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大体三匹ぐらいが斬る!! back next

登場人物

武藤玲司(鯖丸) 貧乏な大学生。最近下ネタ方面に暴走しがちな悪魔超人(下半身が)。この話にR指定が付いたら、たぶんこいつのせいです。

ジョナサン・T・ウィンチェスター(ジョン太) 犬型ハイブリット。天然ボケに振り回される微妙なツッコミ。見かけによらずナイーブなおぢちゃん。

如月トリコ(トリコ) 元政府公認魔道士。ビーストマスターの二つ名を持つ腕利きの魔女。鯖丸を悪魔超人に改造してしまった張本人。

如月由樹 トリコと海斗の息子。母親の男遊びもさらっと流す、出来た幼稚園児。

如月海斗(ハンニバル) 六年振りに異界から戻って来たトリコの夫。殿の弟子に体を乗っ取られている。

殿 異界から来た魔法使い。弟子との決着を付ける為に魔界に留まっている。趣味はカラオケ。

秋本隆一(トゲ男) 自称ではなく本気で鯖丸のライバルになってしまった、広大剣道部二年の男前。バイトで殿の使いっぱをしている。

土方里見(バラクーダ) NMC中四国支所の所長。元ヤン。あちこちに色んなコネがある謎の人。

上方ヨシオ NMC関西本社の社員で、お笑い芸人。魔法使いとしては中堅だが、本業ではあまり売れていない。

柱谷真希(エンマ) NMC関西本社の社員。火炎系の魔法が得意。

殿の弟子 異界から来た魔法使い。ハンニバルの体を乗っ取って、外界に出て来ている。

大体三匹ぐらいが斬る!!

5.三匹(vol.2)

 
翌朝、ジョン太は派手な物音で目を覚ました。
 鯖丸とトゲ男が、向かい合って竹刀を構えている。
 ケンカではない様子なので、起き上がって目をこすり、ぼんやり見物した。
 二人とも魔法整形しているのは、防具の代わりなのだろうが、それ意外には魔法は使っていない様子だった。
 ああ、単なる朝練か、若者は元気だなぁ。
 トゲ男が、以前に比べて、物凄く強くなっているのが分かった。
 もう、ほとんど互角の勝負だ。
 真剣を振り回して戦っている時と違って、鯖丸が本気で楽しそうだ。
 お互い二本ずつ取った所で、二人ともジョン太が起きたのに気が付いた。
「あ、お早うジョン太」
「おはようございます」
 二人は同時に挨拶した。
「んー、おはよう」
 誰かがかけてくれた毛布を脇へやって、広間を見渡した。
 部屋の隅に、マイクを握りしめた殿が、前のめりに倒れている。
「あれ、そのままでいいのか」
 不安になって聞いた。
「いいんですよ。殿は本体に戻って寝てますから」
 トゲ男は言った。
「殿も寝るんだ…」
 ぼんやりと座ってつぶやいている、テンションの低いジョン太を、鯖丸は少し心配そうに見た。
「昨夜変だったけど、何かあった?」
「ええと…」
 ちょっと迷ってから白状した。
「トリコとリンク張ろうとして、失敗した」
「そうなんだ」
 それ以上は聞かないつもりらしく、竹刀を構えてもう一度トゲ男と向かい合った。
 ジョン太は、頭を掻きながらぼんやり二人を見て言った。
「鯖丸、お前な…」
「何?」
「上段から撃ち込む時だけ、一拍タメが入る。斬り合いじゃねぇんだから、一撃を重くしなくても、当てりゃいいだろ。お前の取り柄はスピードなんだから」
「ええ、そうなんだ。気が付かなかった」
「くそ、永遠に気が付かないで欲しかったのに。唯一のスキが…」
「トゲ男は、無駄な動きが多い。こんな早いだけの奴なら、防御の上からでも撃ち込めるくらい力はあるんだから、もっと丁寧に動け」
「どっちの味方だ、ジョン太」
「別にどっちでも…」
 テンション低いくせに、何で見る所はしっかり見てるんだ、このおっちゃんは。
「一旦外界に戻るから、準備してくれ」
 言ってから、立ち上がって広間を出て行った。
「あの人何者?」
 トゲ男はたずねた。

 由樹と一緒に、しばらく城に居るというトリコを残して、ジョン太と鯖丸は魔界を出た。
 境界を抜けてすぐに、ジョン太は会社に連絡を入れた。
 電話には所長が出た。
「ああ、別に何事も無かった。無事だよ」
 所長は答えた。
「トリコと…何だっけあの子の名前」
「由樹」
「それそれ。行き先を聞かれただけだ」
「何て答えたんだ」
 ジョン太は聞いた。
 めずらしく、所長に対してタメ口になっている。
「トリコの実家に行ったって」
 所長は答えた。
「ええ?実家って、それ何処?」
 ジョン太は聞き返した。
「知らん」
 所長は相変わらず大雑把だった。
「しかし、納得して帰った」
「おい、トリコの実家って、何処だ」
 ジョン太は、鯖丸に聞いた。
「詳しく知らないけど、東北の方」
 鯖丸は答えた。
 確か、小さな穴があった。
 年々規模が縮小しているので、今はもう、魔界とは呼べなくなっている。
 こういう、変動する魔界は意外と多い。
 トラウマ映像の、吹雪の風景を思い出した。
 殿の弟子は、体と一緒に記憶も引き継いでいると言っていた。
 ハンニバルは当然、トリコの実家くらい知っているだろう。
 ちゃんと騙されてくれているかどうか、その辺は疑わしかったが。
「それと、仕事が入ってるから、早く戻れ」
 所長は言って、電話を切った。
「仕事だって」
 ジョン太は、鯖丸を振り返った。
「こんな時に…」
 鯖丸はぶつぶつ言った。
 トゲ男がこちらに来るのが見えた。
 歩きだと時間が掛かるのか、ママチャリを転がしている。物凄く似合わない。
 境界の手前で自転車を降りたトゲ男は、歩きで境界を越えて来た。
 境界がぐにゃりと歪むのを見て、ジョン太は目をこすった。
「あれ…」
 今まで、境界が見えた事は無かった。
 リンクは失敗したが、ある程度は魔力が上がっている。
 境界を出たトゲ男は、秋本に戻って原付の方に歩き出した。
「おおい、今から帰りか」
 ジョン太は声をかけた。
「ええ、これから市内まで」
「お前、広大じゃん。何で市内に帰るの」
 鯖丸は不思議そうに聞いた。
 ちょっと待てえ。このバカ、しまなみ海道を渡らせて、秋本を呼びつけるつもりだったのか。
「鬼畜だな、お前」
 ジョン太はぼやいた。
「うーん、何でこんなに早く来れたんだろうとは思った」
 鯖丸は全く悪びれなかった。
「実家はこっちなんですよ」
 秋本は言った。
「向こうに居たら、さすがに来るかぁ、このバカ」
 鯖丸に怒鳴った。
「ごめんね、バカで」
 ジョン太が謝った。
 とはいえ、広島ナンバーの原付に乗っていると言う事は、これで実家に帰って来たという事だ。
 若者って、無謀でいいなぁ…何時間ぐらいかかったんだろう。
「何か、悪かったね、面倒かけて。送ってくから、乗りな」
 車を指差すと、秋本は首を横に振った。
「バイク置いてけないし」
「積めばいいよ、ほら」
 自転車を扱う様に、軽々と原付を持ち上げて、キャリーに括り付けてしまった。
「うわー、何だこのおっさん」
 秋本は叫んだ。
「ジョン太は大体、いつもこうだよ」
 鯖丸は、もう慣れきっていた。

 気の毒なのでメシはおごるからと言って、いつもの定食屋に入った。
 鯖丸の顔を見たパートのおばちゃんが「ごはん炊いて、早く」と言っているのが聞こえた。
 最近、以前ほど無茶な食い方はしなくなったが、体育会系二人がかりなので、テーブルの上が大変な事になっている。
 トリコが厳しく指導したせいで、栄養のバランスはちゃんと考える様になったらしく、おかずのチョイスが以前と違っていた。
 納豆とか、野菜の煮付けとか、今まで見なかった面子が混じっている。
 ジョン太は、ガタイの割に小食なので、若いもん二人が食いまくっている横で、簡素な朝定食をもそもそ食べていた。
 ハイブリットは燃費がいいのだ。
「秋本、何でこんな時期に実家に帰ってるんだよ」
 鯖丸は聞いた。
「冬休みだから帰るだろ」
 秋本は答えた。
「俺だって、色々あるんだよ。家庭の事情とか」
「まぁいいけど。その間に俺の方がさくっと強くなってるから」
 鯖丸は、メシを食いながら言った。
「来年の春で、終わりだし」
「何だよ、それ」
 秋本も、がしがしメシを食いながらたずねた。
「来年は学業に専念する。本当は春の大会も出ないつもりだったけど、勝ち逃げしたいからな」
 サンマを、むしらないで丸食いしながら、鯖丸は言った。
 秋本は、ショックを受けた様子だった。
「ウソだろ。俺は、お前をたたきのめすのを目標に…」
「そんなくだらん目標は忘れろ。お前、もっと上に行けるよ」
 鯖丸は言った。
「どっちにしろ、俺、お前より一コ年上だぞ。学生の試合には、最後まで付き合えないだろ」
「ええーっ」
 秋本とジョン太は、同時に驚いた。
「いや、ジョン太はいいけど、秋本驚くな」
 鯖丸は言った。
「別に、年下のくせにタメ口利きやがって…とか、思ってないし」
 絶対思ってる、こいつ。
「まあ、部活は止めても剣道は続けるよ。俺を負かしたかったら、お前も続けて一般の大会に出て来いや」
 メシを食い続けながら、武藤玲司は言った。
「二度と見られない面にしてやるから」
「それは、こっちのセリフだ」
 秋本は言った。

 コンビニで買い物して、市内に戻った。
 トリコに止められているせいか、鯖丸はまるまるバナナは買わないで、牛乳を買っていた。
 秋本は、弟と妹にお土産と言って、自費でポテチを買っていた。
 コンソメ味だ。
 国道を走り続けながら、牛乳を飲んでいた鯖丸は、突然車を止めた。
「やばい、腹痛い」
 本気でやばそうだ。
「冷たい牛乳一気に飲んだら、腹壊すんだった。忘れてた」
「忘れるなよ」
 ジョン太は、運転を代わる事にした。
「何で出汁じゃこ食わされてたか、本気で忘れてた。牛乳ダメなんだ俺」
「バカだろ、お前」
 ジョン太は言った。
 知ってたけど。
「ふはははは、気の毒にな。お前のライバルはバカ」
 鯖丸は、偉そうに笑った。
 そんな事言ってる場合か。ていうか、自分で言うな。
「次のコンビニまで、あと二キロー」
 秋本は、冷静に言った。
「ライバルがバカでも、俺、泣かない」
 言ったけど、微妙に嫌そうだった。

 西口のゲートは、西谷魔法商会の関係者らしき三人が出て行ってから、しばらく人通りが無かった。
 平日の昼間としては、珍しい事ではない。
 観光客の出入りする時間とも少し外れているし、魔界の住人が、外界に買い物や遊びで出掛けるにも、中途半端な時間帯だ。
 ゲート近くまで運行している、本数の少ないバスも、到着まで随分時間があった。
 国道からゲートまでの道を、徒歩の男がやって来た。
 多少不審だったが、魔界に出入りし居てる様な奴は、大体不審な輩が多い。
 こうして、正面からゲートを通ろうとしているから、少なくとも不法侵入のプレイヤーではないだろう。
 最近は、きちんとしたパスポートを取得して魔界に入った後で、無茶な事をする合法プレイヤーも居るが、それにしては年齢が高い。
 こちらでシノギをしているヤクザにも見えないし…と思案していると、パスポートを提示された。
 政府公認魔導士しか持っていない、どんな場合にどんな場所でもゲートを通過出来るフリーパスだ。
「通っていいかな」
 男は、人なつこい顔でにこりと笑った。
 政府公認魔導士なら、多少不審な行動をしていても不思議ではない。
 あの連中は、おかしな奴らが多い。むしろ、この男は好感が持てる方だ。
「どうぞ」
 ゲートの係員は、バーを上げるレバーを引いた。
「お仕事、ご苦労様です」
「ありがとう」
 男は、片手を上げて挨拶し、ゲートの向こうに歩み去った。

 所長は、二人が戻るのを待っていた。
 本当は、トリコも一緒だと良かったんだが…と言った。
「本社からの応援要請だ。ハンニバルの確保を依頼されて、失敗したらしい」
 そういう仕事なら、トリコも大急ぎで戻って来るはずだ。
「何で」
 鯖丸は聞いた。
「普通、政府公認魔導士の方でやる仕事じゃないですか」
「はっきりとは言わなかったが、たぶん政府の奴らも返り討ちに遭ったんだろうな。
 お前らみたいに、外界でも強い魔法使いなんて、あんまり居ないんだよ」
 ジョン太と一緒にされる程は強くないけど…と、鯖丸はつぶやいた。
「本社でも怪我人が出た。断るなよ。お前が怪我した時、応援に来てもらってるんだから」
「はい」
 たった一年前の話だ。
 もっと昔の事の様に思える。
「じゃあ俺、もう一回戻って、トリコ連れて来ますよ」
 ジョン太は、上着を手に取った。
 鯖丸のケータイが鳴った。
 普段、仕事中に私用の電話に出たりする奴ではないのだが、着信画面を見て、顔色を変えて話しかけた。
「ええっ、どうやって電話してるの」
「トリコか」
 ジョン太はたずねた。
「違う。殿だ」
「うそ。どうやって…」
 何で魔界から電話して来れるんだ。
 鯖丸は、耳元にケータイを当てたまま、外部スピーカー検索モードに入れた。
 程なく、一番近くで起動していた所長のパソコンから、音声が流れ出した。
「すまない、由樹が連れて行かれた」
 外界で聞く殿の声は、奇妙な違和感があった。
「トリコが我が弟子を追っている。早く助けに行ってくれ。どんな無茶をするか、分からない」
「分かった。殿も無茶しないで早く戻って。そんな事したら、死ぬかも」
「境界の外に出てるのか?」
 ジョン太は、鯖丸にたずねた。
「体半分出てるって」
 相当危険な状態だ。
「かまわん。だいぶ痛んだから、この体はここで捨てる」
 殿はあっさり言った。
 そう言えば、本体は別の場所にあると言っていた。
「いいか、良く聞いてくれ。体の乗り換えは、こちらの世界では出来ない。この場所から戻れる我々の世界では、吾輩の味方が守りを固めている。
 ここから一番近い別の穴に行くはずだ」
「関西だな」
 ジョン太は自分のケータイを出してトリコにメールを打ち始めた。
 ハンニバルが六年振りに現れたのも、関西の穴だった。
「うん、すぐにトリコと合流するよ。ごめん、迷惑かけて」
「吾輩の問題でもある。気にするな」
 そこで少しの間声が途切れた。
「この体では、発声が困難になって来た。もう切る。次は新しい体で会おう。さらば」
 電話は切れた。

 魔界の境界上に、何かがばさりと崩れ落ちた。
 境界の外側にあった部分は、あっという間に灰の様になって、四散した。
 内側に残った残骸の中から、何か形の定まらない物が飛び出した。
 しばらく宙を舞ったそれは、かすかに発光しながら城に向かって飛び去った。

 トリコからの返信が中々来ないので、業を煮やしたジョン太は電話をかけ始めた。
「待って、ハンニバルの後を付けてたりしたら、急にケータイ鳴ったらヤバイんじゃない」
 鯖丸は止めた。
「知るか」
 おっちゃん、ご機嫌が悪そうだ。
「あいつは大体、いつも一人で後先考えずに突っ走るんだ。チームを組んでる意味、分かってんのか」
 バイトの鯖丸と違って、常勤のトリコとジョン太は、二人だけで組む事も多い。
 天然ボケとはいえ、一応姐さんが暴走し始めたら止めるポジションの鯖丸が居ないと、一人でがんがん突っ込みがちだと、ジョン太は普段からこぼしていた。
「仕方ないよ。単独でやってた期間が長いんだし」
 この会社に来るまでは、政府公認魔導士として、単独の潜入捜査をしていたトリコと、単独の作戦行動はまずあり得ない元軍人のジョン太では、行動パターンが違いすぎる。
「それにきっと、ハンニバルの事で、他人を巻き込みたくないんだ」
 鯖丸も、ちょっとご機嫌悪くなって来た。
「くそっ、他人じゃないだろ。ていうか、あのおっさん、何で帰って来たんだよ。
 このままじゃ、親子三人で仲良く暮らして行く予定が台無しだ」
「お前も、何もかも間違ってるぞ」
 ジョン太は一応止めてから、くそ、出ねぇと言ってケータイを切った。
 次の瞬間、ジョン太のケータイが鳴った。
 どこからそんな物捜して来たのか知らないが、レトロな音楽と共にストリップ劇場の呼び込み音声が流れ始めた。
 おっちゃん、トリコ専用の着メロを『うぐいすだにミュージックホール』に設定していらっしゃる。
 本人が聞いたら、きっと殴られるだろう。
 所長と鯖丸は、顔を見合わせた。
 自分の着メロが心配になったのだ。
「遅い」
 電話を取るなり、ジョン太は怒鳴った。
『黙れ。今、JRに乗ってる。本当はケータイ禁止だぞ』
 昔の様に、電子機器やペースメーカーへの干渉は無くなったが、マナー違反なのは今も同じだ。
「ハンニバルを追ってるなら、無茶はするな。行き先を言え、すぐに合流する」
 ジョン太のケータイは、古い機種なので、スピーカーの外部検索モードが付いていない。
 鯖丸は、ジョン太のケータイに顔を近づけた。
「ハンニバル確保の応援要請が入った。仕事になったんだ。遠慮しないで何でも言って」
『このルートなら、瀬戸大橋経由で新幹線に乗り換えて大阪だ』
 トリコは言ってから、急に訂正した。
『いや…途中で降りる。東予港からフェリーだ』
 鉄道と違って、時間はかかるが途中下車の出来ない密室状態の移動だ。
 飛行機よりもセキュリティーチェックが格段に甘い上に、海上に相手を放り出してしまえば、証拠も残りにくい。
 追っ手を返り討ちにするには、最適な乗り物だ。
「オレンジフェリーだ。時刻表調べろ」
 ジョン太は言った。
「分かった」
 鯖丸が、ケータイのweb機能に接続する前に、所長が机の上にあったタウン誌を開いた。
「二時発大阪南港行きの便がある。車で行けば間に合うぞ」
 アナログ強い。
「関西本社出張でいいですね」
 ジョン太は、念を押した。
「いいぞ。お前らの装備は、こっちで配送手続きしておく。希望はあるか…あれ?」
 所長は、変な顔をして装備品一覧を覗き込んだ。
「武藤君、君、バイトなのに独断で備品の発注してるね。何だこの変換プラグと延長ケーブル十メートルって」
「あのー、これ魔界でも使えるってトリコが言うから」
 鯖丸は、自分の首筋に付いたインターフェイスを指差した。
「使ってみようかなって」
「うわ、安物。もっと抵抗の少ないいいやつ注文しろよ、相談してから」
 所長は言った。
「これで充分行けますよ。繋がればいいだけだから」
 鯖丸は答えた。
「何に使うんだ。そんな十メートルのケーブル引きずって戦うつもりかよ。汎用人型決戦兵器か、お前は」
 ジョン太が、めずらしくオタク系のツッコミを入れた。おっちゃん、思いの外守備範囲が広い。
「違うよ。有線接続すれば、魔界で作動しない機械が動かせるはずなんだ」
 元政府公認魔導士からの情報リークとしては、かなりいい部類だった。
 ゆっくり試している閑がないのは残念だ。
「車は古い方使え。あっちの港は駐車料金要らないから、置きっぱなしでいいぞ」
 さすが田舎、土地が余っているので太っ腹だ。
「じゃあ、行って来ます」
 二人は、挨拶して事務所を出た。

 港までは、高速を使えばあっという間だったが、三十年前のジムニーで高速に乗る事については、鯖丸はかなり不安らしかった。
「爆発するんじゃないの、この車」
「する訳ねぇだろ。車検も通ってるんだから」
 文句を言う割に、アクセルを床まで踏み込んでエンジンをぶん回している鯖丸を横目で見て、ジョン太は言った。
 ケータイで、予約センターにアクセスして、空席を調べている。
 予約しなくても余裕で乗れそうなので、乗船券は現地で買う事にしたらしかった。
「うちのゼミの倉田教授なら、これくらいの悪条件が揃えば、八割方爆発させるよ」
「その教授、ぼさぼさの白髪で、白衣着てて、眼鏡かけてるだろ」
「何で分かるの」
 鯖丸は驚いた。
 うわー、絶対その教授、マッド系だ。
 港に着くまで時間が空いたので、ジョン太はみっちゃんにメールを入れ始めた。
 急な出張で大阪に行くという内容の英文を、すごい速さで打っている。
「ジョン太、メールはいつも英語なんだ」
 横目でちらりと見て、鯖丸は言った。
「日本語は、変換がめんどくせぇ」
 ジョン太は言った。
「トリコは英語分からないから、日本語でメールしてくれたよね」
 鯖丸は、一応聞いた。
「え…?あいつ英文読めないのか」
 道理で、いくらメールしても、返信しないで電話がかかって来ると思った。
「読めないどころか、全然分からないから。外界の学校に行ってないし」
「えーと」
 そんなんでよく、リンク張る直前まで持って行けたなぁ…と思った。
 絶対、何がどうなっているか、分からなかったはずだ。
「トリコって、お前より魔力高い?」
 ジョン太は聞いた。
 本人は、鯖丸の方が魔力が高いと言っていたが、思考言語が理解出来ないのに、トラウマ映像の最深部まで潜れる奴は、普通居ない。
 自分は特にややこしい事になっているのは、知っていた。
「どうだろう…。攻撃力だけなら俺の方が高いけど、全体ではどっちが上か、良く分からない」
 別に、どうでもいいし、そんな事…と言った。
 車は、インターを抜けて、一般道に入っていた。
「この先、どっち?」
 鯖丸はたずねた。
「ああ、そこを右」
 人間カーナビのジョン太は答えた。
 海が近付いてきた。
 程なく車は、どこら辺からが乗船客用の駐車場なのか判然としない、雑な感じの港内に到着した。

 ハンニバルの居場所は、すぐ分かった。
 待合室の上にある食堂で、由樹と二人で丼物を食っていた。
 由樹が少し不安そうな顔をしている以外は、ごく普通の親子連れに見える。
 こうして見ると、よく似た親子だ。
 絶対に他人から不信感は抱かれないだろう。
「良かった。ちゃんとごはん食べてる」
 別に、ひどい目には遭って居なさそうだ。
「あー、でもカツ丼とチョコパフェを一緒に食うって、どうなんだ。それに薄着過ぎ。食堂はあったかいからいいけど、海の上は寒いじゃないか。何考えてんだ、あのおっさん」
 どっちが実の父親か分からない様な事を言い始めた鯖丸をシカトして、ジョン太はトリコを捜した。
 トリコは、土産物売り場の端の方で、食堂の入り口を窺っていた。
 近付いたジョン太を見ると、遅いと文句を言った。
「早いよ。高速で来たからな」
 ジョン太は、周囲を見回した。
 他に、不審な者は居ない。
「とにかく、お前が無茶しないで待っててくれて良かった」
 ほっとした顔で、ジョン太は言った。
 三人で組んでも、二人でも、リーダーはジョン太だった。
 昨晩、けっこうかっこ悪い別れ方をしたし、ジョン太の性格だと引きずってない訳はないのに、その辺はきっちり切り替えが出来ているのは、さすがだと思う。
 安心して、力が抜けた。
「殿がひどくやられたらしいな。お前は大丈夫か」
「どうにか」
 殿の事を思い出すと、体が震えだした。
「私を逃がしてくれた。死んだかも」
「大丈夫だ。電話して来たくらいだから」
 ジョン太は、出張用の財布をトリコに渡した。
「お前、まだ乗船手続きはしてないよな」
「ああ、海斗から目を離す訳にはいかないから」
 トリコは答えた。
「代わるから、三人分の乗船手続きして来い。別に、身分証の提示はないから、全員偽名でな。あと、隠れやすいから二等寝台取って」
「私は、中学生くらいに見えるから、お前か鯖丸に手続きしてもらった方がいいんだが」
 トリコは言った。
「別に大丈夫だと思うが…鯖丸に行かせよう。お前も行け」
 食堂の入り口近くに隠れている鯖丸に手招きした。
「ハンニバルに顔が知られてないの、俺だけだしな」
 ちょっとため息をついた。
「もっと目立たない容姿なら、良かったんだけどね」

 三人の中で一番目立たない容姿の鯖丸は、車から持って来たグラサンをかけてずさんな変装をしているせいで、かえって目立つ様になっていた。
 たぶん、平田が車に置きっぱなしにしていたやつだ。
「うわー、人相悪いなお前。どこのヤンキーかと思った」
 冬用の上着が、フードにフェイクファーの付いたジャケットなので、余計悪そうに見える。
 この上着、仕事用の装備としてはどうよ…と、いつも思っていたが、本人は暖かいので気に入っているらしい。
「外せ、可愛くない」
「ハンニバルに顔知られてるのに…」
 鯖丸は文句を言ったが、照明が本数の少ない昔の蛍光灯だけの港内では、割と見えにくかったらしく、サングラスをポケットに突っ込んで、乗船名簿に記入を続けた。
 見て来た様な嘘の名前を、何のためらいもなくすらすら書き込んでいる。
 そう言えば、海斗に名前を聞かれた時も、全くためらわなかったな…と、思い出した。
 魔界関係で、やばそうな相手には、本名は名乗るなと教えていたが、あんなにさっくり嘘をつく奴だとは思わなかった。
「あ、名字同じなんだ。どういう設定?夫婦とかでいいの」
「トリコの見た目で、そんな無理な設定にする訳ないじゃん。兄妹だよ」
 鯖丸は、案外冷静だった。
「冬休みに、二人でUSJに遊びに行く、閑な兄と妹。ジョン太は、親戚のおじさん。
 法事で四国に帰省してた、大阪のおじさんに誘われて、向こうで泊めてもらう予定」
 そこまで細かい設定を付ける必要あるのか。
「これから人前では、俺の事をお兄ちゃんと呼びなさい」
 何寝言言ってんだ、このくそアニキは…。
 文句を言おうとしたら、ポケットのケータイが軽く振動した。
「ハンニバルが動き出した。一階に移動する」
 ジョン太だった。
「後でまた連絡する。お前らは、見つからない様に隠れてろ」
 隠れるって、乗船客用の待合室と食堂兼土産物屋しかない、ただっ広い港内のどこにどうやって…。
 とりあえず、階段から丸見えのこの場所はまずい。
 チケットを買って戻って来た鯖丸の手を引っ張って、トリコは建物の外へ出た。

 乗船案内のアナウンスが流れるまで、二人は車の中でじっとしていた。
 周囲からは丸見えだが、大型トラックが停まっているので、目隠しになっている。
 助手席で不安げに黙り込んでしまったトリコの手を握って、鯖丸は周囲を見回した。
 乗船時間が近いせいか、外に出ている乗客は居ない。
「大丈夫だから。由樹の事は、ジョン太が絶対何とかしてくれるよ。ハンニバルだって、中に入ってる殿の弟子を追い出せば、元通りになるかも知れない。
 魔界に入ったら、俺があいつを叩き出してやるよ」
「そんな事しても…」
 殿は、海斗は死にかけていたと言っていた。
 殿の弟子を分離出来ても、元通りになる保証はない。
「あいつがどれくらい強いか、お前は見てないだろ。殿が負けたんだぞ」
「俺は負けないよ」
 どこからそういう強気な発言が出て来るのか、謎だ。
「ハンニバルが元に戻ったら、きっちり勝負付けてやる。トリコを六年も放ったらかしにする様な奴には、絶対負けない」
 握っていた手に、少し力が入った。
 ああ、こいつ何か大事な話をしようとしているな…と思った。
 何を言われるか、少し想像が付いた。
「俺、絶対勝つから。そしたら」
 ケータイが鳴って、話は中断された。
『ハンニバルが船に乗った。お前らも早く来い』
 ジョン太は、短く言って、電話を切った。
「行こう」
 鯖丸は、車を降りた。
 トリコはうなずいて、後に続いた。
 話の続きは、結局聞けなかった。

 長距離フェリーに乗るのは、初めてだった。
 乗船口は、潮風に晒された鉄の階段に、ペンキを重ね塗りした無骨な船だが、エントランスホールは意外に豪華で、ホテルのロビーの様な作りになっている。
 クリスマスが近いせいか、ホールにはツリーが飾られていた。
 ジョン太は、出張で何度か乗っていると思っていたが、いつも新幹線か飛行機なので、この航路のフェリーは初めて乗ると言った。
 思っていたより、船内はずっと広い。
 車を積んで移動するカーフェリーなので、船自体大きい。
 平日だが、冬休みに入っているせいか、乗客も多かった。
 一般席は、場所の指定はきちんとあるが、遮る物のない広い所に毛布と枕が置いてあるだけだ。
 何処にも隠れる場所がない。
 寝台を取っておいて正解だった。
 ハンニバルは逆に、周囲の見通しがいい方が都合がいいのか、一般席に場所を確保して、まったり缶ビールとか飲んでいる。
 由樹は、近くに居た同年代の子供と、ゲームのカードを交換していた。
 意外と楽しそうだ。
 しばらくすると、ハンニバルは由樹の手を引いて、通路を歩き出した。
「トイレに行くかも。先回りしろ」
 ジョン太は、鯖丸に電話で指示した。
「分かった」
 仕事で魔界に入る時は、全く使えないので忘れていたが、ケータイって何て便利なんだろうと思った。
 幸い、個室は全部空いていたので、中に入って待っていると、由樹が一人で来た。
 ハンニバルは外で待っている。
 気付かれない様に、そっとドアを開けて、由樹に声をかけた。
「由樹、大丈夫か?」
「鯖くん、来てたんだ」
 由樹は嬉しそうに言ったが、鯖丸は口に指を当てて、黙る様に指示した。
「大きい声出さないで。トリコも来てるから」
 由樹は黙ってうなずいた。
 冷静な幼稚園児だ。
「平気。何か嫌な事とかされてない?」
「うん、別に」
 平気そうに言ったが、すぐに泣きそうな顔になった。
「家に帰りたい。あのおじさん、何なの」
「長くなると変に思われるから、詳しい事は後で言うよ」
 鯖丸は、しゃがみ込んで由樹に言った。
「お前の父ちゃんは、変な奴に体を乗っ取られてる。みんなで元に戻せる様にがんばるから、由樹も協力して」
「うん。どうすればいいの」
「普通にしてて。怖がったり泣いたりしたらダメだ。
 大阪に着いたら、ジョン太がお前を連れ出す。それまで大人しくしてるんだ」
「ジョン太って、あの、犬のおじさん?」
「そう。強そうなワンワン」
 本人が聞いたら、どうかと思う表現だ。
「ちょっと荒っぽい事になるかも知れないけど、怖がらないで」
「うん。平気だよ」
「そうか、由樹は強いな。じゃあ、戻って」
「待って、おしっこ」
 トイレに来た本来の目的を果たしてから、由樹はハンニバルの所に戻った。
 鯖丸は、二人が立ち去るのを確認してから、トイレを出た。

 強そうなワンワンは、ちょっと考え込んでいた。
 トリコがどうしたのかと聞くと、あー、やっぱりこれしかないか…と言って、大阪本社に電話をかけ始めた。
「中四国支所のウィンチェスターです。実はフェリーで移動する事になりまして…ええ、ターゲットが子供を誘拐して、フェリーに乗ったので、追跡する形で。
 入港直前に奪回して逃げますから、そっちで港まで車、回してもらえます?
 大阪南港、21時40分着です。十五分前までに迎えたのみます」
 電話を切ってから、ジョン太は少しため息をついた。
 ジョン太が、本社の社長とあまり相性が良くないのは知っていた。
 魔法が使えないのに、中四国支所では所長の次に偉いポジションに居る事も、良くは思われていないらしい。
 名刺には便宜上課長とか書いてあるが、実際には副所長だ。
 というか、特に課が無いので中四国支所に課長は居ない。
 営業的に、何か肩書きが有った方がいいからと、適当に名刺を作ったらしい。
 ステキにええかげんな会社だ。
「奪回って、どういう事をするつもりだ」
 不安になったのか、トリコは聞いた。
「港に着く直前に、由樹君を連れて強引に降りるだけだよ」
 ジョン太は言った。
「いくら、外界で魔法が使えると言っても、外界じゃみんな魔力ゼロだからな。物理攻撃魔法じゃないと、当たっても意味がない。
 そんなもん、全速力で走れば、二秒で射程外だ」
 二秒もあれば、ジョン太がどれくらい移動しているか知っていたが、外界では銃を持ち歩けない。
「海斗の魔法は、物を操って来るぞ。お前は丸腰じゃないか」
 缶コーヒーを三人分買って、鯖丸が戻って来た。
「由樹は無事。話も出来たよ。大阪に着くまで、大人しく待ってるって」
 トリコは、安心したのか二段ベッドの下の段に座り込んだ。
 寝台席は、一部屋にカーテンの付いた二段ベッドが八人分並んだ構成になっている。
 特等船室や一等席と違って、それ程一般席と金額差がないので、夜間の便では予約が必要なくらい混んでいるが、昼間の移動でゆっくり寝たい人は少ないらしく、一部屋貸し切り状態になっている。
「まぁ、拳銃は持ってた方がやりやすいけど」
 缶コーヒーを受け取って、ジョン太は言った。
「逃げるだけなら、必要ない」
 缶コーヒーを少し飲んで、何だ微糖じゃないのか…とか文句を言ってから、付け加えた。
「トリコ、お前足手まといだから、邪魔するなよ。鯖丸、こいつはお前が責任持って保護しとけ」
「そうするけど、ジョン太、言い方ひどい」
 鯖丸は反論した。
「いいよ、魔界に入るまで、私に出来る事はない」
 トリコは言った。
「全部任せる。言ってる意味は分かると思うけど」
「ああ、分かってる。由樹君には傷一つ付けないし、なるべく怖い目にも遭わせない」
 ジョン太は答えた。
「ハンニバルは、少し痛い目に遭わせるかも知れないけど、いいか?」
「いいよ、あんな物に乗っ取られるなんて、海斗には少し、反省してもらわないと」
「ジョン太、俺も行く」
 鯖丸は言った。
「いくら魔法使えなくても、トリコは俺が守らないといけない程、バカじゃないよ。
 俺だって、魔法使えなくても、そこそこはやれるし」
 ジョン太は、少し考えた。
 普通なら断って一人で行く所だが、自信家の鯖丸が、そこそことか言っているという事は、本音はハンニバルと外界で互角にやれると思っているはずだ。
 話半分でも、戦力の足しにはなる。
 トリコだって、身体能力は、外界では並の女に劣るくらいだが、危ない仕事を続けて来たから、状況判断では、いい所まで行くだろう。
「分かったけど、足は引っ張るなよ」
 魔界でも外界でも、強さは同じなジョン太は言った。
「向こうに着く時間が近付いたら教えるから、お前ら休んでおけ」
「お前は、休まなくて平気なのか」
 トリコは聞いた。
「残念ながら、二三日飲まず食わずで寝ないでも、平気なんだよね、俺。原型のハイブリットは、もっと丈夫らしかったけど」
 ハイブリットが、何の為に作られたか知っていたら、笑えないセリフだ。
 人間もロボットも耐えられない、宇宙開発現場での重労働をする為に作られたからだ。
 ジョン太の様なタイプは、戦闘用に特化されていて、普通の人間と混血が進んだ今では、能力を保持している者の方が少ない。
 たぶん、地球よりハイブリットの人口比率が高い宇宙なら、もう少したくさん居るだろうけど。
「お前らは寝てろ。時間が来たら起こす」
 ジョン太は言った。
「うん、寝る。一時間前には起こして」
 鯖丸は、本気で寝た。
 いつでも何処でも寝られるし、何でも食えるというのは、ある意味すごい強味だ。
 魔界とか外界とか宇宙とか、関係無しに何処へ行っても生きて行ける。
「いや…本当に寝るんだ、こいつ…」
 ジョン太は呆れた。
「そりゃあ寝るさ。こういう奴だから」
 トリコは言った。
「大体すぐ寝るよ、こいつは」
 付き合いが長い自分より、トリコの方が鯖丸の事を良く知っているというのは、変な感じだ。
 まぁ、四ヶ月も一緒に住んでいれば、そんなもんかも知れない。
 仕事の時は変にあっさりした感じなので、こいつらが付き合ってる事、時々忘れるな…と、ジョン太は思った。

 目が覚めた時には、外はもう暗かった。
 部屋の奥にある小さな船窓から、暗い海が見える。
 ケータイを出して時間を確認した鯖丸は、起き出して靴を履いた。
 入港予定時刻の一時間半前だ。
 向かいの寝台を見ると、トリコが変な姿勢のまま眠り込んでいた。
 座っているつもりだったのが、いつの間にか寝てしまったのだろう。
 きっと疲れてるんだろうなぁと思ったが、そろそろ起こす事にした。
「トリコ、起きて」
 軽く揺すると、少し目を開けた。
「ああ…もう朝?」
 普段早起きだが、低血圧でけっこう寝起きは悪い。寝ぼけて、だいぶ変な事を言っている。
 鯖丸も、知っていたので早めに起こしにかかったのだ。
「夜だよ。あと一時間半で南港に着く」
 トリコは、少しぼんやりしてから、急に我に返って飛び起きた。
「しまった。寝てたのか、私」
 立ち上がろうとしたが、寝起きに急に動いたせいか、その場に座り込んでしまった。
「大丈夫、まだ時間あるから」
 トリコを抱き起こして座らせた所に、ジョン太が戻って来た。
 一瞬、抱き合っている様に見えたので「あ、ごめん…」と言って部屋を出かけたが、状況が分かったらしく、後ろ手でドアを閉めた。
「ハンニバルは、今の所動きがない。土産物を見たり、雑誌を買って読んだりしてる。由樹君は、隣にいる子供と、ゲームやってる。携帯ゲーム機の、モンスター狩るやつ」
 小さい子供が居るせいか、おじちゃん割と詳しい。
「港に接岸する直前に仕掛ける。鯖丸、お前どうにかしてハンニバルの注意を引きつけろ。
 その間に、由樹君を確保して逃げる」
「その役は私がやろう」
 トリコは言った。
 ジョン太と鯖丸は、驚いた顔をした。
「無理だろう、それは。気持ちは分かるが」
「危ないよ。やめて」
 二人は、同時に言った。
「考えてみたが」
 トリコは、割合冷静な口調だった。
「あれが海斗の記憶を持っているなら、たとえ体を乗っ取れても、五歳の子供が一人で生きて行けない事くらい分かっているはずだ。
 私は保護者として必要だ。だから殺される事はないし、回復出来ない様な怪我を負わされる可能性も低い」
 二人の顔を交互に見て、言った。
「多少の無茶をしても、私が一番安全だ」
 ジョン太は、ほんの少しの時間、考え込んだ。
「分かった。ハンニバルの注意をそらすのは、お前に任せる。鯖丸は、トリコのサポート」
「ジョン太、そんな危ない事、魔界でならともかく、こっちでトリコにさせるのはちょっと…」
 文句を言い始めた鯖丸を、ジョン太は制した。
「お前には、もっと危ない役割がある。俺が逃げる時、ハンニバルが邪魔して来たら、止めろ。二、三秒でいい。いくら外界でも、それくらい出来るだろう」
「出来るけど…」
 鯖丸は、ちょっと不満そうだったが、結局うなずいた。

 ジョン太が指定した接岸直前の時刻には、乗船客の大半が、昇降口近くに集まっていた。
 鯖丸は、甲板に出て、夜の港を見渡した。
 なにわナンバーの乗用車が、少し向こうに待機しているのが見えた。
 運転席から降りて、煙草を吸っている男が居た。
 一年ちょっと前に、一度会っただけだが、上方ハルオ、ヨシオの、どっちかだという事は分かった。
 車は、中四国支所では絶対使わない、速そうなスポーツカータイプだ。
 関西の魔界は、市街地が主なので、オフロードタイプの車は、めったに使わない。
 事前に連絡先は聞いていたので、一応電話を入れた。
「中四国支所の鯖丸です。ジョン太から連絡はあったと思いますが、これから動きます。よろしく」
「ヨシオや。了解」
 ヨシオ兄さんが来ているという事は、本社の怪我人は、彼以外の誰かだ。
 ハルオ兄さんと、エンマ君以外に、本社の知り合いは居ない。
 出来ればあの二人でなければいいなと思った。
「武器になりそうな物、取って来る。ここで待ってて」
 鯖丸が言うと、トリコはうなずいた。
 十秒もしない内に、ジョン太から電話があった。
「ハンニバルは、お前らの真下だ。見えるか」
 二階甲板の真下は、通路になっている。
 昇降口に集まっている人混みから少し離れて、由樹の手を引いたハンニバルが、海を眺めていた。
 こうして見ると、昔と何も変わらない。
 殿の弟子に体を取られてしまったなんて、何かの悪い冗談じゃないのかと思えるくらいだ。
「ああ、居るな」
 トリコは答えたが、冷静な声は出せなかった。
「声をかけて注意を引け。ハンニバルが気付いたら、すぐに後ろに下がれ」
「分かったけど、鯖丸が戻ってない」
 トリコは言った。
「何やってんだ、あのバカ」
 人混みの中に、ケータイを握ったジョン太が居た。
 こっちを見上げて、むっとした顔をしている。
「何か、武器になりそうな物取って来るって…ああ、戻って来た」
 棒的な物を持ってないと、ケンカは超弱いと自称するだけあって、どこで見付けたのか、長い物を握っている。
 良く見ると、デッキブラシだ。
 こんな物でハンニバルと戦うつもりとは、いい根性だ。
「ジョン太が、海斗に声かけろって…」
「うん。こっちは準備いいよ」
 鯖丸は、デッキブラシをゆるく握った。
 魔界で真剣を扱っている時とは、全く違う構えだが、こちらの方が堂に入っている感じだ。
 二回程、部の練習を見に行った事がある。
 素人目にも、あの中で一番強いのがこいつだという事が分かるくらいだった。
 バカみたいに自信家なのも、それなりの努力を地道に積み重ねているからだと言う事は、四ヶ月も一緒に暮らしているので知っている。
 ジョン太の様に、魔界で魔法使い相手に戦える程ではないが、外界の標準では相当強いはずだ。
 トリコは、手すりから身を乗り出した。
 声をかける前に、ハンニバルがこちらに気付いた。
「海斗…由樹を」
 次の瞬間、体がぐいと後ろに引っ張られた。
 鯖丸が、体ごと後ろにかっさらったのだ。
 甲板に倒れ込んだのはトリコだけで、鯖丸は一瞬で体を反転させ、立ち上がった。
 トリコは肘をついて半身を起こし、今まで自分が掴んでいた手すりが、あり得ない形に歪んでいるのを見た。
 手すりが、生き物の様にうねったかと思うと、次々と根元から抜け、蛇の様に踊りながら下の通路に垂れ下がって行く。
 階段の様に、手すりを登って来る足音が聞こえた。
 ハンニバルの魔法は、固形の物質を操り変形させる。
 所長が使う魔法と同系統だ。
 魔界に居る時と違って、直接触れている狭い範囲の物しか操れない様子だったが、それでも火炎系や大気系と違って、がっちり触れられる固体を動かせるのは強い。
 ハンニバルの頭の先が見えた。
 片手で由樹を抱いている。
 相手が見えているのに、鯖丸が全く動かないのに気が付いた。
 しまったと思った。
 背後に居る私を庇うつもりだ。
 急いで起き上がり、移動しようとしたが、間に合わなかった。
 ハンニバルが、ぽんと飛び上がって甲板に立った。
 にこりと笑って、二人を見比べた。
「また会ったねぇ、武藤雄次郎君」
 違う、海斗はこんな話し方はしない。
 分かってはいたが、リアルに別人だと思い知らされて、ぞっとした。
「外界で本名呼ばれたって、痛くも痒くもないよ」
 鯖丸は、さらっと言った。
 うわー、この嘘つき小僧。不審な挙動一切無しで、嘘の名前を押し通しやがった。
「由樹を返せ」
「嫌だね」
 ハンニバルは、肩をすくめて口の端で嗤った。
「トリコ、こっちへ来い」
 空いている片手を伸ばした。
「子供には母親が必要だ」
「行かせるかバカ」
 鯖丸は、自分から離れようとしたトリコの腕を掴んで、背後に庇った。
「お前なんか、魔界で大人しく死んでろ」
 ハンニバルの表情が、微妙に動いた。
 ふうとため息混じりに笑った。
「てめぇの女気取りか?遊ばれてるだけだぞ、坊主」
 このしゃべり方、いつもの海斗だ。
「知るか!! 俺は本気だ」
 いつの間にか、ジョン太がハンニバルの背後に居た。
 足音も気配も、全く無いまま移動して来ている。
「それから、最初に言っておく」
 鯖丸は、デッキブラシを構えた。
「このブラシは、便所の掃除用具入れから持って来た」
 丁度、タワシ部分がハンニバルを狙っている。
 良く見ると、緑色のナイロンで出来たブラシの毛から、ぽたぽたと水滴が垂れていた。何の水だぁー!!
 周囲の全員が、びくりと固まった。
 鯖丸以外の全員に、精神的ダメージ10。
「ふふふ、これでびびるなんて、まだ人の心が残っているんだな」
 鯖丸は、不敵に笑った。
 いや…それ、心とか全然関係ないから。
 ジョン太は、声に出さないで全力で突っ込んだ。
「行くぞぉー」
「うわぁぁ、振り回すなぁ」
 ハンニバルは、悲鳴を上げた。
「鯖くん、変な汁が飛んでるー」
 おそらく、ハンニバルが攻撃を受けると、精神的には同等のダメージを受ける由樹が叫んだ。
 背後に潜んでいた、ダメージ的には六割か七割のジョン太は、他人が同じパンツを二日履いていても許せないきれい好きなので、とっさにその場に伏せた。
 行きがけの駄賃に、注意が他へ向いてしまったハンニバルの手から、由樹を奪い取った。
 デッキブラシが、ハンニバルのみぞおちに命中し、大柄ではないがごつい体が、物凄い勢いで後ろにぶっ飛んだ。
 突きを入れた勢いで、最強のウェポンだったブラシ部分が外れてしまったただの竹の棒を、鯖丸は油断無く構え直した。
 ジョン太が、低い姿勢から信じられないスピードで移動していた。
 由樹を抱きかかえたままた、飛び上がり、手すりを踊り越えて空中で体を捻った。
 一瞬、海に落ちると思ったトリコは悲鳴を上げたが、ギリギリの場所を見切って、下の通路の手すりに着地し、更に飛んだ。
 接岸の為に括られたロープの上を、二歩、三歩走り、コンクリートの湾岸に柔らかく着地した。
 鯖丸が、魔界でやる様な事を、さらっと素でやっている。
 さすがに、ハンニバルを乗っ取った弟子も驚いたらしく、一瞬だけ動作が止まった。
 それから、我に返って動き出した。
 垂れ下がった手すりを掴み、魔力を通す。
 手すりが、空中を蛇の様に動き、ジョン太と由樹を追った。
 ジョン太が走り出した。
 異常に速いが、ハンニバルも、攻撃を仕掛けたまま、後を追おうとしている。
 鯖丸は、上段から斜めにハンニバルに打ちかかった。
 自分の持ち技の中では、出足は遅いが一番威力のある袈裟懸けだ。
 調子のいい時なら、畳を二枚重ねていても両断出来る自信がある。
 得物が竹の棒でも、人一人くらい、どうという事もないと思っていた。
 ハンニバルが、攻撃を受け止めていた。
 床からせり出した壁が補強していたが、間に合わなかったのか、デッキブラシの柄を直接受けたのは、利き腕だった。
 いくら地球育ちのごついおっさんでも、絶対骨にひび入ってる、こいつ。
 ハンニバルは、怯まなかった。
 もう一方の腕で、竹の棒を掴むと、そのまま魔力を通して来た。
 竹が、節を残して一瞬ふくらみ、破裂した。
 手の平に焼け付く様な痛みがあったが、通って来る魔法は、全く見えないし感じられなかった。
 ジョン太が普段、どんな状態で魔法使いを相手にしているか分かって、愕然とした。
 いつ攻撃が来るか分からない。
 人間の反射速度では、避けられない。
 ジョン太が、柵を跳び越え、赤いスポーツカーに飛び込むのが見えた。
 ランサーエボリューション…俗に言うランエボは、腹の底に響く様なエンジン音を上げて加速した。
 元々速い車だが、ヨシオ兄さんめっちゃ運転上手い。
 派手な動作もなく、ただ滑る様に加速した車は、あっという間に夜の闇に消え去った。
 由樹が無事確保されたのを確認したトリコは、叫んだ。
「もういい、逃げろ、頼むから」
「俺も、そうしたい…」
 丸腰になってしまった鯖丸は、後ずさった。
 ハンニバルは、ゆっくりと一歩踏み出し、それからやにわに体を回転させて蹴りを放って来た。
 とっさに両手でガードして、自分から後ろに飛んで威力をそらしたが、着地した所に肘打ちを食らって甲板に転がった。
 気が付いた時には、マウントポジションを取られていた。
 やばいこれ。後は殴られ放題の、一番良くないパターンだ。
 殴りかかって来たハンニバルの腕を、どうにか見切ってがっちり掴んだ。
 動体視力も握力も、こっちの方が上のはずだ。
 伊達に、振り下ろした真剣を、空中でぴたりと止められる訳じゃない。
 次の瞬間、もう一方の手でがつんとぶん殴られた。
 まさか、怪我をした方の手で殴って来るとは思わなかったので、まともに食らってしまった。
 ハンニバルは、顔をしかめながら、にやりと笑った。
「なめるな、ガキが」
 もう一発殴られたが、鯖丸は掴んだ腕を放さなかった。
「ナメてんのはどっちだぁ」
 そのまま、力一杯掴んだ腕を、逆向きにねじり上げた。
「こっちも折るぞ、てめぇ」
「おぅ、出来るもんなら、やってみろ」
 二人は、にらみ合った。
「トリコ」
 鯖丸は、体を捻って後ろに居るトリコに言った。
「今しゃべってるの、どっちだ」
 トリコは、はっとした。
「海斗だ。殿の弟子じゃない」
「そうか」
 鯖丸はにっと笑い、強引に体を起こして、ハンニバルにがつんと頭突きを入れ、マウントポジションを振り解いた。
「じゃあ勝負だ。トリコも由樹も、お前には返してやんねぇよ」
 今度はこちらから殴りかかったが、どうやら武藤君は、棒以外で人を殴るのは苦手らしく、へろへろのパンチはあっさり避けられた。
「お前、強いのか弱いのか、どっちなんだー」
 飛びかかって来たハンニバルに、蹴りが入った。
 格闘技的には、全くダメな蹴りだったが、何しろハンニバルよりだいぶ背が高い上に、身長の割に手足が長い。
 これだけリーチに差があると、懐に入り込むしかないのだが、攻撃はダメダメでも、足さばきは剣道の達人だ。
 本気になれば容易には近付けない。
 二人は、距離を置いてにらみ合った。
「面白い」
 ふいに、ハンニバルの表情が変わった。
 如月海斗だった男の人格が、押し潰され、崩れ落ちた様に見えた。
 外見こそ変化しなかったが、その場に居るのは、殿と同じ、異界の物だった。
 消え去る直前のハンニバルが、少し抵抗してもがくのが分かった。
 こいつら、完全には同化していない。
「面白いぞ、お前。魔力が高いくせに、外界でここまで戦えるのか」
 殿の弟子が、にやりと笑った。
 口の中に深淵がのぞき、鯖丸はひるんで一歩下がった。
 すうっと、滑る様に移動して来た弟子は、耳元で低くつぶやいた。
「お前の方がいいな、もらうぞ」
 次の瞬間、ハンニバルの体は、甲板から身を躍らせていた。
 暗い波間に、小さな水しぶきが上がった。
「何があったんだ、君ら」
 船の乗務員が、さすがに異変を感じて駆けつけていた。
 トリコは、とっさに鯖丸にしがみついて、子供っぽい口調で叫んだ。
「助けて!! お兄ちゃんが変な人に襲われた」
「大丈夫だから、大したことないから」
 額から、何か暖かい液体が流れ落ちて来た。
 手の甲で拭って見ると、額がばっくり割れて、血が流れ出している。
「うわー。俺、大丈夫じゃないかも」
「とにかく、医務室に来て。歩けるかい」
 乗務員は、本気で心配して肩を貸してくれた。
「歩けます」
 ポケットに入っていた手ぬぐいを取り出した鯖丸は、普通に額に当てて止血すればいいのに、ものすごく慣れた手つきで、防具の下に被る時のやり方で頭に巻いてしまった。
 ああ、全然大丈夫じゃないな、こいつ…と、トリコは思った。
「大丈夫」
 船員の後を付いて行きながら、全く大丈夫ではない鯖丸は、言った。
「たぶん、由樹はもう、襲われない」
「え…?」
 トリコは、鯖丸を見上げた。
 困惑した顔をしていた。
「俺、大変な事になっちゃったかも…」

 警察に行った方がいいと言う乗務員をどうにか振り切って、船を下りた時には、入港してからずいぶん経っていた。
 先ほどのランエボとは打って変わった、地味な小型の乗用車が、道端に止まっていた。
 運転席のドアが開いて、見知った顔が待ちくたびれた様子で降りてきた。
「あ、エンマ君だ」
「遅いわ、君ら」
 文句を言ったエンマは、頭に大げさな包帯を巻かれた鯖丸を見て、少し驚いた顔をした。
「色々あったみたいやけど、まぁ乗り」
「うん、ありがとう。エンマ君久し振り」
 後部座席のドアを開けた鯖丸は、トリコを先に乗せてから自分も乗り込んだ。
「ジョン太はどうしてる?由樹と一緒のはずだけど」
 シートベルトを締めながら、鯖丸はたずねた。
「ホテルで待っとるわ。君らも今日は早う休んだ方がええな」
 ハンドルを握っているエンマの袖口から、包帯を巻いた手がちらりと見えた。
「怪我した本社の人って、エンマ君?」
 鯖丸は聞いた。
「ハルオ兄さんや。俺は軽傷」
 車を転がしながら、エンマは答えた。
 それから、ルームミラーで、ちらりと後部座席を確認した。
「そっちの人がビーストマスター?」
「ああ、トリコだ。よろしく」
「エンマです。ちゃんとした自己紹介は、明るい所に着いてから、さしてもらいますわ」
 エンマは、アクセルを踏み込んだ。
 車は、ベイエリアを抜け、繁華な市街地を走り続けた。

2009.2/3up










後書き
 いやー、もうちょっと先まで話が進んだ所で切りたかったんですが、テキストの長さには限界がある事が分かりました、今。
 適当に「前編」「中編」「後編」「完結編」と、大雑把に区切るつもりでしたが、無理そうなのでvol.6か7辺りまでやる事になりそうです。

 今回はアクションシーンが中心で、下ネタが無いので清々しいですね。(便所ブラシを振り回す下ネタ主人公は、スルーの方向で)
 次回も、わりかしお上品な感じです。まぁ、前回のゴールドセイントに比べてですけど。
 さすがに、友人にもあれはひどいと言われました。
 反省はしてないので、きっとまた、やらかします。

次回予告
 恐怖、密室の中は、全員トリコの穴兄弟!!
 すいません、予定外の所で話を切ったので、次回盛り上がるシーンが全くなくて、何かねつ造してみました。

大体三匹ぐらいが斬る!! back next

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