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最後に、三匹ぐらいが斬る!! back next

登場人物

武藤玲司(鯖丸) NMC中四国支所のバイト。貧乏、貧乏性、バカと三重苦の院生。得意料理はカレー。

ジョナサン・T・ウィンチェスター(ジョン太) NMC中四国支所の社員。戦闘用ハイブリットの先祖返りタイプ。犬っぽいおっちゃん。

如月トリコ(トリコ) NMC中四国支所の社員。ビーストマスターの二つ名を持つ腕利きの魔女。元政府公認魔導士。

有坂カオル 鯖丸の彼女から婚約者にジョブチェンジした、貧乏耐性が異常に高い大学生。真面目だが芸風はかなり変。

秋本隆一(トゲ男)(中川) 鯖丸の剣道のライバル。元プレイヤー。現在はマル暴の刑事。

浜上定之(政) マル暴の刑事。元プレイヤーらしい。危険な潜入捜査等もこなす、有能な若手。

羽柴仁 魔界のヤクザ、蒲生組の構成員。魔力が高くて強いらしいが、毎回ひどい目に遇うだけで、全く活躍してない今日この頃。

箱崎ミユリ 女子高生プレイヤー。魔界で行方不明になった女の子達の一人。

福田澄子 魔界出身のOL。魔界で行方不明になった女の子達の一人。

越智不由実(サクヤ) 西瀬戸大人文学部の二年。プレイヤー。魔界で行方不明になった女の子達の一人。

最後に、三匹ぐらいが斬る!!

4.極道顛末記(後編)

 組合長のご厚意で、寄り合い所の部屋を使わせてもらった鯖丸と秋本は、怯えた感じで部屋の隅に固まっている女の子達の無事を確認した。
「えーと、先ず、体調の悪い人とか居る?」
 鯖丸は聞いた。
 返事が無い。
「まぁ、あんまり愉快な状態じゃないとは思うけど、とりあえず全員、緊急に治療は必要ないって事でいいかな」
 部屋の隅で寝かされている羽柴を、ちらと振り返って言った。
「その内こいつの治療で医者が来るから。あと、お兄さん達には言いにくい様な事は、そこに居る事務のおばちゃんに」
 土間に据えられた事務所で、帰り支度をしていた事務のおばちゃんが、あたしに振らないでという顔をした。
「詳しく言うとセクハラになっちゃうんでやめとくけど、生理用ナプキン切らしてます的な事はおばちゃんに相談してください。おばちゃん、ああ見えてまだまだ現役です」
「充分セクハラだー」
 秋本が良いツッコミを入れたので、ちょっと空気が和んだ。
「西谷商会の鯖丸です」
 捕まっていた娘達の何人かはプレイヤーらしく、名前くらいは知っている様子だった。
「こっちの男前は、県警の中川刑事です。君らの連れが救出されるまで、不自由だとは思うけど、しばらくここで待機してもらいます」
 一応、状況を説明した。自分でも、大して把握している訳では無いくせに。
「じゃ、点呼取りまーす。名前呼ばれたら返事して。原垣裕美菜くん」
「はあーぃ」
 いいノリの返事が来た。
「藤城静香くん…は、居ないか。井手須美くん」
「…はぃ」
 待て、何でお前が仕切ってる。そして、なぜ、行方不明者全員の名前を暗記している。
 突っ込みたい事は色々あるが、自分に任されても、仕切れる自信は無いので、状況に流される事にした。
 武藤ってこんな奴だっけ。塾の講師やってると言ってたから、ある程度まとまった人数を仕切るのは、慣れているのかも知れないが。

 連れ戻された九人の内で、名簿にあった行方不明者は七人だけだった。
 後の二人は、捜索願も出ていない。
 一人は、いつもの家出だと思われていると言い、もう一人は、捜索願を出す様な身内が居ないと言った。
 島には、あと四人の女の子が残っていて、黒い屋形船で連れて行かれた二人が別に居ると云う。
「すっごいかっこいいお姉さんが、助けに来てくれたんです」
 ああ、トリコだな。無茶してなければいいけど。
「犬っぽいオジサン、怖かった」
 そりゃ、君らの事考えて、本気だったからだ。普段の弛んだジョン太は、全然怖くない。
「鯖丸って、意外とウワサほど男前じゃないのね」
 どうでもいい意見も出た。
「それは、中川君と混同されてるんだよ」
 この際、誤解を解いておきたい鯖丸は言った。
「どっちも、似た様な年格好で、武器も刀だし、ヤクザ屋さんが間違えた手配書出してから、そんな事になっちゃったんだ。空気系の魔法使うのが鯖丸で、火炎系なのが中川」
「へぇ」
 見た目で魔法属性が分かる訳では無いので、あいまいな見分け方だ。
 自分的には不本意だが、一番確かな見分け方を伝授した。
「男前だったら中川君」
「ああ」
 納得された。
「鯖丸的には、そういう自虐ネタでいい訳?」
 突っ込まれた。女子高生は容赦ないのだ。
 しかし、中二病患者を含む男女中学生相手に、厳しい戦いを繰り広げてきた鯖丸は、負けなかった。
「いいんだよ。婚約者も居る俺は勝ち組」
「えぇぇぇぇぇぇぇっ?」
 秋本が、畳の上を滑る様に瞬間移動して来た。何、その不気味移動。
「こんな男前の俺にも彼女居ないのに、貴様ぁ〜」
「居ないのかよ」
 なぜ居ないんだ。そんなにも男前なのに。
 美形過ぎると、かえって敬遠されるという厳しい現実は、見た目が本気で中の下ぐらいの鯖丸には、全然理解出来なかった。
「だって皆、他に彼女居るんでしょとか言って、うう…」
「中川君可哀想です。誰か、誰か助けてくださ〜い」
「私、助ける」
 候補者出ました。
「私も」
「私だって」
「やった、モテモテじゃん」
「うっせぇ、黙れ」
 中川こと秋本ことトゲ男は、キレた。
「見た目で寄って来る奴なんて、長続きしねぇんだよ。それ位分かるだろ」
「ううん全然。見た目で寄って来られた事ないし」
 鯖丸は気持ち良く全否定した。

 鯖丸と秋本が、若い女子に囲まれている頃、トリコは海岸に呆然と立ち尽くしていた。
 時間はちょっと遡る。黒い屋形船が、島に戻って来た。
 ジョン太が戻るまで、力業で足止めするつもりで、トリコは波打ち際へ出た。
 転送能力のある男が、二人の少女を連れて、浜辺に出現した。
 確か御堂とか言うチンピラで、能力が能力なので、蒲生組でも使いっぱにされていた。
 仕事で何度か顔を合わせた事もあった。
 たいがい、あやうい所で大事な証拠品とか、捕まえたい人間とか、押収したい銃器とかを持って逃げる役目だ。
 そいつと、砂浜で出会い頭に目が合ってしまった。
 最初、捕まえた女の一人が、砂浜をぶらぶらしているのだろうと考えた御堂は、何の用心もなく二人の少女をこちらへ寄越した。
「こいつらにメシでも食わせて、休ませてやれ。それから、代わりの二人を連れて来い。ああ、一人目はお前でいいな。あと一人」
 掠った女達の顔も、把握していないらしい。
「お前、そんなだから便利な能力持ってるくせに、ヤクザ社会で出世しないんだぞ」
 引き渡された女の子二人を、背後に押しやって、トリコは言った。
「え…そう言えば誰だお前」
「ビーストマスターだ。抵抗するなら命の保証はないぞ」
 自分の知名度を充分把握していたので、軽く脅しをかけてみたが、効き過ぎた。
 御堂は悲鳴を上げて、あっという間にその場からかき消えた。
 続いて、砂浜から少し離れて停泊している屋形船の上で、叫び声が聞こえた。
「兄貴、ビーストマスターが居る。この島はもうダメだ」
 何んだ、その怪獣扱いは。
「早く、早く船出して」
 さすがに、屋形船全体を転移させる力はないらしく、怯えた口調で訴えた。
 屋形船のエンジン音が大きくなった。
 じわじわと、海上で方向転換を始めている。
「ああ、もう、めんどくさい」
 二歩、三歩と海の中に入ったトリコは、手の平を海水に浸した。
 いきなり、海面が盛り上がった。
 操られた海水が、意志を持った生き物の様に、船の回りで渦巻き始めた。
 水面から、ぐわりと船が持ち上がった。
 そのまま、放り投げられる様に、砂浜に突っ込んで来た。
「靴、濡らしたくなかったのに…」
 水浸しになった靴をがぽがぽいわしながら、砂浜に突き刺さった屋形船に近付いた。
 海岸には、船から放り出された男が一人、倒れていた。
 しかし、船の中にはもう、人の気配は無かった。
「しまった、逃げられた」
 トリコは、呆然と砂浜に立ち尽くした。
 姐さんらしくない凡ミスだった。

 ジョン太が引き返して来た時、トリコは海岸でたき火を焚いて、濡れた靴と靴下を乾かしていた。
 傍らには、ぼこぼこにされて縛られた男が一人、転がっている。
「おそらく、捜索願の出てた娘は全員、保護したと思う」
 素足から砂を払い落として、嫌そうに湿った靴下を履きながら、トリコは言った。
「すまん、こいつ以外は取り逃がした」
 括られた男に視線をやった。
 少し離れた場所で、六人の女の子が、怯えた表情で身を寄せ合っていた。
 さすがに、二十トン近くある船を、砂浜に突き刺さる程ぶん投げて見せたのは、怖がられたらしい。
 普段は陸上でしか仕事をしないので、ジョン太も海上でのトリコの破壊力を見るのは、初めてだ。
 水がいっぱいあったら、こんな強かったのかよ、こいつ。
 何だかもう、呆然としてしまっている女の子達をせきたてて、船に乗せた。
「ああ、借りた毛布とか、ちゃんと運べよ」
 容赦なく命令しているトリコに、女の子達は黙々と従って、頼まれてもいないのにゴミの回収までしている。
「あんま、怖がらすなよ」
 ジョン太は一応フォローしたが、そもそも自分も見た目が怖いので、場の雰囲気をゆるくするのは無理だなと判断した。
 早く港に帰って、間抜けな顔のバカと、居るだけで雰囲気の良くなる男前に任せよう。
 浜上刑事は、小屋の中を色々調べていたらしく、少し遅れて最後に船に乗り込んだ。
 トリコが何だか無口だったので、ジョン太は気になって声をかけた。
「どうした、どっか調子悪いのか」
「いや」
 やはり、濡れた靴と靴下は嫌だったのか、甲板で素足に毛布を巻いてうずくまっていたトリコは、首を横に振った。
「体調は良好だ。ちゃんと気を付けてるからな」
 その割には、何だか不機嫌そうな顔だった。
「そうか、だったらいいんだけどな。うちの嫁さんとか、妊娠中は色々大変だったからな。ハイブリット相手だと、普通よりつわりがひどいって云うし」
「そうか、全然何ともないけど、迷信じゃないのか、それ」
 まぁ、元気そうで何よりだが、何だこいつの野生動物っぷりは。本気で何とも無さそうだ。
「その割には不景気な面だな」
「普段なら、残りの奴ら逃がす様なへまはしないからな」
 トリコは言った。
「この辺が潮時だ、今日で終わりにするよ。お前らの足は引っ張りたくないし」
 普通に考えれば、それでもトリコは並みの魔法使いより何倍も優秀だ。無茶をしたくないなら、出来る範囲で加わってくれるだけでも助かるのだが…。
 引き止めたかったが、本人が言っているのだ。無理はしない方がいい。
「そうか、残念だよ」
 ジョン太は、素直にトリコの意見を受け入れた。
 本来なら、昨年末で終わりだったはずだし。
「悪いが、後はお前と鯖丸で片付けてくれ。人手が足りないなら、るりかが適任だ。所長にはそう言っとく」
「分かった」
「途中で担当が変わるんですか」
 あまり前例のない事なので、浜上刑事は聞き返した。
「まぁ、何て言うか家庭の事情でね」
 トリコは、その辺は軽く流した。

 憔悴して怯え切った女の子達に、超男前秋本の威力は絶大だった。
 皆がきちっと言う事を聞いて、指示に従っているのは、トリコとジョン太が仕切っていた時と同じだが、明らかに自主的だ。
 中川さんて優し〜いとか、評判も上々である。
「俺だって、警官としてはそこそこ優しいのに」
 浜上刑事ことヤッパの政は愚痴を言った。
「ただし、男前に限るって、こういう状況で使う言葉なんだな」
「うわぁ、そんな事言って、めんどくさい事全部、俺に押し付けないでください」
 なぜか点呼を取る係になっている鯖丸の横で、秋本は悲鳴を上げた。
「そうだな…君ら、そこの鯖丸も、顔以外はかっこいいから」
 トリコが横から助け船を出した。ただし、鯖丸にはまずい方向で。
「え…? 顔以外ってどこが」
 皆の中では少し年長の、OLっぽい女の子が尋ねた。
「こいつ、脱いだらすごいんだよ」
「ええっ、本当に」
 鯖丸は、女子の集団に囲まれた。
「やめろー、脱いだらすごい(筋肉が)のは、中川君も一緒だから。あっ、そんな所触らないで、やめてー」
「だって、すごいじゃないか(以下伏せ字)が」
「俺の価値って、結局そこだけか?」
「まぁ、七割方」
 姐さんに断言された。
「意外とダメージあるな、これ」
 鯖丸は、ぶつぶつ文句を言った。
「大体、男前で事態を収拾したいなら、何でジョン太はその格好のままなの。美渋中年の底力を見せろ、コラ」
「え…? 俺って男前か」
 普通の人間バージョンになった時の破壊力を自覚していないジョン太は、本気でうろたえた。
「ああ、顔だけならお前が一番タイプだな」
 トリコに言い切られた。
「嫌だ、そんな汚れヒロインに好かれるポジションなんて」
「何だとー」
 人は、本当の事を言われると怒り出すのだ。

 浜上刑事は、境界の外と行き来して、現状の詳細を報告したり、女の子達を外界へ搬送する為の準備に追われていた。
 何人かは家族と連絡も付いて、遅い時間帯だったが、車で迎えに来るという話だ。
 後日、事情聴取や医師の診断が必要だという事で、迎えに来た両親と話をする為に、浜上は連絡係として境界に留まる事になった。
 掠われた女の子達の保護を最優先する為に、土方警部はおそらく、非公式で二人の部下を動かしている。
 これ以上の人手は割けないのだろう。
 親兄弟が遠方に居たり、急には連絡が取れない者は、そのまま残された。
 組合長の好意で、寄り合い所には布団が運び込まれて、一度帰宅したおばちゃんは、おにぎりだの煮魚だの味噌汁だの、色々用意して、皆の面倒を見てくれた。
 合宿みたいになってしまった。
 その晩は、皆で畳の部屋に布団を敷いて寝た。

 明け方に、ジョン太が起き出して、どこかへ出て行く気配があったので、鯖丸は目を覚ました。
 急いで起きて、跡を追うと、港で小さなモーターボートのエンジンをかけている所に行き当たった。
「何? どこ行くの」
 まだ、眠い目をこすって尋ねると、ジョン太は顔を上げた。
「何だよ、まだ寝てりゃいいのに」
 ボートのエンジンが、うるさい音を立て始めたので、二人の会話も大声になった。
 空はうっすら白み始めていて、昨日借りたみゆき丸は、もう釣り客を乗せて出て行ったのか、姿は見えなかった。
「ちょっと気になる事があってな、島に戻って屋形船を見て来る」
「待って、俺も行く。上着取って来るから」
 引き返そうとしたが、ジョン太に止められた。
「お前はここに居ろ。こんなボートじゃ、高波が来たら終わりだし、留守番がトリコ一人になる」
 泳げれば、連れて行ってもらえたかも知れないのに。こんな事なら、真面目に水泳の練習をしておくんだった。
「妙な音が沖で聞こえたから、見て来るだけだ。すぐ戻る」
「分かった」
 車の屋根に積める様なタイプの、小さなボートだ。
 何かあって海に落ちたりしたら、かえってジョン太に迷惑を掛けてしまう。
「戻って来るまで、後、頼んだぞ」
 ジョン太が言ったので、鯖丸は黙ってうなずいた。

 寄り合い所に戻ると、まだ薄暗い軒下の縁台で、羽柴仁がぼんやりと座り込んで煙草を吸っていた。
「お早う」と言って横に座ると、羽柴は「まだ夜じゃ」と反論した。
 一応、魔界の医者に治療はされているが、起きているのは辛そうだ。
「寝てればいいのに」
 薬物を使って意識不明にさせられていた上に、長時間監禁されていたらしく、体も弱っている。
 殺されなかったのは幸いだが、こいつ、毎回身内のヤクザにひどい目に会わされてるな…と考えた。
 大体、煙草ぐらい部屋の中で吸えばいいのに、わざわざ外へ出て来る辺りが、根はいい人だ。
 ジン君、本当はヤクザ向いてないんじゃないのか…。いや、それより、煙草ってそこまでして吸わなきゃいけないの?
 昔は自分も吸っていたのだが、そもそも不良は煙草吸わなくちゃ…という、形から入った結果だったので、特に好きだった訳でも無い。
 だから、大学に入ってからはあっさり止められたのだ。
 煙草買う金があったら、コンビニで弁当買うわ。更に、お茶まで買える。ジン君のお金持ちめ。
「いや…ヤクザもんのわしが居ったら、あの娘ら怖がるじゃろ」
 羽柴は、煙を吐き出して言った。
 確かに、それで、トリコが捕まえた男も、拘束した後、車の中に毛布を持ち込んで寝かせてある。
「ジン君、ヤクザ向いてないよ」
「よく言われる」
「多分、怖がられてはないと思うよ。あの娘ら、救助される時に、一番緊急性の高い奴は誰だって聞かれて、ジン君だって言ったらしいから」
 羽柴は、肩を落とした。
「面目ない話じゃ。迷惑かけた上に、助けられるなんて」
「捕まった女の子達をわざと逃がしてたの、ジン君だろ」
「わしには、そんな事しか、出来んかった」
「何でだよ。ジン君、本当はけっこう強いだろ」
 羽柴の魔力が高いのは、何となく分かっていた。
 自分程では無いだろうが、能力が高い上に魔界出身だ。本気出したら、あんな連中くらい、一人で片付けてしまえるはずなのに。
「極道っちうのは、上のもんには逆らえんのじゃ」
 間違ってると思うなら、逆らえばいいのに…と思ったが、そもそも逆らったからこういう状況になっているのだ。
 それでも、兄貴分に手を上げる事は出来ないんだろうか。
 ジン君もめんどくさい奴だ。
「ほんとに、ヤクザなんか辞めちまえよ。うちの会社、もうすぐトリコが辞めるし、四月には俺も辞めるから、今、求人かけてるよ」
「何で辞めるんじゃ」
 羽柴は、怪訝な顔をした。
「トリコは、出来ちゃった結婚で外国へ行くし、俺は今年で卒業して就職するから」
「そら、おめでたい話じゃ。良かったのう」
 本気で言っている。いい人だ。
「これで、お前の不細工な嫁にも、苦労かけんで済むのう」
「うわぁぁぁ、微妙に可愛くないから不細工まで、勝手に脳内で進化させるなぁ」
 殴り倒したら、羽柴はあっさり縁台の上に倒れた。
 しまった、こいつまだ、意識不明から立ち直ったばかりの病人だった。
「待て、ジン君、死ぬな。死ぬなら俺と関わりのない所で死ね」
 ひどい事を言いながら、抱き起こした。
 何事かと聞きつけて出て来た秋本が、抱き合っている二人を発見した。
「ああ…そういう」
「納得するな、連絡付くなら、昨日来た医者の先生呼んで」
「俺の仕事を増やすなよ」
 秋本は一応、文句を言った。

 ジョン太は、すっかり夜が明けて、陽も高くなった頃、戻って来た。
 すぐ戻ると言われていたので、鯖丸は少し、文句を言った。
「何やってたんだよ。そんなややこしい仕事なら、俺も連れて行ってくれても…」
「済まん、確かめたい事があったんで」
 ジョン太は、素直に謝った。
「屋形船が無くなってたんで、行き先を確かめようと思ってな」
 トリコが、砂浜にぶち上げた屋形船が、回収されていたという。
「夜中に聞き覚えのあるエンジン音がしたんで、まさかとは思ったが」
「くそっ、全部ぶち壊しとけば良かった」
 トリコは、物騒な事を言った。
 船と構成員が残っていたら、また、同じ事件が起こりかねない。
 羽柴が邪魔をして、予定していたあがりが無かった蒲生組は、再び同じ事件を起こしかねない。
 しかし、これで立件はほぼ完了した。
 今後は、警察も表立って動けると、境界から戻って来た浜上は言った。
 いい報せだった。

 警察が、正式に動ける様になったので、応援はすぐに来た。
 政府公認魔導士協会からも、共同で調査が行われるという話だったが、そもそも協会は、警察組織の様に、犯罪の検挙が主目的ではない。
 あくまでも、調査が最優先だ。
 そして、警察でも、魔界での犯罪を取り締まる専門の科はない。それに近いので、マル暴が担当しているのが現状だ。
 対応は、決して万全とは云えなかった。
 それでも、現状は良い方に向かった。
 西谷商会への、県警からの依頼も、公式な物になった。

「時間だから帰る」
 午後を過ぎてから、鯖丸は言った。
「ああ、分かった」
 最初からそういう予定だったので、ジョン太はうなずいた。
「中川君、君も一度外界に戻って」
 浜上は言った。
「この人数は、乗って来た車じゃ搬送出来ない。連絡がてら羽柴仁を外界の病院に連れて行ってくれ」
 羽柴仁の容体は、良くなかった。
 命に別状はないが、衰弱している上に、何かの薬物を使われている。薬物の特定は、外界に出なければ出来なかった。
「ええっ、中川さん、帰っちゃうんですかー」
 女の子達から、抗議の声が上がった。
「はいはい、中川君は一旦外へ出るけど、すぐ戻りますよー。俺は男前じゃないから、もう戻らないけど」
 弱っている羽柴を、搬送する為に毛布でくるみながら、鯖丸は言った。更に弱らせた一因は自分にあるので、ちょっと責任は感じているのだ。
「えー、鯖丸も面白いから、居て欲しいのに」
 秋本はかっこいいで、俺は面白いかよ。
 釈然としない部分はあったが、女の子にきゃーきゃー言われて寄って来られる秋本と、きゃーきゃー言われながら逃げられる自分の立ち位置には、漠然とした不満があったので、微妙に満足だ。
 逃げられる原因の大半は、容姿ではなく性格にあるのだが。
「トリコは、一緒に戻る?」
 一応聞いた。
「いや…中川君が応援を呼んで来てから、外界に戻るよ」
 由樹も最近は、一人で留守番出来る様になったという。
 一緒に住んでいた頃、トリコが留守の間、心細い顔をしていた五歳の子供を思い出した。
 今は、小学二年で、元々年齢の割にしっかりした子供だったので、随分変わっているのだろう。
「日曜の夜までに仕事終わってなかったら、連絡入れるからな」
 ジョン太が言った。
 現時点では、犯人は逃がしたとはいえ、女の子達は全員保護しているので、これ以上この仕事が継続するとは考えられなかった。
 もちろん、現実は大体、最悪の方向へ行く。

 外界の国道を走る間も、秋本は色々忙しそうだったので、ハンドルは鯖丸が握った。
 上司や病院や、様々な所へ連絡を入れている。
 市内の適当な場所で下ろしてもらって、アパートまでは走って帰った。
 魔界に出かける前に、塾のバイトに必要な教材や資料は、前以て用意していたので、ぎりぎりの時間に戻ってもどうにかなったのだが、道路が渋滞していて、ちょっとはらはらした。
 羽柴仁の入院先については、秋本が後からメールで連絡をすると言ってくれた。
 塾のバイトが終わった後、勉強熱心な子供達が何人か、いつも通り質問をして来てしばらく捕まった。
 ふと、蒲生組に捕まっていた女の子達の何人かは高校生で、この子供達と大して変わらない年齢だという事に、思い当たってしまった。
 今の所、中学生の被害者は居ないが、絶対居ないとは言い切れない。
 昔の事を、少し思い出した。
 もうずっと、考えない様にしていたのに。
「お前ら、早く帰れ」
 つい、言ってしまった。
 それから、自分が変な事を言っているのに気が付いて、我に返った。
「親が迎えに来てくれない奴で、駅まで歩くの居る? 送ってくから」
「先生、変だよ」
 指摘された。
 生徒とは、プライベートでの付き合いはしない様に言われていたが、最寄り駅に送るくらいはいいだろう。
「最近、物騒だからな」
 言い訳は、事実なので皆に納得された。

 生徒達を、私鉄の駅とバス停に送って自宅に戻ると、アパートの部屋は暗くて無人だった。
 有坂も、バイトとか色々あるだろうし…と思って、とりあえず魔界に居る間は確認出来ないメールをチェックした。
 まっちゃんの所に泊まって来る、日曜の晩に帰る、というメールが入っていた。
 まっちゃんこと松本祥子は、有坂の一番親しい友達だ。
 行った事はないが、住所も知っている。
「何だよもう。今日戻るって言ってなかったのは悪かったけど」
 塾のバイトがあるから、分かりそうな物だが、きちんと言ってなかったので、弁解は出来ない。
 急いで有坂にメールを入れた。
 日付が変わる頃まで待っても、全く返事が無かったので、遅い時間だが今度は電話を入れた。
 現在、電源が切れているか連絡の取れない場所に居ますというメッセージが帰って来た。
「何やってんだよ、カオルちゃんは」
 自分もたまにしでかすので、深く責められないが、有坂と連絡が取れないのは初めてだ。
 大体、今時連絡が取れない状況なんて、魔界関係と一部の特殊な仕事以外は考えられない。
 有坂のバイトだって客商売だから、電話を取れなかったり、メールチェック出来なかったりする状況はあり得るが、受信自体出来ないというのはあり得ない。
 そもそも、こんな時間帯までバイトな訳無いし、臨時で遅くなるなら連絡入ってるはずだし。
 まっちゃんとも、連絡は付かなかった。
 仕方ないので、こんな時間帯にどうかとは思ったが、有坂の実家にも連絡を入れた。
 心配性のパパではなく、のんきな母親の方にメールを入れる辺り、チキンである。
 別に最近、変わった事はないという返事が来た。
 何も分からないまま、翌朝になった。 

 翌日は日曜なので、朝から夕方まで、コンビニのバイトを入れていた。
 年末に清掃会社のバイトを辞めたので、その分コンビニのシフトを増やしている。
 たまに、言動が妙だったり、廃棄弁当を独り占めしようとしたりするが、基本的に仕事中の鯖丸は、真面目で働き者だ。
 それが、レジに居る時も携帯を気にしたり、メールを打ったりしている。一緒に入っている近所の主婦のお姉さんは、不審な顔をした。
「武藤君、何かあったの」
「いえ…まだ何かあった訳じゃないんですけど」
 連絡が付かないだけだ。理由はいくらでも考えられる。
 圏外に居るとか、うっかり電源を切ってるとか、故障してるとか。
 およそ、どれもありそうにない事ではあったが、絶対無いとも言い切れない。
 落ち着け…今晩戻って来るってメールは、入ってただろう。
 塾のバイトが終わって帰ったら、きっと家に居る。カオルちゃんは、約束を破った事なんて無いから。

 その後、塾のバイトが終わった鯖丸は、普段なら授業が終わってからも受け付けている質問や何やらをばっさり切り捨てて、文句を言う子供達を強引に駅とバス停まで送り届けた後、全速力で自宅へ向かった。
 駅まで送るのは省略してもいいのに、その辺は律儀なのだ。 
 ただならぬ雰囲気を感じたのか、子供らは大して抗議せず、大人しく家に帰って行った。
 いつもより速いペースで走ったので、さすがに息が上がりそうだった。
 アパートの角の部屋には、遠くからでも明かりが灯っているのが見えた。
 自分達が住んでいるのは角部屋ではないが、同じ建物に灯りが付いているのを見ると、少なからずほっとする。
 路地を曲がった所で、立ち止まった。
 二階の、真ん中に近い部屋の窓は、暗かった。
 まだ、戻っていない。
「いや…大丈夫。まだあと三時間は今日だし、ちょっと遅くなってるだけだから」
 自分に言い聞かせた。
「そうだ、カレー作っとこう。食べたいって言ってたもんな、カレー」
 沿道にあるスーパーまで引き返した。
 この時点で鯖丸は既に、ちょっぴり自分を見失っていた。

 アパートに戻って、ご飯を炊いてカレーを作っている間に、深夜になってしまった。
「カレー、美味しく出来たのに」
 お代わりをよそっている途中で、やっと我に返った。
「違う、もっと優先してやる事あるだろう」
 それでも、よそったカレーにはぴっちりラップを掛けて仕舞う貧乏性が悲しい。
 思い付く限りの有坂の知り合いに、もう一度連絡を取り始めた。
 松本には、相変わらず電話もメールも通じなかったし、他の友達は、二人とは土曜の夕方くらいから連絡が付かなくて困っていると言う。
 連絡先を知っている相手を、一通り当たった後で、ふと、槇島亜里香と越智不由実の事を思い出した。
 仲間のプレイヤー達のアドレスも聞いている。
 連絡しようとした所で、手が止まった。
 待て、それであの娘達が「知ってる、変な奴に連れて行かれた」なんて言ったら、どうしたらいいんだ。
 松本の住所は堀浦だった。
 魔界との境界に近くて、幹線道路の沿道にある。
 あの付近で拉致された女の子も、何人か居た。
 ケータイのパネルを操作する間、少し手が震えた。
 槇島と越智は、すぐに出なかったが、仲間のプレイヤーでマヒルという娘とは、すぐに連絡が付いた。
 こちらから切り出す前に、電話の向こうから相手が叫んだ。
「やった、鯖丸だ!! お願い、助けて」
 何の話だ。助けて欲しいのはこっちなんだ。
 口をはさむ間もなく、相手は矢継ぎ早に言葉を並べた。
「松本先輩が、変な奴に連れて行かれた。ミリとナスカが追っかけて行ったけど、連絡が取れないから、きっと魔界に入ったんだ。人さらいを追っかけてるんでしょ、助けて」
 頭から血の気が引いて行くのが、自分でもはっきりと分かった。

 その後の行動は、良く憶えていない。
 マヒルという娘から話を聞いて、彼女の車でそのままゲートまで直行した。
 通行証は持っていないというマヒルと、抜け道から不法侵入して、会社の倉庫に直行した。
 何だか分からないが、とにかく武器は持っていた方がいいと判断したのだろう。
 当然だが、セキュリティーの高い倉庫は、鍵も持っていない人間に開けられるシロモノでは無かった。
 境界の目の前とはいえ、まだ外界なので魔法も使えない。
「ちくしょう、何で開かないんだよ、これ」
 とうとう、訳の分からない事をわめきながら、倉庫の扉をぶん殴り始めた鯖丸を見て、マヒルは少し後ずさった。
 ダメだ、この人たぶん、頼りにならない。
「あの…会社の人に応援頼めないんですか」
 武器を諦めて、境界に突っ込もうとしていた鯖丸は、その場で止まった。

 半泣きで、意味不明な電話をかけて来た鯖丸に叩き起こされたジョン太がゲートに付いたのは、夜中の二時を回った頃だった。
 不機嫌な顔で車を降りると、鯖丸はもうだいぶ、ダメになっていた。
 一人で当てもなく魔界へ突入しようとするのを、何度もマヒルに止められていた。
 ナイス判断だ。
 いくら何でも、魔界だってそんなに狭くはない。
 おおかたの事情も、マヒルが説明した。
「あの、うちの学校の先輩で松本さんって人が、堀浦の国道沿いで、変な人達に連れて行かれたんです。車に無理矢理乗せられて」
「それ、冬なのにダウンの下にアロハ着てる、頭悪そうなチンピラじゃなかったかい」
 ジョン太は、蒲生組の御堂という転送能力者の人相を言ってみた。
「スーツ着てる人と、革ジャンの人と、もう一人はダウンジャケットでした」
 たぶん間違いないだろう。あいつら、性懲りもなくまた…。
「それで、こいつは何で、倉庫の前で涙と鼻水を垂れ流して座り込んでるんだ」
 もう、八割方ダメになってしまった鯖丸を指さした。
 こんな人を頼ろうと思ったなんて…と、マヒルはため息をついた。
「分かりません、言動がおかしくて、要領を得ないので」
 そんな奴からの電話で、真夜中にゲートまでやって来るジョン太も、たいがいお人好しだ。
「ちゃんと説明しろ、こら」
 胸座を掴んで、頬をびしばしと叩いた。
 土曜の午後に別れて以来、たったの一日で何があったんだ。
「うう…カオルちゃんが、まっちゃんと……」
「落ち着け」
 更にぶん殴ると、少し我に返った様子だったが、丸顔が悪化した。
「まっちゃんの家に泊まってたんだ。一緒に連れて行かれたかも」
 連れて行かれたじゃなくて『かも』なんだ。それでここまで取り乱すなんて、どんだけ心配性だ、お前は。
 正味、有坂パパと同類である。
「連れて行かれる所は見た?」
 鯖丸よりよっぽど冷静で頼りになる、マヒルとか言う女に聞いた。
「いいえ。でも、連れて行かれてないとも。ちらっと見ただけですし」
 マヒルは付け加えた。
「私達、松本先輩の部屋に遊びに行く途中だったんです。一緒に居たミリとナスカっていう友達が、原付で後を追って行きました」
「二人ともプレイヤーなんだな」
「そうです」
 ジョン太は、ポケットから鍵を取り出して、ダメになっている鯖丸を横へ蹴り転がしてから、倉庫の扉を開けた。
「ゲートの向こうに置いてた車は、君のか」
「はい」
「しばらく借りるぞ。うちの車は魔界じゃ動かないから」
 ジョン太は、倉庫から自分の銃と鯖丸の刀を持ち出して、へたり込んでいる鯖丸に放った。
「それから、朝までに見つからなかったら、正式な依頼扱いになるけど、いいか」
「あの…あんまりお金無いけど、何とかします」
 けなげな意見だ。
「安くしとくよ。おい、てめぇはいいかげん正気に戻れ」
 鯖丸を怒鳴りつけたジョン太は、車を取って来る為に、ゲートの外へ向かった。

 借りて来た車は、いかにも学生が自分用に中古で買った、古い型の軽だった。
 一緒に来たがるマヒルに、外界へ出て警察に通報する様に指示したジョン太は、事情を話してゲートを開けてもらってから、自分の車のキーを渡した。
「県警六課の土方警部に話を通してくれ。すぐに対応してくれるはずだから」
 境界を抜けてから、ジョン太は、マヒルの車にあったティッシュの箱を抱えて鼻をかんでいる鯖丸に、言った。
「薙刀女は何時から居ないんだ」
「土曜の晩から」
 どうにか、普通にしゃべれる状態になった鯖丸は、答えた。
「ケータイ通じなくて。まっちゃんの家に泊まって、今晩帰るっていうメールは入ってたんだけど、帰って来ないし」
 松本と有坂が、一緒に掠われたという確証はない。
 しかし、少なくとも松本は確実に連れて行かれている。
 掠われてから、時間が経っていないのが幸いだった。
「泣くな、絶対無事に助け出してやるから」
「あぅ」
 更にがさがさティッシュを引っ張り出している。
 もうちょっと遠慮して使えないのか。そして、他人の車の中に、鼻をかんだティッシュをポイ捨てするな。
「実は、朝になったら、どのみちお前に連絡するはずだったんだよ」
 ハンドルを握ったまま、暗い夜道を睨んで、ジョン太は言った。
「捕まったカズトっていう奴が、色々白状したんだが、日室は関西の人身売買組織と、繋がりがあってな。こっちである程度稼いだら、向こうで商売を続けるつもりだそうだ」
 四国と違って、関西の魔界は広い。
 その上、元々都会だった地域で、魔界内部の裏社会も、規模が違う。
「おそらくこっちは引き払うだろう。関西に逃げ込まれる前に捕まえたい」
 引き続き、仕事は続行されていたのだ。
「俺も、家に帰ってとりあえず寝てから、明日こっちに戻る予定だったんだよ」
「ごめん」
 取り乱して、何日か振りに家で寝ている所を叩き起こしてしまったらしい。
 他に頼れる相手が思い付かなかったのだ。
 こんなだから、いつまでもガキ扱いから卒業出来ないんだな…と思った。
「それから、羽柴仁が、病院を脱走した」
「えっ」
 怪我自体は、魔界で医者が治してくれたはずだが、監禁されてだいぶ弱っていた様子だったし、普通なら考えられない事だった。
 羽柴は羽柴で、色々決着を付けなければいけない事があるのだろう。
「それで、行き先の見当は付いてるの」
 鯖丸は聞いた。
「大体はな」
 ジョン太は答えた。
「逃げ道は、海しかないんだ。港の周辺に居るのは間違いない。トゲ男が残って、探りを入れてる」
 ジョン太の落ち着いた声を聞いていると、少し冷静になって来た。
 不安や心配事が減った訳ではないが、ちゃんと物事を考えられる様になっている。
 秋本も頑張ってるんだな…と思ってから、聞き返した。
「え…中川じゃなくてトゲ男?」
「先ず、警察だとは思われないだろ」
 そりゃ、あんな目玉が三つもあるサボテンみたいな男が…というより、殿の手下としてある程度知られているトゲ男が、警官だなんて思う奴は、まず居ないだろう。
 夜中に着いてしまった港は、意外な事に明かりが灯っていて、船の出入りもあった。
 屋形船は、朝までが商売の時間だったし、夜に漁をする漁船も居るし、釣り船の客も居る。
 屋形船の客なのか、漁港には普通居ない様な種類の人々もうろうろしていて、そういう連中相手の飲み屋も、何軒か営業していた。
 昼間や、夜の早い時間に見るのとは、全く違う場所になってしまっている。
 トゲ男はプレイヤーにしか見えない姿で、周囲に溶け込んでいた。
 黒い屋形船のウワサは、港町にも流れていた。
 本当なら、このまま逃げ去ってしまいたい所だろうが、商売上、完全に姿を消す訳にもいかないのだ。
 魔界と外界との境界を航行しているという話は、港町の皆が知っていた。
「何時から」
 鯖丸は、ジョン太にくってかかった。
「早くしないと」
 カオルちゃんが掠われて、しょうもない変態にいい様にされてたら、どうしたらいいんだ。
 そうして、有坂以外の女の子も、同じ様な目に遭って来たのに、身近な人が被害に遭ったかも知れない状態になるまで、事の重大さを認識しようとしなかった自分にも、腹が立った。
 俺だって、昔、テロリストに輪姦されて、さんざんな目に遭っただろう。
 もう、憶えていたくも無かったけど。
「海へ出るぞ」
 ジョン太は言った。
「いいの?」
 事が海上になったら、連れて行ってもらえないと覚悟していた。
 実際に見た事は無かったが、予備知識では割と知っている救命胴衣を放り投げられた。
 何となく昔、かまいたちを追いかける前に、防刃ベストを渡された事を思い出した。
 あれが無かったら、死んでいた。
 今回もきっと、そういう類の物だ。
 かっこ悪いとか、動きにくいとか、一切の反論は飲み込んで、言われた通りに装備した。

 でも、秋本には笑われた。
「お前、それはないわ」
 久し振りに見る、トゲ男の姿の秋本は言ってから、鯖丸の様子が普段とは違うのに気が付いて黙った。
「何言ってる、お前も着るんだよ」
 ジョン太に救命胴衣を渡された秋本は、怪訝な顔をした。
「海へ出るのは、明日の朝イチに応援が来てからなんですけど」
 どうやら、実際の予定では、明朝動く事になっていた様だ。
「それじゃ間に合わん。どうせ来るのは、マサとジミーだろう。後からどうにでもしてくれるさ」
 何度も組んでいる、浜上と宇和川の魔界名を言った。
「海上警察からも応援が来るんですけど。あと、政府公認魔導士の菟津吹さんて人も」
「菟津吹なら、放っといて大丈夫だ」
 常に暴走しがちな政府公認魔導士は、きっと、どうにかして追いかけて来るだろう。
「マサとジミーに伝言を残せるか?」
「それはまぁ」
 さすがに、魔界に慣れているので、ケータイが通じなくてもそれなりの対応が出来る。
 今時、かなりの年配でない限り、生まれた時からケータイが使えるのが当たり前の状態で育っているので、慣れない人間は伝言どころか待ち合わせひとつ、魔界ではむずかしい。
 どうやら乗って来た車を連絡場所にしているらしく、結界で隠していた車を出して、メモを残したトゲ男は、再び結界を張り直してから戻って来た。
「こんな勝手な事したら、政さんに怒られるのに」
 一応文句を言って、ジョン太の後に続いた。
「何があったんです」
「こいつの…」
 早足で歩きながら、鯖丸の方を鼻面でで指した。
「知り合いが堀浦の路上で拉致された。彼女の部屋を尋ねる予定だった後輩が二名、後を追って魔界に入ってる。そのまま捕まっている可能性が高い」
「知り合いって、どういう…」
 明らかに泣きはらした顔で、黙り込んでいる鯖丸を見た。
「こいつの彼女の親友」
 埠頭に降りたジョン太は、慣れた手つきでもやってある小型船をのロープを解いて、乗り込んだ。
 おそらく、この船を使う契約は出来ているのだろう。周りの誰も、止めない。
「それは気の毒ですけど、警官の俺を勝手に動員するのは、筋違いなのでは」
 秋本が、まともな事を言った。
「あと何時間かで応援も来る訳だし、それまで待てないんですか」
「こいつの彼女も連れて行かれたかも知れない」
 ジョン太は、船のエンジンをかけながら言った。
「俺としては、早く被害者を救出したいだけなんだけど、こいつは違うから。もし、何かあったら、多分見境無く全力で暴れると思う。誰にも止められん」
 鯖丸が魔界で、見境無く全力で暴れるという意味を、秋本は一応分かっていた。
 下手したら、この港町くらいは全滅だ。
 きっと、止められるのはトリコくらいだろうが、彼女はもうこの仕事を降りてしまっている。
 もちろんだが、為す術もなく倉庫の前で大泣きしていた様なダメな奴に、そんな根性はある訳が無い。
 おっちゃんのハッタリだ。
 基本的に人がいい秋本は、あっさり騙された。
「ちぇ、代わりに後で女の子紹介してくれよ」
 モテない事この上ない鯖丸に、そんな事頼むなんて、どういう男前だ、秋本は。
 鯖丸は、無言で船に乗り込んで来て、船首に近い場所に座った。
 周囲の話も、聞いているのかいないのか、さっぱり分からない。
 いつもは背中に背負っている刀を、両手で抱えて、まだ暗い海上を睨んでいる。
 ジョン太が連れて来た時は、何だか泣きはらした目をしておろおろしていたのに、今はもう、周囲の声も耳に入らない様子で、自分の魔力をセンサーの様に周囲に巡らせていた。
 近くに居ると、どうしてもセンサーの範囲内に入ってしまうので、全身がぴりぴりする。
 トゲ男の姿を保てなくなった秋本は、元の姿に戻った。
 ジョン太が、こっちへ来いと手招きしたので近寄ると、船の操縦を任された。
 船舶免許を持っている者が同乗していれば、第三者に操縦を任せても問題はないのだが、周囲が見えない夜の海の上で、いきなり渡されたので戸惑った。
「今からそんなじゃ、持たねぇだろうがコラ。だらっとしてろや」
 ジョン太にぶん殴られた鯖丸は、いきなり情けない感じで素に戻った。
「だって…」
 頭を押さえて、涙目になっている。
「俺は魔力の調節が出来るからいいけど、お前がそんなじゃ、トゲ男は自分で魔法使えねぇだろ。それに、気配がだだ漏れで、相手にもすぐ気付かれる」
「普通になんか出来ないよ、こんな時に」
 鯖丸は、抗議した。
「じゃあ、奴らが見つかるまで寝ててもらうけど、いいかな〜?」
 拳を握って、はーっと息を吹きかけている。
 戦闘用ハイブリットにそんな事されたら、見つかるまでどころか、いつまで寝ている事になるか、見当も付かない。
 鯖丸は黙って、自分の魔力を内側にたたみ込んだ。
 魔力は高いが、技術力はそれ程でもなかったので、こんな事が出来る様になっているとは思わなかった。
 こいつ、あと二三ヶ月で魔法使いを辞めてしまうのか。何てもったいない。
「あいつらは聴覚だけで捜せる。見つかるまでは大人しくしてろ」
 ジョン太が言うと、鯖丸はやっと安心した様に、黙ってうなずいた。

 目的の船のエンジン音は、すぐに見つけられた。
 しかし、それに接近している別の船も、同時に聞こえてしまっていた。
 漁船や屋形船ではない。
 もっと大きくて、高性能なエンジンを積んだクルーザーだ。
 育ちがおぼっちゃまなので、機種を特定出来る程ではなかったが、大体どんな船なのか、ジョン太には分かった。
 こんな、地元の漁師に借りて来た様な船では、太刀打ち出来ない。
 穏やかな内海で漁をする釣り船は、その為には充分以上の性能だったが、外洋でもがんがん航行出来る大型クルーザー相手では、ひとたまりもない。
 クルーザーの起こす波で、屋形船も木の葉の様に翻弄されるのが見えた。
 見えたのは自分だけだ。
 普通の人間には、暗い波間がかろうじて見える程度だろう。
 トゲ男が、背後で緊張するのを見て、思い直した。
 トゲ男になった時の、秋本の特殊能力は、サーモグラフィーだ。
 見え方は違うだろうが、何かを感知はしている様だ。
 二人が緊張したので、鯖丸も厳しい顔で暗い海上を睨んだ。
 波間にたゆたう真っ黒な屋形船と、近付く白いクルーザーは、ジョン太の視界には対照的に見えた。
 屋形船の客にしてはおかしい。
 ジョン太は、エンジンを切って、惰性で屋形船に寄せながら、油断なく身構えた。

 屋形船の中では、別の騒ぎが起こっていた。
「もう、我慢出来んですわ、兄貴」
 実質、現在の蒲生組組長、日室の喉元に刃を突き付けているのは、羽柴仁だった。
 周囲には、日室に付いて来た蒲生組の構成員と、怯えた顔で抱き合っている、女の子達が居た。
 屋形船に密航して、日室を止めようとしたのは、昨晩だった。
 例によって、取り押さえられて、拘束された。
 律儀な羽柴は、兄貴分に逆らう事はあっても、実力行使に出た事は皆無だった。
 だから、蒲生組の誰もが、羽柴の実力は知らなかった。
 その場に居た全員が、為す術もなく叩き伏せられて、畳の上に転がっていた。
 羽柴さんがこんなに強いなら、俺達だって日室さんに付いて行ったりしないのに…と、何人かは訴えた。
 日室が怖くて従っていた者も居るのだ。
「お前らは覚悟が足りんのじゃ。そんななら、カタギになれや」
 叱咤してから、羽柴は少し自嘲的に笑った。
「わしも、極道は廃業ですわ」
 右手に構えていた刀とは別に、左手に銃を抜いていた。
 元々左利きだったが、定番の幼少時の矯正で、両腕を利き手の様に扱える。
「なぜだ。お前は根っからの極道だと思っていたが」
 日室は聞き返した。
 妙にサイコな部分があるが…いや、だからこそ日室は、魔界では蒲生組最強の構成員として、皆をまとめていた。
 似た様な芸風の浅間に付いて行ったのも、きっとこいつの趣味だ。
「オヤジが廃業する」
 羽柴は言った。
 倒された構成員の皆は、明らかに動揺した。蒲生組、解散宣言だ。
「わしも、ただの魔法使いに戻るわ」
「それでいいのか」
 日室は冷笑した。
「実のある仕事は、どうせ外界の魔法使いに持って行かれる。また、しょうもないチンピラに戻るのか」
「外道になるよりマシじゃろ」
 羽柴は言い切った。
 背後で怯えている女の子達に、ちらりと振り返った。
「逃げろ、お前ら」
 小型船ではないとはいえ、海上で隔離された屋形船の上で、一体どこへ逃げろと云うのだ。
 怯えて固まっている皆を、一人の女が叱咤した。
「バカ、こっから出るのよ。付いて来て」
 呆然としていた皆の顔に、表情が戻った。
 女の子達の集団は、船室から甲板へと移動した。
「邪魔者が居らんなったのう」
 羽柴は笑った。
「サシで行こうか、兄さん。手加減は、せんですわ」

 夜が明けかけていた。
 幾分薄暗くなった海上に、白いクルーザーと、黒い屋形船が浮かび上がった。
 距離はまだある。
 海流の関係で、少しずつ近付いてはいたが、ここでエンジンをかけて距離を詰めるか、気が付かれるリスクを重視して海流に任せるか、ジョン太は逡巡した。
 船首で、鯖丸が立ち上がっていた。
「おい」
 折角着せた救命胴衣を脱ぎ捨てている鯖丸を、ジョン太は呼び止めた。
 これから何をやろうとしているのか、ある程度見当が付いてしまったからだ。
「骨は拾ってくれるかな」
 鯖丸は言った。
「いや、お肉が付いてて、息がある状態では拾うつもりだが」
 ジョン太は、一応言った。
「でも、止めろ」
「やだ」
「じゃあせめて、救命胴衣は脱ぐな」
 命令した。
「それもやだ。精度が下がる」
 小型船舶全体を、衝撃波が襲った。
 それが、鯖丸が船を離れた反動だと気が付いた時には、もう遅かった。
「あのバカ」
 ジョン太は、船のエンジンをかけて、全速力で加速する。
 大気を操作して、落下地点を加減した鯖丸が、船首に着地した。
 あっという間に、再び衝撃が襲い、鯖丸は船首から消える。
 同じ瀬戸内海だが、義経の八艘飛びの比ではない無茶だ。
 無茶苦茶な状態で飛んだ鯖丸が、水しぶきを上げて、どうにか屋形船に捉まるのを確認したジョン太は、ほっとして肩を落とした。
 ゆるゆると減速ながら、屋形船を視認出来る範囲内で様子を伺った。
「中川君」
 トゲ男の、警察公認の方の魔界名を呼んだ。
「はい」
「どうしよう…あのバカ」
「貴方はどうせ助けるんでしょ」
 秋本は言った。
「行きましょう」
「悪いね」
 最初から、この展開は分かっていた様子のジョン太は、巻き込んでしまった警察官に一応謝ってから、突入する機会を伺った。

 甲板の端で水飛沫が上がった時、逃げ出して来た女の子達は、後ずさった。
「うう〜死ぬ、これ、マジで死ぬ」
 愚痴を言いながら、甲板に這い上がって来た男を見て、全員が硬直した。
 基本的にもう、男なんか信用しない立ち位置になっているのだ。
 這い上がって来た男の顔を見て、皆の先頭に居た女が立ち止まった。
「あんた、武藤君?」
「あ…まっちゃん」
 助けは来た。でも、こいつ?
 有坂カオルの友人、松本祥子は、げほげほと咳き込んで口と鼻から海水を吐き出している顔見知りを見た。
 全然、頼りになる様には見えない。
「大丈夫?」
 助けに来た方が、心配されている。
「うん」
 一応、生存に不自由ない状況に置かれたので、鯖丸は周囲を一瞥した。
「カオルちゃんは何処?」
 松本に掴みかかった。
 私ら、助けに来てもらった訳じゃないの?
「ええと…言ってる意味が良く分からないけど」
 松本は言った。
「カオルなら、急なバイトが入ったから帰ったけど」
 更に付け加えた。
「ケータイ故障してるから、連絡は取れなかったと思うけど」
 一連のこの状態については、明確な答えが出されてしまった。
「うわぁぁぁ、何てこった」
 その場に膝を折って、大泣きしている。
「何しに来たの、あんた」
 松本は、呆れた様に鯖丸を見た。
「助けに来たなら、もうちょっとシャキっとしなさい」
 怒られた。
 屋形船の中では、羽柴と日室が対峙していた。
 そうして、クルーザーが、屋形船に近付いていた。

 しゃきっとなんかしていなくても、無事に戻れる。
 個人的にはそうだ。
 しかし、何人もの女の子を保護して、無事に戻るのは無理だ。
 鯖丸は気合いを入れ直して、周囲を確認した。
 窓を黒く塗りつぶされた屋形船の中では、何人かの気配が対峙していた。
 本当に強い奴は二人だけだ、何とかなる。
 問題はクルーザーの方だった。
 単なる客じゃない。
 魔力の高い人間の気配が幾つも、こちらまで漏れ出ている。
 俺もこんな状態だったのか。そりゃ、ジョン太に怒られる訳だ。
 鯖丸は、自分の魔力を内側にたたみ込んで、最小限の力で屋形船の内側を探った。
 何人かの気配と、それよりもずっと魔力の高い二つの気配があった。
 どちらも知っている。
 日室と、それから羽柴仁だ。
「ジン君が君らを逃がしたのか」
 振り返って甲板に身を寄せ合っている女の子達に聞いた。
 着地し損ねて、海中に落下した上に、溺れそうになって這い上がって来た青年に、彼女らはそれ程期待しては居ない様だった。
「ええ、同じヤクザらしいけど、少なくともそれ程非道い人でもないみたいね」
 松本が答えた。
 冷静な女だなぁ…と、鯖丸は考えた。
 有坂が、見た目の割にいささか頼りない所があるので、いいコンビなんだろうが。
 日室は、ジン君に任せきりでいいなと思った。
 直接、対峙した事は無いが、羽柴はけっこう魔力が高い。
 後は、クルーザーだ。
 どういう連中が出て来ているのか知らないが、不慣れな海上で、女の子達を庇うのは、得策じゃない。
 離れた場所で待機しているジョン太に、手を上げて合図を送った。
 女の子達が無事なのは、確認出来たのだろう。漁船が加速した。こちらに向かって突っ込んで来る。
 直前で、船をターンさせ、ぶつける様に寄せて来た。
「掴まれ!! 揺れるぞ」
 女の子達への注意と云うより、落ちたら確実に、一番切ない事になってしまう自分への自戒も兼ねて叫んだ。
 もうちょっと普通に寄せられないのか、ジョン太のバカ。
 ジョン太が、乗り物全般の運転が荒っぽいのは今始まった事ではないが、今日のこれは、自分が無茶をしたからちょっと怒ってるな…と思った。
 分かってやってる辺り、タチが悪い天然である。
 女の子達は、甲板にしがみついて悲鳴を上げた。
 しかし、実際にもっと被害を受けたのは、船室で対峙していた二人だった。

「お前とは、向こうでもいっしょにやれたら、それがいいと思っていたんだけどな」
 日室は言った。
「姐さんが、折角作ってくれたコネだ」
「それで、浅間が出て来るのを待つんか。アホじゃのう、兄貴」
 羽柴は言った。
「あいつは、一生シャバには出て来んわ」
「誰が、出て来るのを待つと言った」
 日室は嗤った。
「無理矢理出で来てもらう方法くらい、考えとるわ」
 クルーザーが近付いているのは、羽柴にも分かっていた。
 それがもっと接近したら、厄介な事になるのも。
 そして、日室は気が付いていないが、見知った魔力の固まりが接近しているのも。
 外で、何かが飛び込む様な水音が聞こえた。
 邪魔なので甲板へ出した女の子が、逃げようとして無茶をやったのだと羽柴は考えた。
 まさか、相当距離をぶっ飛んで来た鯖丸が、着地し損ねて水中に落ちた音だとは思わない。
「わしゃ、あの男は好かん。あの、食わせ者の女もな」
 羽柴は、銃口を日室に向けていたが、外へ逃がした女達がどの位置に居るのか計りかねて、右手の刀に魔力を込めていた。
 ほんの小さな動作だった。
 無数の細かな空気の刃が、日室に向かってランダムに飛んだ。
 一つ一つは、壁を破って外に居る者を傷つけない様にこまかく、しかし、広範囲にばらまいて、相手に逃げられない様に。
 羽柴の魔法は、鯖丸と同じ空気系だったが、遙かに繊細で芸が細かかった。
 破壊力では太刀打ち出来ないが、技術力が高い。
 まきびしの様に配置して、攻撃と足止めを同時に行った。
 日室の姿が、いきなり骨格が無くなった様にゆがみ、その場から消えた。
 ぱんぱんと、配置した空気の刃が、見えなくなった男の足下ではじけた。
 羽柴は、消えた相手の移動方向をそれで悟って、襲いかかる氷の刃を叩き落とした。
 日室は消える。
 いわゆるステルス能力と呼ばれている物だが、消えたまま自在に動き回り、攻撃も繰り出せる高度な物だった。
 しかし、羽柴は日室の能力を良く知っていた。
 どうしても、三つや四つは踏む事になる空気の刃で、足を傷つけた日室の移動先には、畳の上に血の跡が残った。
 更に、そちらに向けて空気のまきびしをばらまく。
 ぱぱんという音が左側に回った。
 左側に向かって身構える羽柴の背後から、攻撃が来た。
「うぉっ」
 ぎりぎりで障壁を張ったが、襲いかかった氷の刃の一本は、洋服としては意外と防御力の高い革ジャンの肩を切り裂いた。
 音のあった左側には、まだ屋形船に料理人兼用ヤクザ(調理師免許有り)カズトが乗っていた時のお品書きが転がっていた。
 日室も、こちらの持ち技を知っている。
 しかも、まだ甲板に居る女の子達に被害が及ぶので、こちらが得意の大技を出せないのも分かっている。
 普段なら、ちくちく細かい攻撃で相手を削る事も出来る。
 正直、座敷の床全体を、細かい空気の地雷で敷き詰める事だって出来る。
 しかし、外で水中に落ちる水音がしたのが、気になっていた。
 早く勝負を付けて、助けに行かなければ…と思うくらい、ヤクザのくせに羽柴は人が良かった。
 それに、日室の魔法は氷結系だ。
 水の魔法と同系統で、こんな海の上では、回りは武器だらけの状態だ。
 せめて、このお座敷からは出したくない。甲板への出口だけは、空気のまきびしががっちりガードしている。
 ステルス能力で、消えたまま自在に攻撃出来るはずの日室も、広範囲でばらまかれているかんしゃく玉みたいな魔法を、わざわざ踏んでまでは移動したくない。
 現在位置が知られてしまうし、間の悪い事に、大事なお座敷の上なので、靴は脱いでいる。
 いくら回復魔法が使えても、よほどのピンチでなければ、靴下一枚でまきびしをざくざく踏みながら移動したい人間が居る訳が無い。
 膠着状態で、二人がにらみ合った時、いきなりどかーんという衝撃波が襲った。
 二人は同時に畳の上に転がり、羽柴がばらまいたトラップが、ぱしぱしと音を立てながら二人の体の下ではじけた。
 いくら自分の魔法でも、余程念入りにかけていなければ、自分自身も当たれば多少はダメージを受ける。
「何じゃこりゃぁ」
 定番の悲鳴を上げて転がった羽柴の横で、もっとひどいダメージを受けた日室が姿を現した。
 何かが、屋形船に激突したのだ。
 最初、羽柴はそれを、近付いて来るクルーザーだと思った。日室も、そう思った。
 どちらも、タイミング悪っ…と思いながら、お互いを牽制しつつ立ち上がった。
 女の子達が出て行った甲板への引き戸から、間抜けな顔の青年が顔を出した。
「あっ、ジン君」
 見慣れたバカは、何だか分からないが全身びしょ濡れで、一応刀を構えて、お座敷に踏み込んだ。
「女の子達はきちっと別の船に……ぐぉおお」
 鯖丸の足下で、日室を逃がさない為のトラップが、一斉に発動した。

 鯖丸は無事だった。
 反射が速いのと、土足だったのが幸いしたのだ。
 しかし、長年公私ともに土足を支え続けた少林サッカーな靴は、完全に死んでいた。
 前年の仕事で、装備の大半を無くしてしまった鯖丸は、今後、数ヶ月しか仕事を続ける予定がないので、新しい装備は与えられていなかった。
 元々、鯖丸があまりにも貧乏なので、制服支給という名目で服を買ってもらえていただけなのだ。
 しかし、仕事ぶりの荒っぽい鯖丸は、今まで何度も装備をぶち壊していた。
 いくら何でも、あと数ヶ月しか居ないのに、新しい装備を買ってもらえるはずも無い。
 おまけに今回は、有坂が掠われたと思って魔界に乗り込んだので、服装も普段着のジャージだ。
 本気で自前の普段着と靴を台無しにされた鯖丸の怒りは深い。
「28.5cmの安売りの靴を捜すのが、どんだけ大変だと思ってんだ、てめーら」
 この靴が無くなったらもう、有坂にお誕生日プレゼントでもらったスニーカーと、就活でスーツと一緒に揃えた革靴と、後は魔界で拾って来たサンダルしかないのだ。
 機能的にはスニーカー一択だが、最愛の彼女にお誕生日にもらった真っ白なスニーカーで仕事するくらいなら、裸足で行った方がマシ。
「弁償しろ、コラぁ」
 出会い頭で、ヤクザにイチャモン付けた。
 さすが最強のバカ。
「何やっとるんじゃ、マグロ」
 もう、ちゃんとした魔界名で呼ぶつもりもないらしい羽柴が言った。
「鼻血出とるぞ」
 そりゃ、着地に失敗して、船腹に顔から激突したのだ。鼻血も出るでしょう。
 鼻水は出るわ、鼻血は出るわ、そもそも海水で全身びしょ濡れだわ、ダメな主人公全開。
 一応、首に巻いていたタオルを絞ってから、顔を拭った。
 そのまま、また首に巻いているのが、こいつのダメな所だ。
 残骸になってしまった少林サッカーの靴を脱いで、お座敷に踏み込んで来た。
 羽柴の背後で、日室が身じろぎした。
「伏せろ、ジン君」
 すぱんと、風圧が周囲を薙ぎ払った。
 日室は、突風に飲み込まれる直前に、消えた。
 手応えはあったが、現在位置は分からない。
 切り払われた壁と天井から、もう随分明るくなった空が見えた。
 そして、目前まで迫ったクルーザーも。
 反対側を、女の子達を乗せた船が、エンジンをかけて、徐々に屋形船から離れようとしていた。

 ジョン太は、女の子達を乗って来た船に乗せていた。
 総勢四人。
「誰か、船の操縦経験はあるか」
 一応、無理だと思いながら聞いてみた。
 おずおずと、一人が手を上げた。
「あの、水上バイクなら」
 それは、全く違う乗り物だ。
 外界でやったらもちろん違反だが、ジョン太は彼女に船を任せた。
「そっちに」と、沖合を指さして「境界が見えるだろう。なるべく境界内に留まって、こっちが見える状態で、距離を取ってくれ」
 不安げにしている、二十歳かそこらの女の子に言った。
「警察の応援もすぐ来る。もうちょっと辛抱してくれ。ほら、中川君、男前スマイルで和ませろ…うわ」
 屋形船の甲板で、やる気満々のトゲ男になって、ロープを引っ張っている秋本を見つけて、ジョン太は口ごもった。
「何やってんだ。お前の存在意義は、顔だろうが。トゲ男に戻るな」
「こっちの方が、若干筋力あるんですよ。男前担当は交代してください」
 ロープを引っ張って、船同士を寄せておくという作業をこなしながら、トゲ男は言った。
 こいつ、女の子にきゃーきゃー言われるポジションが嫌なんだな。
 トゲトゲの三つ目の男と、ごつい犬型ハイブリットでは、正味恐い人しか居ない。
 まだ、鼻血出してる鯖丸の方がマシだ。
 しょうがないので、一か八か、ジョン太は人間バージョンの方になった。
 丁度、近付いて来るクルーザーの気配も探りたかったので、魔力が上がるのも都合がいい。
「絶対に助ける。待っててくれ」
 肩に手を置いて言うと、なぜか女の子は発熱した。
「おじさま…」
 熱っぽい目付きになっている。
 あ…俺今、男前に分類されてる。
 さすがのおっちゃんも、ちょっと自覚した。
 今後も仕事にがんがん利用しようと考えた。魔法整形で、もうちょっと見た目若く出来ないかなとまで思案している。
 その他の利用方法も、ちらりと脳裏をかすめたが、みっちゃんが恐ろしいので止めた。
 仕事でリンク張る程度の事は黙認されているが、浮気なんかしたら本気で殺される。
 四人をまとめて、きびきびと船に乗り移らせていた女に、声をかけた。
 こいつが一番しっかりしていそうだ。
「何かあったら、頼む。皆がパニックにならない様に、君が仕切ってくれ」
「分かった」
 女は、ため息をついた。
「あたしって、損な役…」
「苦労は、出来る人の所へ来るもんなんだよ」
 何となく心当たりのあるジョン太は、同情的に言った。
 ひらりと、屋形船に飛び移って、トゲ男からロープを受け取り、放った。
 かかとで、密着していた漁船を沖合に蹴り出した。
「よし行け」
 漁船は、徐々に、頼りない操船で屋形船から離れて行った。

2010.6/7up










後書き
 バカ、大暴走。主人公的にはどうかと思う展開ですが、書いてて割と楽しかったです。
 大体、ファンタジーの主人公って、鼻水とか鼻血は出さないだろう…。まぁ鯖丸は、予想出来うる限り最悪な物を色々出す設定ですけど。そう言えば過去にゲロ吐いてたしな、こいつ。
 あと、美形を自覚してしまったおっちゃんは、鯖丸よりたち悪いですが、この話では特に活用しません。

次回予告
 羽柴、当社比ではわりかし大活躍の完結編に続く。

最後に、三匹ぐらいが斬る!! back next

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