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続・大体三匹ぐらいが斬る!! back next

登場人物

武藤玲司(鯖丸) 貧乏な大学生。失恋以来、女関係の暴走がより悪化中の悪魔超人。魔法使いとしても、だいぶ人間離れして来た。将来が微妙に不安。卒論の〆切も不安。

ジョナサン・T・ウィンチェスター(ジョン太) 元宇宙軍特殊部隊所属。戦闘用ハイブリットの先祖返りタイプ。素で強い上に魔力も高い、設定が反則なおっちゃん。

如月トリコ(トリコ) ビーストマスターの二つ名を持つ腕利きの魔女。外界ではロリ、魔界では巨乳のエロ系姐さんだが、基本的な立ち位置はおかん。

ルイス・アレン・バーナード(フリッツ) 先祖返りではなく、本物の戦闘用ハイブリット。一応、宇宙軍の所属だが、集団行動が出来ないので、半端仕事を任される事が多い。ツンデレ。

ケビン・マクレー(バット) 国連宇宙軍の少佐。昔、ジョン太の部下だった。U08の事故原因を調査している。

ボス 魔界で、違法や、それに近い仕事を生業にしている魔法使い集団のリーダー。

ヤン・コーウェン ハーマン社のエージェント。U08で起こった事故の処理を担当している。

メアリー・イーストウッド U08で行方不明になっていた少女。ヤン・コーウェンの孫。

ケント U08から避難して来た少年。メアリーの友人。

ワーニャ・コズレイフ ハンマーヘッドの整備士。

続・大体三匹ぐらいが斬る!!

3.トリコとフリッツ(前編)

 隔壁の向こうから、時折振動が伝わって来た。
 プラントが、こちらへ進入する経路を捜しているのだろう。
 怪我の回復が終わった皆は、一時休憩していた。
 単なるカロリー補給の為の食事を、水で流し込んで、どうにか少しでも体を休めようとしている。
 ジャッキーとオッドマンは、破損した宇宙服を、入念にテープで補修していた。
 自分達も、重装服を装備していなければ、宇宙服ごと植物と昆虫に切り裂かれていたかも知れない。
「お前ら、何でそんなに軽装なんだ」
 重装服のマニピュレーターから利き腕だけ引き抜いて、銃を構えたまま、ジョン太は聞いた。
 もう一丁は、左肩の辺りに浮かせて、待機させてある。
 先程まで、両手の先に浮かせた銃を、空中で自在に操っている姿を見ているので、ボスはもう、人質を取って形勢を逆転させるのは、諦めたらしかった。
 軍人三人だけなら何とかなるが、こいつとランクSの女を敵に回すのは、まずい。
 少なくとも、プラントから脱出するまでは、行動を共にしなければ、生きて帰れそうも無かった。
「長居する予定は無かったからな」
 ボスは答えた。
「こいつらが…」
 と、マクレーを指差した。
「うろうろしてるから、管制室に入れなくて、人質を取るはめになったんだ」
「それまでは、人質じゃなかったのか」
 ジョン太はたずねた。
「別に、ほとんど口も利かないし、大人しいガキだ。放っておいたさ」
 保護しようとか、連れて帰ろうとか思わなかったのは、人としてどうかと思うが、おかげで無事だったのだ。
 マクレー達が早々に掴まったのも、この際良かったかも知れない。
 行動が自由な状態でメアリーと接触していれば、絶対に「君を無事に保護して連れて帰る」くらいの事は言ったはずだ。
 メアリーは、子供用の宇宙服を着せられて、ボスの側に居た。
 無表情で、渡されたカロリーブロックを、黙々と食べている。
「ほら、水も飲みな。窒息するぞ」
 ジョン太は、左手でストローの付いた水のパックを渡した。
「わんわん」
 メアリーは、ジョン太を指差した。
「はい?」
「わんわんの方がいい」
 聞いていたマクレーとボスが、小刻みに震えて、笑いをこらえている。
「元に戻ってあげたらどうです。犬好きみたいだし」
「別に、意味もなくこの姿になってる訳じゃないんだが」
 生身の戦闘力より、魔力優先で行こうと思って、変身しているのだが。
 ジョン太は、ちょっと困った顔をした。
 そんな情けない表情をしていても、同性の自分から見てもかっこいい…と、マクレーは思った。
 先刻捕まえていた時は、セクハラ男呼ばわりしていたバニーが、熱っぽい目で見ている。
 自覚症状のない男前は、おっさんくさい動作で、耳の後ろをぼりぼり掻いた。
 外装プラグを付けた周囲の皮膚が赤くなっている。
 相変わらずお肌が弱いらしい。
「君は、おじいちゃんやお友達の所に、帰りたくないのかい」
 ジョン太は、水を飲み始めた少女に、たずねた。
 メアリーは、ひとしきり水を飲んでから、顔を上げた。
「わたしのお家は、ここ」
 それきり、もう、口を利かなかった。

「乗るなぁ!!」
 空中をぶっ飛びながら、鯖丸は叫んだ。
 背中には、フリッツが跨っている。
 足でがっちり挟まれている上に、重装服のハーネスを連結しているので、どんなに乱暴に飛んでも、振り落とせそうになかった。
「この方が、二人とも両手を使える」
 フリッツは冷静に言った。
「俺を乗り物に使うなって言ってんだよ」
「もっと速く飛べないのか」
 鯖丸の文句は無視して、追いすがる植物を切り払いながら、フリッツは言った。
「出来るよ、それくらい」
 一気に加速した。
 相変わらず負けず嫌いなのが災いして、いい様に乗り回されている。
「俺の安全は気にするな。全速力で飛べ」
「くそっ、どうなっても知らないぞ」
 限界まで、スピードを上げた。
「本当に、こっちでいいの」
 フリッツの指示通りに飛びながら鯖丸はたずねた。
「匂いが残っている。次、左」
 粉砕された植物と、虫の死骸が、周囲に漂い始めた。
 魔法を使った後の、独特の気配が残っている。
 これは、トリコの魔獣だ。
 それから、ジョン太が、自分以外の空気操作系能力者と、コンビネーションで焼き払ったらしい、巨木の様に成長した草の間を飛び抜けた。
 乱暴に狭い隙間を飛んでいるのに、フリッツは器用に避けていた。
「かなり襲われてるな。無事だと…」
 フリッツはつぶやいた。
 ぱしっと頬に何かが当たった。
 鯖丸は、顔を上げた。
 マニピュレーターで拭うと、白っぽい外装に、耐真空、耐高低温ラテックスで黒く滑り止めパターンを描かれた指先に、赤黒い液体が付着した。
「血…」
 目の前に上げた腕の外装に、同じ色をした無数の点が付いていた。
 見る間に、風圧で後ろに流され、赤く筋を引く。
 マニピュレーターのはずなのに、指先が震えていた。
「それくらいで狼狽えるな。死人は出てない」
 フリッツは、重装服の肩の装甲を軽く叩いた。振動が伝わる。
 腕も立つし、それなりの修羅場もくぐって来ている様子だったので、こんな事で動揺するとは思っていなかった。
 やっぱりこいつは、素人のガキだ。
 ある意味安心した。
 まともな感覚だ。自分とは違う。
「急ぐ」
 鯖丸は、更に無茶な加速をかけた。
 真空中での使用を想定した重装服は、空気抵抗が考慮されていない…というかもそもそも大気中を飛ぶ状況自体、想定されていない。
 ぶれる機体を、ぎりぎりの所でバランスを取って、空気の流れに乗せた。
「あれだ」
 フリッツが、前方を指した。
 何がどうなっているのか、分からなかった。
 破壊されたプラントの残骸が漂う向こうに、植物がめちゃくちゃに押し寄せていた。
 周囲からも、どんどん折り重なりながら、何かをこじ開けようとしている。
 鯖丸は、ブレーキをかけた。
 空気の壁を何層にも張り巡らし、それでもまだ止まれずに、床に激突して跳ね返った。
 フリッツが空中で姿勢を立て直し、先に着地して受け止めた。
 二人は、何度かバウンドして、やっと止まった。
「おい、大丈夫か」
 フリッツは、接続していたハーネスを外した。
 鯖丸は、まるで重力がある様に、普通に立ち上がった。
 重装服の胸のパネルを前傾させ、マニピュレーターから引き抜いた両手で、刀を握った。
「トリコ、障壁!!」
 植物に取り込まれかけている壁に向かって叫んだ。
「粉砕する。後ろに下がれ」
 四本の角が生えた、鬼の姿に変わっていた。
 魔力を、どんどん刀身に溜めている。
「聞こえてない。あれは防災用の隔壁だ。ここからの音声は…」
「聞こえるさ、リンクしてるんだから」
 トリコともリンクしてたのか。予想はしていたが、どういう三角関係だ、こいつら。
 植物の群れは、こちらにも伸びて来た。
 しかし、大半は隔壁をこじ開ける為に、壁に群がっている。
 襲って来た蔓は、フリッツが切り払った。
 限界まで魔力を溜めた刀が、振り下ろされた。
 轟音と振動が、辺りをなぎ払い、飛び散る破片と残骸で、視界が一瞬で塞がれた。
 フリッツは、破片から鯖丸を守ろうと前面に飛び出し、姿勢を低くさせようとしたが、床に立っている鯖丸は、根が生えた様に動かなかった。
 触った瞬間に、自分も床方向に引っ張られた。
 重力だ。
 1Gには満たないが、確かに重力が働いていた。
 破片が当たらない。
 周囲に張られた障壁が、破片の激突を防いでいた。
 隔壁があった場所にも、同じ様な障壁が展開されていた。
 こちらに張ってある物よりも、格段に大きい。
 隔壁も壁も天井も無くなった空間に、球形に展開したそれが、皆を守っているのが、破片の渦巻く向こうに、ちらりと見えた。
 鯖丸は、腕を突き出して、振り払った。
 空気の流れが、浮遊している破片と植物の残骸を、背後に吹き飛ばした。
 ふいに、体が再び軽くなった。
「あー、ちょっとがんばり過ぎた。後お願い」
 皆が無事な姿を確認すると、鯖丸はそう言って、だらりと宙に浮かんだ。

「お前は、何でもごり押しし過ぎだ」
 普段の自分は棚に上げて、トリコは鯖丸を怒っていた。
「だって、そろそろこじ開けられそうで、危なかったじゃん」
 渡されたカロリーブロックと、重装服に内蔵されたゲル状の食料と水を補給しながら、鯖丸は上目遣いで言い返した。
 倒れそうになっていたのは、単なる燃料切れだったらしい。
 ボス達に捕まって以来、飲まず食わずでサーバに潜ったり暴れ回ったりしていたのだ。
 食い意地が張っているくせに、集中すると忘れるらしい。
 周囲のプラントが一掃されたので、皆は外へ向かって進んでいた。
 今の所、楽に排除出来る程度の相手が、まばらに出て来るだけなので、前進は楽だった。
 このエリアを過ぎたら、再び襲われる可能性はあるが、出口は近い。
「俺のペースで引っ張り回したのは、悪かったな」
 フリッツが、らしくない事を言い始めた。
「強いから、普通の人間なのを忘れていた」
「ちょっと飲み食いする暇くらいあったのに、忘れてた俺も悪いよ」
 鯖丸も、変に素直な事を言っている。
「お前ら、いつお友達になったんだ」
 ジョン太は、怪訝な顔で聞いた。
「そう言う訳じゃないんだけど」
「それより、こいつは誰だ」
 まだ普通の人間バージョンになったままのジョン太を、フリッツは指差した。
「ジョン太」
「ええっ」
「面倒だから、説明はしない」
 鯖丸は、黙々と味気ない食事を飲み込み始めた。
 ボス達は、完全に大人しくなって、指示に従っていた。
 鯖丸の人間離れした破壊力を見せられたら、当然だろう。
 爆発の衝撃にも耐えられる様な隔壁を、プラントごと粉砕する様な奴と、その衝撃から皆を守っておいて、涼しい顔で説教している様な女相手にやり合える人材は、自分のチームには居ない。
 幸い、コロニーを魔界に落とす仕事はやり遂げている。後は外界での交渉に持ち込むしか無さそうだった。
 ダークな仕事なので、その辺は慣れている。
 脱出まで行動を共にする事に決めてしまったので、ボス達のチームは皆、協力的だった。
 ヒゲ男のサーティーズが、マクレーの部下二人に、回復魔法をかけている。
 二人は、ボス達の破損した軽装宇宙服の修理を手伝っていた。
 こいつらどうせ、司法取引を持ちかけて、釈放されるんだろうな…と、ジョン太は考えた。
 ありがちだ。
 人質を取って、自分達を拘束した事を除けば、廃棄されたコロニーのエンジンに点火したくらいで、大した犯罪じゃない。
 証拠品のコロニーも、ハンマーヘッドに戻る頃には、穴の向こう側だ。
 頑なな顔をしたまま、ボスにしがみついているメアリーを見た。
 他の誰でもなく、ボスにこんなに懐いている理由は、分からなかった。
 でも多分、悪い奴ではないんだろうな…と、思った。
 全然、いい人ではないが。

 次のエリアに残ったプラントは、鯖丸とトリコが、あっさり片付けてしまった。
 トリコが皆の防御とサポートを受け持って、鯖丸がどんどんぶっ壊して行くパターンで、既に魔界の大量破壊兵器状態だ。
 俺も、魔法使いとしてはけっこう強い方なんだが…と、ジョン太は規格外の二人を見ながら思った。
 精密な攻撃が必要な場面なら、負ける気はしないが、超大型土木作業機械の様に、全てをなぎ払って行く二人にはかなわない。
 こんな人外になっちゃって、本当に普通の会社員とかになるつもりなのか、こいつ。
 ため息をついている横に、フリッツが並んだ。
「いいコンビネーションだな」
 鯖丸とトリコを見て、言った。
「お前と彼女は、リンクしていないのか」
「そこまで状況をややこしくしたくないし」
 以前、リンクを張ろうとして、一度だけトリコと寝たのは、黙っておく事にした。
 たぶん今なら、トリコともリンク出来ると思うが、もういい。
 こんなめんどくさい事、鯖丸一人で充分だ。
 複数の人間とリンクすると、精神的にかなりの負荷がかかる。
 色んな奴とリンクしまくって、平気なトリコがおかしいのだ。
「お前がリンクしてもらえば?」
 冗談半分で言った。
「それは無理だな。外装プラグでは、リンクは張れない」
 フリッツは、真面目な顔で言った。
 他にも方法があると思うけど…。
「それに、今後行動を共にする予定のない相手と、リンクしても仕方ないだろう」
 そうかも知れないが、堅いぞ軍曹。
「二人とも、ちょっと手伝えよ」
 鯖丸が振り返って文句を言った。
「いいじゃねーか、あとちょっとで外だ。もう、お前ら二人で片付けちまえよ」
 ジョン太は、無責任に言い切った。

 コロニーの破損箇所を塞いだ壁が見えて来た。
 入って来た時よりも、更に分厚く大きくなっている。
 これが何で出来ているのか、改めて見て、分かった。
 魔導変化した植物だ。
 破損した壁を塞ぎ、生存可能な環境を維持して、メアリーを守っていたのだ。
 それとも、メアリーが、自分のお家を守っていたのだろうか…。
「壁を壊す。準備してくれ」
 ジョン太は、皆に合図を送った。
 全員、きちんと宇宙服を着用し、壁に体を固定して、耐衝撃姿勢を取っている。
「ついでだから、俺やろうか」
 鯖丸が聞いた。
「いいよ、お前の魔法は、ちびちび物を壊すには、向いてない」
 皆に、ヘルメットを閉じて、各自安全を確保しろと伝えてから、ジョン太は自分も頭部のシールドを閉じた。
 もう、外界に出るまでは、音声通話は出来ない。
 床にハーネスから伸ばしたロープを固定したジョン太は、植物で出来た巨大な壁の前に立った。
 シールドの向こうにちらりと見えた顔は、普段通りに戻っていた。
 大きな魔法を使うつもりは無さそうだ。
 銃も、両足に付いたポケットに仕舞い込んでしまっている。
 そのまま、手を上げて、指を曲げた。
 壁が、少しずつめくれ始めている。
 小さな穴がいくつも開いて、大気が吹き出して行くのが分かった。
 穴の数を増やしながら、少しずつガス抜きする様に、時間をかけて空気を抜いて行ったジョン太は、最後に壁に手を当て、軽く押した。
 壁に、人が通れるくらいの穴が開いた。
 残った空気が一気に抜け、向こう側には、入って来た時と同じ破損した外壁と、その内側に停まっているシャトルと、外壁にの外に広がる、宇宙空間が見えた。
 入って来た時と、何一つ変わっていない。
 外界との境界が無くなっている以外は。
 コロニーが移動した分、境界が外壁の向こう側へ移動したのだ。
 こういう場合、軍隊ではきちんと通信方法が決まっているらしく、マクレーの部下二人と、フリッツも交えて、手話の様な動作で相談を始めた。
 どちらのシャトルに誰を乗せるか決めていたらしく、皆を壁の外へ呼んで、背中を押して二つのグループに分け始めた。
 ボス達は、今の所素直に従っていた。
 メアリーは、ボスから離れなかったので、一緒に乗せられる事になった。
 ジョン太が、行くぞという風に、腕を振って合図した。
 皆はシャトルへ移動を始めたが、メアリーは動かなかった。
 じっと、宇宙服のシールド越しに、穴の開けられた壁の向こうを見ている。
 穴は、ごくゆっくりと、塞がりつつあった。
 ボスが、メアリーのシールドを、横から軽く叩いた。
 顔を上げた少女の前に、手を差し出した。
 メアリーは、ボスの手を握って、皆の後に続いた。

 シャトルの操縦は、鯖丸に任された。
 本当なら、フリッツか、少なくともジョン太がやるべきなのだが、さすがに裏家業の魔法使いを四人も乗せていては、外界で戦闘力の高い二人が、見張りに回らざるを得ない。
 戦闘用ハイブリット二人に睨まれていては、ボス達も変な気を起こす余裕は無さそうだった。
 後ろからは、マクレー達が乗って来た軍用機が続いている。
 向こうは職業軍人だし、外界に出てしまった魔法使い相手に、後れを取る様な事も無いだろう。
 やっと重装宇宙服を脱いだトリコは、満足そうに手足を伸ばして、水で戻すオレンジジュースを飲んでいた。
 いつもの事だが、すっかり小さくなってしまったトリコを見て、ボス達が驚いている。
 もう、いつものパターンなので、トリコ本人は、気にするのを止めた様子だった。
 普通に、シートの下から菓子とか出して食べ始めた。
 いつ持ち込んだんだ、それ。
「食いかすが飛ぶから、クッキーは止めろ」
 ジョン太は、目の前に漂って来た粉を、振り払った。
「吸い込んどけ、うまいぞ、これ」
「俺にもくれよ」
 シャトルの操縦から手が離せない鯖丸は、情けない声を出した。
「いいよ、これ渡してやって」
 前の席に座っているバニーに、クッキーを押しつけた。
 日本語は分からないが、大体の意図を理解したバニーは、手を伸ばして鯖丸の口にクッキーをねじ込んだ。
「あ…今分かった。こいつ、ビーストマスターだ」
 トリコを振り返って、バニーは言った。
「道理で、強いと思った」
 ジャッキーは、ため息をついた。
「運が悪かったよな、こんな奴が敵方に付いてるんじゃ」
「トリコって、有名なんだ」
 クッキーをぼりぼり食いながら、鯖丸は聞いた。
 お前も最近はそこそこ有名なんだけどなぁ…とジョン太は思ったが、言わない事にした。
「食べるか」
 トリコは、ボスの膝に乗っているメアリーに、クッキーを差し出した。
 変な植物に擬態して現れたので、ちょっと怖がられているのは分かっていたが、姐さん人情家だし、子供好きだ。
 体格が縮んでしまったせいで、別人だと思っているのか、特に怖い人ではないと分かったのか、メアリーはクッキーを受け取って食べ始めた。
「おいしい」
 半年もの間、調理されていないプラントの植物と、備蓄されていた非常食しか食べていなかったメアリーは、少し表情を緩めた。
「そうか。良かったな」
 翻訳機のモニターを確認してから、トリコは言った。
 こちらの言葉は通じていないはずだが、メアリーはうなずいた。

 ハンマーヘッドに戻ってからも、事態はけっこうややこしかった。
 マクレーが、コーウェンと共闘していたのは、コーウェンが起こした内部告発が起因だというのも分かった。
 事故の原因は、もっと上の方の、複雑な事情が関わっていて、全面的に人為的な事故ではないが、偶然を利用した、悪質な人的災害だという事は、徐々に明らかになって行く様子だった。

 メアリー・イーストウッドは、低重力エリアで、ぼんやりと座っていた。
 無重力で半年も過ごしてしまったので、まだ、高重力エリアには入れない。
 クラスメイトや先生が、頻繁に会いに来てくれた。
 鬱陶しいのと、嬉しいのが、半々になって、どう反応していいのか、自分でも分からない。
 今日は、ヤン・コーウェンが会いに来ていた。
 メアリーは、この祖父が好きだった。
 優しくて、多趣味で、面白い話を沢山してくれる。
 背後に、厳めしい顔の男が、二人居た。
 なぜ、そんな人達が付いて来る必要があるのか、メアリーはもう知っていた。
「メアリー」
 コーウェンは言った。
「済まない、私は…」
 メアリーは、顔を上げた。
 大好きだったおじいちゃんを、真っ直ぐ見て、言った。
「おじいちゃん」
「うん」
「どうして、パパとママを、殺したの」
 ヤン・コーウェンは、その場にくずおれた。
 背後に付いて来ていた二人の男が、コーウェンの腕を両脇から掴んで立たせた。
「違うんだ、こんな事になるはずじゃ無かったんだ」
 コーウェンは、その場に泣き崩れた。

 高重力エリアのトレーニング室には、ケントが一人で居た。
 まだきついウェイトを付けてトレーニングをしている様子だ。
「背が伸びなくなるぞ」
 鯖丸は注意した。
「いいんだ。もう充分伸びてるから」
 確かに、低い重力で育ったせいか、同年代で同じ人種の子供より、背は高い。自分もそうだった。
「学校はどうしたんだ」
「休校」
 U08事故の顛末は、ハンマーヘッド内でも、大変な騒ぎを引き起こしていた。
 企業共同出資コロニーで、U08を所有していたハーマン社とは無関係な企業もあるのだが、大半は関連企業だ。
 学校が休みになるくらいの大事件だ。
 ケントは、地球でもフィットネスクラブやスポーツジムによくある様な、上半身と下半身に同時に負荷をかけられるマシンに移った。
 小柄な女性でも使える様になっているので、ケントくらいの子供なら利用出来る。
 子供が筋トレなんかするのは、あまり推奨されていないが。
 鯖丸は、隣にある同タイプのマシンに座って、徐々に負荷を上げて行った。
 無重力で弛んでいた筋肉が、心持ち悲鳴を上げている。
「うわ、やべぇ。これ、地球に戻ったら、絶対しんどい」
 後でトリコも無理矢理連れて来なければ…。ここへ来てから、ろくに体を動かしていないはずだ。
 一段落付くまで体を動かして、水を飲みながら、まだがんばっているケントを見た。
 ばてて動けなくなるまで、やるつもりだろうか。
「おおい、そんな飛ばさない方がいいぞ。ちゃんと目標を作ってやらないと。医者に相談して、スケジュール組んでもらえよ」
 ケントは、無言でマシンを降りた。
「クールダウンもちゃんとしないと…」
 床に倒れ込んでいるケントを、ひょいと持ち上げて立たせた。
「メアリーに会った」
 呼吸が整ってから、ケントは言った。
 それはまぁ、友達なんだから会いに行くだろうなぁ…と思った。
 会えるのを楽しみにしていたはずだ。
「どんなひどい事されたんだよ。メアリーはあんな子じゃなかったのに」
 元々ああいう性格なのかと思っていた。
 何て無神経だったんだ、俺。
 半年もあんな所に一人で居て、まともな状態でいられる訳がないのに。
「誰に何されたんだ。教えてよ。そいつ、絶対許さない」
 俯いて、拳を握りしめている。
 まさか、捕まっているボス達とか、コーウェンを、ぶん殴るつもりだったのか、この子。
 見た目は大人しそうなのに、けっこう激しい性格だな、こいつ。
「何もしなかったんだよ」
 鯖丸は言った。
「誰も、何もしないで放って置いたから、あんな事になったんだ。悪いって云うなら、俺もお前も、全員悪い」
 ケントは、黙り込んだ。
「それに、地球人を素手で殴るのは、止めた方がいいよ。手の骨が折れるから」
「いいよ、それくらい」
 本気で殴りに行くつもりだったらしい。
「やめとけ。どうしてもやるなら、棒か何か持って行けよ」
 基本的に間違ったアドバイスだった。

 食堂にも、人影はまばらだった。
 時間帯もあるが、色々な所で騒ぎが起こっていて、皆で集まって楽しく食事や茶を楽しむ雰囲気ではないのだろう。
 ジョン太が、難しい顔でやって来た。
「まずい事になった。俺ら証人として足止めされるぞ。しばらく、地球に戻れないかも…」
 鯖丸は、座ってコーヒーを飲んでいた。
「そうなんだ…」
 反応薄いな…と、言いながら正面に座ったジョン太は、こちらを覗き込んだ。
「何だ、ひどい顔だな」
「そう?」
 色々不幸な目に遭って来ているくせに、鯖丸がこんなに辛そうな顔をしているのは、今まで見た事が無かった。
 辛い事は色々あったはずだが…。
「仕事に感情移入するなって言っただろ、昔の事だから、忘れたかも知れんが」
「憶えてるよ」
 たった一年や二年前を、昔とか言ってしまった事に、ジョン太は自分で驚いた。
 自分くらいの年齢になると、大した時間じゃないはずなのに。
「理屈では分かってるけど」
 自分と似た境遇の子供に、感情移入するなと云う方が無理かもな…と、ジョン太は考えた。
 性格悪いし、たまに黒い所もあるが、鯖丸は冷たい奴ではない。
「まぁいいか。後で、マクレーに呼ばれると思うが、それまではやる事無いし、ゆっくり休んでろ」
 鯖丸は、うなずいた。
「なるべく早く帰れる様に、交渉してみるから」
「うん、期待してるよ」
 早く地球に帰りたい。
 どうせこに居ても、自分にはもう、出来る事は無いのだ。

 マクレーに呼ばれるとは聞いていたが、まさか、尋問まがいの厳しい質問攻めに会うとは、思っていなかった。
 マクレー以外にも、ハーマン社の幹部だと思われる数人の男女と、事件を調査する為に外部から来たらしい人間が二人、同席していた。
 依頼を受けて、ここへ来る事になった経緯から、U08に入ってからの行動まで、細かい説明を求められた。
 特に、依頼内容とは直接関係ない、事故当時のデータまで持ち帰った理由については、かなり厳しく追及された。
「依頼者のヤン・コーウェンが失脚した場合に、このデータがあれば依頼費を支払ってもらえるかも知れないと思ったからです」
 ウソをついても仕方ないので、本当の事を言った。
「それに、データがあった方が、事故原因の解明が早くなるし」
「君はバイトだと聞いてるが、なぜそこまで?脱出が遅れれば、それだけ危険だと思うが」
 外部から来た、捜査官らしい男が、尋ねた。
「私情です。俺がR13の出身なのは、ご存じだと思いますが」
 ハーマン社の幹部は、知らなかったらしい。
 二人の捜査官とマクレーは、分かったという顔をした。
「コロニーのエンジンを使って、魔界への落下速度を落としたという事ですが、止める事は不可能でしたか」
 ハーマン社の幹部は、たずねた。
「最善は尽くしました。回収したデータを見れば分かると思いますが、燃料はほとんど残っていませんでした」
「では、リンダ・ウェスリーが雇った魔法使いに対しての、過剰防衛と云える暴力行為については?」
「初耳です。雇い主は知りませんが、メアリー・イーストウッドを人質に取っていた魔法使いの集団に、身柄を拘束されました。
 むしろ、暴力を振るわれたのはこちらです。マクレー少佐はご存じだと思いますが」
 あいつら、司法取引を有利にする為に、ある事無い事でっち上げやがったな…と、苦々しく思った。
 その後も、不愉快な質問が続いた。
 こんなに冷静に、受け答えが出来たのが、自分でも意外だった。
 最後に、この件に関して、地球に戻ってからも口外しない様に念を押された。
 同意して、書類にサインした。
 解放されて部屋を出た時にはもう、精魂尽き果てていた。
 あいつら、最悪だ。
 あんな事故を起こしといて、結局済まなかったの一言も無しかよ。
 それは、俺が被害者じゃないし、事故を起こしたのは、あいつらと敵対している連中なんだろうけど。
 とぼとぼ廊下を歩いていると、後ろから肩を叩かれた。
「どうしたの。死にそうな顔して」
 ワーニャ・コズレイフが、仕事が終わったらしく、作業着姿で立っていた。
 何だか、急に安心して、力が抜けた。
 女にしてはがっちりしたメカニックに抱きついて、泣いてしまった。
 色々辛かったんだな。自分でも分からなかったけど。
 ワーニャが全然理由を聞かないのが、有り難かった。

 英語が話せないトリコは、もっと面倒くさい事になっていたが、元々こちらに非がある訳でも無いので、翻訳機のいいかげんな通訳に、いちいち揚げ足を取られて業を煮やし、ちゃんとした通訳が居ないと、もう何も話さないと居直った。
 ハンマーヘッドで、日本語が堪能なのは、ハーマン社とは全く別企業の、バイオケミカル系会社の検査技師一人で、呼び出されて不満そうだったが、一連の事件については色々思う所があるらしく、こちらに有利な通訳に徹してくれた。
 日系のブラジル人だと云う検査技師の押田に礼を言って、廊下を歩き出した所で、ワーニャ・コズレイフの部屋から出て来た鯖丸と鉢合わせした。
 鯖丸が、遊びも本気も含めて、色んな女と付き合っていたのは知っているが、現場に居合わせたのは初めてだ。
 ちょっと複雑な気分なのは確かだが、別に動揺する程ではない。
 鯖丸の方が、狼狽えている様子だった。
 見覚えのある整備士は、雰囲気を察して、ちょっと外そうかと聞いている。
「いいよ、そんな事」
 翻訳機の外部音声モードで言ってから、鯖丸に話しかけた。
「お前も狼狽えるな。かっこ悪いぞ、そういうの」
「かっこ良さを求められてもなぁ。俺、可愛い系だし」
 居直る事にしたらしい。
 以前は、かっこいい俺…とか寝言を言っていたが、最近自分のセールスポイントを理解して来た様だ。
 魔界で接触した時の事を思い出した。
 トリコの事は、今でも好きだけど、もう、元には戻れない。
 鯖丸が、そんな風に思っているとは、考えても居なかった。
 あれだけ、爛れた女遍歴を繰り返しておいて、今更それは無いだろ。知らない方が良かった。
 当然、こちらの思っている事も知られているはずだ。
 それは、今でも好きなのは同じだけど…。
 別に、男として好きな訳じゃない。
 どちらかと云うと、弟みたいな存在だった。
 もしかしたら、最初からそうだったかも知れない。
「大丈夫だったか」
 けっこう、きつい事を聞かれたのは分かっていたので、聞いた。
「あんまり大丈夫じゃないけど」
 強がって見せないのは、意地を張るのを止めたのか、本気で辛かったのか、よく分からないが、少なくとも平気では無かったらしい。
「まぁ、コロニー落とした側に雇われてたから、仕方ないのかなぁ」
「お前らしくないぞ。そう言うの」
 いつも、無意味に強気なのが、こいつのいい所だったのだが。
「ジョン太が頑張ってるから、悪い結果にはならないだろう」
「うわ、やべぇ」
 気楽なバイトと違って、ジョン太は実質上、この件の責任者だ。
 自分がされた様な尋問では、済んでいないはずだ。
 法律にも明るいし、いざとなったらけっこう黒い事もやってのけるのは知っていたが、気の毒な事に、それなりのストレスは溜まってしまうタイプだ。
「ちょっと様子見に行って来る」
「行くなコラ。大体、通してもらえんだろう」
 トリコは、一応止めた。
「あいつは、ちゃんとしたプロなんだ。任せておけ」
「うん」
 ワーニャは、横で話を聞いていた。
 会話の内容は分からないはずだが、何かまずい事になっているのは、知っているらしい。
「あんた達も大変だね」
 済まなさそうな口調だった。
「悪いのは絶対、うちの会社なのに」
 だからって、ワーニャが悪い訳じゃない。
 ケントじゃないが、こんな事しでかした奴を、ぶん殴りたい気分だった。

 ジョン太がどんな手を使ったのか知らないが、翌日にはもう、帰還の許可が下りていた。
 マクレーも協力したらしいが「もう、勘弁してください」と、言っていた所を見ると、相当な無茶をしたらしい。
 フリッツは、U08から戻って以来、一度も姿を見ていなかった。
 コーウェンに雇われた自分達と行動を共にしていたから、割と面倒な事になっているのかも知れない。
 帰還の許可は下りていたが、実際に搭乗出来るシャトルは、明日まで便がないと言われて、結局足止めされていた。
 その間に、ハーマン社の幹部連中に、何度も呼び出しを食らった。
「ああ、それフェイク」
 うんざりした感じで、ワーニャは言った。
「出せるシャトルは、何機もあるから」
 ちょっとうなだれて、ため息をついた。
「あいつら、只の利権争いなんだよ。それで何十人死んだと思ってるんだ」
「うん、最悪」
 休日なのか、業務が停止しているのか、ワーニャは落ち込んでいる自分に付き合ってくれた。
 もしかしたら、ワーニャも相当へこんでいるのかも知れない。
「もう、ここは辞めて、月に帰ろうかなって…」
「ああ、ルナリアンだったんだ」
 低重力で育っている外見だが、コロニー出身の人間とは、雰囲気が違うと思っていた。
「月はいい所よ」
 懐かしそうに言った。
「うん。小学生の頃、研修旅行で行ったよ。色んな物があって、都会だったなぁ」
「月に来る事があったら、連絡してね。観光客が行かない様な所、案内してあげるから」
 たぶん、もう会う事は無いだろう。
 お互いそれは分かっていた。

 トリコは、一人で展望室の隅に居た。
 軌道ステーションで、地球を見ていると落ち着いたので、ここにもそういう場所があるかもと思って、捜してみたのだ。
 食堂から持ち込んだコーヒーを飲みながら、時間を潰す事にした。
 以前の仕事では、精神的にもっときつい目に何度も遭っているので、ハーマン社の幹部連中に、分からない言葉で責められるくらい、どうって事は無いが、こうして無意味に時間を潰さなければならないのは、けっこう辛かった。
 由樹はちゃんとやってるだろうか。
 また、寂しくて夜中に泣いていたりしたら、どうしよう。
「隣、いいかな」
 機械的な声が、ゆっくりした口調の英語と、重なって聞こえた。
 返事を待たないで、フリッツが隣に座った。
 顔を見るのは久し振りの様な気がする。
 キル・ビルのブライドみたいな、イカレた黄色と黒の私服姿で、薄暗い展望室でもかなり目立つが、姿を見て声を聞くと、何だかほっとした。
 周りの雑音を聞きたくなかったので外していた、翻訳機のイヤホンを耳に着けた。
 簡易プラグは、帰還の許可が下りたので、さっさと外してもらっていた。
 プラグを着けていた場所には、透明な防水フィルムを貼られて、二日程は外すなと言われている。
 外されたプラグの、明らかに体の中に入っていた部分に、糸の様に細いが、かなりの長さの電極みたいな物が付いているのを見て、少しぞっとした。
 翻訳機の声は、あまりクリアに聞こえなくなったが、ああいうのはもうごめんだ。
 トリコが翻訳機を着けたので、フリッツは外部音声モードを切って、話しかけた。
「色々迷惑かけて、済まなかったな。こんな事になるとは、思わなかったんだが」
 フリッツも、けっこうへこんでいるみたいだ。
 こいつも若いからなぁ…と思った。
 虚勢を張って変なキャラを演じているが、自分と違って、そんなにスレてないんだろう。
「私は、こういうのは慣れてる。どうって事は無い」
 しょんぼりしているフリッツに聞いた。
「お前は大丈夫だったか?」
 逆に心配されるとは、思っていなかったらしく、合成音声の向こうに聞こえる、本当の声が、意外そうな調子になった。
「問題ない。気を遣わなくても、大丈夫だ」
 強がっているのが、丸分かりだ。
 こいつ、割とかわいい奴だなと思った。
 トリコが笑っているのを見て、フリッツは少しむっとした顔をしたが、気を取り直して話を切り出した。
「明日、帰る事になった」
「良かった」
 これで、やっと地球に帰れると思ったが、フリッツは、むずかしい顔で続けた。
「マクレー少佐達は、明日、乗って来た軍用機で帰還する。俺は、この作戦行動の間だけ、少佐殿の部下だから、同乗して行くが、お前達が乗る民間のシャトルは、明日もハーマン社の都合で、運行されない」
「何だ、それ」
 嫌がらせの域を超えているじゃないか。
「お前達を懐柔する時間が欲しいんだろうが…」
「何だと。そんな事で人を足止めしているのか。こっちは、小さい子供を預けて仕事に来てるんだぞ。鯖丸だって、あれだけ苦労して、留年もしないで学校に通ってるのに、出席日数とか卒論がヤバくなったら責任取れるのか。ジョン太は…」
 そこで、ちょっと考えた。
「あいつはまぁ、お父さんが帰って来ないと寂しいね…くらいで済むと思う」
 ジョン太だけ、何気に雑な扱い。
「事故原因のデータも、本当は手に入れたかったはずだが、外から来た捜査官には、知られたくなかったんだろう。鯖丸がデータを改ざんした可能性があるとか、言い始めていてな」
「あいつに、そんな技術があるのか」
 あるから、めんどくさいんじゃないか…と思った。
 魔法使いとしては一流だが、あんまり他の事は詳しくないんだな。
「根も葉もない言いがかりなのは、皆分かっている。データ回収中は、俺が常時同行していたし、帰還中はシャトルの操縦をしていたから、閑もなかったしな。単なる悪あがきだ」
 分かってるなら、捜査官の権限で、早く解放してもらう訳にはいかないのかと思った。
 いかないんだろう。
 地球でも、こういうのは同じで、経験もある。
「ただ、コロニーには自治権があるし、これ以上ここに留まっていると、不利になるだけだ。明日、軍用機に同乗して、ハンマーヘッドを出よう」
 明日帰れる。
 嬉しかったが、フリッツの微妙な表情が気に掛かった。
「無理をしたんじゃないのか。そういう事して、お前の立場は大丈夫なのか」
 心配する様な事を言うと、フリッツは嬉しそうな顔をした。
 それから、我に返った様に、表情を引き締めた。
「俺には、そんな権限は無い。無理をしたのはマクレー少佐だ」
 軍曹と少佐が、どれくらい階級が違うのかも、実はトリコには分かっていなかった。
 マクレーの方が偉いという事を認識している程度だ。
「ウィンチェスターは、ああ見えて今でも宇宙では英雄なんだ。協力してくれる人間は多い」
「ウィンチェスターって、誰?」
 トリコは、素で聞いた。
「うわぁぁぁ、何で魔法以外の事は、全然ダメなんだ、この人」
 余りの事に、フリッツまで素になってしまっている。
「ああ、ジョン太が何か、そーゆー名前だったな」
 やっと思い当たったらしく、言った。
「本名は、なるべく憶えない様にしてるんだ。魔法使いだし」
 この人、絶対俺の本名も憶えてない…と、フリッツは暗い気持ちになった。
 はぁ、とため息をついてから、自分が飲む為に持って来たらしいコップの中身を、少し飲んだ。
「明日十時に出発だが、ハーマン社の連中にはオフレコ。バレたら足止めされるからな」
「分かった」
 話題が一段落したらしいので、足を組んで床の上に座り直すと、フリッツがもう一つのコップを差し出した。
「飲む?」
「ありがとう」
 微妙にアルコールの入った炭酸飲料だ。
 こんな外見なので、外界で酒を飲む機会は少なかった。
 せいぜい、たまに自宅でビールを飲むくらいだ。
 外界で、自分の肉体年齢がどういう事になっているのか、実は良く分かっていない。
 本気で見た目通りなのか、単に外見だけなのか、全く謎だ。
 ま、いいか。法律上は問題無いし。
 この程度では、全然酔わないし、フリッツも特に何でもない様子だった。
 リラックスしたくて、持って来ていたんだろう。
 気持ちは分かる。
「あの…ここからは、個人的な話になるけど、いいかな」
「いいよ」
 翻訳機の音声を切って、テキストモードの液晶画面を見た。
 フリッツの声は、聞いていると心地良い。
 低くも高くもなくて、落ち着いた感じだ。
 翻訳機の合成音声に、邪魔されたくなかった。
「明日、ハンマーヘッドを出て、軌道ステーションに着いたら、お別れだ」
「そうだな」
 改めて言われると、地球に帰れるのは嬉しいが、ちょっと寂しい。
「もうチャンスがないから今言う。トリコの事が好きだ」
 はいはい、それはあんた以外の全員が知ってましたよ…と、内心思ったが、気の毒なので言わない事にした。
 どこが気に入ったんだか謎だ。
「それで?」
 何か、今後の展開を提示されると思っていたのに、フリッツはそこで止めてしまった。
「いや…言いたかっただけ」
「何だそれは」
 姐さんはあきれた。
「お前はいいかも知れんが、言われた私は、どうすりゃいいんだ」
「すまん。そこまで考えて無かった」
 フリッツは謝った。
 トリコは、フリッツの手を握った。
「来い、とりあえず一発やるぞ」
 ラブ即セックス。姐さん、相変わらず男前だ。
「えええぇぇ、そんなん違うぅぅ」
 フリッツは、全身全霊で逃げ腰になった。
「嫌なら告るなぁ。ふふふふ、可愛がってやるぞぉ」
「嫌ぁぁぁ」
 悲鳴を上げながらも、フリッツは連行された。
 本当に嫌なら、逃げられるのに、絶対確信犯だ。

 一時間後、何だか微妙な事になっている二人が居た。
「ああ、悪いね、何か」
 トリコは、ベッドの上にあぐらをかいて、謝った。
 フリッツは、壁の方に向かって小さくなって、寝転んでいる。
「そーゆー事もあるさ。気にするな」
 役に立たなかったりするのは良くある事だが、フリッツの反応が普通ではない。
 外していた翻訳機を繋いで、一応聞いた。
「何か、悪い事した?」
「違う」
 壁の方に縮こまって、フリッツは言った。
「元々ダメなんだ、俺」
 どうリアクションしていいか分からないが、それは辛いだろう。まだ若いのに。
「嫌じゃなかったら、事情聞くけど」
「不愉快な話になるよ」
 フリッツは言った。
「平気だから話せ」
 たいがいの酷い話は、聞いている。
「昔、本気で付き合ってた人が居て」
 昔と言っても、フリッツはたぶん二十代半ばくらいだ。それ程昔でもない。
「将来的に結婚も考えて、交際していたんだけど…」
 結論は見えたが、言わないで話を聞いた。
「軍に入って、それなりに先の見通しも立ったから、プロポーズして」
 その先は言わなくていいぞ。何となく分かるから。
「俺は、他人に見せびらかす為の、珍しいペットなんだって」
 そうだろうねぇ、ジョン太でも珍しいのに、猫型ハイブリットなんて、本当に希少種だ。
「いい気になるなって言われて、それで…」
 ダメになってしまうくらいだから、余程ショックだったのだろう。
 背中が小刻みに震えている。
 たぶん泣いてるんだろうけど、こういうプライドの高いタイプを、下手になぐさめても、余計に傷つくだけだと思ったので、落ち着くまで待つ事にした。
 かれこれ時間が過ぎるまで、黙って隣に座っていた。
 少し落ち着いた様子だったので。背中に触った。
 フリッツは、起き上がって、こちらを向いた。
 黒くてつやつやした、綺麗な毛に、涙の跡が付いている。
 本人は気が付いていない様子なので、軽くスルーした。
「変な話、聞いてもらって悪かったな」
「いいよ。話せって言ったの、こっちだし」
 起き上がったフリッツは、恥ずかしそうに薄い布団をごそごそ腰の上まで引き上げて、裸で座っているトリコから、視線をそらせた。
 今更、そんな事されてもなぁ。
「まぁ、折角だからおっぱいでも触っとくか?小さくて悪いけど」
 フリッツは、ちょっと考えてから、うなずいた。
 おずおず手を伸ばしてから、ふいに抱き寄せられてキスをされた。
 ああ、翻訳機の精度って、やっぱり良くないな…と思った。
 何がどう伝わったんだか…。
 エロい事抜きでキスなんかするのは、一体何年振りだろう。もしかして、初めてかも。
 こういうのも、悪くはない。

 翌朝、フリッツは、借りて来た猫の様に大人しくなっていた。
 集合場所は、シャトルの発着場だった。
 トリコとフリッツが、一緒に現れたので、何事かあったらしいと全員が分かったが、特に追求もされなかった。
 そんな閑が無かったからだ。
 ハーマン社の社員が、その場に来ていて、マクレー達と同乗して行こうとする三人を、引き止めにかかっていた。
 確か、何度も顔を合わせた幹部達の誰かに付いていた、秘書だったはずだ。名前は覚えてないけど。
 もちろん、力尽くで止められる訳はないが、皆を引き止めながら、あちこちに連絡して応援を呼んでいる。
 程なく、何人か現れて、屁理屈をこねながら、三人を引き止め始めた。
「そもそも、君らに彼らを拘束する権限は無い。我々と同行する事に、何か不都合があるか」
 マクレーが、毅然とした態度で言った。
「しかし、まだきちんと事情聴取が終わった訳ではありませんし、この場から立ち去ると、逃亡したと見なされて、後々不利になりますよ」
 秘書の男が言った。
 口調は厳しいが、こんな事をしたくてしているんじゃないという態度は、丸見えだ。
「俺らから事情聴取する権利なんて、そっちには無いんだよ。一応、義理で付き合ってはいたけどな」
 ジョン太は、めずらしく高圧的な態度に出た。
 元々容姿が怖いので、けっこう効果がある。
「地球に戻ってから、弁護士を通してなら、いくらでも話を聞くよ。相手から金を巻き上げる事しか興味ない、自称人権派の糞虫みたいな弁護士なら、一山なんぼで売るくらい揃えられるから、覚悟しとくんだな」
 ジョン太の人脈は謎だが、過去の経緯から云って、たぶん本気だろう。
 大人しくしていたフリッツは、トリコを背中に回して隠し、エアロックの方を指差した。
 宇宙に不慣れで、宇宙服の着脱に時間が掛かるのは、トリコだけだ。
 ごたごたを避ける為に、先に行かせようとしているらしい。
 鯖丸は、フリッツの隣に移動して、背後を隠した。
 似た様な体格の二人が並んでいると、こそこそエアロックに移動しているトリコの姿は、ほとんど見えない。
 軽装宇宙服を、半分以上着終わったのが分かった。
 ジッパーを引き上げる音がする。
「そろそろいいと思うけど」
 合図すると、フリッツが前へ出た。
「少佐殿、時間がありません。行きましょう」
 マクレーはうなずいた。
「待ってください」
 秘書が呼び止めた。
「我々は、充分待った。撤収」
 マクレーの部下が、後に続いた。
 初めて見る顔が一人居る。
 おそらく、シャトルに待機していたのは、この男だろう。
 マクレー達がエアロックに入ってから、フリッツはジョン太と鯖丸を先に行かせて、ハーマン社の人間との間に入って、後を追おうとするのを食い止めていた。
「待ってくれ。君達もコーウェンの内部告発を調査していたんだろう。我々には知る権利が…」
「調査は、捜査官の方々が続けています。我々の任務は、終了しました」
 秘書は、諦めた表情でため息をついた。
「分かった。発着場のハッチと、エアロックの閉鎖は解除させる」
 まだ、出口が閉鎖されているエアロックの中で、素早く宇宙服を着ている皆を見た。
「我々にもまだ、事の真相ははっきり分かっていないんだ。調査の結果が出たら、報せてて欲しい」
「約束は出来ませんが、ご協力、感謝します」
 フリッツは、秘書達に敬礼してから、エアロックに飛び込み、素早くドアを閉めた。

「君にしては、ソフトな対応だったな」
 マクレーは言った。
 軍用機のシートは、民間機とは全く違っていた。
 安全性は確保してあるのだろうが、クッションも入っていなくて、乗り心地は二の次だ。
 操縦席には、あの、見覚えのないマクレーの部下が座っている。
「いけませんでしたか?」
 フリッツはたずねた。
「いや、むしろ感心しているくらいだ」
 今まで余程素行が悪かったのだろう。
「君達にも、色々迷惑をかけたね」
 振り返って、後ろに座っている鯖丸とトリコに言った。
「いえ…仕事ですから」
 口ではそう言っているが、U08で暴れていた時とは別人の様に暗い表情で、大人しくなってしまっている。
 色々あって、心身ともに疲れているんだろう。
 無理もない。
 U08の調査とメアリーの救出に力を尽くして、戻ってみれば四方八方から責められ続けていたのだ。
 むしろ、隣に座って、平気そうな顔をしているトリコが凄い。
 トリコの横に座っているジョン太も、少し不機嫌な顔をして、前方を睨んでいた。
 この人も昔から、責任感強い上に、見た目より繊細だからなぁ…と、マクレーは考えた。
 自分も、もう早く帰って休みたい。
 進路がクリアになって、シャトルがゆっくりと移動を始めた。
 鯖丸は、ぼんやり窓の外を見ていた。
 民間機と違って、小さい窓の中を、発着場とそれに続く奥のドッグが、ゆっくりと移動して行く。
 ドッグの隅で、宇宙服を着て作業している二人組が居た。
 二人とも、手を止めて、こちらを見送っている。
 姿形で見分けられる訳ではないが、たぶんあれはワーニャとチーフだと思った。
 お別れも言わないで、何もかも中途半端に放り出したままで、逃げる様に帰らなければいけない自分が、情けなかった。
 多分、仕方ないんだろう。
 無敵で居られるのは、魔界だけだ。

2009.8/12up










後書き
 めずらしく、鯖丸が挫折したままラストへ続きます。
 ま、たまにはそんな事もあっていいんじゃないか、人生色々。

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