
 この人は、一人で学食にやって来て、無料のお茶をもらった上にタッパに入った弁当なんか食べて、どうして心が折れないのかしら…と、有坂は考えた。
 実は、さみしいと死んじゃうので、今日は無人の研究室で昼ご飯を食べるのが耐えられなかっただけだ。
 心が折れるポイントは、人それぞれなのだった。
「別にどうもしないけど」
 ちょっと考え込んでから、答えた。
「クリスマスはサンタ」
「はい?」
「バイトで」
 ああなるほどと思った。
 先日ご飯作ろうかと思ってアパートに行くと、いつも生活費を入れてある菓子箱に、硬貨しか入っていなかった。
 これで年を越せるのかしらと不安になりながら、とりあえずその辺に転がっていたキャベツとタマネギで味噌汁だけ作って帰って来たのだ。
 その時点で、あんまり期待してはいなかったが、一応聞いてみた。
「じゃあ、それ終わったらケーキ持って行きますよ。何時くらいなら?」
「ああ、サンタ終わったらコンビニ。何か皆クリスマス前後にバイト入るの嫌がっててさ。何だろうねアレは」
 お前こそ何だとちょっとだけ思ったが、菓子箱に五百円玉二枚と百円玉七枚と、後は十五円しか入ってなかったのを思い出したので黙った。
「じゃあ、ケーキ置いときますから、食べてくださいね」
 ケーキと聞いて、武藤先輩の顔は、明らかに輝いた。
「ええっ、ケーキすっごい好き。でも高いだろ、いいの」
「母がパート先の付き合いで買わされて、若干余ってます」
 兄夫婦の所にも一台回したが、まだ二つ残る予定だ。
 親子三人の家庭で、しかも全員大人。二台はきびしい。喜んでくれて何よりだ。
 本当は二人で食べたかったけど。
 やったーケーキだと喜んでいるのを見ると、それでもまぁ良かったかなと思った。

 クリスマスイブなのに、色々あって大学で居残って調べ物をしていた。
 八時を回ってから、やっと帰り支度を始めた。
 同じゼミの松本も、似た様な状況で、椅子から立ち上がって伸びをした。
「冬休みでクリスマスイブなのに、何やってんだろうね、私ら」
 暖房を切られてしまったので巻いていた膝掛けを畳んで、ショルダーバッグに仕舞っている。
「あんたは彼氏居るのに…ていうか、あの変な彼氏は何やってんの」
「サンタ」
 イメージとしては、子供相手にマジでお菓子とか取り合ってそうだけど。
「くそう、こうなったらもう飲みに行こう。付き合って」
 イヤな時期に彼氏と別れてしまった松本は、飲む気満々だった。
「まぁいいけど」
 今から女二人で街へ出たって、ろくな事ないのにとは思ったが、このままお家に帰って冷蔵庫からケーキを取り出して一人で食べている姿を想像すると、何かがっかりだ。
 大人になってからは、家族でクリスマスを祝う習慣は無くなっていたし、今日は少し遅くなる予定だったので、両親とも先に夕食は済ませているだろう。
 繁華街に近付いた頃には、九時近くになっていた。
 裏通りの飲食店や飲み屋街はこれからだが、メインストリートのアーケード街は、もうシャッターが閉まっている。
 それでも、浮かれて飲み歩いている集団や、カップルの姿は多かった。
「おー、今帰りか。大変だな」
 いきなり、サンタに声をかけられた。
 見ると武藤先輩が、サンタのコスプレで近寄って来て、チラシを渡した。
 サンタと言ってもヒゲは付けて無くて衣装だけなのがゆるい感じだ。
 こんな繁華街でサンタをやっているとは思わなかった。
「先輩こそ、こんな時間までサンタって、寝る時間あるんですか」
 てっきり、サンタは昼間のバイトだと思っていたので聞いた。
 この後朝までコンビニのはずだが。
「サンタは夜だろ、夜」
 当たり前の様に言った。
「明後日は空いてるから、またメールするよ。じゃあ」
 松本にもチラシを渡して、交差点の方へ去って行った。
 二人は、渡されたチラシを眺めた。
 『おっぱいパブマシュマロキッチン。イブの夜にさみしいあなたに、ふわふわご奉仕。今なら三割引』とか、良く分からない文面が印刷されている。
「私らにこれを配る意味あるのか…」
 松本はつぶやいた。
 案の定、交差点の隅に居た同業で上司らしいサンタに「女に声かけてどうすんだ」と怒られている。
 何だかちょっと悲しくなった。
 ああ、私ってバカだ。先輩はああやって一生懸命働いてるのに、一緒に居られないとかワガママな事考えて。
 うなだれてしまった友人の背中を、松本は軽く叩いた。
「別に、あんたは悪くないよ。彼氏が苦労人だったってだけの話」
 松本は、肩をすくめた。
「私は逆に、あいつが世間知らずのお坊っちゃん過ぎて離れちゃったんだけどね」
 何があったのか知らないが、仁王立ちで拳を握りしめて宣言した。
「いずれ思い知らせてくれるわ、あのアホ坊ん」
 本当に、何があったのか怖くて聞けない。

 おっぱいパブマシュマロキッチン専属サンタが帰宅すると、ちゃぶ台代わりのこたつテーブルの上にケーキが置いてあった。
 直でコンビニのバイトに入ったので、もう明け方近い。
 ケーキの横には唐揚げが置いてあって『今度はちゃんと出来ました』というメモが添えてあった。
 一個つまむと、本当に普通に美味しい唐揚げだ。
 あったかい内に食べれたら良かったのになぁ…と思いながら、結局ごはんも無しで全部食ってしまった。

 大枚はたいて行った面接が全滅だったので、武藤玲司は真剣に落ち込んでいた。
 世間は正月でおめでたい状況だが、個人的には『滅びよ』とか、呪いの呪文を吐きたくなる気分だ。
 院生だとどうしても専門分野が限られるので、もうちょっと人気の高い本命企業の面接を前に、第二第三以降の会社で落ちたのはかなりショックだ。
 けっこう自信はあったし、外国の科学誌に投稿した論文は、それなりに評価してもらえている感じだったのに。
 正月明けに、久し振りに会った有坂は、私も行きたい所は全滅でしたと言った。
 有坂も来年四年なので、就活を始める時期は同じだった。
 行きたい所は全滅と言う事は、内定はもらっているという意味だ。
 それに有坂は、最初から卒業後に留学する事も視野に入れているので、ここで就職が決まらなくても、別の選択肢もある。
 高校生の頃から、宇宙船のエンジン開発関係での研究職を目指して進学して、ここまでどうにかがんばって来た武藤君としては、ものすごいショックだ。
 有坂が、特になぐさめたりしないのが唯一の救いだった。
 剣道の試合で負けた時もそうだが、こういう時に下手になぐさめられると、余計辛い。
 落ち込んでいるのに付き合ってくれるのは、悪いなとは思うが、自分ではどうしようもなくて、せっかく来てくれて晩ご飯も作ってくれたのに、背中を向けてだらだら横になってしまっていた。
「そういうの、先輩らしくないです」
「先輩言うなよ」
 つい、文句を言ってしまった。
 先輩とか言われたら、もっと毅然としてないといけない雰囲気じゃないか。
「あと、敬語もやめて」
 前から気になっていたが、言い出せなかったのだ。
 こんな機嫌悪くてキレてる時に言うのは、我ながら最低だと思うが、どうせ言おうと思ってたし。
「普通に名前で呼んでくれよ。そういうのダメなの?」
 文句を言うと、有坂はため息をついた。
 起き上がって振り返ると、有坂はきっちり正座してこちらを見ていた。
「じゃあ先輩も、私の事名字で呼び捨てにしないで、名前で呼んで」
 正面切って言われて、初めて自分も、有坂の事を体育会系の後輩扱いしていたのに気が付いた。どっちもどっちだ。
「分かった、カオルちゃん」
 口に出してから、何か照れる〜と思いつつ返事を待っていると、有坂はしばらく難しい顔をして考え込んでから、きっと顔を上げた。
「すいません、先輩の下の名前って、何でしたっけ」
「玲司だよ。何で憶えてないんだ、酷過ぎだろ、これ」
 さすがにちょっと泣きが入った。
 一見きっちりしているくせに、実は雑な性格が露見した。
 ウィンナーがクリーチャーになっていた理由も、実はこれ。

 とはいえ、苦労人だが変な所で常識を知らない武藤玲司の弱点を、有坂カオルはきっちり指摘してくれた。
「スーツはいいです。挨拶もまぁ出来てたと思います」
 面接時の反省点を指摘してくれと言われて、最初は何の事か分からなかったのだが、話を聞く内に思い当たった。
「髪型はそのまま?」
 言われた武藤玲司は、頭を押さえた。
「うーん、スーツ買ってお金無かったから、散髪はしてなかったけど」
 長髪という程は伸びてなかったので、そのままだった。
 元々剛毛なのに、石鹸で洗髪している上に、そのままほったらかしなので、時々スーパーサイヤ人みたいになっている。
 これで面接は、完全にアウトだ。
「次の面接前には、散髪に行ってください。それと、面接前には鏡見て」
「えー、鏡なら風呂屋で見てるけど、別に変な所は…」
「風呂で見てるのは筋肉だけだろうが、顔を見ろ、顔を」
 いつになくきっつい口調で罵られた。
 その後、生まれてこの方気にした事もなかった、寝癖を直す方法とか、清潔感のある髪型とかを、懇々と説教された。
 髪型を気にするのは、ちゃらちゃらした男だけだろうという意見は却下された。
「この際だから言うけど、玲司君は色々アウトだから」

 騙されたと思って身形に気を使ったその後の面接では、かなりいい感触だった。
 元々体育会系の苦学生で成績優秀という、面接ウケしそうな要素はあったのだが、見た目があまりに酷かったのだ。
 最も、本人が希望している宇宙船のエンジン開発部門という専門分野では、そういうタイプはかえって反感を買ったかも知れないが、何しろ大企業では、面接段階で微妙な人材を歓迎する風潮は無い。
 ゼミの倉田教授が勧めてくれた地元の企業は、仕事内容も本当に面白そうだったし、やりたい事も自由に出来そうだったが、この進路を志した頃から憧れていた菱田重工からの内定が決まったので、そっちは断る事にした。
 内定が決まると、倉田教授は普通に喜んでくれたが、何だか残念そうな口調で言った。
「君みたいな変な子は、大手より個性的な企業の方が上手く行くと思うんだがなぁ」
 宇宙開発と魔界は、実は深く関わっている。
 魔界に近いこの場所には、様々なベンチャー企業や専門職がひしめき合っている。
 確かに、そう言う所へ就職した方が、やりたい事は出来るだろう。
 しかし、最近は宇宙開発関係で後手に回っているとはいえ、菱田重工は子供の頃から憧れの企業だった。
 おまけに、宇宙開発以外でも、様々な分野に展開している大企業だ。
 もう、がっちがちに堅い就職先だ。
「すみません。菱田重工のエンジンって、子供の頃から憧れだったんで」
 信頼性が高くて、高性能で、メンテナンスが簡単で頑丈。
 昔の菱田重工のエンジンは、今でも宇宙では重宝されている。
 現状も見なさいと倉田教授には言われたが、そんな物は自分がどうにかしてやるくらいの勢いだった。
 色々大変な事はあったが、未来には無限の可能性があった。
 後で思い返すと。

 有坂カオルの両親に会ったのは、それからしばらくしてからだった。
 何と言うか、予想していた通りだった。
 一見厳格だが、実は単なる親バカの父親と、ぼんやりしている様に見えて、実はしっかり者の母親と。
 溝呂木先生の知り合いという接点が無ければ、会う前に追い返されていたかも知れない。
 有坂の兄ちゃんまで現れて、通常の人間ならかなり引く設定だったのだが、武藤玲司の神経はかなり鋼鉄だった。
 出された晩ご飯を、もりもり食っておかわりまでした。
「こんなおいしい物食ったの、本当に久し振り」
 嘘ではないが、絶対有坂母の懐へ入り込む為の作戦だ。
 さすが、芸風真っ黒の熟女キラー。
 まぁ不純な下心ががある訳でも無いのだが、有坂が居なかったらおかんが守備範囲内だというのは秘密。
 あまりにも悪びれないので、その後の交際は、何となく黙認の方向に向かった。

 桜の季節が近付いていた。
 もっと南の地域では開花宣言が出ている。
 アパートからすぐそこの公園にある桜も、もうすぐ咲き始めるだろう。
「春はいいねぇ」と言うと、有坂はそうですねとうなずいた。
「暖かいし、食い物が腐る程は暑くないし」
「そっちか…」
 特に風情のある話ではなかったので、微妙にがっかりだ。
「過ごしやすくていいよな」
 ああ、この人本気で言っているな…と思った。
 暖房はストーブすら無いし、こたつは単なるテーブルだし、布団はあるけど毛布も持ってない。
 冬場は服を着て寝るのがデフォルトだ。
「そうね、暖かいっていいね」
 同意した。
 今までもこうやって来たのだろう。
 でも別に、同情されたい訳でも、憐れまれたくなくて意地を張っている訳でも無い。
 この人はこれが普通なんだ。
「もうすぐ桜が咲くよ」
 有阪が言うと、武藤玲司は笑ってうなずいた。

2010.4/3up










後書き
 特に何でもない様な日常の話なんで、これといって後書きに書く様な事も無いんですが、普段の本編ではあまり書けない様な事もそこそこ書けて楽しかったです。
 読んでる方が楽しいかどうかは別として。番外編だし、まあいいか。

 尚、他人の所有するエロ本を勝手に捨てるのも、無修正のエロ本を所有するのも、どちらも犯罪です。
 絶対真似しない様に。

最後に、三匹ぐらいが斬る!! 0.5 back

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