novel
大体三匹ぐらいが斬る!! back next登場人物
武藤玲司(鯖丸) 貧乏な大学生。天然ボケ。魔力と食欲が同レベルに高い。意外と性格悪い。
ジョナサン・T・ウィンチェスター(ジョン太) 魔法は使えないが、魔力は低くないらしい。戦闘用ハイブリットなので、素で強い。
如月トリコ(トリコ) 政府公認魔道士。ビーストマスターの二つ名を持つ腕利きの魔女。乳はFカップ。
暁(鰐丸) 鯖丸の別人格。ゲイで凶暴だが、頼りになる兄貴。ジョン太に惚れているらしい。
秋本隆一(トゲ男) 自称鯖丸の永遠のライバル。広大剣道部二年。すごい男前だが、変な姿に魔法整形している。
殿 魔界に城を造って住み着いている異界の住人。カラオケ大好き。
如月海斗(ハンニバル) 行方不明になっているトリコの夫。
弟子 殿の弟子。大体三匹ぐらいが斬る!!
4.トリコ(後編)
階段の上は、全く様子が違った。
なぜ、ここが城と言われているか分かった。
昔の、日本の城にそっくりだ。
どこから光が来ているのか分からないのに、昼間の様に明るい空間を、板張りの廊下と襖が、ずっと先まで続いていた。
階段の終点で、一瞬靴を脱ぎそうになったジョン太を、鯖丸はちらりと見た。
「ジョン太って、本当はニセ外人?」
何の利点があって、そんな事するか二百字以内で簡潔に述べろコラ…と、ツッコミ文句は脳内にすらすら出て来たが、口に出すのはぐっと堪えた。
大体所長とコンビだった頃は、俺がボケだったはずだ。
「ばあちゃんが日本人」
普通に説明した。
「そうなんだ」
鯖丸は普通に納得した。普通って大事だ。
襖の所々には、トリコの痕跡が残っていた。
鯖丸には見えるらしかったが、ジョン太は元々匂いで痕跡が分かるので、二人とも同じレベルで追跡を続けた。
あちこちの襖を開けて、部屋の中を捜しているのが分かった。
何処にも、目的の物が無いのも分かった。
大半の部屋は、畳が敷いてあるだけで、何も無かった。
形式的に日本の城を再現しているだけで、使用目的は判然としなかった。
この城を造った奴は、何かおかしい。
時々、用心棒的な奴らが潜んでいる部屋があったが、弱い奴ばかりで、話にもならなかった。
「何だろう、ここ」
鯖丸は尋ねた。
「俺に聞くな」
ジョン太は答えた。
上の方にトリコが居るのが分かったらしく、鯖丸は走り出した。
更に階段を登り、廊下を走り抜け、閉じられた襖を開け放った。
畳を敷き詰めた、三間続きの大広間だった。
一段高くなった、奥の間に『それ』は居た。
外界で収集したがらくたに囲まれ、肘掛けにもたれて鷹揚に周囲を見ている『それ』。
人に似た姿だったが、人ではないのは、一目見て分かった。
何だこれ。
『それ』の面前に、トリコが居た。
哀願する様に、両手を差し出していた。
「返してくれ」
悲痛な声だった。
「たった一つの、夫の形見なんだ」
個人で民間に依頼してまで捜していた物の正体を、二人は初めて知った。
バカと言えばバカだ。
「俺は、そういうバカ、嫌いじゃない」
ジョン太は、鯖丸を振り返った。
「お前はどうする」
「ええと」
鯖丸は一瞬考え込んだ。
「ええ、夫って何だ。ああ、形見って死んでるんだ。どうする、どうするよ俺。うわー」
「うろたえるな、小僧」
ジョン太は、鯖丸の尻を蹴り飛ばした。
「お前、短期間で、あの女のどの辺のポジションまで狙ってたんだ」
「行ける所まで」
「勢いで暴走するな、ボケー」
結局ツッコミだ。
殿とトリコが、こちらに気付いた。
殿と呼ばれている、人ではない何かが、立ち上がった。
真っ黒な長いドレッドヘアに埋もれた、陶器の様に白い顔が、こちらを見た。
古びたぬいぐるみ、赤と白の初期のファミコン、田舎の場末でも見ない様な昔のパチンコ機、古本、折れた釣り竿、使い物にならない程酷使された野球のグローブ、壊れた大昔の一眼レフ、サッカーボール。
殿は、瓦礫の中から歩み出た。
一瞬で、鯖丸には分かった。
牢に結界を張ったのは、こいつだ。
自分より魔力が高いのは、当然だった。これは、人間じゃない。
「今宵は、来客が多いな」
殿は声を出した。
良く響く声だった。
普通に話すだけで、本名を押さえて命令を出すのと同等の力がある。
トリコが振り返った。
ひどい顔だ。怯えているのが、一目で分かる。
「逃げろ」
苦労して、言葉を喉から吐き出した。
「予定外だ。あれは、この世界の物じゃない。契約は解除する。逃げてくれ」
「当日のキャンセル料は高いですよー、お客さーん」
ジョン太は、両手に銃を持って、踏み出した。
「お薦めはしませんけどねぇ」
「そうだ。昔のダンナより俺の方がいいだろ。微妙にジャニーズ系だし」
鯖丸は、訳の分からない事を言い出した。
何を狙ってるんだ、このバカは。
「いや…お前は普通にあっさりした地味な顔だし」
ジョン太は止めた。
トリコは、振り向いて少し笑った。
「ありがとう。早く逃げろ」
「却下!!」
鯖丸は、刀を抜いた。
抜いた瞬間にもう、攻撃魔法が繰り出されていた。
たぶん、この手の攻撃魔法では、人類最速だ。
ただ、相手は人間じゃない。
光に飛んできた羽虫を追い払うより軽く、鋭い攻撃が柔らかく打ち払われた。
「乱暴なお客だ」
殿は、手に何か握って、進み出た。
鯖丸は、次に来る攻撃に備えようとしたが、殿が持っているのは、マイクだった。
「ようこそ、我が城へ。まずは一曲聞いてもらおう」
聞き間違いでなければ、瓦礫に埋もれた昔のカラオケセットのスイッチを入れる時、殿は小声で「ポチッとな」と言っていた。
昔の歌謡曲の、もの悲しいイントロが流れ始めた。
音に違和感があるのは、音源がモノラルだからだ。
鯖丸くらいの年齢だと、モノラル音源なんかめったに耳にした事はないはずだ。
イントロが流れ始めた瞬間、ジョン太が前に出た。
止めようとしたトリコは、ジョン太が二本目のマイクを掴むのを見て、そのまま固まった。
殿とジョン太の目が合い、二人の間に何かのアイコンタクトが成立した。
兄弟で歌っていた古い歌謡曲だった。
「明日わたしは旅に出ます」
一瞬のアイコンタクトで、どっちが弟のパートをやるか決定したらしい。
ものすごく上手い。
異形の物とは思えない、切々とした歌声だ。
というか、ここまで上手いと、もうこれ、攻撃魔法の一種なんじゃないかと鯖丸は思った。
とりあえず、殿が歌に夢中になっている間に、トリコの手を引いて自分の近くまで避難させた。
ジョン太が兄のパートを歌い出した。
そうじゃないかとは思っていたが、やっぱり歌が上手かった。
おまけに、無駄にいい声だ。
さびの部分で、二人は完璧にハモった。
「何で、初対面の人とこんなにハモれるんだ…」
鯖丸はつぶやいた。
「いや、人じゃないから、あれ」
トリコは言った。
「じゃあ何」
人ではないのは分かっていた。
しかし、だから他の何なんだと言われると、全く分からない。
「穴の向こうに異界があるのは知っているな」
鯖丸はうなずいた。
いくらダメなバイトでも、それくらいは知っている。
「あれは、向こう側から来た何かだ。人ではないし、生き物かどうかもまだ分かっていない」
「いや…俺には分かる。あいつらはカラオケ好きなただのダメなおっさんだ」
鯖丸は断言した。
「歌ってる間に逃げよう」
「嫌だ。やっとここまで…」
トリコは、鯖丸の腕を振り払おうとしたが、がっちり捕まえられて出来なかった。
「お願いして返してもらえなかったんだろう。あれ相手に力ずくは無理だ」
負けず嫌いのこの男には珍しい意見だった。
「こっそり取り返せなかったんなら、一旦引こう」
一旦引いてしまったら、もう取り戻すのは無理だろう。
諦めろという意味だった。
「だから、お前達だけで逃げろと言ってるだろう。あの歌ってるバカを連れて、早く行け」
そろそろ、八時丁度のあずさ二号で、ダメなおっさん二人が旅立ってしまう。
時間がない。
鯖丸は、トリコの手を放さなかった。
ごつい手だ。何をやっているか知らないが、相当鍛えている。
女の力で振り解くのは無理だった。
トリコの指先が、軽く震えた。
魔法を使ってでも、振り解くつもりだ。
「死んだ奴の形見より、生きてる人の方が大事だ」
鯖丸は言った。
「それでも、あいつとやる?」
トリコはうなずいた。
「分かった」
鯖丸は、トリコの手を放した。
「折角リンク張ったんだ。思い切り使おう」
背中にかけた刀を降ろして、左手で腰の所に構えた。居合いの構えだ。
ここから抜けば、背中から抜くより更に速く攻撃を繰り出せる。
間合いを計っていたその時、ジョン太が歌い終わった。
…と思ったのは一瞬で、瞬きする間もなく殿のこめかみに銃を突き付けていた。
「久し振りに気持ち良く歌わせてもらった後に、野暮な話だが」
まだ、左手に持ったマイクのスイッチが入っているので、その辺一帯に声が響いた。
「石を返せや」
さすがジョン太…と、鯖丸は思った。
単に歌いたかっただけの様な気もするが、殿と距離を詰めて銃を突き付けている。
戦闘用ハイブリットの反射速度は、異界の物にも通用する様だった。
ただ心配なのは、異界の物に銃撃が通用するかどうかだ。
「やれやれ」
殿は、マイクのスイッチを切って、四角いアンプ状のカラオケセットの上に置いた。
「本当に野暮な客だ。吾輩にその様な鉛の固まりが通用すると思っての所業か」
「思ってるさ。異界の奴らは、物理攻撃に弱いからな」
ジョン太は、引き金にかけた指に少し力を入れた。
「いかさま左様、この世界で言う物理攻撃には、我等は弱く出来ている」
殿は、笑った。
薄く開いた口の奥は、深淵の闇だった。
これは本当に、人でもなければ、どんな生き物でもない。
「吾輩にその弾を撃ち込めるかどうか、聞いておる」
「出来るさ。俺はこっち側でも、普通の人間じゃないんだ」
六連発の銃が、近距離から撃ち込まれた。
障壁が殿を守るのが見えたが、一発が腕に命中した。
殿の顔から、笑いが消えた。
黒い液体が、着物を纏った腕から流れ落ちた。
「血が出るなら殺せる」
ジョン太は、にやりと笑った。
「カリフォルニア州知事の名言だ」
「誰だよ、そんな奴知事に選んだの」
めずらしく、鯖丸がツッコミに回った。
「生きてる間に、石を返せ」
めずらしい鯖丸のツッコミはスルーして、ジョン太は殿を脅した。
「攻撃は当たるが、吾輩は殺せぬ」
殿は言い切った。
「なぜなら、お前達の基準で言う生命を吾輩は持っておらぬからな。生きていない物は殺せん」
「ジョン太、下がって」
鯖丸が、刀に手をかけていた。
「殺せないなら壊すけど、いいよね」
トリコの魔法が連動している。
鯖丸の魔法が空気系…というか、風属性だとすれば、トリコは水だった。
連動すればどうなるか、ジョン太にも想像はついていた。
たぶん、嵐になる。
「答えは聞かないけど!!」
「聞けよ、その辺は」
城の大広間を、ハリケーンが吹き荒れた。
殿が集めた瓦礫の山が、空中に吹き飛ばされ、部屋中を荒れ狂った。
意外な事にダメージがあった。
しかし、期待していた程のダメージではなかった。
大事な物を壊されて、怒っておられる。
反撃の方が、こちらから仕掛けた攻撃より大きかった。
三人は部屋の隅に吹き飛ばされた。
とっさにジョン太は二人を庇った。
「うわ、何するんだお前。無茶な…」
反論しかけたトリコは、ほぼ無傷なジョン太を見て、黙った。
部屋の隅まで吹き飛ばされたダメージはともかく、魔法攻撃の痛手はほとんど受けていない。
魔力が低いという事は、魔法の理の外に居るという事だ。
異界の物にも通用する。
「すげぇジョン太。さすが最強の魔法無能者」
「嫌な評価だなぁ、それ」
ジョン太は言った。
「誉めてる」
鯖丸は言った。
「その調子で魔法使わないで」
「うぇ」
先刻、無意識で軽微な魔法を使ってしまった事を思い出した。
実は、意識して使うより使わない方がむずかしい。
「分かった」
言ってしまった時点で、ゼロだった魔力が少し上がった。
鯖丸は、刺激しない様に黙った。
低いレベルとは言え、魔力がこんなに変動する人間を見たのは初めてだった。
「ジョン太の魔力って、実はあんまり低くない?」
鯖丸はトリコに聞いた。
「最初からそう言ってるだろ」
トリコは答えた。
「実際、どの程度」
「たぶんランクBの中程度」
「充分高いな」
鯖丸は考え込んだ。
『実はジョン太、魔法使える』
いつの間にか、ジョン太に聞こえない様に、直接頭の中に意識を通して来ている。
『このままそっとしとくのと、二人で尻蹴飛ばして魔力を上げるのと、どっちがいい?』
『待て、何考えてるんだ』
殿が、瓦礫の向こうで立ち上がった。
物理攻撃に弱いと言う割に、意外と丈夫だ。
「三人でやったら、あれに勝てるかも」
殿を指差した。
可能性はある。
「やってみよう」
トリコは、ジョン太の方を向いた。
「お前、大変な相棒を持ったな。覚悟しろよ」
「えっ」
「簡易接続する。抵抗するな」
細い腕が首に回され、唇が重なった。
そのまま、意識の表層へ手を伸ばし、差し込んだ。
ジョン太は抵抗しなかった。少なくとも体は抵抗しなかった。
中身のガードはがちがちだった。
こんなにガードの堅い人間は、見た事がなかった。
魔法を使えない事と、何か関係があるのかも知れない。
こいつとリンクを張るのは、きっと鯖丸相手より大変だ。
表層を簡易接続するだけなので、ガードの高い中身は無視して、触った表面だけを掴み上げた。
そのまま、自分の方へ強引に繋いだ。
ばちっと音がする様なイメージがあった。
簡易接続は繋がったが、引き上げられない。何かが必死で抵抗している。
「鯖丸、手伝え。私一人じゃ無理だ」
「ジョン太、ごめん」
鯖丸は、トリコとジョン太の手を握って、中継に入った。
抵抗するジョン太の魔力が、ぐいぐい上に引っ張られた。
一瞬、抵抗している何かの姿が見えた。
自分をがんじがらめにして、檻の中に閉じ籠もっている獣。
あれをどうにかすれば、きっとジョン太は普通に魔法を使える様になるんだ…と、鯖丸は思った。
いずれどうにかしよう。今は時間がないけど。
引っ張り上げられた何かが、ずぶりと表層を突破した。
「よし、成功だ」
トリコは、ジョン太から離れた。
予想していたより魔力が高い。
ランクBの中程度ではないかも知れない。
「簡易接続は長持ちしない。短時間で決めよう」
トリコは、ジョン太に言った。
「それと、お前もう、魔法無能者じゃないから、攻撃魔法には絶対当たるな」
「何するんだお前ら」
ジョン太は怒鳴った。
「どんくさいくせに、俺が盾にならなかったら、攻撃当たり放題だろ。特にトリコ」
鯖丸は、元々運動神経もいいし反射速度も速い。しかしトリコは、魔力が高いだけで、身体能力はごく普通の女だ。
「お前、何で私がビーストマスターと呼ばれているか、分かってないな」
トリコは、身に着けていたニットのブラウスを脱ぎ捨てた。
白い体に、不気味なタトゥが浮かび上がった。
薄い青緑の、腕が生えた蛇に似た怪物。足に巻き付いた、黒いトカゲ。背中に浮かび上がった、コウモリに似た四枚の羽根。
うっすらと笑って、トリコは腕を差し伸べた。
「おいで」
目の錯覚かと思った。
トリコの体の表面を、蛇に似た化け物がはいずり回った。
そのまま、差し出した腕から、外に躍り出た。
「襲え」
殿に向かって、不気味な蛇が襲いかかった。
「鯖丸、追加!!」
トリコは叫んだ。
「おぅ」
攻撃魔法が重ね掛けされた。
不気味な蛇が、殿を飲み込んだ。
「ジョン太、ぼやぼやするな」
怒られた。鯖丸のくせに。
この時点で、自分に何が出来るのか、ジョン太には全く分からなかった。
魔力が低いままの方が、良かった気がする。
両手に持った銃を撃ち込んだ。
三発ずつ撃ち出された銃弾は、お互いの間をぐるぐると回りながら加速した。
威力を増しながら加速し、融合し、あり得ない軌道を描いて殿の体にめり込んだ。
当たると思った瞬間、力を込めた。
激しい爆撃が、辺りを薙ぎ払い、焼き尽くした。
自分の魔力が火炎系だと言う事すら、今まで知らなかった。
殿の体に、大穴が空いていた。
人間だったら死んでいるが、相手は生命も持っていないと言う異界の物だ。
一瞬で反撃が来た。
反射的に、今までの習慣で魔力の高い二人を庇っていた。
「バカ、止めろ」
「ジョン太、やめて」
背中に何か当たる感触はあった。
それだけだった。
ジョン太は無傷で立ち上がった。
「あー、何となく分かったわ」
両手に銃を構えた瞬間、ほとんど無くなっていた魔力のレベルが急上昇した。
「自分で調節出来るんだよな、これ」
「いや、たぶんそんな事出来るの、ジョン太だけだから」
鯖丸は言った。
「そうなんだ」
誰でも、それなりに自分の得意技という物を持っている。
鯖丸の重力操作や、トリコの魔獣召還だ。
しかし、魔力の出力調整というのは、初めて聞く能力だった。
「この状態は、長続きしないんだよな」
ジョン太は聞いた。
確かに、簡易接続は長続きしない。
「どれぐらい持つ?」
「人による」
トリコは答えた。
「お前なら十分くらいかな」
「充分長いな」
今まで反撃しかして来なかった殿が、ふわりと両手を広げた。
そよ風の様に優しい流れが、三人の前まで吹き寄せて、やにわに牙をむいた。
さすがに、腹に大穴を開けられて怒っておられるらしい。
鯖丸とジョン太は、一瞬目線を合わせてから、左右に飛び退いた。
トリコが気が付くと、ジョン太に抱えられて天井の梁からぶら下がっていた。
反対側の壁に、鯖丸が居た。
いつの間にか、鬼の様な姿に変わっている。
「よし、そのまま斬り込め。援護する」
魔法を使えば、銃口をターゲットに向けなくても、当てられる。
トリコを抱えた左手と、天井にぶら下がっている右手から、勝手な方向に打ち出された弾丸は、部屋中を飛び回り、全方向から殿に襲いかかった。
輪胴が開いて、薬莢が排出され、ベルトに付けた物入れから出て来た弾が、吸い込まれる様に宙を飛び、装弾された。
ついさっき魔法を使える様になったとはいえ、この業界は長いせいか、上達が早い。
トリコは、魔獣を呼び戻して、自分達の下に待機させた。
「乗れ」
ジョン太は、梁から手を離して飛び降りた。
「うわ、何かふわふわしてるな、これ」
驚いた様子で、魔獣の背中を撫でた。
トリコは、ひぇっと変な声を上げた。
「あ、もしかしてこれ、体の一部?」
「違うけど連動してるから、触るな」
トリコは睨んだ。
「ジョン太、もっと弾幕張らないと、斬り込めない」
鯖丸が文句を言った。
「悪い。すぐやる」
短機関銃を抜いて、無造作に弾をばらまいた。
かまいたちの時に紛失して、レストアに出していたスコーピオンだ。
ストックを外した上に、グリップも交換して、変わり果てた姿になっている。
アメリカ人のくせに、何でこんなに共産圏の銃が好きなんだろう…と思うくらい、ここ一年で鯖丸も銃器に詳しくなっていた。
二十発全弾を撃ち込んでから、更に持ち替えた拳銃二丁の十二発を発射した。
三十二個の弾丸を、ジョン太は全て把握していた。
短機関銃の銃弾は、殿の周りを飛び回らせて、ランダムに一つずつちくちくと嫌な攻撃を加えながら、拳銃の十二発は、二手に分けて鯖丸とトリコの護衛に回していた。
マガジンを交換して、更に二十発撃ち込んだジョン太は、叫んだ。
「よし、行け」
鯖丸が、壁から離れた。
壁から天井へ、床へ、高速で飛び回りながら、殿の背後に着地した。
小蠅の様にまとわりつく弾丸に気を取られていた殿は、反応が遅れた。
すうと一呼吸置いてから、刀が振り下ろされた。
魔法ではない、全くの物理攻撃だった。
殿の体が、斜めに両断された。
ダメ押しで、空中に待機した弾丸を、全弾撃ち込んだ。
終わった…と、ジョン太と鯖丸は思った。
トリコは違った。
ジョン太の手を掴んで、魔獣から飛び降りると、命令した。
「食え」
悪夢の様な姿で、殿が立ち上がりかけていた。
生きていない物は、殺せない。
どんなに壊されても死なないのだ、こいつは。
死んでいなければ、魔法は使える。
魔獣が殿の下半分をばくりと飲み込んだ。
半透明なので、飲み込まれた体が透けて見える。
しかし斜めに切り取られた上半身は、まるで見えない体があるかの様に、普通に立った。
殿は、薄く口を開いて、にやりと笑った。
その手の中に、トリコが捜していた石があった。
トリコは、ジョン太の手を離して、前へ出た。
「やばい、トリコを」
止めろとジョン太は言いかけた。
鯖丸は、聞き終わる前に理解して、高速移動した。
殿に近付きかけたトリコを抱え、魔力を通して空中に飛び上がった。
殿の手の中から、何かが伸び上がった。
白熱した光の束が、周囲をめちゃくちゃに切り裂いた。
離れていても体が痛い程の高温だった。
眩しくて、目を開けていられない。
見当を付けていた場所に、カンだけで飛び移って、足のかぎ爪で天井からぶら下がった。
体の表面が、熱に反応して変化し、目の上を色の濃い瞬膜が覆った。
やっと周囲が見える様になった鯖丸の視界に、光に飲み込まれるジョン太が見えた。
いくら魔力をゼロに調節していたとしても、耐えられるとは到底思えなかった。
ふと見ると、トリコが何かしていた。
魔獣がジョン太を守っている。
その体が徐々に小さくなっていた。
「もう限界だ。後、頼む」
抱えた体から、がくりと力が抜けた。
手の平より小さくなってしまった魔獣が、吸い込まれる様にトリコの体に戻った。
白熱した光の束が消えた。
辺りが真っ暗に感じられる。
視界を調節するのに少しかかった。
鯖丸は、トリコを梁の上に寝かせて、飛び降りた。
ジョン太は床に倒れていた。
あれだけの光を浴びたにしては軽傷だったが、毛皮の表面が焼けこげて、酷い有様になっている。
回復魔法を通したが、魔力を低いレベルにしたまま意識を無くしているので、通りが悪い。
全力で魔力を通すと、ジョン太は少し身じろぎした。
トリコは、梁の上で気が付いて、下を見下ろした。
鯖丸が、不器用な回復魔法をかけて、一人で怒っている。
もう少し自分を回復させたら手伝ってやろうと思って、声をかけようとした。
「何でだもう、ジョン太のバカ。もうちょっと自分の身を守る事も考えろよ」
俯いた鯖丸の雰囲気が、突然変わった。
ふらりと立ち上がって、宙に浮いたままこちらを見ている殿を睨み付けた。
背中の刀が抜かれていた。
「許せねぇな、俺のジョン太をこんなにしやがって」
ええ、ちょっと待て。いつからそれ、君のだ。
心の中で突っ込んでしまったトリコは、顔を上げた鯖丸が別人になっているのを見た。
見覚えのある顔だった。
リンクを張る時、左側に居た少年だ。
年月が経っているせいか、それなりに外観は大人になっていたが、見間違えるはずはない。
多重人格障害という単語が、頭に浮かんだ。
それで三人居たんだ、こいつ。
「覚悟しろ、てめぇ」
殿に向かって斬りかかった。
「あ…バカは同じなんだ」
三人がかりでこの有様の相手に、どういうつもりだ。
殿はふわりと刃から逃れた。
さすがに消耗しているのか魔法での反撃はないが、つかみ所が無くてかすりもしない。
というか、鯖丸より動きが大雑把だ。
こいつは、別に剣術の達人ではないらしい。
ただ、ケンカは強そうだ。
明かな大振りで刀を構えた鰐丸は、いきなり殿に剣を投げつけた。
武器を手放すとは思わなかったらしい殿は、壁に串刺しになった。
「きゃっほー、ええ感じぃ」
イカレた叫び声を上げて、助走を付け宙に飛び上がった。
重力操作ではなく、普通の跳躍だった。
足の先に魔力が集まっていた。空気系ではない。何もかも別人だ。
ぶうんと空間がぶれた次の瞬間、鰐丸は数メートル先から、いきなり殿の目前に出現した。
「おりゃあ、死ねぃ」
殿の顔面に物凄い蹴りが入った。
えぐられた壁が、崩れ落ちた。
着地した鰐丸は、ジョン太を振り返った。
ジョン太は、自力で起き上がっていた。
焼けこげた皮膚が、どんどん再生している。
「あー、魔法使える間に気が付いて助かったわ」
体の表面から、黒こげになった毛皮を払い落として、上を向いた。
堅く握り混んでいた手の平を開いて、上に居るトリコの方に差し出した。
「無事だ。さすが耐熱ガラス」
あのどさくさの間に、取り戻していたらしい。
「きゃー、ジョン太。無事だったのぉ」
鰐丸が駆け寄って、がばぁと抱きついた。
「うわぁぁ、何で居るんだお前」
ジョン太が悲鳴を上げた時、トリコの乗った梁が、みしりと嫌な音を立てた。
皆でさんざん暴れ回り、破壊し尽くされた城の梁は、一瞬を置いて落下した。
普段のジョン太なら避けられるが、さすがにまだそれ程は回復していない。
頭上注意!!頭上注意!!
嫌な単語が頭の中で繰り返された。
ぶっとい梁がトリコを乗せたまま、ジョン太の頭を直撃した。
次に気が付くと、トリコの膝枕で寝ていた。
Fカップの胸が視界の大半を占めていて、大変いい感じだ。
頭がずきずき痛んだが、一撫でされるごとに、徐々に痛みは引いていた。
周囲の様子を探ろうとしたが、魔法が使えた時の感覚は、すっかり消えていた。
まぁ、嗅覚と聴覚だけで充分だ。
破壊し尽くされた広間の奥に、全員無事で揃っていた。
「てめぇ、いつまでジョン太といちゃいちゃしてんだよ。さっさと回復させて離れろ、このエロ魔女が」
聞き覚えのある声が、あまり憶えのない口調でしゃべっている。
ジョン太はぎくりと体を硬くした。
「うわ…鰐丸の奴、まだ居る」
こうなったら、全力で寝たふりだ。
「うるせぇ、黙れオカマ。ケツからバールの様な物を突っ込んでぐりぐり回すぞ」
トリコ姐さん下品。
「それは…」
さすがに鰐丸も黙った。と、思ったのは甘かった。
「ジョン太にならしてもらってもいいかも。お前は断る」
「あ、お前実は、そんな凶暴そうな顔してMだな」
「そうだけど、それが何か」
ああー、そうですかー。俺は別に関係ないけどなー。
もう、小一時間ぐらい寝ている事にした。
「言っておくが、バールの様な物は、ぐきっと曲がってる方から突っ込む予定だ」
姐さん、バールから離れて!!
「何のプレイだそれ。普通に死ぬだろ」
「だって、殺す気だもん。お前むかつくから」
トリコはしれっと言った。
「やめて、それ一応、体は鯖丸だから」
とうとう起きて間に入ってしまった。俺のバカ。
「ジョン太!!」
鰐丸は、本気で嬉しそうな顔をした。
「はいはい、ワニ君はそろそろ帰ってね。おっちゃん達も撤収するから」
鰐丸は、何か言いかけた。
「待て、キスは無し。触るのもダメ。飴ちゃんあげるから帰りなさい」
ジョン太は、ズボンのポケットからのど飴を出したが、熱で溶けていた。
ズボン自体、もうちょっとで無くなるくらい焼けこげている。
回復魔法でも、着ている物は直せないのだ。
「何だ、その二人は、同時に出て来られないのか」
少し離れた場所から声がした。
瓦礫の中に、殿が座っていた。
さっきまで着ていた豪奢な着物は、ぼろ布になっているが、体は全くの無傷だった。
確か、鰐丸が顔面にすごい蹴りを入れて、頭まで潰されたはずだったが…。
「ほら、もう一匹も出ておいで」
手招きをした次には、鰐丸の隣に鯖丸が座っていた。
二人はお互いに顔を見合わせてから、ぎゃっと叫んで飛び下がった。
「気持ち悪い」
同時に言った。
こうして並べると、似てはいるが本当に別人だ。
「さて、大切な話があるので、君達には揃ってもらった」
殿は言った。
先程の様に、攻撃を仕掛けて来る気も、そんな余力も無い様子だったので、三人…というか四人は、聞き耳を立てた。
「まず、如月トリコ。石を盗んだ事は詫びよう。済まなかった」
フルネームを呼ばれて、トリコは意外そうな顔をした。
魔界出身なので、これが本名な訳ではないが、何で知っているという表情だった。
「しかし、吾輩にはそれが必要なのだ。くれとは言わない、貸してもらえないか」
「私以外には、何の価値もない食器の破片だ。どうして?」
トリコはたずねた。
「お前達の言う、向こう側の我々の世界では、人の想いがこもった物は、大きな力を持つ」
殿は説明した。
「吾輩は、過去に過ちを犯した。そのせいで、不肖の我が弟子が、こちら側の世界を浸食しようと目論んでいる」
何の話か、鯖丸と鰐丸とジョン太には、理解不能だった。
トリコだけが、体を硬くした。
「お前は、あれの関係者か」
「左様、我が弟子の暴挙を止めねばならぬ。吾輩には力が必要だ。お前達四人に不甲斐なく敗れる様な状況を打破しなければ、我が弟子を止める事は叶わないだろう」
「ハンニバルという男が、あれを追ってお前達の世界に行ったはずだ。消息を知らないか」
トリコはたずねた。
殿は、少しの間何かを思案している様子だった。
「お前は、こちら側の人間で云う雌だな」
そんな事も、見ただけでは分からないくらいだから、本気で異界の人間なのだろう。
「ハンニバルの配偶者か」
「そうだよ」
トリコは答えた。
鯖丸は、けっこう複雑な顔をして二人の会話を聞いていたが、鰐丸が、口を挟むなと云う様に、肩に手をかけた。
同じ場所に並んでいなくても、二人の力関係は、大体こんな感じらしいと想像はついた。
「この、一連の困惑した事態を我々に報せたのは、ハンニバルだ」
殿は言った。
「その後彼は、我が弟子の手で、恒久的に活動を停止させられた」
死んだという意味らしかった。
トリコは、冷静にうなずいた。
たぶんもう、分かっていた事なのだ。
生きていると思うなら、石を形見とは呼ばない。
「さて、君達に頼みがある」
殿は、瓦礫の上で足を組んだ。
「我が城は破壊され、我が力となるはずだった品は四散した。君達は、対価を支払えば、様々な物事を引き受けると聞いているが」
「つまり、仕事の依頼か」
ジョン太はたずねた。
「そう思って、差し支えない」
殿は答えた。
「君達の言う外界から、代わりになる品々を集めて来て欲しい。必要な量が集まるまで、特に期限は定めない。それから…」
瓦礫と化した広間を見回し、人間ならため息をつく様な動作をした。
「早急に、新しいカラオケセットを手に入れたい」
「魔界で作動するなら、テープかレコードだな」
ジョン太はうなずいた。
「分かった。依頼を受けよう。後で契約書を持って来る」
「俺は別に、こいつらと組んで仕事してる訳じゃないんだけど」
鰐丸は言った。
「まぁ、ジョン太がやれって言うなら、やるけど」
「私も、今一緒に行動しているだけで、便利屋ではないんだが」
トリコも言った。
「吾輩は、未来の話をしているのだ」
殿は、断言した。
「いずれ分かる」
「あの…」
今まで黙っていた鯖丸が言った。
「たぶん魔界を出れば元に戻ると思うけど、このままの状態は気持ち悪いから、戻してくれないかな」
「そうか、こちらの人間は、自分が複数居るのは好まないか」
殿はうなずいた。
「うん、それもあるけど、この体、何だかおかしい」
「それは表出幻体だ。魔法も使えるし、物にも触れるが、生きてはいない。吾輩がこちらで使っている体と、同じ物だ」
「そうか、殿の本体は、向こうにあるんだね」
「それは秘密だから、言えないね」
殿は、その部分だけは、妙に人間ぽいしゃべり方をした。
「では、一つに戻そう」
鯖丸と鰐丸の背後に、瞬間移動して来た。
「望むなら、三人を完全に統合出来るが、元の状態にするだけでいいかね」
殿はたずねた。
「三人目は、君とほとんど融合している様子だが、もっといい状態で一人にする事も出来るのだよ」
「ああ、三人居る事まで分かるんだ」
鯖丸は、鰐丸の方を見た。
鰐丸の方が強気で強引な性格だが、実際に決定権のある主人格は、やはり鯖丸の方らしい。
首を横に振って言った。
「ううん、時が来ればなる様になる。元通りにしてください」
「分かった、お帰り」
殿は、鯖丸の背中をぽんと押した。
鰐丸の体に吸い込まれる様に、鯖丸が消えた。
それから、鰐丸の様子がふいに変わって、鯖丸に戻った。
「では、依頼の件、頼んだぞ。吾輩に連絡したい時は、トゲ男を通すがいい。外界での連絡先は、トゲ男本人から聞いてくれ」
殿は、辺りを見回した。
「そう云えば、先刻から姿がないな」
「あまり詮索しない方がいいと思うよ」
ジョン太は言った。
「助けられても、放っておかれても、どっちにしろ辛い状態になってるから」
「出来れば明日の昼頃まで、そのままにしておいてください」
鯖丸は非道い事を言い切った。
魔界では、時計もあまり正確ではないが、三人が城を出て宿に戻ったのは、明け方の四時頃だった。
観光街は、まだ賑わっていた。
少し寝て、翌朝殿に契約書を書かせたら撤収と、ジョン太は言った。
以前うるさく言ったせいか、夏場だから汗をかくせいか、さすがに鯖丸も着替えを持って来ていた。
共同になっている浴室で体を洗って身形を整えると、やっと人心地が付いた。
「トリコは、あれで良かったのかな」
タオルで体を拭きながら、鯖丸は言った。
殿に一筆書かせてから、トリコは石を渡していた。
ハンニバルの知り合いなら、返すという言葉を信用するという事だった。
「本人がいいと言うなら、いいんだろ」
ジョン太は言った。
全身が毛深いせいで、宿に置いてあるハンドタオル一枚では、綺麗に拭ききれない。
何回か絞って、どうにか全身を乾かしていた。
「一度は取り戻したんだから、仕事は失敗じゃない」
「そうだけど」
鯖丸は、やはり何か納得出来ないらしかった。
「お前、あ女の事を気に入ってるみたいだけど」
ジョン太は釘を刺した。
「あいつは政府公認魔導士だし、この仕事が終わったら、たぶんもう、会う機会もないぞ」
「分かってるよ、それくらい」
分かっている割には、不機嫌な顔だ。
タオルを首に掛けた風呂上がりな格好で廊下を歩いていた二人は、階段の上の所にトリコが居るのを見つけた。
やはり風呂上がり者らしい格好で、頭にタオルを巻いている。
「ちょっといい?」
二人を見比べて、少し思案した。
「ええと、鯖丸の方」
「何?」
階段を登りながら、鯖丸は聞いた。
「あのね、変な事言う様だと思うけど、これからセックスしないか」
「ええ、何で」
鯖丸は驚いて聞いた。
リンクを繋ぐ時は理由があったが、今は特に必要ではない。
「大きい魔法使った後は、したくなるんだよ。お前も魔力高いから、分かるだろ」
「ああ、そういう…」
納得した感じでうなずいた。
「分かるけど、そうなんだ。俺だけ変なんだと思ってた」
ジョン太には、全然分からない会話になって来た。
一瞬だが魔法を使える様になっていたが、そんな感覚は全くない。
「今までどうしてたの」
トリコは聞いた。
「ううん、そんな大技使う機会は少ないし、使っても自分で適当に処理して…」
「そうか、まぁ皆大体そんな感じだよな」
トリコはうなずいた。
ちょっと後ろめたいのか、ジョン太の方を見て、すまんという感じで片手を上げた。
「悪いけど借りるよ。すぐ返すし」
「あー、はいはい」
ジョン太は、鷹揚にうなずいた。
「別に返さなくていいから、好きにしてくれ」
鯖丸に向かって、付け加えた。
「お前それ、サービス残業な。後はよろしく」
トリコの部屋が隣だったのは、完全に失敗だった。
何で鯖丸の方の部屋でやらないんだお前ら…と思ったが、鯖丸が借りていた部屋は、トゲ男の襲来で窓が割れてドアが破れている。
ただ、二人ともジョン太が通常の人間より聴覚が鋭い事は忘れている。
最初は、初心者が微笑ましい範囲内で何かやってすぐ寝るだろうと思っていたが、あっという間に常軌を逸した展開になって来た。
「いや…それ無理だから、待て、何する気だ。初心者がそんな大技を。いやぁぁ、ちょっと待って」
「大丈夫だから、俺体柔らかいから、これぐらい平気だから。あっ、逃げちゃダメー」
ああ、聞きたくない事まで聞こえる自分の身体能力が憎い。
鯖丸が、光の速さで訳の分からない遠い世界に行ってしまう。
「俺はもう知らん。飲んで寝る」
ジョン太は、階下のバーに降りた。
「水割り」
断言した。
「ああ、そんなに入れるな、二ミリ。後は水」
人間社会では、それは単なる水と言うのだ。
溝呂木との付き合いで、多少は飲める様になったと勘違いしているジョン太は、自己申告の水割りを飲んで、がっつり寝た。
翌朝、階下のバー兼食堂に、トリコが一人で座って、黄昏れていた。
そろそろ殿に契約書を持って行こうと思っていたジョン太は、声をかけた。
「何だよ、不景気な面だな」
「昨日まで童貞だった奴に、二回もイカされた。プライドぼろぼろだ」
「正直言うけど、君らのエロ路線にはついて行けない。ツッコミは放棄する」
ジョン太は言った。
「で、鯖丸は?」
「寝てる」
適当に備え付けのインスタントコーヒーをいれて飲みながら、トリコは答えた。
「起こすのも可哀相だから、放って来たけど」
「そうか、腹が減ったら起きて来ると思うよ。俺は殿の所に行くけど」
「待って、俺も行くから」
鯖丸が、服を着ながら階段を駆け下りて来た。
「じゃあ、私も行こうかな」
トリコは、プラスチックのコーヒーカップを置いた。
「お前は、うちの会社の仕事とは関係ないだろ」
ジョン太は言った。
「そうだけど、殿とは無関係じゃないからな」
トリコは言った。
「どのみち、一人で待ってるのも閑だし」
三人は、城に向かった。
昨晩暴れたせいで、城の外観は微妙に変わっていた。
驚いた事に大広間は綺麗になっていた。
トゲ男は、救出されたのか、自力で脱出したのか、踊り場から居なくなっていたので、連絡先は聞けなかった。
「吾輩は魔界から出られないので、外界でのトゲ男の所在は、分からないのだが」
契約書に必要事項を書き込みながら、殿は言った。
異界の物には、それが限界だった。
こちら側の人間が、穴の向こうに行く事も出来るが、やはり、こちら側の法則が漏れ出している範囲内を越える事は出来ない。
越えれば、存在そのものが否定され、消えてしまうという話を聞いた事があった。
実際には、穴を抜けるだけでけっこうヤバイのだ。
こちら側に来て、平気な顔でカラオケを歌っているくらいだから、殿は向こうでも相当な力のある存在に違いない。
それを軽く負かしてしまう不肖の弟子というのは、どれくらい強いのか見当も付かなかった。
「あ、大丈夫です。あれ、知ってる奴だから」
鯖丸は言った。
「確か迫田があいつとメルアド交換してたし、連絡付かなくても、どうせ地区予選で会うから」
悪い武藤君になってしまっている。
「取り巻きの女の子が引くくらい、ぼっこぼこにしてやるわ」
「それ、結果的に引かれるの、お前だからね」
ジョン太は注意した。
「別に、モテたくてやってる訳じゃないからいいんだよ。勝てばいいの、勝てば」
童貞じゃなくなっても、武藤君は性格悪い。
「面白い子供だ」
殿は、笑いながら言った。
「それから、如月トリコ」
トリコは顔を上げた。
「どんな事になっても、希望を捨ててはいかん。そこに居る二匹と、もう一人が」
もう一人が、鰐丸なのか、全然別の何かなのか、トリコには分からなかった。
「お前の大事な物を救う。それまで達者で暮らせ」
殿は、その場からかき消えた。
「待て、判子かサイン」
ジョン太は、空中に手を差し伸べて叫んだ。
変な場所から突然腕だけが出現し、書類の適当な場所に『殿』と殴り書きして消えた。
帰りの道では、いつも通りの定食屋に入ったが、鯖丸は一杯しかごはんのお代わりをしなかった。
「もしかして、性欲が満たされると、食欲が減退するのかい、お前は」
ジョン太は聞いた。
「さぁ…どうだろう」
本人も、分からない様子だ。
トリコには、少しだけ分かっていたが、言わないでおいた。
トラウマ映像で暴れ回っていたあの子供が、ほんの少し、飢えを満たされたのだ。
食われた私も、そこそこ満足したから、いいやと思った。
外界に戻ってからは、普通の日々が続いた。
どうと云う事もない平日の昼間、たまたま休みだったので、郊外のパチンコ屋で北斗の拳を堪能したジョン太は、景品を交換しようと店を出た。
「我が生涯に、一片の悔いなし」
悔いだらけのくせに、ラオウになり切っている。
近所のスーパーから出て来た、若いカップルが目に入った。
とっさに物陰に隠れてしまった。
鯖丸とトリコだ。
外界なので、すっかり女子中学生みたいな外観になってしまったトリコと、二十歳過ぎてるくせに高校生みたいな感じの鯖丸が、ええ感じで手を繋いで歩いている。
「ええぇ、それともやっちゃったの?勇者様ー!!」
つい、物陰に隠れて、様子を窺った。
いつも通り小汚いジャージ姿だが、頭に巻いているのが、粗品のタオルではなくて、小綺麗な手ぬぐいだ。
付き合いが長いので、奴なりのお洒落だと分かってしまうのが悲しい。
スーパーの隣にある児童公園で遊んでいた子供が、二人を見付けて駆け出した。
トリコに飛びついてから、鯖丸と三人で、手を繋いで歩き出した。
トリコに、これくらいの年代の子供が居るのは、知っていた。
行方不明になったハンニバルの子供だ。
大体依頼状は読まない鯖丸は、知らなかったはずだが、特に気にしている様子は無かった。
というか、こいつ、今まで見た中で、一番幸せそうだ。
「おおーぃ、それでいいのか、お前の人生は」
軽く物陰からツッコミを入れた。
子供連れで歩いている二人は、すごく若い夫婦に見えなくもなかった。
「いいんだ…」
突っ込むのは止めて、帰る事にした。
数日後、現場から直帰するつもりだったジョン太は、所長に呼ばれたので事務所に戻った。
「新人入れたから、顔合わせしといてもらおうと思ってな」
所長は言った。
「ええ、明日でいいじゃないですか」
ジョン太は、文句を言った。
「明日からお前と組んでもらうから、一応打ち合わせも兼ねて」
所長は言った。
「またですか。鯖丸のお守りだけで手一杯なのに、この上新人って」
「大丈夫だ。今度はあんな天然じゃなくて、ちゃんとこの業界ではキャリアもある人だから」
所長はちょいちょいと奥の方に手招きした。
殿に送る為に、最近ガラクタだらけになって来た事務所の奥から、トリコが出て来た。
「どうも、この度政府公認魔導士をばっさりクビになりまして、お世話になります。如月です」
皆に自己紹介して、頭を下げた。
「うわ、本気でクビになってたのかよ」
ジョン太は驚いた。
「まぁ、大きな声では言えないが、あの城はずっと探りを入れてたからねぇ」
トリコはぼやいた。
「それを独断でめちゃくちゃにした訳だし」
言われてみればそうだが、政府の方でもトリコの扱いは、元々雑だった気がする。
ハンニバルの件が、何か係わっているのかも知れない。
「でもまぁ、リストラされてむかつくので、政府の機密情報は、出来るだけついうっかりリークしてしまう方向で行こうと思います。よろしく」
「頼もしい」
所長、大喜びだ。
「君らには、鯖丸とトリオでやってもらうから。ああ、鯖丸は知ってるよな」
「知ってるも何も、こいつら付き合ってますよ。アホみたいな顔で手ぇつないでスーパーから出て来たし」
何で知ってるんだという顔で、トリコは睨んだ。
「ええっ、付き合ってるって、その…清くない方のお付き合いで?」
所長は聞いた。
「まぁ、そんな感じです。週休二日で同棲している様な状況で」
トリコは答えた。
「なぜ週休二日なんだ」
「たまにはゆっくり寝たいからに決まってるだろう」
トリコはぶつぶつ言った。
「うわ、鯖丸最低」
所長はうなった。
「そんな子に育てた憶えはないのに…いつの間にか童貞から悪魔超人に転生してしまったんですわ、あれ」
ジョン太は説明した。
溝呂木にだけはバレない様にしなければ…。
階段を駆け上がる足音がして、当の悪魔超人が入って来た。
「おはよーございまーす。あれ、何でみんな、変な顔してこっち見るの」
理由は聞かない方がいいと思う。
「じゃあ三人揃ったから、仕事の話だ」
所長は、三人を呼んで、依頼状を取り出した。
「中々危なくて楽しそうな依頼が来てるぞ。君ら三人で組めば、民間では日本最強だからな。これからどんどん稼いでくれ」
「やったー」
稼ぐという単語に弱い鯖丸は、完全に騙されている。
絶対、こいつの時給は、今までと同じだ。
「楽しくなくていいから、安全で楽な仕事がしたい」
ジョン太は言った。
「民間なら、危ない事はしなくていいと思ってた」
トリコも肩を落とした。
二人は、顔を見合わせてため息をついた。
それから所長に向き直った。
「で、今度は誰相手に暴れて来ますか」
2008.12/25up
普通に後書き
実は、次の五話目「三匹」で、この話は終わりです。
とはいえ、「続、大体三匹ぐらいが斬る」「再び、三匹ぐらいが斬る」等、続きは書く予定ですが、この話は、次回大阪編で終わります。
殿の弟子とも、ハンニバルとも、それなりに決着は付く予定です。
関西の魔界を舞台に、ボケたり突っ込んだり、暴れたり、ジョン太が魔法使える様になったりと、色々やらかす算段です。
かまいたちの時に出たエンマと上方ヨシオ兄さんも再登場します。
クリスマスも近い関西の魔界を舞台に「ええっ、これ恋愛物なの?」という、自己申告しないと分からない、微妙な恋愛物にする予定。予定というか、ほぼ鯖丸の暴走なので、どうなるかはまだ謎です。
続きます。トリコ姐さんが…
週間少年ジャンプに連載しているマンガの主人公と名前が被ってしまいましたが、特に関係はありません。
月飛でこの話描き始めたの、2007年の前半だし。
でも、名前の元ネタはあります。ゲームのキャラです。男前秋本君について
月飛の会長、空水さんが「男前さえ出せば、何やってもいい」てな感じで出て来た男前、トゲ男こと秋本君ですが、書いてる内に何となくいい感じのキャラになって来ました。
ありがとう、空水さん。
次回「三匹」にも、けっこう出て来ます。
今回の、パンツ脱がされて放置…と違って、もうちょっといい扱いのキャラになってます。