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大体三匹ぐらいが斬る!! 4.5 back

この話は「大体三匹ぐらいが斬る!!」四話と五話の間のサイドストーリーです。
五話の「三匹」を書き始めてから、四話と五話の間に、鯖丸とトリコがどういう事になっているか分からないと、先を書き辛かったので、適当に書き進めてみたけど、折角書いたからアップしてみようかな…という感じの話です。
そんな訳なので、普通に日常生活が書いてあるだけで、魔界での事件も特にないし、これと言った劇的な展開もないですが、まぁ、暇な方だけ読んでみてください。
面白いかどうかは、自分でも謎。
でも、これを書いたおかげで、行き詰まっていた五話終盤が、書きやすくなりました。


登場人物

武藤玲司(鯖丸) 貧乏な大学生。夏休みなので、バイトに明け暮れる毎日。彼女居ない歴イコール年齢の生活が終わって、割といい気になっている。

如月トリコ(トリコ) 政府公認魔導士をクビになってしまった姐さん。基本的に人の話は聞いてない。そのせいで気軽に鯖丸と同棲するはめになる。

ジョナサン・T・ウィンチェスター(ジョン太) 犬型ハイブリット。鯖丸とトリコの上司。慕われてはいるが、尊敬はされてない。割とナイーブなおっちゃん。

如月由樹 トリコの息子。ませた幼稚園児。やんちゃだが、それなりに複雑な境遇で、色々苦労もあるらしい。けっこう冷静に周囲を見ているが、年相応に子供らしい所もある。

テル君 由樹の友達。両親は美容師で、帰りが遅くなる事が多いので、似た様な境遇の由樹と連んでいる。年上だが、控え目な性格なので、一歩引いている。割としっかりした子供。

溝呂木雅之 西瀬戸大剣道部の監督。自宅でも道場を経営している剣道一直線の青年。鯖丸が中坊の頃から剣道を教えている師匠だが、指導に熱心な余り、彼の境遇については配慮が欠ける部分もある。

スキヤキ 日本一豪華な鍋物(鯖丸談)。もっと豪華な鍋物は、色々あるが、それ以前に、如月家のスキヤキは、パッチもんだ。

フナムシ 海辺によく居る生物。別名、海のゴキブリ。





大体三匹ぐらいが斬る!! 4.5  後編

 夕方、家に帰ると、鯖丸はリビングの床に座り込んで、荷造りをしていた。
 大して多くもない着替えと、学校で必要な本やノートの類を、愛用しているディバッグに詰め込んでいる。
 続きになっているダイニングキッチンのテーブルに、由樹の幼稚園鞄が乗っていた。
 ちゃんと、幼稚園から託児所まで送り届けて、学校帰りに迎えにも行ってくれたらしい。
 期待はしていなかったが、ゴミも出して、食器も片付いていた。
「テル君所に行ってる」
 聞く前に、鯖丸は言った。
「そうなんだ」
 少ないとは言え、二十リッター程度のディバッグに全部押し込むのは無理だったらしく、残った荷物を、スーパのレジ袋に詰め込んでいる。
「どこか行くのか」
 トリコは聞いた。
「帰る」
 鯖丸は、こちらを見上げて言った。
 泣き腫らした目をしているのは、まぁ分かるとして、頬も赤くなって腫れている。
 そんな強く叩いた憶えはないんだが。
「何で?」
 トリコは聞いた。
 それは、多少きつい事は言ったが、出て行けとまでは言っていないつもりだ。
「溝呂木先生に、トリコと同棲してるのバレちゃって」
 秘密だったというのが、まず初耳だ。
「女にうつつを抜かしてるから、こんな情けない結果になったんだって言われた」
 腫れるまで叩いたのは、溝呂木とか言う監督らしい。
「剣道部クビになると、奨学金も減るし、その通りだと思うから、帰る」
 言っているそばから、また泣き出した。
「色々ごめん。トリコの事は大好きだし、由樹と一緒に居るのも、楽しかったけど」
 トリコは、一通り話を聞いて、ため息をついた。
「お前な、負けたのは単に相手が強くなってたからじゃないのか」
「え…」
 鯖丸は、顔を上げた。
「剣道の事は知らんが、普通に考えればそうだろう」
 素人の考えだが、かえって核心をついている。
「それにお前、魔界で暴れる時、骨格補強してるだろ。低重力症って、ちゃんと治ってるのか」
「ううん、こういうのは、完治するのはむずかしいから」
 トリコは、腕組みして少し考えた。
「お前、食生活がひどすぎるだけだと思うけど。地球に戻った時、医者に栄養指導とか受けなかったのか」
 話が、思っていない方に行き始めたので、鯖丸は戸惑っている様子だった。
「色々言われたけど、難しくて意味分からないかった」
 何となく、謎が解けてきた様な気がする。
「全く…そういうのも監督の仕事だろうに。人のせいにしやがって」
 その点が一番、姐さんの気に障ったらしい。
「とりあえず、そのバカ監督とは話し合うとして」
 トリコは、鯖丸に言った。
「普通の地球人並みになる様に、きっちり生活を管理した方がいいと思うけど」
「出来るんだ、そんな事」
 不思議そうな顔をされた。
「出来るよ。食費は多少値上げさせてもらうけど」
 どのみち、コンビニで弁当を買うよりは、だいぶ安いので、色んな意味で大助かりだ。
「お願いします。何でもするから、俺を普通にしてください」
 鯖丸は、頭を下げた。

 まず、買い食いは基本的に禁止で、弁当とおやつ袋を持たされた。
 仕方なく外食する時は、詳細に食べた物を記載する様に、メモ帳も渡された。
 定期検診のデータを受け取ったトリコは、ネットで色々調べてから「これはひどいな」と言った。
「全体としては健康だけど、骨密度が年寄り並みじゃないか」
「地球育ちの年寄り並になっただけ、マシだって言われたけど。日常生活に支障はないし」
「アスリートとして、支障が大ありだろ、これじゃあ」
 検診の結果をプリントアウトした紙は、二枚目が明細書になっている。
 定期的な検診と医療行為が必要な、宇宙からの帰国子女は、医療費が見た事もないくらい安い設定になっている。
 一応、収入の上限や、地球に戻ってからの年数によって変わるらしいが、鯖丸の場合、どちらの条件もけっこうきつ目なので、障害者とほとんど変わらない扱いだ。
 よく、こんな奴が地球人相手に互角に暴れているなぁと、感心した。
 翌日に、トリコは西瀬戸大剣道部の道場に現れた。
 普通に練習に参加していた鯖丸は、入り口で靴を脱いでいる黒っぽい物を見て、その場に固まり、後輩に簡単に面を入れられた。
「先輩、本当にどうしたんですか、最近」
「いや…それはない、絶対ない。幻覚だ」
 鯖丸は、呆然と入り口を眺めた。
 入り口で編み上げのブーツを脱いだ、見知った小柄な女は「溝呂木っていう奴に会いたいんだけど…」と、たまたま近くに居た小林先輩に聞いている。
「うわぁぁぁ、破滅だ、俺」
 鯖丸は、全身黒ずくめのゴスロリに駆け寄った。
「トリコ、何、そのコスプレは」
 防具フル装備のせいで、誰だか分からないらしく、面に顔を近づけて中身を確認した。
 ああ、鯖丸か…と言った、全身黒いゴスロリのトリコは、答えた。
「こんな外見だからな。舐められない様に勝負服で来た」
 何のどういう勝負なんだー。そして、ヅラまで着用して、何のつもりだー。
 フルメイクのゴスロリは、偉そうに腕組みした。
 それは確かに、怖い事は怖い。
 やって来た、普通に怖い溝呂木先生と、何だか分からないけど怖い、小柄なゴスロリは睨み合った。
「どちら様ですか」
 ジョン太が怖がっているぐらいだから、溝呂木先生は、外見もものすごく怖い。
「私、武藤君とお付き合いさせていただいてる、如月です。お話があるんですけど」
 腕組みして、溝呂木先生を睨み付けた。
 小柄な姐さんなのに、素で怖い。
「ああ、こっちも話があった所だ。あんたねぇ…」
「タメ口聞くなぁ、この若造が」
 トリコは、溝呂木先生の胸ぐらを掴んだ。
 いや…それあんたとタメ年だし。
「小林先輩…。強すぎる生き物同士の戦いになるから、俺、逃げますけど、後はよろしく」
「逃げるなぁぁぁ。ていうか、助けて」
 襟首を掴まれた。
 大変な事になって来ました。

 ロッカールームで睨み合う強い生き物二人と、当事者の鯖丸と、巻き添えを食らった小林先輩は、嫌な雰囲気の中で固まっていた。
 とりあえず、一番気の毒なのは、何の関わりもない小林先輩だ。
「監督不行届」
 トリコは言い切った。
「お前、これがどこ出身の何か知ってて、預かってるんだろう」
「あんた以上に分かっているつもりだが」
 溝呂木は言った。
「男ってバカだな」
 姐さんは、逆セクハラ発言に持ち込んだ。
「マイナーコロニーじゃあ、エネルギー効率が悪いから、食事は一カ所で専門職が集中管理してるんだよ。
 こいつが、地球人なら普通は知ってる栄養管理の基本も分かってないって、何で気が付かないんだ」
「あんたは、どうしてそう言う事を知ってるんだ」
 溝呂木は尋ねた。
「ネットで調べただけ」
 トリコは言った。
「骨組みが年寄り並じゃあ、きつい練習も出来ないだろうし、体力も落ちるだろう」
 トリコは、小林先輩と一緒に逃げかけていた鯖丸を捕まえた。
「とりあえずこれ、次の大会で優勝させる方向で行くからな。お前の責任で」
「女とちゃらちゃら遊び回ってる奴を、優勝させる方向に行けるかぁ!!」
 溝呂木は反論した。
「ちゃらちゃらなどせん。うちは質実剛健だ」
 トリコは言い切った。
「こんな、通常の十倍ぐらいエロい奴を禁欲させる方が体に悪いぞ。ある程度やる事はやらんと」
「ええーっ、武藤そうなん」
「先輩、その辺はスルーして」
「じゃあ、俺は席を外させてもらうから…」
 逃げかけた小林は、鯖丸に捕まった。
「見捨てちゃ嫌だぁ」
「知るかぁ、俺らけっこう仲悪いだろ。頼るな」
「可愛い後輩を見捨てるのかよ」
「お前なんか可愛くない!!」
「やかましい」
 二人は、溝呂木とトリコに、同時に怒られた。
「ケータイ出せ」
 トリコは、溝呂木のケータイを取り上げて、勝手に電話番号とアドレスを転送した。
「何するんだ、てめぇ」
「定期検診の結果が出たら転送するから、それに応じて、もっとびしびし鍛えてやってくれ」
 鯖丸を指差して言った。
「こいつすぐ泣くから、泣いても止めないでいいぞ」
「せめて、泣くまで止めないぐらいにしてくれよぅ」
 鯖丸はお願いした。
「くそっ、いつかてめぇを泣かす」
 溝呂木はトリコを睨んだ。
「無理だ、若造」
 トリコは、鼻で嗤った。
 だから、それ、あんたとタメ年だってば…。
 偉そうな小さいゴスロリが帰って行くのを、剣道部の皆さんは、呆然と見送った。

 翌週もトリコは現れた。
 日曜なので、朝から部に出ていた鯖丸は、やって来たトリコを見て倒れそうになった。
 今日はセーラー服かよ。
「武藤先輩ー、お弁当作って来ましたぁ」
 寝言を言いながら走ってくるトリコの腕を掴んで、鯖丸は物陰に連れ込んだ。
「誰が先輩だ、十一年も人生の先輩のくせに、何考えてんだよ」
 幸い、外の水飲み場で顔を洗っていたので、周囲には誰も居ない。
 弁当だけ受け取って、全力で隠蔽しよう。
「こういうの、いっぺんやってみたくて…」
 割と少女マンガが好きなトリコは、ぶつぶつ言った。
「お前も調子合わせろよ」
「そういうプレイは、家の中でやろうよ。セーラー服は好きだけど」
「人に見せてこそのコスプレじゃないか」
「やっぱりコスプレだったのか…」
 確かに、一見違和感はないが、こんな汚れオーラ全開のセーラー服も、どうかと思う。
 こんな所を見られたら、様々な物を失いそうなので、鯖丸は油断無く周囲を見回した。
 間の悪い事に、また小林先輩が、タオルで顔を拭きながら、こっちへやって来る。
「げっ、この間のゴスロリ」
 先輩は固まった。
「おお、小林少年か。丁度良かった、溝呂木を呼んで来い」
 何で俺が…と言いながら走って行った先輩は、すぐ戻って来た。
「呼びつけるな、お前が来いって言ってました」
「生意気な事を言うな。呼んで来い、ダッシュで」
「俺が言ったんじゃないのに…」
 さすがに気の毒になった鯖丸は、先輩を止めた。
「小林さん、俺が行って来ますから」
「ダメだ、こんな人と二人きりで取り残さないでくれ」
 結局、小林先輩も付いて来た。
「お前、よくあんな恐ろしい女と付き合ってるな」
 呆れた感じで言われた。
「ええー、可愛いじゃないですか」
「お前の目は節穴か」
 割合節穴なのだった。
 いつも仲の悪い二人が、連んで歩いているのを見た友人の迫田は、顔色を変えた。
 大変だ、どっちからケンカを売ったのか知らないが、また殴り合いになるに違いない。
「すいません先輩。どうせこいつが悪いんでしょうけど、かんべんしてやってください」
 事情を把握する前に、謝りに入った。気の毒な苦労人である。
「えーと、別にケンカしてないし」
 二人は、何言ってんだという風に、迫田を見た。

 そんな訳で、迫田まで巻き添えになってしまった。
 当事者の鯖丸は、地面に座り込んで、もりもり弁当を食っている。
 美味しそうな弁当だ。
 逃げるのを諦めた小林先輩と迫田は、剣道部とペンキで書いたヤカンを持って来て、一緒にメシを食い始めていた。
「何しに来たんだ」
 溝呂木先生は、嫌そうに言った。
「今日は休みだから、弁当を届けに…」
 トリコは、自分と由樹の分らしい包みと、レジャーシートをバッグから取り出したが、鯖丸は既に、半分以上食い進んでしまっていた。
「ああっ、何でもう食ってるんだ、お前。一緒に食べようと思ってたのに」
「え…お腹空いたから」
 鯖丸は、口の周りにごはん粒をつけたまま言い切った。
「そんなもん、朝家を出る時に持たせろ。そして俺を呼びつけるな」
 溝呂木は、割合当然な事を言った。
「休みの日ぐらい、朝はゆっくりしたいんだよ」
 トリコは言ってから、バッグの中から更に何かの紙を取り出した。
「あと、お前には、これを見せて自慢しようと思ってな」
 姐さん、自信満々だが、溝呂木先生は、訳の分からない数字の羅列を見せられて、眉をひそめた。
「何だこれは」
「一昨日もらった定期検診の結果だ。見ろ、家に出入りして一ヶ月で、こんなに元気になってる」
 そう言われても、数字だけでは何だか分からないが、武藤の食生活がひどいのは、何となく知っていた。
 以前、牛丼屋でバイトしていた頃は、一日二食牛丼とか言っていたし、さすがにそれは、キン肉マンじゃないんだからと、止めたのだが。
「もうちょっと意識的に食生活に気を配れば、こいつ割合早く普通になるぞ。運動量も多いし」
「それ、メールで済む用件じゃないのか」
 何の為に、わざわざ呼び出す必要があったんだ。
「えーと、とりあえず自慢して勝ち誇ろうかと思って…」
「そんな事の為に来るな。帰れ」
「まぁまぁ」
 トリコは、手に提げていた弁当の包みを、溝呂木に差し出した。
「これは、弁当を作ってくれる彼女も居ない、可哀相な君達にやろう」
「ううん、迫田と先輩は、彼女居る」
 さっさと食い終わって、弁当箱に茶を注いで飲んでいた鯖丸は言った。
「トリコ、一緒にごはん食べて行くんじゃないの?」
「その予定だったけど、お前、もう食べ終わってるじゃないか」
 トリコは、ため息をついた。
「実は、いっぺん大学の学食に行ってみたかったんだよ」
 姐さんは、キャンパスライフに微妙な憧れがあるらしい。
 まぁ、部外者が利用しても、特に苦情は言われないし。
 トリコは、ケータイを出して由樹に電話をかけ始めた。
「由樹、今どの辺だ?学食でごはん食べて帰るから、そろそろおいで」
「由樹も来てたんだ」
 近所の子供や、子供連れの主婦が、散歩や近道で通り抜ける事は良くあるので、違和感はないと思うが、五歳の子供をその辺で一人で遊ばせる辺りが、外界出身の人間とは多少感性が違う。
「すぐ来るって。帰るよ」
 ケータイを仕舞って、言った。
「ええっ、練習とか見て行かないの」
 鯖丸は、いい所を見せようと思っていたのか、聞いた。
「別に、奇声を発して棒を振り回してる所を見物しても、仕方ないし」
 スポーツ全般に、全く興味がないので、ひどい言われ様だ。
「じゃあな。帰りにゴミ袋と洗濯用の洗剤買ってきてくれ」
「うん、分かった」
 鯖丸は、手を振ってトリコを見送った。
 溝呂木先生は、可愛い布で包んだ弁当を持って、呆然と佇んでいた。

「酷いだろう、あれは」
 溝呂木は、居酒屋のカウンターで、焼酎お湯割りのグラスを握ったまま、文句を言った。
 最終的にとばっちりを受けるポジションが決定しているジョン太は、聞き流した。
「はいはい、気の毒にね」
 全く心がこもっていない相づちをうって、自分の注文を通した。
「湯葉刺しとつくねとウーロン茶」
「飲めや、コラ」
「うわぁ、溝っち今日もからみ酒だなぁ」
 全然酒は飲めないが、つまみ全般は好きなので、おっちゃんは今日も溝呂木に呼び出されて飲み屋に居た。
 というか、ジョン太お人好し過ぎ。
「あの女、お前の手下だろうが。どうにかしろや」
「無理に決まってるだろ。魔力の高い奴は、大体デフォルトで人の話は聞かないし、ワガママで態度でかいんだよ」
 仕事とはいえ、そんな人とばっかり付き合っているので、すっかり諦観している今日この頃だが、実際はジョン太も潜在魔力はかなり高い方だ。
「そのまんま武藤の性格じゃないか、それ」
「だって、あいつ、バイトだけど、うちの会社で一番魔力高いからな」
 ワガママで言う事聞かない奴が、二人がかりでタッグを組んでいる。敵う訳がない。
「言ってる事が正論なのは、分かってるんだ。でも、あんなの認めたら、他の奴らに示しが付かないだろう」
「いいじゃねぇか、それでダメになるなら自己責任で」
 ジョン太は、無責任な事を言った。
「中学とか高校の部活じゃねぇんだから、そりゃあ、女と同棲してる奴も居れば、キャバ嬢に貢いでる奴も居るだろうよ」
「後半は無いから」
 溝呂木は言った。
「何なら溝っちも、いい娘紹介しようか」
「ええっ、本当に」
 ええかげん酔ってるせいか、先生、素になっている。
「うち、オヤジが厳格なせいで、たいていは逃げられるんだけど」
「親が警察関係とか、どう?厳格なのは実家で慣れてると思うし、お前も警察OBだろ、確か」
「いいね、共通点があると」
 溝呂木はうなずいた。
「ただし、母親が元ヤン」
 ジョン太は、釘を刺した。
「性格も、トリコより二倍ぐらい怖いけど、それでいいなら本人はいい娘だから、紹介する」
「貴様、俺に何を押しつけようとしていた」
「人聞きが悪いな。本人はいい娘だって、本人は」
「本人以外の要素も大切だろうが」
「そうかな」
 ジョン太は、軽くスルーした。
「嫌なら、別にいいけど」
「一応紹介してください」
 溝呂木は、お願いした。

 溝呂木に渡した弁当箱は、数日後、きちっと洗われて、包んでいた布にまでアイロンをかけられて戻って来た。
 弁当箱の中には、お礼のつもりなのか、和菓子が入っている。
「几帳面な奴」
 和菓子を食べる為、お茶を入れながらトリコは言った。
 学校のレポートを書く為に、色々な本と資料を広げて、トリコのパソコンを借りていた鯖丸は、菓子の匂いを嗅ぎ付けてやって来た。
 いくら最近、健康管理の為とはいえ、おやつに出汁じゃこと煎り大豆と素のバナナしか許可されてないので、いい反応だ。
「うわー、お菓子だ。それ、食べていいの」
「いいよ。今お茶を…」
 言い終わる前に、いっぺんに二個つまんで口に放り込み「うーん、あっさりし過ぎて、いまいち」とかつぶやいた。
 この、駄菓子とジャンクフード好きの若造が…職人の皆さんが作った、手の込んだ和菓子に、何て事を。
「お前は、そういう所から直して行かないとダメかもなぁ」
 トリコは、ため息をついた。
 
 月が変わって十月になる頃、鯖丸とジョン太は、久し振りに二人で魔界に入った。
 トリコは、今年もまたサキュバスが家出したので、斑と所長の三人で捕まえに行っている。
「気の毒に。サキュバスも今年辺りで家出は止めるんじゃないのか」
 斑はともかく、所長とトリコにぼてくり回されたら、ただでは済まないだろう。
「あの人のは病気だから、そんなじゃ治らないよ」
 今日は、ダットラもジムニーも、皆が乗って出てしまっているので、ジョン太が自家用車を出して来ていた。
 いつもは、みっちゃんが通勤に使っている新型のハイブリッドカーで、魔界に入ると、たぶんまともに動かないだろう。
 倉庫からは、バイクに乗り換える事になるので、二輪車の苦手な鯖丸は、憂鬱そうだ。
「言ってくれれば、トリコが乗ってる昔の軽四、借りて来たのに」
「あんな奥様のお買い物カーじゃ、山道走れないだろう」
 自分ちの車なので、めずらしくジョン太がハンドルを握っている。
 どのみちバイクで行く事になるのか…と、鯖丸はため息をついた。
 久し振りに縄手山に入る事になる。
 蛇が魔導変化したミズチが出たという話だが、かまいたちの時と違って、二人で処理出来るとジョン太は判断したらしい。
「かまいたちだって、今のお前だったら、一対一なら楽勝だろうしな」
「ええっ、あれ、超怖いじゃん。無理だろ」
 怖い記憶だけが残っている様子だが、最近自分が魔法使いとして人間離れして来ている事は、自覚していないらしい。
「お前、何か色々変わったよなぁ」
 ジョン太は、言った。
「それは、時間が経てば変わるよ」
 鯖丸は、当たり前の事だと言う風だが、そもそも若者とおっちゃんの時間の流れは、全然違うのだ。
「ジョン太もだいぶ変わったじゃないか」
 意外な事を言われた。
 いつもの定食屋に入ると、鯖丸はいつも通り色々なおかずをチョイスしていたが、テーブルに並べた後、必死で内容物をメモし始めた。
「何やってんだ、お前」
 最近、厳しく食事制限されているのは知っていたが、ここまで細かく仕切られていたとは。
 まぁ、厳しいと言うか、ジャンクフードを止めて、普通の物を食えと言われているだけなのだが。
「仕事中は、好きな物食べてもいいって言われてるんだけど、これやっとかないと怒られるから」
 トリコも、こんな奴相手に、よく面倒を見るなぁ…と思った。
 鯖丸も、トリコの言う事なら、比較的聞く様子だし。
「お前ら、将来的にはどうするつもりなんだ」
 ジョン太は、今まで少し聞きにくかった事を聞いてみた。
「ええと、来年の春は、全国大会で優勝」
 基本的に人の話を聞いていないバカは、見当はずれな事を答えた。

 ミズチの追跡と駆除は、二泊三日程かかった。
 ミズチは絶対美味しいから、一切れ焼いて食うと言い張る鯖丸を殴り倒して、ジョン太は外界に連れ戻した。
「そりゃあ、普通の蛇ならそこそこ食えるけど、あれはやめとけ」
 軍のサバイバル訓練で、蛇の類は捕まえて食った事はあるが、あくまで外界の話だ。
 あんな、気色悪い外観に変わった生き物を、なぜ食おうとする。
「お前、そのメモ帳の食った物リストにミズチって書いたら、トリコは家に入れてくれないと思うぞ」
「書かなきゃ分からないよ」
 こいつ、人間以外の生き物は、全部食い物かよ。
「お前を倒して、俺が書く。やめろ」
 ジョン太は、本気で止めた。
 毒とか寄生虫を持ってるかも知れない生き物を、宇宙育ちで自然環境にうとい人間が、素人判断で食うな。
「お前まさか、押し入れに溜め込んだパンツとかに生えて来たキノコなんか、焼いて食ったりしてないだろうな」
 不安になったので、聞いた。
「溜め込むほどパンツ持ってないよ」
 鯖丸は、貧乏人としては当然な事を言った。
「少年ジャ○プに生えて来たキノコは食った」
「うわぁぁ、努力、友情、勝利が菌まみれにー。この惑星はもう終わりだ」
「ヤン○ガに生えたやつはちょっと、栄養源がアレなんで捨てたけど」
「そうか、袋とじグラビアアイドルの水着くらいで抜けるなんて、若いって素晴らしいな」
 ジョン太は、つぶやいた。
「おっちゃんは最近、開封する度にテンション下がるよ」
「一応開けるのかよ。落ち着けよ、おっさんのくせに」
「いつまでも、少年の心は忘れない方向で」
 そんなの、少年の心じゃないと思う。
 だっても見たい物は見たいんだもん…とか、ぶつぶつ文句を言っていたジョン太は、市街地が近付いて来たので聞いた。
「お前、今日はどっちの家に帰るんだ」
「トリコの家の方で」
「そうか」
 右にハンドルを切った。
「近くまで送ってくれなくても、適当な所でいいから」
 鯖丸は言った。
「ジョン太、最近やりにくいって言うのは、やっぱり俺のせい?」
「そんな事はない」
 ジョン太は言った。
「単なる俺のワガママだ」
「ジョン太もワガママ言うんだね」
 少し安心した風に、鯖丸は言った。

 三日振りに帰ると、サキュバスの確保に出掛けていたトリコは、とっくに戻っていたらしく、出張の荷物を片付けた痕跡もとうに消えていて、いつも通りの佇まいだった。
 ただいまと言ってリビングの戸を開けると、トリコはめずらしく早い時間に居て、テーブルの上に突っ伏していたが、顔を上げた。
「ああ、お帰り」
「どうしたの」
 少し様子がおかしいので、鯖丸は聞いた。
「うん」
 何か言い淀んでいたが、こっちに来いと手招きして、デーブルの向かいに座らせた。
「実はね」
「何」
「今月、生理が来ないんだけど」
「ええと」
 鯖丸は、ちょっと考えた。
「ええ?どこで仕込んで来たんだよ、それ」
「最近、お前以外とはやってないよ」
 さすがに、トリコもちょっときつい口調になった。
「だって俺、言われた通りちゃんと避妊してたし」
「そうなんだけどなぁ」
 トリコも、不審な顔をした。
「心当たりなんか…あっ」
「何だ、何かあるのか」
「先月、ちょっと終わった後で外れてた事が…あの、勢いでね」
「言えや、そう言う事はその場で」
「ごめん」
 トリコは、ため息をついて、もう一度テーブルに突っ伏してしまった。
「あの…俺、今後何をどうしたらいい?」
 鯖丸は聞いた。
「お前に出来る事なんて、何もないよ」
 トリコは言った。
「そんな事言うなよ。何か言ってよ」
「じゃあ、責任取れるのかよ、お前」
 鯖丸は、約十秒くらい黙り込んだ。
 短い時間だが、待っていると割合長い。
「分かった」
 何か決定したらしく、顔を上げた。
「学校はしばらく休学して働くよ。それと、明日病院行こう。ちゃんと検査してもらわないと」
「何言ってるんだ、お前」
 このバカが、どれだけ苦労して、何の目的があるのかは知らないが、学業を続けて来たか知っているので、トリコは止めた。
「そんなの、絶対ダメだ」
「剣道部の方はちょっと残念だけど、研究職に就くのは、別に先送りしてもいいけど」
 鯖丸は、割合軽い感じで言った。
「どうせ最近は、人生長いんだし」
 ハイブリット技術の余録で、人間の平均寿命は百二十年くらいになっている。
 このバカなら、あと百年くらいは余裕で生きられるだろう。
「それでもダメだ。お前、その辺の親がかりでちゃらちゃらしてる学生に混じって、どれだけ努力して来たと思ってるんだよ」
「親が居ても、努力してる奴はしてるよ」
 鯖丸は、意外な事を言った。
 そういう友達が居るのかも知れない。
「トリコは、どうしたいの」
 それは考えていなかった。
 単にうろたえていただけなので、ちょっと恥ずかしくなった。
 私の方がいい大人なのに。
「うん、由樹の時も一人でどうにかなったし、お前が無理しないでも別に…」
「無理させろよ、それ、出来てたら俺の子なんだから」
 こんな、子供だと思っていた奴に言われるセリフじゃない。
「お前、今まで一生懸命やって来た事の一部が、チャラになるかも知れないんだぞ」
「トリコより大事な事なんて、無いよ」
 鯖丸は言い切った。
 うわ…今のはちょっと、ぐらっと来た。
「とにかく、明日一緒に病院行こう」
「お前、ほんとに病院好きな」
 医療費が一般人より劇的に安いので、薬局に行くより安上がりなのだろうが。
「別に好きじゃないけど…」
 言いかけた鯖丸は、何か思い付いたらしく、言葉を止めた。
「ドラッグストアで妊娠検査薬売ってたけど、使った?」
「いや…まだ」
「考える前に調べろよ」
 割合、当然の事を非難された。
「買って来る。遅くまで開いてる店あるし」
 出掛ける支度を始めた。
「待て、走って行くつもりか。遠いから車使え」
 トリコは止めたが、お互い人の話は聞かないタイプなので、仕方ない。
 鯖丸は、三十分後に戻って来た。
 肩で息をしながら、全速力で戻って来た鯖丸に、トリコは申し訳なさそうな視線を向けた。
「ごめん」
「何が?」
 鯖丸はたずねた。
「ちょっと遅れてただけだった」
 鯖丸は、その場に倒れた。
「あの…」
 ほぼ瀕死の状態で、鯖丸は薬局のレシートを差し出した。
「共同責任だから、半分出して」

 一週間後くらいには、二人とも性懲りもなくエロ行為に励んでいた。
 困った人達である。
 鯖丸は、いつもよりちょっと弱っていた。
「どうしたんだお前らしくない」
 トリコは聞いた。
「誰のせいだと…」
 鯖丸は、ぶつぶつ言った。
「あれは悪かったと思ってるよ。もうちょっと落ち着いて考えれば良かっただけなのに」
「違う、一昨日の」
 一昨日、下の階のテル君一家が引っ越して行った。
 美容師をやっている両親が、店を持つ事になったとかで、そこそこ近所にある店舗兼住宅の貸し物件への引っ越しだった。
 特に何も考えないで手伝いに行った鯖丸は、体育会系でガタイのいい若い男がやって来たので、すっかり当てにされて、がんがん荷物を運ばされたのだ。
「冷蔵庫はないだろ、冷蔵庫は。二階だぞ、あの部屋。久し振りにどっかボキっと行くかと思ったわ」
「まさか、持ち上げるとは思わないから」
 無責任に煽ったトリコは、いい加減な事を言った。
「洗濯機でやめとけば良かった。それでなくても最近、溝呂木先生に五割り増しでしごかれてるのに」
 何が五割り増しなのか知らないが、それで大丈夫だと判断されたなら、いい事だ。
「腰がだるい。トリコ上になって」
 なめた事を言い始めた。
「ええー、私だって、荷造りとか掃除とかで疲れてるんだけど」
 普通に寝るという選択肢がない辺りが恐ろしい。
「しょうがないなぁ、一回だけだぞ」
 バカを甘やかしている最中に、がちゃりとドアが開いた。
 二人とも、抱き合ったまま固まった。
 由樹が、ぐずぐず泣きながら、ドアを開けている。
 今まで、口では邪魔してやるとか言っても、こんな事は一度もなかったので、驚いた。
 トリコは、鯖丸を放り出して、脱いだパジャマを拾って着ながら、ベッドを降りた。
「どうしたんだよ、お前。寝ぼけたのか」
 泣いている由樹を抱き上げた。
「何かあったの」
 鯖丸は聞いた。
「テル君が引っ越して、ちょっと寂しいだけだと思うけど」
 トリコは言った。
「前はこんな事、よくあったんだけど、最近は平気だったのになぁ」
 ぐずっている由樹を寝かしつけている
 ああ、今晩はもう、何も出来ないな。
 鯖丸は、ため息をついて、自分も脱いだ寝間着を着始めた。
「お前、悪いけど今日は、由樹の部屋で寝てくれないか」
 トリコは言った。
 由樹の部屋というのは、2LDKの中で唯一和室で、六畳間の半分は、タンスや棚で仕切って、物置になっている。
 残りの半分が、子供部屋に使われていた。
「ええっ、やだよ。折角だから、三人川の字で」
 こんなガタイのいい体育会系と、セミダブルのベッドで川の字は、御免被る。
「狭いだろう」
 一応、言った。
「そこがいいのに」
 何がどういいのか、さっぱり分からない。
「三人で寝るよなぁ、由樹」
「うん、鯖くんも一緒がいい」
 二人の間に入った由樹は、安心した様に、あっさり寝てしまった。
 鯖丸とトリコは、顔を見合わせた。
「由樹って、ませてるよね」
 鯖丸は言った。
「五歳の子供だっていうの、全然忘れてた」
「まぁ、親の私でも、たまに忘れるけどな」
 トリコは言った。

 テル君が居なくなってから、由樹はすっかり甘えっ子になってしまった。
 昼間はともかく、夜遅い時間まで遊んでくれる友達が居なくなったせいかも知れない。
「こんな事で大丈夫かなあ」と、トリコは言った。
「来週、けっこう長い仕事が入ってるんだけど」
 以前から準備していたので、自分は係わっていないが、鯖丸も知っていた。
 一週間から十日くらいの日程になるはずだ。
「お前、悪いけど、来週はずっと家に居てくれないか」
 週休二日で自分のアパートに帰っていたが、別に、こっちに居ても不都合はない。
「いいよ。ここからの方が学校にも近いし」
 大して違わないのに、そんな風に言ってくれるのは、ありがたいと思う。
 二ヶ月ちょっと一緒に住んでいるので、幼稚園や託児所の送り迎えも慣れている。
「一応、三日分くらいは、食事も作り置きと冷凍してあるけど、全部は無理だから」
「適当に外食していいんだ」
 鯖丸は言った。
 久し振りに、まるまるバナナとか、唐揚げちゃんとかが食える。
「あんまり、変なもん食うなよ」
 トリコは、釘を刺した。

 炊きあがったごはんを詰め込み、夕食の残りとトリコが作ってくれたおかずを、空きスペースに押し込んだ、雑な弁当を二人分用意して、鯖丸と由樹は家を出た。
 いつも通り幼稚園バスを待つ集団に加わって、欠伸をしながら待っていると、由樹は文句を言い始めた。
「あの弁当はないよ。ごはんのおかずに、ピザって、あり得ないだろ」
 昨夜の晩ご飯は、冷凍庫に入っていたピザだった。
 一応、栄養のバランスを考えてサラダも作ったが、すごい出来映えだったのは、言うまでもない。
 それでも、晩ご飯にピザというのは珍しいので、由樹も一応喜んでいたはずだが。
「食えるだけありがたいと思え。ピザなんてな、贅沢品だぞ」
 隣に立っていた近所の奥さんが、ぎょっとした顔をした。
 ごはんの上にピザが乗っている地獄弁当を想像したに違いない。
「おれ、コンビニのおにぎりの方が良かった…」
 由樹は、つらい顔をした。
「お母さん、どうかしたの?」
 さすがに気になったのか、聞かれた。
 家が近所で、子供も同じ幼稚園なので、ここでバスを待っている皆は、トリコが子供ではないのは知っている。
「母ちゃん、出張なんだ」
 由樹は言った。
「そう、大変ね。お兄ちゃんと二人留守番で」
 由樹と兄弟だとは思われていないが、何となく、トリコの弟みたいな認識になってしまっている。
「受験勉強なんかも、大変でしょう。今、何年生?」
「三年です」
 ああ、また高校生と間違われてる。今更、大学の三年だとは言いづらい。
 如月さん出張なんですって…とか、周りに言い触らし始めた。
 早く逃げたい…と思っている所にバスが来た。

 翌朝、同じ時間に列に並ぶと、昨日の奥さんがタッパーを差し出した。
「あの、これ作り過ぎたから、二人で食べて」
 半透明の蓋から、カボチャのそぼろあんかけみたいな物が、透けて見える。
「お兄ちゃん、学校もあるし、色々大変でしょう」
「うわーうまそう。ありがとうございます」
 食い物をもらった時のリアクションは、大変いい。奥さんもにこにこしている。
「うちも、残り物で悪いけど…」
 別の奥さんが、ほうれん草のおひたしをくれた。
 由樹、グッドジョブ。トリコの出張と、地獄弁当を宣伝したおかげだ。
 一気に食糧事情が良くなったので、鯖丸はほくほくしながら、バスを待った。
 バスが行ってしまってから、家に戻ろうとした所を呼び止められた。
 幼稚園のバスを待っている集団の中では、唯一同性の男で、年齢は二十代後半から三十才くらいに見える。
 見えるだけで、実際の所は分からないが。
「如月さん…」
「何ですか」
 以前は普通の会社員だったが、子供が生まれてから専業主夫をしているという話は聞いていた。
 というか、ママ友のそういう会話に、普通に入って行けるこいつが、希有な才能の持ち主だ。
「ええと、本当に如月さんでいいかな?君、弟じゃないでしょう」
 ああ、やっぱり同性だと分かるかな…と思った。
「はい。武藤です」
 一応、付け加えた。
「あの、高校生じゃなくて、大学の三年生なんですけど」
 男は、少しほっとした顔をした。
「日浦です」
 名刺でも出されるかと思ったが、やはりタッパーを出された。
「あっ、トンカツだ。すげー」
 物が肉だと、喜び度が三割り増し違う。
「チキンカツだよ」
 釘を刺された。
「困った事があったら、相談に乗るよ」
 名刺も渡された。
 名前の他に、URLが記載されている。
「続きはWEBで」
 男は言って、去った。
「変な人だ」
 自分の事は棚に上げて、鯖丸はつぶやいた。

 カリスマ主夫の日記的な日浦のブログに、チキンカツ親子丼のレシピが載っていたので、夕食は決定した。
 結果的に、玉子ががちがちに煮詰まった、味の薄い丼物になってしまったのだが、めんつゆをかければ、何とか食える。
「明日は、お弁当作らなくていいよ」
 由樹は言った。
「何だよ、俺の弁当がセンス悪いから、いじめられたのか」
「鯖くんも、色々大変だと思って」
 子供らしくない事を言い始めた。
「何だよー、子供が遠慮するな」
「ピザ弁当が美味しくない」
 当たり前の事を言われた。
「まぁ、あれは俺も失敗だと思った」
 自分も食べたので、その辺は気が付いているらしい。
「明日は、もらったおかずとか冷食入れて、普通にするから」
「鯖くんの普通は、当てにならない」
 嫌な親子丼を食べながら、由樹は言った。
 当然の意見だ。
「食えるだけ有り難いと思えよ」
 昭和生まれの年寄りみたいな事を言い出した。
「早く寝ろ。俺は勉強とかバイトとか、忙しいんだから」
「ちぇ、今日もバイトなんだ」
 由樹は、嫌そうに言った。
 それは俺だって、やらないで済むなら、そっちのがいいけど。
「今日中には帰るから」
 心細い表情になった子供に言った。
「お土産もらって来るから、一人で寝られるよな」
「お土産って、ケーキ?」
「まぁ、ケーキ的な何か」
 菓子工場で、こんな季節からクリスマスケーキの製造をしている。
 世間に出回っているあれが、冷凍だという事を初めて知った。
 残りくずのスポンジとかをこそっともらって帰るのが、日課になっている。
 生クリームなんかも少し付いていて、割とうまい。
 食事が終わって、出掛ける支度をしている鯖丸に、由樹は聞いた。
「鯖くん、学校の勉強って、楽しい?」
「うん」
 そんな事、今まで誰にも聞かれなかった。
「そりゃ、楽しいよ。嫌だったらとっくに就職して、もっといい生活してるもん」
「ふうん」
 由樹はうなずいた。
「友達の兄ちゃんは、学校嫌なんだって」
「へぇ」
 友達の兄ちゃんなら、せいぜい小学生だ。
 そう言えば、子供の頃は、学校ってけっこう嫌いだったなぁと思い出した。
「最近は学校にも行ってないんだって。おれも、家庭の事情がフクザツだから、同じようになるかもって言われた」
「学校なんて、行きたい奴だけ行けばいいんだよ」
 鯖丸は言った。
「お前は、頭いいし、しっかりしてるから、大丈夫だ。好きな様にしたらいいさ」
「でも、みんな習い事とか、色々してるし」
「何か、やりたい事あるの」
 一応、聞いてみた。
「サッカーか野球がやりたい」
 由樹は言った。
「じゃあ、それやりなよ」
 鯖丸は、言った後で一応聞いた。
「えーと、剣道は?」
「頭にかぶるあれが、かっこ悪い。あと、鎧も変。ビッグ・ザ・ブドー?」
「うっ…」
 競技人口を増やすのは、難しそうだ。
「そんな事言うなよ。夏場は気絶しそうなくらい臭いのを、我慢して被ってるのに」
 そんなスポーツは、絶対、御免被る。
「ええかげん新しいの欲しい。いや…せめてクリーニングに出せる予算が」
 長年使っているので、すっかり伝説の呪いの防具三点セットになっている。
 装備すると、守備力が10下がるのだ。下がった分は、気合いで補強。
「昇段試験の時に、チョークでごりごり番号書き込むのも止めて欲しいよ、全く。こっちは予備なんて買えないのに」
 だんだん、愚痴になって来た。
「行って来る。大人しく留守番しててな」
 由樹は、心細い顔で見送った。

 十二時近くに帰ると、由樹はまだ起きていた。
 点けっぱなしのテレビの前に座って、携帯ゲーム機のゲームをやっている。
「お前、テレビ見るかゲームやるか、どっちかにしろよ」
 一応注意したが、こんな時間まで起きている事に関しては、スルーの方向だ。
「鯖くん、遅いよぉ」
 しがみついて、ぐずぐず言い始めた。
 これでも、全速力で戻って来たんだが。
 まだ四日目なのに、この先大丈夫かなぁ…と思った。
 トリコ、一週間で帰って来ればいいけど。
「お前、明日から託児所にお泊まりするか?俺、明日も遅いんだけど」
「いやだぁ」
 本気で泣き出した。
 鯖丸は、ため息をついて由樹を抱き上げた。
「分かった。もう寝ようぜ、明日も早いから」

「そういう訳なんです、先生」
 鯖丸は、びしっと正座して、言った。
「どういう訳だ!!」
 溝呂木先生は、隣で正座している幼児と、天然のバカを交互に見た。
「子供を連れて来るな。何を考えているんだ、お前は」
 どうせ、何も考えていないのが分かっているのに、つい言ってしまった。
「幼い子供は、放置しているだけで虐待になるんですよ。これ以上俺の前科が増えてもいいんですか」
 何も考えていないくせに、屁理屈だけはすらすら出て来るのが憎らしい。
「お前の前科は、少年Aの頃だろうが。こいつを放置してるのはゴスロリだろう。お前は関係ない」
「一応、預かったので俺の責任なんですけど」
 鯖丸は言った。
「倉田教授は、一緒に遊んでくれたのに。先生、心狭〜い」
 そんな、西瀬戸大一の変人と一緒にしないで欲しい。
「親切にすれば、将来の競技人口が増えるかも知れないのに」
「愛読書は、六三四の剣とバンブー・ブレードです」
 ビッグ・ザ・ブドーとか言っていたくせに、由樹はすらすらと教えられた通りのウソをこいた。
「それは、お前の愛読書だろうが。幼児が読む本か。見学なら、うちの道場に連れて来い」
 溝呂木は、鯖丸の胸ぐらを掴んだ。
「ちっ、バレたか」
 鯖丸は、初期設定でばれる様な大嘘をこいたくせに、不満げな顔でつぶやいた。
 溝呂木は、鯖丸を放り出した。
「もういい、邪魔はさせるなよ」
 くそっ、あの女、本気でいつか泣かす…とか、絶対無理な事を言いながら、溝呂木先生は一年の練習を見に行ってしまった。

 剣道部の皆が、面白がって構い倒したので、由樹はたった一日で、基本の型をけっこう憶えていた。
 幼児の学習能力は、侮りがたい。
 特に、女子部からの人気は絶大だ。
 きゃーかわいい、とか言われている
「可愛さでは互角だと思うんだけどなぁ…」
 鯖丸は、寝言を言った。
 一応、男前でないのは自覚しているらしいが、可愛いのと童顔なのは別の話だ。
 部の練習はまだ続いていたが、鯖丸はバイトがあると言って、由樹の手を引いて帰ってしまった。
 確かに、こんな奴が居ると、部の規律が乱れるので、溝呂木が怒るのもうなずける。
 当人も、溝呂木が建前で怒っているのは知っているので、神妙な顔はして見せるが、全然堪えていない。
「今日は、九時ぐらいで帰れるからな」
 託児所までの、近くはない道のりを歩きながら、鯖丸は言った。
 丁度、家庭教師の募集があったので、クリスマスケーキから切り替える事にした。
 深夜から早朝まで、コンビニのバイトを入れているのは、由樹には内緒だ。
「うん、分かった」と、由樹はうなずいた。
「おれ、泣かないで待ってる」
 こんな年齢の子供が、一人で取り残される心細さはどれくらいだろうと思った。
 経験が無いので想像が付かない。
「そうか、由樹は強いな」
 小さな手を握ると、由樹はぎゅっと握り返した。
「うん、おれってけっこう強いよ」
 由樹は、少し泣きそうな顔をして、それでも笑った。

 トリコは、十日後に戻って来た。
 色々大変だったろうと云うのは、何となく分かった。
 詳しい仕事の内容は、話してくれなかった。
 口外出来ない類の事なのだろう。
 遅くなって悪かったなという言葉以外に、説明はなかった。
 それで充分だ。
 二人で揃って、トリコを迎えた。
 お帰りなさいと二人で言った。
 トリコは笑ってうなずいた。

2010.3/10up










後書き…というか、何と言うか
 今頃になって後編か…というご意見もあるでしょうが、何て言うか、今頃になっちゃいました。
 実は、後編の90パーセントくらいは、もっと前に書き上がってたんですが、最後の辺りが放りっぱなしになってたので、今頃にupです。
 何て言うかもう、鯖丸が子供…と、書いてる本人は思いますが、読んでくださる方は、それ程でもないと思うかも。
 とにかく、書き終わって良かったです。
 出来不出来とかはともかく。

大体三匹ぐらいが斬る!! 4.5 back

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