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最後に、三匹ぐらいが斬る!! back next

登場人物

武藤玲司(鯖丸) NMC中四国支所のバイト。貧乏、貧乏性、バカと三重苦の院生。得意料理はカレー。

ジョナサン・T・ウィンチェスター(ジョン太) NMC中四国支所の社員。戦闘用ハイブリットの先祖返りタイプ。犬っぽいおっちゃん。

如月トリコ(トリコ) NMC中四国支所の社員。ビーストマスターの二つ名を持つ腕利きの魔女。元政府公認魔導士。

有坂カオル 鯖丸の彼女から婚約者にジョブチェンジした、貧乏耐性が異常に高い大学生。真面目だが芸風はかなり変。

三希谷晴美(魔法少女ミラクルるりか) NMC中四国支所の社員。腐女子。BL同人誌を作っている。しかもR指定有り。

速水俊(ハート) NMC中四国支所の社員。るりかとコンビを組んでいる。名前は素早そうだが体重は重い。

羽柴仁 魔界のヤクザ、蒲生組の構成員。魔力が高くて強いらしいが、毎回ひどい目に遇うだけで、全く活躍してない今日この頃。

日比野蓮花 女子高生プレイヤー。魔界で行方不明になった女の子達の一人。

槇島亜里香 西瀬戸大理工学部の学生。魔界周辺で行方不明になる。

最後に、三匹ぐらいが斬る!!

4.極道顛末記(前編)

 有坂と、些細な事でケンカした。
 もう、理由も憶えていない。
 脱いだ服をその辺に放りっぱなしにしていたとか、風呂の水を落とさないでそのままにしていたとか、一つ一つは小さな事だった。
 本当の理由は、別にある。
 彼女も忙しいのだ。
 留学が決まって、準備も必要な様子だったし、卒論の提出期限も迫って来ている。
 それだというのに、何でこの人は、家事を完璧にやろうとするのかな…と、その日何度目かの小言を聞きながら、鯖丸は考えた。
 だから、置いとけば皿ぐらい洗うって言ってるのに、すぐやらなきゃダメなの?すぐ洗わないと死んじゃうの?俺だって忙しいのに。
 一通り、彼女の小言を、聞いているふりをして聞き流してから、鯖丸は言った。
「あのね…カオルちゃん」
「何?」
 言いたい事は言って、少し落ち着いたのか、有坂はこちらを見た。
「そんなしんどいなら、しばらく実家に帰りなよ」
 有坂は、目を見開いてこちらを見た。
「ひどい」と、小さく呟いた。
 それから、思い切り頬を叩かれた。

 まぁ、俺も悪いんだろうな…何が悪いのか、全然分からないけど。
 久し振りに広くなってしまった部屋の中で、塾のバイトで使う教材の準備をしながら、鯖丸は考えた。
 有坂は生真面目で、何でも一生懸命丁寧にやる。
 それはそれで素晴らしい事だとは思うが、一日は二十四時間しかないんだから、手を抜ける所は抜かないと、やって行けないだろうに。
 忙しいなら、食事はスーパーの総菜とかコンビニの弁当でいいし、掃除なんかしなくても死なないし、大体風呂の水は、節約の為にトイレで流すのに使おうと思って、そのままにしておいたんだし、バイトに行く道すがら、コインランドリーに放り込む予定で、服はそのままになってたんだし。
 一応、道筋立てて説明したのに、全部聞いて貰えなかった。
 それどこか、今までトイレ周りがたまに水浸しになってたのは、お風呂の水汲んで流してたせいなのね…と、責められた。
 ユニットバスが真横にあるんだから、そりゃ使うだろう。
 水道代だって、バカにならないのに。
 理系の男が、文系の女相手に陥りやすい、最悪のパターンになりつつある事に、鯖丸は気が付いていない。
 感情面で訴えて来る相手に、理詰めで立ち向かっても、余計怒らせるだけなのだ。
 何だか、まずい事になって来たなぁ…というのは、何となく理解しているのが、まだ救いだった。
 塾のバイトが終わってから、もう一回メールを入れてみようと考えた。
 それから、もう少し冷静に色々考えを巡らせた。
 実家に戻ったなら、それはそれでいいんじゃないか。
 二人で同棲する時に、学費は出すけど、生活費までは援助しないという約束で、有坂が実家を出て来たのは知っていた。
 家に戻れば、バイトはしなくていいし、家事だって母親がやってくれる。
 卒論に集中するには、いい環境だ。
 終わったら、ちゃんと戻って来てくれるんだろうかという、不安は残ったが。




 その事件は、最初は地味に始まった。
 十代後半から、二十代半ばまでの、いわゆる若い女性が、失踪する事件が続いたのだ。
 理由は不明で、関係性も無かった。
 失踪した内の何人かがプレイヤーだったので、西谷商会にも依頼が来ていた。
 鯖丸が呼び出されたのは、会社に来た依頼としては二件目で、一件目の捜索は、まだ続いていた。
「るりかとハートが調査に出ていたんだが、るりかが行方不明になってる」
 所長は言った。
 初耳だった。
 一緒に話を聞いているジョン太とトリコは、もう知っていたらしく、真剣な顔でうなずいている。
「現在まで行方不明になっている女達も、魔界と、その近辺で消えている可能性が高い」
 所長は言った。
「それでまぁ、見た目は若いトリコと、実際若い鯖丸に、囮になってもらおうと思った訳でな」
 はいはい…とうなずきかけて、鯖丸は気が付いた。
「待ってください。俺はそもそも女じゃない」
「だから、鯖子ちゃんにお願いしようと云う訳だ」
 ああ、そうですね。そうだと思ってました。
 色々ながっかり感を飲み込みながら、鯖丸はうなずいた。
 どういう理由で、女の子が居なくなっているのか知らないが、エロ目的だとしたら、鯖子って狙われるほど可愛いか?
 俺だったら逃げるけどな、ああいう女。
 でかいしごついし、おっぱい以外全然利点ないじゃん。
 ジン君みたいな、特殊性癖がないと、きびしいだろうに。
 色々考えていたら、有坂が正にそう云うタイプで、更に貧乳というマニアックなキャラだという事に、今頃になって気が付いてしまった。
 うわぁぁ、俺の特殊性癖って、熟女セーラー服だけじゃなかったのかぁ。
 いや待て、AVの趣味と実際の恋愛は違うだろう。落ち着け、俺。
 一人でうろたえている鯖丸を横目で見て、トリコは何だか神妙な顔で、所長に言った。
「ちょっとお話があるんですけど、いいですか」

 るりかが行方不明になってしまったので、ハートは出払ったままだったが、斑と平田はまだ残っていた。
 二人とも、今まで受けていた仕事の事後処理を終えたら、三人とは別行動で捜索に入る予定だ。
 トリコが、いつになく真面目な顔で話を切り出したので、皆はそちらを向いた。
 いつも持っているショルダーバッグから、封筒を取り出したトリコは、それを所長の前に置いた。
 意外と達筆な筆文字で、それは辞表と書かれていた。
 皆が、息を呑んだ。
「理由を聞こうかな」
 所長は、一人だけ落ち着いた態度で、尋ねた。
 今年の夏に、政府公認魔導士だった浅間が起こした事件で、魔界はまだ、混乱している。
 元々、トリコが政府公認魔導士を辞める事になったきっかけも、浅間との確執が原因だった。
 浅間が犯罪者として囚われた今、トリコが元の鞘の収まるのは、自然な事に思えた。
 誰もが、それは納得出来る話だと思った。
 トリコは、全然別の話をした。
「いや〜うっかり妊娠しちゃって。今、三ヶ月」
「えぇっ!!」
 全員が、倒れそうになった。
「うっかりって、何だそれ。俺にはあんなに、うっかりとか絶対ダメだって説教したくせに、自分でうっかりかよ。信じられない」
 鯖丸が、言わなくて良い過去を暴露した。
「お前、三ヶ月前って、入院してただろ。いつの間に仕込んだ、それ」
 ジョン太も、言わなくて良い事実を追求した。
「もっと早く気が付けよ」
 所長は、割と普通の事を言った。
「前は良くあったんで、遅れてるだけかなと…」
 トリコは言い訳した。
「大体あのバカ、ダメだって言ってるのに、生で中出ししやがって」
「うん、その結果こうなったのは誰でも分かるけど、昼間から大声で言うな」
 ジョン太が、やんわりと突っ込んだ。
「こんな事で予定を早めてしまって、申し訳ないですが、今度の仕事で最後という事に、させていただけませんか」
 トリコが言った。
 それで、トリコが元々、いずれは退職する予定だったのが分かった。
 所長以外は、皆、誰も知らなかった。

「本当は、来年の四月になってからにする予定だったんだ」
 トリコは言った。
 必要な資料を受け取って、三人は魔界へ向かっていた。
「黙ってたのは悪かったけど、その頃には成長同調不全症候群の治療も終わって、新人との引き継ぎも済んでいるはずだったからな」
 全部初耳だった。
 トリコが、魔界出身で、魔力の高い者だけが発症する病気なのは、周知の事実だった。
 最初に会った頃のトリコは、外界では中学生の様な外見だった。
 治療を始めて二年で、魔界に居る時との外見の差は小さくなっていた。
 傍目には、ほとんど分からないくらいだが、治療はまだ、完全には終わっていなかったらしい。
「妊娠したら、治療を中断しないといけないから、子供を作るのは来年にしようって言ってたのに、あのバカ」
 何となく、離れたままの恋愛関係を保っていた二人が、そんな事まで決めていたのは、意外だった。
「だからって、辞める事はないんじゃない?」
 聞いてみた。
「そうだけどな」
 トリコも、うなずいた。
「私も、色々考えたんだよ」
 だったら、端から意見は言えない。
 しばらく車を走らせてから、別の心配事が浮かんで、鯖丸は聞いた。
「お腹に子供がいるのに、魔法とか使って、大丈夫なの」
「全然。別に病気じゃないし」
 経験者が言っているのだから、本当なのだろうが、何だかちょっと心配は残った。

 行方不明者は、日比野蓮花。
 市内の公立高校に通う十六才で、何度かプレイヤーとしての補導経験があったが、特に犯罪には関わっていなかった。
 面白半分で万引きをする未成年より、罪は大分軽くて、成人した頃には経歴にも残らない。
 もちろん、プレイヤーとして侵入しただけで、魔界で何の犯罪も犯していなければ、関わっても居ないせいだ。
 魔界での軽犯罪は、記録されにくいが、まぁ、ほぼ白だろう。
 魔界との境界は、三ヶ月前の事件で、移動を繰り返した挙げ句、今は、本来の境界より少し外に落ち着いていた。
 最近やっと、境界の外側になったゲートをくぐって、倉庫の鍵を開けた。
 倉庫には、魔界内部だった頃に、何度も不法にこじ開けようとした跡が、今も残っていた。
 魔力の高い者が仕事で出入りする度に、何度も封印をかけ直していたが、それでも被害が出そうな時期には、夜間交代で泊まり込んでいた事もある。
 今は、ぎりぎり境界の外に出ている倉庫で準備を整えて、皆は魔界に入った。
「中央街の奥で、見たと言ってた奴が居たな」
 ジョン太が言った。
「るりかとハートも、その辺に調査に入ってる」
 何度か入った事のある場所だった。
 観光街と違って、この周辺が魔界になる前から暮らしている住民の多い、普通の港町だ。
 しかし、一般の観光客が入って来ないので、ひどい場所は本当に危ない無法地帯になっていた。
 魔界の住民だって、その一角には決して近付かない。
 ジョン太と最初に仕事をしたのも、この先だったな…と、一般住宅街にある民家の軒先に車を止めて、鯖丸は思った。
 ジョン太は、家主に駐車場を使わせてもらう交渉に、家の中に入っている。
 程なく、古そうだが手入れの行き届いた木造平屋建ての家屋から、和服に割烹着という、古めかしい姿の老婆が出て来た。
「ああ、はいはい、この車ね。いいですよ」
 外界のパーキングと同じくらいの値段で、交渉は成立したらしい。
「ただ、こんな場所だから、何かあっても責任は取れませんけどね」
「一応、結界で隠して行きますから、忘れてぶつかったりしないでください」
 ジョン太が、念を押した。
「俺、ここで着替えて行った方がいいかな」
 一通り、鯖子の衣装を持って来た鯖丸は、尋ねた。
「そうだな」
 お前、何で倉庫に居る時着替えなかったんだ…と非難しているトリコを尻目に、鯖丸はその場で服を脱ぎ始めた。
「ちょっと、そこの僕、風邪引くから家で着替えて行きなさい」
 ばあちゃんに止められた。

 中央街の一角は、相変わらず怪しい雰囲気だった。
 町並みが、明らかに怪しい場所に切り替わる辺りに、ハートが待っていた。
 北斗の拳で五秒でやられるザコ敵に近い…一般人から見ると充分怖い格好をしているくせに、おろおろした様子で駆け寄って来た。
 三人とも、それなりに外見を変えているが、仕事仲間なので分かるらしい。
 なぜか、茶色っぽい犬に魔法整形しているジョン太に、うろたえている割には迷わず声をかけた。
「るりかが連れて行かれた」
「分かってる、皆で捜そう」
 ジョン太は、落ち着かせる為に、ハートの肩を叩いた。
「うわ、ハートさん、ちょっと見ない間にすっげぇ痩せてる。そんなに心配だったんだ」
 鯖丸は驚いた。
 ここしばらく、論文の追い込みに入って忙しかったのと、シフトがずれていたせいで、ハートに会うのは二ヶ月振りだ。
「一晩でそんな痩せる訳ないだろ。これはるりかに無理矢理ダイエットさせられてるんだよ」
 ハートは言った。
「健康診断で、血糖値高かったから」
「それは、ええ感じの体型まで痩せさせてから、BL本のモデルに使おうとしてるんじゃ…」
 何だか、そんな気がする。
「いいんだ。無事に戻って来てくれれば、トーンも貼るし背景も描くし、受けでも攻めでも、もう何でも…」
 美しい愛情と言っていいのかどうだが…。
「しかし、トリコはともかく、鯖丸」
 ハートは、それぞれ、原形を留めていない二人を見た。
 長い黒髪で、巨乳という以外、本来のトリコと何の共通点もない、二十歳前後の外見に変身してしまってはいるが、性別が変わっている訳ではない。
 問題は鯖丸だ。
「じっくり見るのは初めてだが、ひどいな、これは」
「どこがひどいんだよ。性別変えてるだけで、どこも手直ししてないのに。顔も変えて十五歳もサバ読んでるトリコよりマシじゃないか」
「お前、後で校舎裏の便所の横へ来い」
 トリコは、鯖丸の襟首を掴んで、ドスの効いた声で、どこへ呼び出したいのか基本的に分からない設定の場所を指定した。
「そんな巨乳にする手間があったら、もうちょっと体格を小さくするとか、何とか出来ないのか」
「出来ないよ。俺、魔法整形は苦手だし、これは、俺が女だったらこうなってたはずの外見だ。微調整は無理」
「鯖丸に巨乳の血が流れているのは分かったが、囮にするのは諦めよう」
 ハートは、超失礼な事を言い切った。
「何だとぉ、るりかよりは可愛いだろうが」
「そんな、でかくてごっつい女、誰が掠って行くんだ」
 ひどい。有坂の方が、今の俺よりちょっと背が高い上に、おっぱいもちっちゃいのに…。
「全国の、背が高くて乳が小さい女に謝れ〜」
 ハートの首を絞めた。
 それ以前に、元々鯖丸の顔が残念という事実には、触れられていない。
「そろそろいいかな」
 一通り言い争いが済んだ様子なので、ジョン太が言った。
「先ず、現場に行ってみようか」

 何でもありの地域だった。
 麻薬も売春も武器の密売も人身売買も。
 売り物には、臓器密売も入っているが、今回は被害者が女限定なので、それは違うだろう。
 るりかとハートが調べていたのは、槇島亜里香という大学生だった。
 西瀬戸大理工学部の二年。
「後輩じゃないか」
 鯖丸は驚いた。
 もしかしたら、名前は知らないが、面識はあるかも知れない。
「何で、魔界に?」
「魔界で掠われたとは限らないんだ」
 ハートは言った。
「彼女は、堀浦町周辺に住んでいた。境界からは近い地域だ」
 大学から交通の便が良いのと、市内より家賃が安いので、この周辺に住んでいる学生も多かった。
 確か、有坂の友達で、まっちゃんとかいう娘も、この辺りに住んでいたはずだ。
 市内で、同じ程度の安い物件を探すと、どうしても治安の悪い場所になってしまう。
 今、自分が住んでいる場所もそうだ。
 女の子の一人暮らしにはきついだろう。郊外に住むのも、納得出来る。
 何だか、自分の知っている人達にも被害が及んでいるという事実が、少しショックだった。
 るりかが消えたのは、魔界内部でもかなり危険な地域だった。
 昔、三田村朔美を捜す為に入った場所だ。
 槇島亜里香も、日比野蓮花も、この場所で最後に目撃されている。
「ほんの少し、目を離した間に」
 ハートは言った。
 るりかの事だから、大丈夫だろうとは思った。
 しかし、他の女の子達が、大丈夫とは限らない。
「どの辺で消えたか、分かるか」
 ジョン太が聞いた。
「ここだ。女の子達に話聞いてる間に」
 補修を繰り返された、古い雑居ビルの一角だった。
 元々田舎町なので、そんなに高い建物は無いが、昔港町だった場所で、ビルや倉庫が密集していた。
「そいつらの話は聞けるか」
 トリコが尋ねた。
「ああ、今日はあっち側に居るな」
 ハートが指さした方向に、何だか見た事がある様な三人組が、牛と豹と狐のコートを着て、佇んでいた。
 それぞれ、コートの毛並みに合わせて、微妙に獣人っぽい姿に魔法整形している。
 何が目的でこの辺に立っているのかは、一目瞭然だ。
「おう、久し振り」
 ジョン太が愛想良く近付くと、三人は警戒した様に身を寄せ合った。
「俺だよ、俺」
 毛色を元に戻して見せると、あれ、ジョン太じゃない…と、少しほっとした様に言った。
 昔から、ここいらの街角に立っている三人娘で、ジョン太が彼女らから情報を貰っているのも、何度か見た事があった。
 近付いてみると、知った顔だと思っていた娘達の二人までが、良く似た格好をした別人だった。
 メンバーは入れ替わっているらしい。アイドルユニットか、あんた達。
「るりかが連れて行かれた時の話、聞きたいんだけど」
 ジョン太が言うと、三人は同じ動作で右手を差し出した。
「ちぇっ、前の牛子ちゃんは、只で情報くれたのに」
 ジョン太は、ぶつぶつ言いながら、ポケットから細かく畳んだ紙幣を取り出した。
「領収証書いて」
 きっちり、白紙の領収証とボールペンも、一緒に押し付けている。
 無店舗営業の娼婦に領収証切らせるなんて、いい根性だと思ったが、戻って来た領収証には、個人名ではなく店名が書かれていた。
 外に立ってはいるが、一応どこかのお店に所属しているらしい。
「はっきりは見てないんだけど」
 と、狐の娘が言った。
「あたしらがそこの人と」と、ハートを指さして「話してる時、あの娘後ろで待ってたのよ」
「人通りはそんなに無かったけど、ヤクザっぽい感じの二人連れが通ったわね。」
 牛娘が言った。
「その二人が、あの娘を両脇から掴んで、そのまま消えたの」
 転送能力のある人間なら、簡単に出来る事だが、そもそも、自分以外まで瞬間移動出来る能力者は、そんなに多くない。
 ヤクザっぽい奴だとしたら、かなりの所まで絞り込めるだろう。
「るりかが、大人しく連れて行かれるなんて、ちょっと信じられないけどな」
 鯖丸は腕組みした。
「薬でも使ったんじゃないの。変な匂いしてたし」
 ヒョウ柄の娘が言ってから、しげしげと鯖丸を見た。
「あんた、よく見たらジョン太の相棒じゃない。何で女装してるの」
 完璧に女なんですけど…女装って言うの?これも。
「いや、こうしてたら犯人が引っかからないかなと思って」
 豹柄は、つま先から頭のてっぺんまで、一通り鯖丸を見て、言った。
「いいかもね」
「ええっ、こんなのが!!」
 明らかに、プライドを傷つけられた口調で、トリコが言った。
「あいつら、素人っぽい娘しか連れて行かないってウワサだから。あんたみたいなタイプには、手を出して来ないかもよ」
 トリコに言ってから、それでも、一応用心の為に、お店の前に立ってるんだけど…と付け加えた。
「あっちの角の方が、お客が来るんだけど、ここなら何かあったらすぐに逃げ込めるし」
 るりかが消えたという場所をちらりと見て、言った。
「警察の人も聞き込みに来たけど、分かってるだけで四人居なくなってるって」
「ケーサツが捜してる娘は、あっちで最後に見かけたらしいよ」
 二代目牛子ちゃんが、街の奥を指した。
 その向こうは、ここいらよりも更に物騒な地域だ。
「ああ、奥の方な」
 ジョン太がうなずくと、牛子は首を横に振った。
「ううん、その先。港の方」

 鯖丸より、掠われる可能性が低いと宣言されたトリコは、明らかに心のどこかがぼっきり行きそうなのか、鏡を出して魔法整形の手直しに余念がなかった。
「素人っぽくて普通…普通…ああ、普通ってどんなんだっけ」
 技術力が高いので、どんな外見にでもなれるはずなのに、どうやら普通が分からなくなっているらしい。
「二三年前の、外界のトリコでいいんじゃない」
 鯖丸は、無責任に言った。
「それは、普通じゃなくてロリコン入ってるだろう」
「じゃあ、一年前くらいの」
「私って、普通かな」
 トリコは聞いた。
「まぁ、特に美人でもないし、不細工でもないし。髪の色以外は」
 明らかに顔立ちは東洋人なのに、見事な赤毛なのは、以前から不思議だった。
「魔界で育った影響でそうなったの?」
「んな訳ないだろ。染めてるんだよ、これは」
 さりげなく、驚きの事実を聞かされた。
「えええっ、何で?過去の恐怖体験で、一晩で髪が白くなったとか?」
「人の過去をねつ造するな」
 トリコは、素顔に近い感じで、女子高生くらいに魔法整形し直して、言った。
「昔から整形でこの色にしてたから、外界で急に黒くなると、何か違和感あってな。それで、染めてたらつい習慣で今まで」
 それに、髪の毛染めてる方が、ちょっとでも年上に見えるし。
 今は気にする事も無くなったが、外界での外見が子供だった頃は、少しでも大人っぽく見える様に気を使っていたのだ。
「たまに根本黒い時あったろ。気が付かなかったのか」
「全然」
 あっさり言い切っている。
 こいつ絶対、髪型変えようが、化粧を変えようが気が付かなくて、キレられるタイプだ。
 ちょっと肩を落としてため息をついてから、周囲の気配に感覚を巡らせた。
 先刻から二人は、船着き場の待合室に座っていた。
 ここがまだ、魔界に呑まれる前から港町で漁港だった名残で、小規模ながらも渡し船が残っていた。
 工業街の船着き場と、それから少し沖にある島に、船が出ている。
 最も、港に停泊している船の大半は漁船で、残りはあまり大きな声では言えない様な関係の船だ。
 密輸と、不法入国と、それから、魔界の範囲内の海域を遊覧しながら客を乗せている、俗に『屋形船』と呼ばれている船舶だ。
 外界にある本来の屋形船とは違って、賭場や遊郭や、もっと危ない遊びの場を提供しながら、沿岸を回遊している。
 今年の四月に、観光街で大規模な摘発があったので、地元のヤクザ組織が、海上に流れて来ているという話は、以前から聞いていた。
 未だに稼働しているのが不思議な、絶対鯖丸より年上の自販機で缶コーヒーを買って、トリコは、これも古そうな木のベンチに座り直した。
 季節はもう冬が近付いていて、木製のベンチは冷え切っている。
「大丈夫?」
 ちゃらちゃらした服の上から着ていた、仕事用のジャケットを脱いで渡そうとすると、トリコが止めた。
「平気だ。気を使って欲しい時は、こっちから言う」
「うん」
 甘ったるい缶コーヒーを飲んでいたトリコは、ふいに顔を上げた。
 鯖丸は気が付かなかったが、何かの連絡を受け取った様子だった。
「何か見つけたらしい。行くぞ」

 ジョン太とハートは、別ルートから港を探っていた。
 地道な聞き込みというのは、魔界でも外界でも、意外と有効だ。
 程なく、ここ最近出入りしている不審船の情報を、地元の漁師から手に入れていた。
「女の子を乗せてたね。まぁ、良くある事だけど、どう見ても素人で普通の娘さんを、無理矢理連れて来たみたいなのが、気になってね」
 潮風に洗われて、年齢不詳になってしまった漁師が、煙草をふかしながら言った。
 着古したシャツの胸元から、入れ墨が見えていて、中々の強面だ。
 漁師が入れ墨を入れるのは、事故で水死体になってしまった時に個体識別がしやすいからで、ヤクザとはまた、ジャンルが違う。
 どっちも、一般人からしたらおっかないタイプで、この近辺の気の荒い漁師は、ヤクザ相手に遠慮して口をつぐんだりはしない。
「あいつら、薬も売ってるし、まぁ結論は見えとるけど、女の子達は気の毒にな」
 ジョン太が、苦い顔をした。
 やむを得ない事情があったとはいえ、薬物中毒だった過去があるので、この手の話には、必要以上に肩入れしてしまう。
 ハートも、一応その辺の事情は知っているが、ジョン太が私情で暴走する様なタイプではないのは分かっていた。
 二人で話を聞いていると、鯖丸とトリコがやって来た。
 客観的に見ると、若い娘さん大と小だ。
 鯖丸はともかく、トリコまで素人臭い小娘になっているのは、牛子ちゃん達のアドバイスのせいだろう。
「そこから昨日出て行った船が、女の子達を乗せてた可能性が高い」
 ジョン太は言ってから、漁師の方を向いた。
「こっちも、依頼者から取れる金額考えたら、これでぎりぎりなんだが、船出してもらえるかな」
「全然無理だが…」
 漁師は言った。
「漁のついでだから乗せてやるよ。来な」
 トリコと鯖丸の方を、ちらりと見た。
「お嬢ちゃん達は、置いて行った方がいいんじゃないか」
「気にしないでくれ。本当は、お嬢ちゃんとは全く関係ないジャンルの物体だから」
 言い切ったジョン太は、二人に殴られた。

「カニうまっ」
 すっかり乗組員になって、漁を手伝っていた鯖丸は叫んだ。
 環境の変化で激減して高級品になってしまった魚介類が、魔界周辺の海域には、なぜか多数生息している。
「そうかー。コロニーから来たんじゃ、旨い魚なんて食った事ねぇだろ。ほら、これも食え」
「わーい」
 漁船に乗り込んだ時点で、女装を諦めた鯖丸は、服装も身形も、元通りに戻していた。
 そして、すっかり漁船に馴染んでいた。
「お前、ええかげんにせんと、遠洋漁業船に売り飛ばすぞ…うわ、刺身うまっ」
「ダメだ、ジョン太まで」
 口では文句を言いながら、ハートは二杯目のご飯をよそっている。ダイエットはどうなったんだ。
 トリコに至っては、もう、会話にも加わらずに、無心にカニをほじっていた。
 真剣にダメな人達の集団である。
 もりもりとメシを食った後、更に漁を手伝って、周囲は暗くなって来た。
 周りにもちらちら、船の灯りが見える。
「今日は出ねぇかな」
 一区切り付いて、一服していた漁師が、ふいに暗い海の向こうに目を懲らした。
「居た、あれだ」
 言われて指さされた方向には、何隻かの漁船が、灯りを点して操業していた。
「普通の船に見えるが」
 ハートが言った。
「それじゃない。もっと向こうだ」
 言われても、船が見えているのは、漁師のおっちゃんとジョン太だけだった。
「もう少し近付いてもらえるか」
 ジョン太は尋ねた。
「構わんが、わしらはもう港に戻る。待てるのは三十分ぐらいだ」
「船まで近付いたら、すぐ帰ってもらってかまわねぇよ。おおい、トリコ」
 なぜか、船倉を掃除していたトリコが、まだ途中なのに…と言いながら出て来た。
「お前、魔獣に全員乗せて、どれくらいの距離飛べる?」
「全員乗せられる訳ないだろう。私はタクシーか何かか」
 トリコは文句を言った。
「お前ら、全員そんなええ体して、重量オーバーだ」
「短距離なら行けるんじゃないの。手伝うし」
 鯖丸が横から言った。
「お前泳げないだろ。落ちたら確実に死ぬぞ」
 鯖丸は黙った。
 泳ぎが達者でも、冬の夜の海は、ちょっときびしい。
「じゃあ、二回に分けて、あの船に乗り込む。見つからない様にな」
 ジョン太が言う『あの船』というのがどの船なのか、現時点では全く、見当も付かなかった。

 水の魔獣は、暗い海の上を飛んでいた。
 オオサンショウウオと蛇が混ざった様な、少し平べったい魔獣の体は、元々半透明なので、暗い海の上では宙に浮いている様に見えて心許ない。
 目的の船は、近付くまで分からなかった。
 黒っぽい船体に、薄赤い暗い灯りを少しともしただけで、波間をたゆたっている。
 エンジンも切って停泊しているらしく、背の低い屋形船は、遠方からはほとんど目視出来なかった。
 ふわりと、狭い甲板に降り立つと、先に運ばれていたハートが手招きした。
 甲板に積まれた荷物と、救命ボートのすき間に、四人は身を隠した。
 人の気配はあるが、静かだ。
「中に入ってみよう」
 ジョン太は提案し、四人は油断無く身構えながら、甲板を回り込んだ。
 形は屋形船だが、窓は全て内側から塞がれていて、船首に付いた薄暗い灯り以外、照明が全く無い。
 月明かりだけを頼りに、夜目の利くジョン太を先頭にして狭い甲板を行くと、程なくジョン太が立ち止まった。
 入り口を見つけたのだと思って止まった皆は、ジョン太が周囲に緊張を巡らせているのに気付いた。
 誰か居る。
 一瞬で、ほとんど物音も立たなかった。
 取り押さえられた人影の上に、トリコが指先に小さな灯りを点してかざした。
 黒っぽい服を着て、刃物を持った腕をがっちり押さえられ、組み敷かれているのは、久々に見る羽柴仁だった。

 再び、後部甲板の荷物のすき間に戻った四人は、羽柴を一通り締め上げて、事情を聞き出していた。
 どうやら羽柴も、この船の乗組員ではなく、忍び込んだくちだった。
 何が目的なのかは、中々口を割らなかった。
 まぁ、聞き出している時間も惜しい。
 いくらこっそり行動していると云っても、船に乗組員が居るなら、いずれ見つかるだろう。
「俺達は、行方不明になってる女の子達を捜してる。邪魔をするなら、拘束してこの場に置いて行くが」
 この面子相手に、一人で刃向かっても無駄だと判断したのか、羽柴はあきらめた様に言った。
「わしは、素人娘を掠った方に用事があるんじゃ」
 闇に慣れたので、トリコが作った小さな灯りだけで、羽柴の様子が良く分かった。
 暗い色のセーターとジーンズで、地味なデザインの革ジャンを着て、ゴム底のカジュアルな感じの靴を履いている。
 いつもオールバックにしていた髪の毛も、普通に垂らしていて、短刀を持って、ジーンズの腰に拳銃をねじ込んでいなければ、ちょっとやんちゃそうなカタギの衆にしか見えなかった。
 ヤクザっぽい格好をしていないと、本当に若く見える。
 もしかしたら、実際かなり若いのかも知れない。
「お前らが捜しとるんが、誰だか知らんが、邪魔はせん。わしの邪魔もせんでくれ」
「分かった」
 ジョン太は、意外とあっさり、羽柴を解放した。
「いいのかよ。どう考えても、女の子掠った奴もヤクザだろ」
 鯖丸は反論した。
 羽柴が、そんなにたちの悪いヤクザではないのは知っていたが、仲間までそうとは限らない。
「時間が惜しい」
 ジョン太は言った。
「皆は分からないだろうが、こっちに近付いて来る船が居る」
 周囲は静かで、船腹を洗う波音と、少し離れた場所で夜釣りをしている船のエンジン音しか聞こえなかった。
 ジョン太にしか聞こえないなら、距離はあるだろうが、どんな相手か分からない。
 急いだ方がいい。
「こいつはお前に任せる。仲良さそうだしな」
 ジョン太は、鯖丸に言った。
「変な真似したら、容赦するな。黙らせろ」
「分かった」
 別に、仲良しじゃないが、そこそこ関わりはあった。
 捕まった組長を助けたり、一応恩は売っているが、いっちゃんええ米を30キロももらって、生活費がすごく助かったので、感謝はしている。
 ヤクザだが、そんなに悪い奴でもないのも、知っていた。
 再び入り口に向かった列の最後尾に付いて、羽柴を前に立たせた。
「久し振りだね。元気だった?」
 聞いてみた。
 夏に、浅間が蒲生組の連中を取り込んで、配下として使っていた時、浅間側に付いた構成員と敵対していた羽柴達は、一切関わって来なかった。
 浅間が、稀代の魔法犯罪者として逮捕された後、蒲生組の立場は、魔界でも外界でも、まずい事になっている。
 もちろん、浅間と関わらなかった蒲生組の構成員は、法的に言えば何の罪にも問われていないのだが、魔界内部のヤクザ社会では、かなり困った立場に追い込まれているという話は、聞いていた。
 あれだけの騒ぎを起こした浅間に荷担していた組織の一員だ。関わりがなかった…というより敵対していたと言い訳しても、部外者は聞いてくれないだろう。
「まぁ、そこそこな」
 羽柴は言った。
 暗くて表情は分からないが、色々あったのだと想像出来る様な口調だった。
「お前はどうじゃ。クイックシルバー相手に、大立ち回りしたのは、聞いとるけど」
「うん。どうにか無事だったよ」
 もう、あんなのは御免だが。
 そうか…と、羽柴は言った。
「色々迷惑をかけて、済まんとは思うとる」
 別に、ジン君の責任じゃないだろう…と思った。
 同じ組織の構成員が関わった事に、責任を感じているのかも知れないが。
 羽柴が、この船に忍び込んでいたのも、何かその辺の事情が絡んでいるのかも知れない。
「そう言えば、るりかちゃんは元気かのう」
 羽柴は聞いた。
「夏頃にマンガの手伝いをしてからこっち、会ってないが」
 うわ、るりかの奴、本当にアシスタント券使ったんだ…と、鯖丸はあきれた。
 ネタ的に言えば、ヤクザがアシスタントした同人誌というだけで、すごいセールスポイントな気がする。
「実は、るりかも掠われてるんだ」
 鯖丸は言った。
「居なくなった女の子達捜してる時に、連れて行かれて」
「そらいかん」
 義理と人情の人、羽柴仁は、急速に立場を変えた。
「わしも、掠われた娘達取り戻すのに、協力するわ」
「それは助かるけど」
 鯖丸は、こちらのひそひそ話が聞こえていたらしく、振り向いて変な視線を向けているハートの方を見た。
「あれ、るりかの彼氏だから、あんまり誤解される事は言わない方がいいよ」
 羽柴は、意外そうな顔をしたが、うなずいた。

 船室への戸を開けると、いきなり眩しい光が差した。
 暗闇に慣れた皆は、一瞬視力を失った。
 内部は、普通の屋形船だった。
 皆が視力を取り戻すと、視覚が無くても行動出来るスキルを持ったハートが、ヤクザっぽい男を取り押さえていた。
 音の反響で周辺を把握する能力で、対象物を正確に視認出来る訳ではないが、ジョン太の暗視能力と違って、完全に視力を奪われても、状況判断が出来る。
 屋形船の中は、目が慣れると普通のお座敷だった。
 畳が敷かれて、凝った料理が用意されていて、酒も何種類も揃えられている。
 違うのは、屋形船なのにお座敷が襖で区切られていて、半開きになった襖の向こうには、やけに赤黒い、嫌な照明の灯された部屋がある事だ。
 部屋の中には、布団が敷かれていて、使用目的は明白だった。
 お座敷には、慣れない着物を着せられた女の子が二人、怯えた様子で身を寄せ合っていた。
 周囲を確認したジョン太が、不愉快な顔をした。
 薬物の匂いを嗅ぎ付けたからだと云うのは、リンクを張っている鯖丸には分かった。
「槇島亜里香と日比野蓮花?」
 確認した。
 二人は、抱き合ったまま、無言でうなずいた。
「君らの両親から依頼を受けた、魔界の便利屋だ。身柄を確保して、無事に家まで送り届ける」
 二人の表情が弛緩した。
 本当に怖い目に遭ったのだろう。
 嬉しいと云うより、脱力した表情になっている。
「るりかは何処だ」
 ハートが尋ねると、二人は顔を見合わせた。
「あの娘は…」
 おそらく槇島亜里香だと思われる、少し年長の方の娘が言った。
「すごく抵抗したから、私達とは分けられて…」
 話を始めた槇島は、ふと、鯖丸の方を見た。
「ええっ、武藤先輩。何でここに」
「わぁ、魔界で本名言うなぁ」
 慌てて槇島の口を塞いだ。
 よく見ると、知った顔だ。
 同じ大学の、同じ学部内だから、当然だが。
 鯖丸は、槇島の名前までは知らなかったが、学部どころか大学全体で、変な奴として有名な武藤玲司の名前は、当然槇島は知っていた。
「バイトで来てるんだ。とにかく、ここから逃げよう」
 言うと槇島は、泣きそうな顔になった。
「助かるよ、私達」
 女子高生のプレイヤー、日比野蓮花は、本当に泣き出した。
 プレイヤーと云っても、スレている女の子ばかりではない。
「おおい、操舵室は押さえたぞ」
 先にがんがん突っ込んでいたトリコが、もう一人のヤクザを押さえて、戻って来た。
 いや…いいけど、妊婦が何やってんの、本当に。
 お座敷の先に、別の部屋があると分かったハートは、操舵室を突っ切った。
 座敷の下に、もう一階層の船室があった。
 客に見せる場所ではないので、薄暗くて質素な作りだ。
 更に一人、ヤクザを確保して、周囲を探った。
 普通なら無理だが、リンクを張った相手なら、容易に見つけ出せる。
 魔法で正面の壁をぶち破ると、狭い空間に縛られて転がされているるりかが居た。
 おそらく、薬物で意識がもうろうとしているのだろう、ぼんやりと顔を上げた。
「るりか、大丈夫か」
 ハートが声をかけると、るりかは表情を崩して泣き声になった。
「ハート。私、要らないから返品されちゃった」

 魔力の高い奴は、扱いが難しいから要らない。
 それが、誘拐犯の見解だった。
 抵抗出来ない素人娘を、上客に提供するのが、誘拐犯の目的だったのだ。
「こいつらどうする?」
 捕まえたヤクザ三人に刀を突き付けて、鯖丸は尋ねた。
「港に戻ってから、ちょっとシメて行く?」
 依頼内容は、行方不明になった女の子を連れ帰る事だ。
 普段のジョン太なら、その程度で済ませて、放っておくはずだった。
「いや、近付いてる船はきっと、この娘らを買いに来た客だ。あいつらも捕まえる」
 依頼された仕事はきちっとやるが、安い仕事には安い働きしかしないというのが、ジョン太の信条だ。
 それが、こんな一日で終わらせる料金で受けた人捜しで、頼まれてもいない事までやろうとしている。
 およそジョン太らしくないな…と、鯖丸は思った。
 理由は分かる。ヤクザが女の子達に薬を使ったからだ。
 今日中には帰れないかもと、諦めかけた時、トリコがジョン太の頭をぺしっとはたいた。
「何言ってるんだ、バカ。そんな頼まれてもない仕事までやる義理はないだろう」
 振り返って、鯖丸に言った。
「そいつに運転させて、港まで船を戻せ。それから先ず、この娘らを外界の病院に連れて行け。るりかも」
 分かったとハートがうなずいた。
 何か言いたそうなジョン太を、トリコは睨んだ。
「お前は止める側だろうが。自分が突っ走るな」
 ジョン太は、何か言いたげだったが、うなずいた。
 それから、操舵室に居たヤクザを、刀で脅して連れて行こうとしていた鯖丸に言った。
「船の操縦は俺がやる。そいつはきっちり捕まえといてくれ」

 港では、先程の漁師が、捕った魚を港に下ろしていた。
「おお、女の子も無事だったのか。良かったな」
 こちらにやって来て、言った。
「はい、色々ありがとうございました」
 屋形船に近付いて来ていた船は、こちらが港に戻り始めると、離れて行った。
 船に乗っていたヤクザ三人は、ロープで括られて陸に下ろされた。
 ハートは、掠われていた女の子二人とるりかを連れて、先に外界へ戻った。
 最後に船を下りて来た羽柴は、港湾のコンクリートの地面に正座させられている三人に、いきなり蹴りを入れた。
 わぁ、さすが、いい人っぽく見えてもヤクザ。やる事がえげつない。
 蹴りを入れられた三人は、抗議をするどころか謝り始めた。
「すんません、羽柴さん」
「俺ら、断れなくて」
「カタギの衆に迷惑かけるなちうのが、オヤジの方針じゃろうが。お前らの顔の脇に付いとるそれは、ステキな縁飾りの付いた穴か。ああ」
 もう一度蹴りが入った。
 いやいや…ジン君所の組、前から薬とか扱ってただろ。拳銃の密輸もやってたし、充分迷惑じゃないのか、それ。
「そろそろ止める?」
 ジョン太に聞くと、放っておけと言われた。
 一通り捕まえたヤクザを締め上げた羽柴は、こちらに向いた。
「色々迷惑かけて済まんかったな。こいつらの処遇は、わしに任してくれんか」
「構わんが、一応前後の経緯は聞いとこうかな。俺らも依頼者に、事情を説明しなきゃならんからな」
 ジョン太は言ってから、付け加えた。
「大体でいいよ」

 蒲生組は、ほぼ廃業状態だった。
 親分の蒲生は、心労からか体調を崩して、実質組を取り仕切っているのは羽柴の兄貴分にあたる見奈良という男だったが、浅間に付いて行った連中との間にあるわだかまりは取れず、中々一つにまとめる事は出来ない様だった。
 浅間と組んでいる間に、魔界内でもそうとう無茶をやったらしく、他の組織からの風当たりも強い。
 蒲生組は解散を迫られていて、実際蒲生親分は、条件付きでそれを呑んだという。
「見奈良の兄貴を頭に据えて、新しい組を興す話じゃったが、反対が多くてのう」
 羽柴は、港に積まれた木箱に座って、煙草に火を付けた。
「うちのもんは…特に、浅間の配下におったもんは、回状が回っとって、他の組にも入れて貰えん。実質、破門じゃ」
「この際だから、ヤクザなんか辞めなよ」
 鯖丸は、無責任だがごく普通の意見を言った。
「極道は、そうそうつぶしは利かんのじゃ」
 羽柴は、鯖丸の意見は軽く流した。
「うちの組のシマも、末広と城島ん所に切り取られてしもうて、自由に出来るのはもう、海の上くらいじゃ。それで、日室の兄貴が、こんな商売思い付いて」
「日室って、麻薬の密売任されてた奴だな」
 知っていたらしく、ジョン太が言った。
「まぁ、褒められた商売じゃないが、うちも綺麗事だけじゃやって行けんからな」
 言った羽柴の襟首を掴んだジョン太は、軽々と目の高さまで持ち上げた。
「日室に言っとけ。破滅願望のあるロクデナシに薬を売るぐらいの事は黙認してやるが、次にこんな事やってみろ、二度と自分の足で表歩けない様にしてやるからな」
「分かった」
 さすがのヤクザも、二メートル近いハイブリットに吊し上げられると、ちょっと怖いらしい。
 羽柴は素直にうなずいた。
 羽柴をその辺に放り捨てたジョン太は、少し離れて見ていたトリコと鯖丸に言った。
「帰るぞ」
 不機嫌に言って、歩き出した。
「悪いねジン君。ジョン太、麻薬関係には厳しくて」
 鯖丸は、魚臭いコンクリートの地面に座り込んでいる羽柴に言った。
「でも、次にうちに依頼が来たら、俺も本気でそいつ潰すから」
「もちろん、わしも止めるつもりじゃ」
 羽柴が答えたので、鯖丸は少し安心して、ジョン太の後を追った。
 当然だが、これで終わった訳では無かった。

 それからしばらく、鯖丸は物凄く忙しい毎日を送っていた。
 だから、年も明けて数日後、再び魔界の仕事が入るまで、今回の事件の事は、きれいさっぱり忘れ切っていた。

 有坂とは、外界に戻ってから色々話し合った。
 とりあえず、外界に出てすぐに、メールで連絡を入れると、返信があった。
 直に電話して、そのまま帰りに有坂の実家に行った。
 駐車場を使わせてくれたばあちゃんが、年寄り二人だけだと食べきれないから…と言ってくれた栗と椎茸を持って行くと、有坂の母親は予想していた以上に嬉しそうな顔をした。
 どっちも、この近辺では親族や知り合いに生産農家が居ると、かなりの確率で出荷出来なかった規格外の作物を押し付けられるのだが、有坂家はどうやら、近隣に親しい関係者が居ないらしい。
 祖父の代に県外から越して来たと言っていたので、親族も近所には居ないのだろう。
「気を使わなくていいのに。自分で食べれば」と言われたが、椎茸はともかく、栗は高い料理スキルが要求される。ゆで栗すら、まともに作れそうにない。
 有坂母に渡しておけば、いずれ、栗ご飯とか栗金時とか、絶対自分には作れない物に加工されて戻って来る可能性が高いのだ。
 有坂は、時間帯がもう夜遅かったので風呂に入って出て来た所だった。
 何度か入った事のある彼女の部屋で、しばらくどうでもいい話をした。
 それから、正直な所を言った。
「俺、何が悪かったか全然分からないんだけど、理由が分かればちゃんと直すから」
「ううん、玲司君は別に何も悪くない」
 有坂は言った。
 ちょっと予想外の答えだ。
「でも、私なんか居なくてもいいのかなって…」
「何でだよ。居ないと物凄く辛いよ」
「じゃあ何で、実家に帰れなんて言うの」
 真剣な顔で聞かれた。
 ええと…まさかそんな事で怒ってたの?
「その方が卒論に集中出来ると思って」
 有坂は、何だか脱力した様な感じで、肩を落とした。
「そうなんだ…」
 こういう時には、理屈抜きで一緒に居たいと言ってくれればいいのにと思った。
 理屈としては正しいんだろうけど。

 有坂は戻って来た。
 それは嬉しかったが、実際には問題が山積みだった。
 十一月も終わりかけた月曜の晩に、鯖丸はスーパーのバイトから帰って来た有坂に言った。
「俺、清掃会社のバイト、辞めたから」
 早朝の清掃会社のバイトは、有坂と付き合う前から、もう何年も続けていた。
 学校に行く前の数時間に入れるので、季節によって仕事のない時期もあったが、長年続けて来られたのだ。
 もうしばらくは続けたかったが、どうせ来年になったら辞めなければならない。
「俺も、論文の提出期限が迫ってるから、今年いっぱいは塾のバイトだけに絞る事にした。コンビニも当分休む」
 何だか、客観的に見て無茶なシフトのバイトばかり入れていた武藤君が、そんな事を言ったので、有阪は驚いた顔をした。
「カオルちゃんもバイト辞めな。今年いっぱいぐらい、どうにかなるから」
 どうにかって、そんな余裕無いと反論しかけて、黙った。
 今まで、あんまり確認した事も無かった預金通帳に、節約すれば二ヶ月程度なら生活出来る金額が入っていたからだ。
 よく見ると、月々三千円程度の金額が、長年ちまちま貯め込まれていた。
 うわ、何これ。こんな辛い貯金使えない。
「待って、あの…」
 反論しようとして、ここで異論を唱えたら、やっぱり実家に戻れと言われる図式が目に見えた。
 ええと…でも、やっぱり。
「それと、家事は一切しないでいいから…ていうか、やるな」
 宣告された。
「ええっ、だって」
 武藤君の家事能力は、かなり低い。
 放置していたら、どういう惨状になるかは、予想が付いた。
「はっきり言うけど、俺は掃除はしないし、料理も出来ない。だからこれから一ヶ月、毎日カレーだ」
 カレーだけは作れるのだった。
「嫌なら帰れ」
 嫌じゃないけど帰りたいかも…と、有阪は思った。

 一ヶ月間、二人とも本気で論文に集中した。
 自分のパソコンを持っていないので、ほぼ大学に泊まり込み状態になった鯖丸は、律儀に二三日に一度戻って来て、カレーを作って風呂に入り、布団で熟睡してから服を着替えて研究室に戻るという生活パターンを繰り返した。
 作り置きしたカレーは、きっちり半分飯盒に入れて、タッパに詰めたご飯と一緒に持って行く。
 あれ、ちゃんと暖めてから食べているのかしら…と、最初の内は心配していた有阪本人が、二週間もするとごはんに冷たいままのカレーをぶっかけて食べながら、毛布にくるまってパソコンに向かうという、若い女性にあるまじき惨状になって来た。
 さすがに、言い出した本人も辛くなって来たのか、バリエーションにホワイトシチューが加わり(ルーが変わっただけ)二人とも疲れて来たせいか、ごはんにホワイトシチューをかけるのは、有りか無しかで少しケンカし、解決の為に安売りの食パンが投入され、最後にジャガイモとちくわの入った、奇妙なハヤシライスが登場する頃、有阪の卒論は完成した。
 それから一週間、時間に余裕が出来た有阪は、本格的に泊まり込んで戻って来なくなった武藤君に弁当や着替えを届け続けて、人文学部なのに理工学部の宇宙工学科ですっかり顔馴染みになってしまった。
 今年度の受付最終日までに間に合って、武藤玲司の博士論文もどうにか年末に完成した。

「俺、もう当分カレーの顔は見たくない」
 鯖丸は言った。
 自分で言い出した事なので、今まで口に出せなかったが、けっこう辛かったのだ。
「そう?美味しかったけど」
 あまりにも作り続けたせいで、武藤君の料理スキルは、カレーに限って飛躍的に上がっていた。
「私は、また食べたいな」
「いいけど、しばらくは勘弁して」
 久し振りに、二人で食卓を囲んで、焼き魚とか煮物とか、今まですごく食べたかったメニューばかりの夕食だった。
 世間はもう、クリスマスも終わって、正月モードになっている。
 あと二日で、来年だ。
 年末から初詣に行って、その後有阪の実家で正月を過ごす予定だった。
 清掃のバイトを辞めた分、来年からコンビニのシフトを増やしていた。
 とは云え、それも三月までだ。
 あと、たったの三ヶ月で、今の生活は大きく変わってしまう。
 論文に集中する為に、今まであまり先の事は考えない様にしていたが、もう先延ばしには出来ない。
「私は無器用だから…」
 有阪が言った。
 高倉健みたいなセリフが、違和感ない女というのもどうだろうと思うが、そういう所も含めて好きだった。
「いっぱい迷惑かけてごめんね。本当は玲司君の方が、余裕無かったのに」
「本当に余裕無かったら、あのまま実家に帰ってもらってるよ」
 正直な所を言った。
 居てくれるだけでいいんだ。
 それも、来年の四月には終わりだけど。

 年明けに魔界の仕事が入った。
 短期で出来るバイトを捜していた鯖丸には好都合だったが、依頼内容を見て驚いた。
 若い女性の失踪事件が、全く解決していなかったのだ。
 それどころか悪化している。
「何やってんだよ、ジン君は」
 ポジションはボケだが、一応突っ込んだ。
 それから、更に言った。
「トリコ、辞めたんじゃなかったの?」
「まぁね」
 トリコは、肩をすくめた。
「この件が終わるまでは」
 どういう状況になっているのか、全く分からない。
 程なく、ジョン太が外から戻って来た。
「今度の、警察と合同でやることになったから」
 一応、世間体で付けていたネクタイを、窮屈そうに外して、ポケットに突っ込んでから言った。
「行方不明者の親からも、三件依頼が入ってるから、先ずは身柄の確保を優先して、後は警察の捜査に協力する事になる」
 斉藤さんが入れてくれた茶を受け取って、一口飲んでから、鯖丸の方を見た。
「お前、どれくらいなら入れる?」
「ええと…塾のバイトがある時以外なら」
 コンビニのシフトは、ある程度いじれるが、受験直前の生徒を途中から他人任せにする訳にはいかない。
「ああ、論文終わったのか」
 ジョン太はうなずいた。
「じゃあ、がっつり働いてもらおうかな」

2010.4/24up










後書き
 最後に三匹も、だいぶ終盤に近付いて来ました。
 前回の魔界大決戦に比べたら、全然小さい事件ですが、鯖丸的には今後ももうちょっと色々ある予定なので、しばらくお付き合いください。
 あと、かっこいいキャラとして出したはずの羽柴が、思いもかけない程凄いスピードで、お笑いの方向へ行ってしまったので、今回くらいは少しでも活躍出来ればいいな…と。ああ、無理かな、無理かも知れない。

次回予告
 続く誘拐事件。増える被害者。ついに警察も動き出す。
 泳げないので置いてけぼりにされる主人公、ジョン太、おぼっちゃま育ちを暴露。
 久し振りに秋本も登場しますが、羽柴はやっぱり全然活躍しない(中編)に続く。

最後に、三匹ぐらいが斬る!! back next

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