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最後に、三匹ぐらいが斬る!! back next登場人物
武藤玲司(鯖丸) NMC中四国支所のバイト。貧乏、貧乏性、バカと三重苦の院生。新しい彼女と悪霊付きのアパートで、絶賛同棲中。
ジョナサン・T・ウィンチェスター(ジョン太) NMC中四国支所の社員。戦闘用ハイブリットの先祖返りタイプ。犬っぽいおっちゃん。
如月トリコ(トリコ) NMC中四国支所の社員。ビーストマスターの二つ名を持つ腕利きの魔女。元政府公認魔導士。
ルイス・アレン・バーナード(フリッツ) 国連軍魔界担当の軍人。生粋の戦闘用ハイブリット。
菟津吹(うつぶき) 政府公認魔導士四国支部所属の魔法使い。見た目は大人しいが、暴走癖有り。
めん吉 手打ちうどんめん吉の店主。副業で情報屋をやっている。
浅間龍祥(クイックシルバー)失踪中の政府公認魔導士。何か色々企んでいる、唯一の悪役らしい悪役。
戒能悠木奈(サキュバス) エロ系に特化した魔女。毎度家出しては周囲を騒がせる、ええとこのお嬢様。
殿 穴の向こうからやって来た異界人。趣味はカラオケとガラクタ収集。最近殿から流しのギター弾きに零落。最後に、三匹ぐらいが斬る!!
3.魔界大決戦(vol.3)
翌朝、妙な面子が事務所に揃っていた。
政府公認魔導士の菟津吹が、どこかへハイキングに行く様な格好をして、事務所の入り口で待っていた。
通常の営業は九時からなので、皆、仕事の都合で早出しなければいけない時以外は、ぎりぎりにしか来ない。
早めに来て掃除でもしようかという者が、誰一人居ないのが、さすが世間基準でダメ人間の多い魔法使いの集団である。
掃除は大体、空いた時間に斉藤さんがやっている。
事務所の鍵を持っているジョン太が、少し遅れて、八時五分前に現れた。
茶をいれて待っていると、ほぼぎりぎりで鯖丸が駆け込んできた。
別に急いでいる訳ではなく、例によってデフォルトで走って来るのだ。
今日は、きっちり仕事用の服を着て、靴も仕事用のトレッキングシューズを履いている。
ジョン太が入れてくれた茶を飲んで、さあ出掛けようという時に、トリコが来た。
「お前はいいって言ったのに」
道路状況が回復していなかったら、めんどくさい事になるぞ…と思いながら、ジョン太は言った。
トリコの後ろから、黒っぽい物が音もなく現れた。
「うわ、フリッツ。何で居るんだ」
油断していたので気が付かなかったらしく、ジョン太は本気で驚いた。
原型に近いハイブリットは、嗅覚が鋭いので、知り合いが近くに居て気が付かない事は少ない。
フリッツがこちらに来ているのも、誰も知らなかった。
「や、久し振り」
フリッツは、適当な挨拶をした。
「これ、お前ん家のペットだろ。連れて来るな。ついでにお前も来るな」
ジョン太はトリコに抗議した。
「誰がペットだ」
フリッツは反論した。
「おー、フリッツが日本語しゃべってる」
鯖丸は、普通に驚いた。
U08の件以来、メールや電話でのやり取りはあったが、会うのは二年振りだ。
変に訛っているが、英会話は不自由なく出来るので、日本語で会話するのは初めてだ。
「ていうか、何で居るの?」
「誰ですか、この方は」
菟津吹が、不思議そうに聞いた。
「初めまして、国連軍魔界対策本部のバーナードです」
目を細くして、にこっと笑った。猫っぽい笑い方だ。
「たまたま休暇でこちらへ来ていたのですが、ついでに今回の異変を調査して来る様言われましてね」
どこまで本当の話なのか、怪しい所だ。
休暇で来ていた所までは、確実に本当だろうが。
「差し支えなければ、同行させてください」
「差し支えるから帰れ」
ジョン太が、横合いから口を挟んだ。
「お前、本当はプライベートだろ」
「だったら、どんなに良かったか…」
フリッツは、ため息をついた。
「本当に、言った通りの事情だ。昨夜指令が来た。四ヶ月振りの休暇だったのに…」
「じゃあ、そっちの秘密をリークしてもらおうかな」
ジョン太は、フリッツの首根っこを捕まえた。
「秘密なんか無い。むしろ、秘密を持っているのは、その人だ」
菟津吹を、鼻先で指している。
「これは、政府公認魔導士が失踪して、民間人が誘拐されたとか云う、単純な事件じゃない…と、思う」
「依頼内容を、簡単にしゃべるな」
ジョン太は、トリコに言った。
道のりは長かった。
道すがら、菟津吹は四人に事情を説明した。
「我々も、事実関係を把握したのは、つい先程なんです」
魔界に居た政府公認魔導士が戻って来て、様々な出来事が報告された。
実際には、戻って来たというより、脱出とか避難とか云う言葉の方が正確だった。
「先ず、先日の地震ですが、震源地は魔界内部と発表されていますが、実際には違います」
地震が起きて二日経った今でも、正確な震源地は報道されていなかったが、それは、魔界内部の調査が困難だからだろうと、誰もが思っていた。
「震源地は、境界です」
菟津吹の言っている事が、皆は分からなかった。
「境界のどこかって云う事?」
鯖丸は聞いた。
五人の乗った車は、魔界に向かう道の、海岸線近くまで来ていた。
昨日ハートが来た時から復旧が進んでいなければ、もう少し先からは歩きになるはずだ。
「違います。境界全部です」
菟津吹は、おかしな事を言った。
四国の魔界は、海を含む直径十数キロの地域だ。
確かに、震源地をピンポイントで特定するのは難しいが、境界のどこかではなく、境界全部という言い方はおかしい。
「戻って来た調査員の報告ですが、実は、魔界内部は、そんなに揺れていません」
離れた市内でも、かなり揺れていたのに、奇妙な話だ。
「揺れは、魔界と外界の境で起こっています。それと、揺れが起こる度に、魔界が徐々に拡大しているんです」
小さな余震は、あれから何度も起こっていた。
ハートが言っていたのと、ほぼ同じだ。
近所のうわさ話は、バカに出来ない。
「じゃあ、平田さん達と連絡取れないのって…」
「あいつらの住んでる辺りまで、魔界になってるんだろうな」
「魔界は、今の所二キロほど広がっている様です」
菟津吹は言った。
「それから、バイパスは使えません。トンネルが危険な状態なので、封鎖されています」
「それ、早く言って」
鯖丸は、海岸沿いの旧道に入る為に、強引に路肩に寄せてUターンした。
「まぁ、旧道の方も、ちょっと先で崩れてるんですが」
「ええと、結局どっちへ行けばいいの」
車を止めてから、鯖丸は聞いた。
トンネルの方から、諦めてUターンした車が、何台も引き返して来る。
「ここを越えれば、向こう側に調査員が乗り捨てて来た車がありますから」
菟津吹は、トンネルが貫いている小高い丘を指さした。
海に迫る様に盛り上がった丘の斜面には、みかん畑と自然林が混在している。
「農作業用の道を通れば、向こう側に出られます」
トリコは、絶望的な顔で、急な斜面を見上げた。
「奥道後温泉から今治に抜けて、反対側から魔界に入った方がいいんじゃないのか」
「どんだけ歩きたくないんだ、てめぇは」
あり得ない遠回りを提案したトリコを、ジョン太は、即座に却下した。
「フリッツ、こいつがごねたら、お前の責任で運搬しろ」
「四ヶ月も月に居て、戻ったばかりなのに…」
フリッツは、悲しげに言った。
普通の人間だったら、まだリハビリしている所だ。
トリコは諦めて、急な坂を上り始めた。
しばらく、畑の中を登り続けると、見晴らしのいい場所に出た。
海岸線を通る旧道が見下ろせる。
物の見事に山肌が海に崩れ落ちて、分断されている道路が見えた。
畑の中を抜けて、けっこう長いトンネルの前に降りた。
こちら側から見ると、トンネルの入り口も土砂で塞がって、そのまま海岸線まで雪崩れているのが分かる。
路肩には、かなりの数の車が、路駐されていた。
「ああ、あれです」
菟津吹が、旧式のワンボックスカーを指さした。
魔界でも動く車を選ぶと、どうしても旧型になってしまう。
五人は、車に乗り込み、今度は菟津吹がハンドルを握って、走り始めた。
いつもの定食屋は営業していたが、道路が分断されているので客は少なかった。
先を急ぎたそうな菟津吹を無視して、ジョン太は強引に車を停めさせた。
「おい、今日の勘定はこいつ持ちだから、好きなだけ食っていいぞ」
更に理不尽な事を言い始めた。
まぁ、最終的には必要経費として落とせるのではあるが。
「あー、俺もそんな、昔みたいには食えないって」
定食屋で危険人物としてマークされている鯖丸は、厨房に「ご飯炊いて」と言いに走ろうとしたおばちゃんを止めた。
店内は、普段と違って、長距離トラックの運転手は見当たらず、近所に住んでいるらしい年寄りが数人居るだけだった。
「この先の道路。どうなってるか分かる?」
朝定食を注文してから、ジョン太はおばちゃんに聞いた。
「もうちょっと向こうで、また崩れてるけど、バイパスは大丈夫だよ」
朗報だと思ったが、何だか嫌な内容が続いた。
「ただ、道路は封鎖されてるから、通れないけどね。トラックの人達は、橋を渡って本州に迂回してるんだよ」
「封鎖って、どういう事ですか」
初耳だったらしい菟津吹はたずねた。
「さぁ、よく知らないけど、魔界が広がってるとか言ってたね。こっちまで来なきゃいいけど」
政府公認魔導士が、魔界関係の事情を報されていないというのも、おかしな話だ。
とりあえず近所の情報は手に入ったので、皆で朝定食を食べて店を出た。
「お前が朝定食だけって、本当にどっか悪いのか」
「別に。家出る時パン食って来たし」
ジョン太は本気で心配になったが、鯖丸はそっけない口調で言った。
道路は、自衛隊に封鎖されていた。
災害と言えば自衛隊出動は定番だが、武器を持っている者も居て、様子が少し違う。
封鎖された道路の向こうに、遠景ではあるが魔界との境界が見えた。
本来の境界からは、遠く離れてしまっている。
魔界が広がっているというウワサは、本当だったのだ。
周囲には、自衛隊の車両が何台も停まっていた。
たぶん、トリコが提案した遠回りの道を来たのだろう。
通り抜けようとしたが、止められた。
車を覗き込んだ自衛官は、明らかに怪しい組み合わせの五人を見て、断固制止すると決めた様子だった。
「これから、調査に入るんですが」
菟津吹が身分証を提示すると、うなずいたが、全員の身分証を提示する様に言われた。
「運転免許でいいかな」
「あ、学生証持ってます」
「俺、パスポート」
「スーパーのポイントカードを…」
「全員ダメだ」
自衛官は言った。
「彼らは民間の魔法使いで、捜査に協力してもらっているんですが」
菟津吹は言った。
「現在、魔界への出入りは出来ません」
断固として止められてしまった。
「それじゃあ、向こう側に住んでる人は、どうなってるんだよ」
鯖丸が抗議した。
「それも、お答え出来ません」
菟津吹は、一人で車を降りて、自衛官と言い争った後、電話をかけ始めた。
四国支部とどうにか繋がったらしいが、何か話し込んだ後、別の場所に電話を始めた。
かなりの時間、そうやって会話していた菟津吹は、少し怒った様な顔をして戻って来た。
「ダメです。関西本部にもどうにも出来ないと言われました。どうやらこの地震は、魔界発のテロ事件として扱われています。我々の管轄外です」
少しためらって、付け加えた。
「僕一人なら、政府公認魔導士として中に入れますが」
「俺も、事情を説明すれば入れると思うが」
フリッツが言った。
「組織の後ろ盾って、大事だなぁ」
鯖丸はため息をついた。
「全くだ」
スーパーのポイントカードでどうにかしようとしていたトリコがうなずいた。
いくら何でも、それは客観的にアウトだ。
「しばらく待てば、いずれ政府公認魔導士に出動要請が来ます。自衛隊は、とりあえず封鎖しているだけですからね。そうすれば、こちらの権限で、あなた方を通す事も出来るはずですが」
大人しそうな顔の菟津吹が、らしくないきっぱりした口調になった。
「これが自然災害でないなら、そんな悠長な事は言ってられません。突破しましょう。責任は僕が取ります」
「かっこいいー。一生に一度くらいは言ってみたいセリフだな、おい」
ジョン太は、菟津吹の背中を叩いた。
「茶化さないでください」
菟津吹は、むっとした表情で反論した。
「かっこいいけど、そんな無茶する必要はないぞ。こっそり忍び込めばいいだけだからな」
「また、歩きなのか」
トリコは再び絶望した。
封鎖箇所から見えない場所まで引き返した一行は、車を停めて再び農道に入った。
身分証や免許の類は、普段なら会社の倉庫に置いて行くのだが、少し先から魔界になっているので、車の中に残した。
一体、どこをどう通っているのか謎だったが、人間カーナビのジョン太は、農道からあぜ道に抜け、住宅地に入り、複雑な路地を通り抜けてから、再びみかん山を一つ越えた。
目の前に境界があった。
見慣れた境界だったが、通り抜ける時に妙な違和感があった。
普段なら、車で移動している道を、皆はゲートに向かって歩き続けた。
ゲートは上げっぱなしになっていた。
いつもの係員は、やけになっているのか、何のチェックも無しに五人を通した。
ゲートが魔界の内側になってしまっては、もうチェックする意味も無いからだ。
倉庫の周囲には、何人かのプレイヤーらしい連中が集まって、外壁を打ち壊しにかかっていた。
魔界関係の仕事をしている会社の倉庫には、様々な武器が保管されているからだ。
「あれ、一応追い払っとくか」
フリッツが聞いた。
「私がやるよ」
トリコが、魔獣を呼び出して、一心に壁を壊している四人の集団をぐるりと巻いた。
「食うぞ、コラ」
脅すと四人組はあっさり逃げ去った。
倉庫の中は、物が倒れている以外は、無事だった。
普段、魔界の宅配に使っている軽トラが、倉庫の中に収まっている。
車の運転免許を持っていない北島は、いつもここまで原付で来てから、魔界に入っているのだ。
荷物が多い時どうしているのかは、割と謎だった。
もしかしたら、外界でも、無免で軽トラを乗り回しているのかも知れない。
あまり使っていなかったオフローダーのバイクは、ばったり倒れてミラーが割れてクラッチレバーが折れてしまっている。
いつもの銃と、久し振りに短機関銃も装備したジョン太は、バイクのエンジンをかけてみた。
特に問題はない様子だ。
「お前、理工学部だからメカに強いだろ。これ、直しとけ」
折れたクラッチレバーを指さされた。
「専門は、宇宙船のエンジンなんだけど…」
文句を言っていたが、工具箱に予備のレバーがあったので、割合手早く交換してしまった。
「あー、フロントフォークも曲がってるよ、これ」
前輪にがんがん蹴りを入れ始めた。よい子は真似しないでください。
「冗談で言ってみたんだけど、本当にメカに強いんだな、お前」
ジョン太は、感心した様にうなずいた。
「じゃあ、このバイク、お前が乗って行け」
「それは、断固断る」
直せても、運転は出来ないのだ。
いつもの刀と、予備をもう一本持って、軽トラの運転席に座ってしまった。
フリッツは、物珍しげに所長が使っている刀を抜いて見ていたが、長すぎるとか文句を言って、倉庫の中を物色した。
それから、ちょっと錆の浮いたナイフを何本か発掘して、ベルトにねじ込んだ。
外へ出ると、菟津吹が政府公認魔導士の出張所から戻って来る所だった。
民間とは、明らかに作りが違う施設で、きっちり管理はされているが、外壁には壊そうとした跡がついていた。
政府も民間の施設も、外界でならそれなりに安全で、セキュリティー会社との契約もしているが、魔界になってしまった今は、魔力の高い人間なら壊せる、ただの箱だ。
建物全体を封印してからやって来た菟津吹は、こっちのも封じておきましょうかと軽く言った。
普通そうに見えるが、政府公認魔導士だ。魔力にはかなり余裕があるらしい。
「いや…こっちは俺がやっとく」
倉庫に結界を張ったジョン太は、オフローダーを押して、軽トラの横に並べた。
「そっちは車無かったのか」
政府公認魔導士の方が、装備には余裕があると思ったが、菟津吹は首を横に振った。
「皆出払ってます。予備のガソリンはありますけど…」
軽トラのこちら側に回り込んで来て、オフローダーを見つけた。
「うわーKTMじゃないですか。乗っていいですか」
「乗って、もうどんどん乗って。ちょっとハンドル曲がってるけど」
自分が運転したくない鯖丸は、強力にオススメした。
「俺も二輪はだるいから、良かったら乗ってくれ」
ジョン太も譲る方向だった。
「あの、後ろどうです」
なぜかトリコに、声をかけている。
「いや、車の方がいい」
さっさと助手席に乗ってしまった。
「トリコって何か、顔の割にモテるよね」
鯖丸は言った。
「お前が言うか、それ」
一応反論した。
「俺が特殊な趣味なのかと思ってたから」
有坂も、微妙に可愛くないとか言われているし。
「分かってないな、巨乳とタンデムは男のロマンだぞ」
ジョン太は言ってから、別に男と二人乗りは嫌なので、素早く荷台に乗ってしまった。
「そんなにいいか?巨乳」
フリッツは、返答しないでやはり荷台に乗り込んだ。
「前から思ってたけど、お前の女の好みって、一貫してないよな」
トリコは一応聞いた。
「うーん」
少し考えてから答えた。
「やらせてくれる人が好き」
「死ねぇ」
容赦ない魔法攻撃が、運転席に炸裂した。
鯖丸が仮死状態になったので、ハンドルはジョン太が握った。
魔界内部は、いつもと変わらない光景だった。
地震の被害も、それ程ある様には見えない。
ただ、空気だけが何か異様な感じだった。
観光街に入る前に、街の外で車とバイクを止めた。
「いつまで死んでるんだ、コラ。ボケならツッコまれて十秒以内に生き返れ」
ジョン太は、理不尽な事を言って、荷台に放置された鯖丸を引きずり下ろした。
「ああこいつ、寝てただけだ」
隣に乗っていたフリッツは、冷静な事実を言った。
どこでも寝るのはいつもの事だ。
バイクと車を、一カ所にまとめて魔方陣で隠してから、一行は観光街に入った。
遠景に、殿の城が見えている。
背景が奇妙に歪んでいるのが、もう、誰の目にも明らかだった。
観光街は、いつもと全く違っていた。
人の気配はあるのだが、人通りが全く無い。
老朽化した建物が、所々壊れていたが、地震の被害は外界よりも少ない。
しかし、街は異様な雰囲気だった。
「めん吉の所にでも、行ってみるか」
ジョン太の提案で、皆は情報屋の店に向かった。
うどんのめん吉も、他の店同様にのれんを下ろして休業していた。
勝手に戸を開けて入ると、狭い店のカウンターでは、めん吉が一人でうどんをすすっていた。
「素うどん五つ」
勝手に入って、勝手に注文したジョン太に、相変わらずスキンヘッドで強面のめん吉は抗議した。
「休みだ。見りゃ分かるだろ」
「じゃあ、情報だけでいいや。それと、領収証くれ」
休みだと言っていたのに、めん吉はうどんをゆで始めた。
「朝飯は食った。情報だけでいいよ」
素うどんというのは、情報込みの暗号だったので、ジョン太は止めた。
この店には、実は素うどんというメニューはないのだ。まぁ、かけうどんはあるので同じ事ではあるが。
「もうすぐ昼だ」
めん吉は言い切った。
「このままじゃ食材が腐る。全部食って行け」
麺大盛りで、具材全乗せの凶暴なうどんが出て来た。
「じゃあ、営業しろよ」
あり得ないうどんを目の前に置かれて、ジョン太はうんざりした風に言った。
きつねと天ぷらが同時に乗ったうどんなんか、初めて見た。
「出来るか、こんな状態で」
鯖丸の前には、なぜか一回り大きいどんぶりが置かれた。
「ほら、めん吉特製、メガ盛り全乗せスペシャルだ」
それは普通、うどん屋のネーミングじゃない。
「食欲無い」
鯖丸は、不機嫌な顔をしてあり得ない事を言った。
「食えよぉ、お前のポジションはディスポーザーだろう」
「いや…別にもう、食べ盛りじゃないんで」
言い争い始めた二人を、ジョン太は制した。
「何でこんな事になってる?」
「知るか」
めん吉は少々ヤケ気味だった。
飲食業にあるまじき事に、カウンターの中で煙草を吸い始めた。
「殿が城を追い出されてから、この辺は散々だ。全く、あんな城建てたなら、きちっと仕切ってもらわなきゃ困る。変な連中をのさばらせて」
「その、変な連中について聞きたいんだが」
「ああ、変なヤクザと、頭のおかしい政府公認魔導士な」
一心にうどんを食っていた菟津吹が、顔を上げた。
「あいつらが、穴に何かしてるのは確かなんだ。地震が起こる度に、魔界が広がってるし、穴から異界の化け物が出て来ている」
「異界の化け物?」
長年魔界関係の仕事をしているジョン太も、まだ見た事は無かったが、異界にも、殿のような人間タイプ以外の物が居る。
こちら側へ出て来た例は、世界中でもごくまれだった。
「嫌でももうすぐ見られる。そろそろ時間だからな」
めん吉は言った。
「ここで何が起こってるか、自分で見た方が早い」
カウンター席に並んだ皆は、箸を止めてめん吉を見た。
「ただし、外には出るな。持って行かれるからな」
それは、じわじわ来た。
先ず、ジョン太とフリッツが、異変に気が付いた。
あの、地震の前に聞いた変なノイズが、ゆっくりと起こり、徐々に大きくなった。
それは、普通の人間の可聴域ではなかったので、周囲は、顔を歪めて耳を塞いでしまった二人のハイブリットを、怪訝な顔で眺めた。
どこか遠くで、犬が猛烈に吠え始めていた。
可聴域の広い者には、相当な騒音らしく、二人は両手で耳を塞いでカウンターに突っ伏した。
続いて、揺れが来た。
それは、外界で最初に経験した地震とは全く違う、ゆるい振動だった。
安普請の家なら、横をトラックが通った方が、もっと揺れるような程度だ。
しかし、同時に、何かじわじわとした嫌な感触が、地面の低い場所を這い進むように来た。
水がしみ出す様に、暗い色の空気が、店の壁を平気で通り抜けて、侵入して来た。
「それに触るなよ」
めん吉が注意した。
言われなくても相当に嫌な感じがしていた皆は、椅子の上に足を上げてやり過ごした。
どこか遠くで、悲鳴が聞こえた。
「ああ、こんな時に運悪く外を歩いてる奴が居たな」
カウンターの中で、椅子にあぐらをかいて、めん吉は言った。
水のような空気は、気持ちの悪い感覚を撒き散らしながら、徐々に外へ広がり、消えて行った。
「これで終わり?」
鯖丸は聞いた。
皆の中では、自分のダメージが一番少なそうだった。
トリコも、それ程堪えてはいない。
魔力の高い人間の方がダメージが少ないとしたら、これは一体魔法なんだろうか…。
菟津吹もそれなりに魔力は高いらしく、まだ床から足を離したまま、表情を無くしてはいるが、無事な様子だった。
ハイブリット二人は、それ以前に音で相当なダメージを受けていた。
めん吉が、一番堪えたらしく、青い顔をしていたが言った。
「まだ終わりじゃないが、足はもう下ろしてもかまわねぇよ」
言われても皆、床に足を下ろす決心が付かず、椅子の上に上がり込んでいる。
「後は、穴から化け物が出て来て、ワンセットだ」
ぶうん…と、今度は人間にも聞こえる低いうなりが、あちこちで起こった。
めん吉はあわてて、換気用の窓を閉めたが、入り口の格子戸にはまったすりガラスの向こうを、なにかが飛び回っている影が見えた。
「あれも、その内帰って行く。今の所、戸を開けて入ってくる様な事は無い。これで終わりだ」
低いうなりは、しばらく表を飛び回ってから、消えて行った。
何がどうという訳ではないが、恐ろしかった。
皆は、ほっとして力が抜けたまま、黙り込んだ。
「あんなのが何回ぐらい来たんだ」
ジョン太は聞いた。
毛皮で顔色は分からないが、耳の内側が白くなっている所を見ると、血の気が引いているのだろう。
「さぁ、最初に大きい揺れが来た時から、数えて十回ぐらいかな」
めん吉は言った。
「最初に来た時には、まだ訳が分からなかったから、外を歩いていた奴らのほとんどが持って行かれた。
今はこうして凌いでるが、周期が一定じゃないから、逃げられない。いや…逃げた奴も居るが、無事に魔界を出たかどうかは分からん。
魔界全体がこうなのかも、分からねぇしな」
「工業街の辺りは、普通だったそうです。少なくとも、昨日の時点では」
菟津吹は言った。
政府公認魔導士の調査員は、何人かは知らないが無事に戻っている。
穴から離れた場所では、それ程影響は無いのだ。そうだと思いたい。
「もって行かれるっていうのは、何処へ」
トリコが聞いた。
「分からないが、城じゃないのかな。とにかく、あの水みたいのが来ると、触れた奴は、そのままどこかへ消えちまうんだ」
「これ、浅間がやってるんだろうか」
鯖丸は、眉をひそめた。
「あいつの力で出来る事だとは思えないが、他に心当たりがない」
トリコは言った。
「とにかく、城に行ってあいつを止めよう」
内心、ついでにぶっ殺そうと考えているかも知れない。
今度は、フリッツも居るから、止めてくれるだろう。
絶対に、そうしてもらわなきゃいけない。
「まぁ、待て」
ジョン太は言った。
「その前に殿だ。あいつ、地震の直後に俺達をこっちへ呼びつけようとしたんだからな」
何か、事情は知っているはずだった。
殿は、街の中に居た。
あれが起こった直後なら、比較的安全という事なのか、街の中には人が出歩き始めていた。
皆、急ぎ足で、早く用事を済ませて、安全な場所に戻ろうとしている様だった。
荷物をまとめて、足早に街を逃げ出す者も多かった。
外界にあてがある魔界人や、魔界に来ていて足止めされていた外界人は、外を目指して、車や魔導変化した動物やバイクに乗り合わせて、外へ向かっていた。
境界を封鎖していた自衛隊は、この人達を通すんだろうか…と、少し不安になったが、境界なら穴からは遠い。
そこまで行ければ、ひとまず安全だろう。
境界がまだ、あの場所にあるのかどうかは、ここからは分からないが。
あれが起こった後の、比較的安全な時間帯だけ開けているらしい店で、殿は一人で煮込みをつつきながらホッピーを飲んでいた。
本当にもう、どういう異界人だ、こいつ。
「おお、来たか、君達」
連絡が来たのは一昨日だが、別に遅いとも何とも言われなかった。
異界人の時間感覚は、人間とは違うのだろう。
「昼間からいい身分だな、おい」
一応突っ込んでから、ジョン太は隣に座った。
仕方ないので、鯖丸も隣に腰掛けた。
何も注文しない訳にもいかないので、酒を二杯頼んだジョン太は、案の定両方とも鯖丸に押し付けた。
「お前、これ片付けとけ」
皆ええかげんにしろとは思うが、アルコール耐性が全く無いジョン太に飲ませる訳にもいかない。
「へーい、キン肉マンディスポーザー、行きまーす」
とりあえず、一杯目は一気飲みした。
つまみまで注文されなかっただけ、まだマシだ。
「この辺りで待っていれば、君らが見つけてくれると思ったのでな」
殿は、煮込みをハシでつつきながら言った。
「まず、この状況を説明してもらおうか」
ジョン太は凄んだが、異界人には当然だが通用しなかった。
「殿が言ってた世界の拡張って、これなの」
鯖丸もたずねた。
「いや…こんなもんではないよ、君」
煮込みを半分食べ終わってから、ホッピーをちびちび飲み始めた。
「世界の拡張って、お前、そんな話聞いてないぞ」
ジョン太は、鯖丸を睨んだ。
「うん、言おうと思ってたんだけど、色々あったから忘れてた」
あっさり言い切ると、ジョン太は諦めたらしかった。
「まぁ、お前の色々は後で聞くとして、これから何が起こるんだ」
殿は、しばらく返答しなかった。
「それとも、もう起こってしまってるのか?」
「世界の融合だ」
殿は言った。
「あれは、我が弟子がやろうとしていた事を、実行するつもりだ」
殿の弟子という名前は、久し振りに聞いた。
いや…そもそも名前ではないが、殿の弟子の名前は、誰も知らなかった。
良く考えると、殿も名前ではない。
殿の弟子は、浅間と接触があったはずだ。
そして、何らかの取引をしている事も、確認されている。
「物事が安定するまで待てと言ったな」
ジョン太は殿に聞いた。
「本当にこれが、あの時より安定した状態なのか」
余程悪くなっているとしか思えない。
「あと一息で、魔法陣が完成する。それまでは手を出してはいかんよ、君」
殿は、真顔で言った。
「何でだ。こんなヤバイもんは、完成する前に壊すのが定番だろうが。俺らはヒーローが変身し終わるまで律儀に待ってる悪役か?」
襟首を掴まれた殿は、別に堪えていない様子で言った。
「これは複雑な魔法なのだよ。途中で手を出したら、世界を壊しかねない」
殿の言う世界が、どれくらいの範囲なのかは考えたくなかった。
出来れば、この魔界の周辺とか、狭い範囲ならいいのだが。
「発動してしまったらもう、安定するまで傍観するしかないのだ」
店のオヤジは、三人の会話をうろんな顔で聞いていたが、言いにくそうに声をかけた。
「あの…すいませんがね、そろそろ終いにしますんで」
先刻のあれが起こってから、二時間ちょっとが過ぎている。
また、余震が起こってあれが来るまでは、余裕がある様な気もしたが、危険な事はしたくないのだろう。
出歩いているこちらとしても、そろそろ戻った方がいい。
「ああ、長居したな」
いつも通り領収証をもらって、店を出た。
殿を連れて、とりあえずめん吉の店に戻るつもりだった。
観光街の裏通りを歩いていたジョン太は、足を止めた。
妙な顔をして空中を見上げてから、ふいに耳を塞いだ。
これはヤバイ。
「もう来るのかよ」
とにかく、地面から離れなければ。
鯖丸は、ジョン太の腕を掴んで、空中へ逃れる準備をした。
それから、殿の方を振り返った。
異界人が、こちらの助けが必要とは思われないが、一応確認した。
「屋根に上がるけど、引っ張った方がいい?」
「いや、大丈夫。君らもここに居なさい」
魔法の事で異界人に意見するのは、釈迦に説法もいい所だが、先刻のあれを見ているので、鯖丸は躊躇した。
ジョン太はもう、耳を塞いだまま動けなくなっている。
聞こえる者には、相当な騒音らしい。
空気が異様に振動しているのが分かった。気のせいかも知れないが、皮膚が少しひりひりする。
戸外で見て、あれがどうやって来るのかが分かった。
それは、城ではなく、背後の穴から始まった。
穴の上空の空気と空間が、異様に歪むのが分かった。
この場所からは直接見えないが、あれがじわじわ近付いて来るのが分かった。
周囲の店や民家は、一斉に戸を立て、息を潜めている。
思っていたより早く、それは来た。
コンクリの上に、黒い染みを作りながら広がる水のように、地面を暗い色に染めながら、水のような空気が音もなく近付いて来る。
続いて振動が来た。
城の周囲を、黒い霧のような物が飛び回り始めた。
「吾輩から離れないように」
殿が注意した。
あれは、殿を避けて通った。
そこに何かの囲いでもあるかの様に、殿の周囲に、丸い乾いた空間が取り残された。
ジョン太が、魔力レベルを調節しているのが分かった。
今起こっているこれは、魔力が高い方が影響が少ない。
城の周囲をぐるりと回ってから、霧のような物が来た。
近付くとそれは、先程すりガラス越しに見た影だと分かった。
羽根のような物が生えて、コウモリの様に飛行して来る物、蛇の様にうねる物、空中をうごめきながら這い進む物、それぞれの形は違っていて、そして輪郭はぼんやりしていて、しかしおぞましい姿をしていた。
影のような化け物の集団は、水と同じく殿を避けて通った。
うかつに近寄った物は、火で焼かれでもしたかの様にはじかれ、形を変え、悲鳴だと思われる異音を発した。
はじかれる直前に、鯖丸は間近でそれを見てしまった。
黒いもやもやした、しかし不気味な姿のそれは、腹らしき部分だけが肉色だった。
あり得ない形に歪んだ人の顔が、化け物の腹からこちらを見た。
恐ろしいとか、気持ち悪いとか、そういう言葉には出来ない、奥深い部分から来る嫌悪感が襲った。
吐きそうだ。
水のような空気と、化け物の群れは、来た時と同じに引いて行った。
殿は、巣穴に帰るコウモリの様に、城へ向かって飛び去る黒い群れを睨んだ。
その口から、奇妙な音が漏れた。
先程の化け物が発した音に、少し似ていた。
殿が、人間の擬態を忘れて、素に戻ってる。
すぐに気が付いたらしく、殿の表情と口調が、いつもの調子になった。
「なに、無害な動物だ。こちらで言えば鳥とか蛇とか熊とか」
「待て、最後の奴無害じゃない」
ジョン太は一応突っ込んだ。
「しかし、思いの外規模が大きい」
殿は言った。
「君達は仲間を連れて来たな。案内してくれたまえ。皆でこの事態を収拾しよう」
そもそも、この事態がどういう事態なのか、殿以外にはまだ誰も分かっていなかった。
ふと気が付くと、周囲の民家と店から、隠れていた皆がこちらを見ていた。
化け物を見る目付きだった。
めん吉の店の二階で、皆は殿を囲んでいた。
うどん屋の奥と二階は、住居になっていたが、明らかに客が使用するらしい、家具も荷物もほとんどない部屋が、一階の奥と二階にあった。
何か、うどん屋と情報屋以外の仕事もやっているのだろう。
内容は聞かない方が良さそうだ。
その、二階にある六畳間に、皆は車座になっていた。
「おそらく、あと一度で魔方陣は完成する」
殿は、出された渋茶をすすって、言った。
「そうなれば手出しも可能だ。皆で行って、あれを壊してしまおう」
「あれというのは…」
トリコが聞いた。
「城を壊してしまって、いいのか」
「かまわんよ」
殿は、何でもない事の様に言った。
「これで、我が弟子がしでかした不始末も、全て収拾出来る。もう、城は必要なかろう」
まるで、これが終わったら居なくなってしまう様な言い方だ。
「殿は、異界に帰るの?」
鯖丸は聞いたが、殿は答えなかった。
「次が来たら城へ戻るつもりだが、どうだね」
反対に、皆に聞いて来た。
「ああ、俺はそれでいいが」
ジョン太は、トリコの方をちらりと見た。
「いいのか?今日中には帰れないぞ」
「ああ、そのつもりで来た」
トリコはうなずいた。
託児所か知人に、由樹を預けて来たという事だ。
「お前の所は、報告に戻らなくていいのか」
菟津吹にたずねた。
「ええ、大丈夫ですよ」
自衛隊の包囲を突破しようと言い始める様な奴だ。実際には、大丈夫ではないのかも知れないが、深く問い詰めるのは止めた。
皆から少し離れて、部屋の隅に座っているフリッツを見た。
「お前も来るのか」
そこだけ英語になった。
殿が怪訝そうな顔をした所を見ると、この異界人は、人間の言葉は日本語しか分からないらしい。
「お前が一番魔力が低いから、聞いてるんだよ」
ジョン太は言った。
容赦のない言い方だが、フリッツは特に気にする風でも無かった。
「同行する。邪魔だと思ったら、その時置いて行けばいい」
およそ、気が強くてプライドの高いフリッツらしくない言い方だった。
いや…トリコ以外が知っているのは、二年前のフリッツだ。
あれから、色々あったのかも知れない。
ジョン太はうなずいた。
「じゃあ、次のあれが起こるまで、休憩だ」
「宿泊費はもらうぜ」
横合いから、めん吉が声をかけた。
次の余震は、中々来なかった。
既に夜になってしまっている。
いつになく歩き回って疲れたのか、トリコは部屋の隅に布団を敷いて寝てしまっていた。
菟津吹も、横になってうとうとしている。
いつあれが来るか分からないので、締め切った部屋の中は蒸し暑かった。
ジョン太は、その辺を見回って来るという口実を作って、夜風に当たりに行ってしまった。
めん吉は、店を開けられる予定も立たないのに、下の店で仕込みをしていて、殿はそれを見物していた。
窓の外を、魔導変化した蛍が数匹、飛んでいる。
外界の蛍よりも輪郭の柔らかい、しかし大きな光で明滅しながら、窓の外を横切った。
虫の声も無数に聞こえる。
街が息を潜めて、灯りもほとんど消してしまっているので、それは余計に耳に付いた。
「フリッツは」
鯖丸が話しかけたので、窓の外を見ていたフリッツは、振り返った。
汗でじっとりしたTシャツを脱いで、うちわを使っている。
よく見ると、微細な魔法で空気の流れを循環させているが、大した効き目は無さそうだった。
「トリコと離れてて寂しくないの」
何でいきなりそんな事を聞くのかと、フリッツは怪訝な顔をした。
二年振りに会って、いきなり聞く様な話題でもないと思う。
大体俺ら、友達でも何でもないし。一度、一緒に仕事をしただけだ。
眠っているトリコの方をちらと見て、それだけでもないかと思い直した。
「寂しいが、我慢出来ない程でもない」
意外と素直な答えだった。
ツンデレは廃業したのか?
「今時、連絡も取れない場所なんて、あまり無いし」
多分、魔界くらいだ。魔界だって、時間をかければ手紙くらい届く。
こいつ、何の話がしたいんだろうなと思いながら、フリッツは逆にたずねた。
「お前、まだトリコの事、好きなのか」
「そうだよ」
意外とあっけない口調で、鯖丸は言った。
「フリッツが考えてる様な意味じゃ、ないと思うけど」
良く分からないが、ライバルにしたいタイプではない。
「何て言うか、家族みたいなもんかな。俺が一方的にそう思っているだけかも知れないけど」
鯖丸がR13の出身だというのは知っていた。
きっと、家族も親族も居ないだろう。
「何だ。じゃあ俺の事は兄ちゃんって呼んでいいぞ」
「フリッツそういうキャラだった?気持ち悪い」
「元々、お前が変な事を聞くからだ」
一応抗議した。
二年の間に何があったのか知らないが、ダメっぽい所は残っているが、人柄は随分丸くなっている。
色々あったのだろう。
「遠距離恋愛のコツでもあったら、教えてもらおうと思って」
「何だ、悩みがあるなら兄ちゃんに相談しなさい」
フリッツは、チェシャ猫の様に笑った。
「うん、断る。何かキモい」
「お前が言い出したんじゃ、コラぁ」
腕ひしぎ十字固めが決まった所に、あれが来た。
フリッツが両手で耳を押さえてしまったので、関節技は簡単に外れた。
めん吉と殿が、二階に駆け上がって来た。
少し遅れて、ジョン太が二階の窓から入って来た時には、鯖丸がフリッツに首四の字を決めていた。
「お前ら、何遊んでるんだ」
騒音が止んだらしく、体勢を立て直したフリッツは、技を返して弓矢固めまで持って行った。
「ギブって言えー」
「嫌だぁ、まだ負けてない」
「いい加減にしろ、お前ら」
ジョン太は二人を引き離した。
「来たぞ」
菟津吹はとうに起きていた。
トリコも、しぶしぶ目を覚ましている。
あの、水のような空気は、さすがに二階までは来なかった。
しかし、窓の外には不気味な影が飛び回っている。
ハイブリットの二人には、暗い空を飛び回るそれがはっきりと見えるのか、不快な物を見てしまったという風に、視線を反らせた。
殿が居るせいなのか、窓の近くまでは飛んで来ないが、別の民家が、それにたかられるのが見えた。
窓を破って入る事は無さそうで、あわてて灯りを消した民家の窓から、それは離れて行った。
どこかで悲鳴が上がった。
うかつに外に居たのか、暑さに耐えられず窓を開けていたのか。
騒ぎは唐突に引いて行った。
黒い影も城のある方へ帰って行く気配だった。
殿が、奇妙な動作をした。
人間なら、耳を澄ませる様な感じだろうか。しかし、音は聞いていないのが分かった。
空気がしんと静まりかえった。
それから突然、突風が吹いた。
窓ガラスがびりびりと震え、家がきしむ程の風だった。
それは、外界の方から来ていた。
まるで、今まで広がり続けていた魔界の反動が、吹き戻って来たかの様だった。
風は、徐々に止んだ。
ゆっくりと平安が戻り、再び虫が鳴き始めた。
「さて」
殿が言った。
「出発だ、諸君。覚悟はいいかね」
目指す方向にある城は、暗がりの中で薄く発光していた。
今まで、そんな状態は見た事がない。
光は、うすぼんやりと、人が呼吸するくらいの間隔で明滅した。
六人の…五人の人間と、一人の異界人は、城へ向かっていた。
おそらく一キロ程度の道のりだ。
普通に歩けば、登りがあるとはいえ二十分もかからない。
しかし、何かあった時の逃げ足を確保する為に、軽トラとオフローダーで、行ける所まで行く事にした。
青い稲穂が実り始めた水田の間を、狭い道を抜けて一行は進んだ。
軽トラとバイクのヘッドライトは、用心の為に消している。
あの、影のような化け物が、灯りにたかるのを見てしまっているからだ。
夜目の利くハイブリットの二人が、運転を担当して、一行はそろそろと城へ近付いていた。
「ここで停めよう」
コンクリートで舗装された農道の終点で、軽トラのハンドルを握っていたジョン太が、聞こえるか聞こえないかの声で言った。
バイク運搬担当のフリッツは、それでも聞こえたらしく、軽トラに並んでエンジンを停止した。
助手席定位置のトリコが降りて、鯖丸と菟津吹は荷台からそっと地面に足を付けた。
理由は分からないが、軽トラの屋根に座っていた殿は、気が付くと側に立っていた。
「うわ、これはヤバイな」
ジョン太の言葉に、フリッツは低くうなって答えた。
夜目の利かない人間には、周囲の状況は分からない。
薄暗く明滅する城のせいで、かすかに辺りは見えるが、かろうじて転ばないで歩ける状態だ。
足下で、にちゃりと音がした。
何か、生暖かくて嫌な感触の物を踏んでいる。
「見るか?」
ジョン太が、鯖丸の腕を掴んだ。
けっこう忘れがちになっていたが、リンクを張っているので、その気になればある程度視覚をこちらに送り込める。
自分が見ているのとは全く違う、明るい夜景が流れ込んだ。
色彩はにぶいが、夜とは思えない、くっきりとした景色だ。
ジョン太は、こんな風に見えているのかと感心して、それから出かかった声を飲み込んだ。
城に、根が生えていた。
城の表面を覆いながら、血管のように張り出した根が、地面を縦横に這い回り、光の明滅と共に脈動していた。
自分が踏んでいたのは、その、血管のような根の一つだった。
足下から腐臭が漂って来た。
「見せろ」
トリコが、鯖丸に触れた。
ジョン太から鯖丸を経由した情報は、多少劣化したが、それで充分だったらしい。
「腐ってるぞ、これ」
トリコは言った。
情報的に置き去りにされた菟津吹は、何か言おうとしたが黙った。
殿が口を開いたからだ。
「人間にしては、よくやっている」
殿の、人じゃない目線を語られても、正味どうしていいかは分からない。
これを本当に浅間がやっているんだろうか。
「あいつの魔力ランクって、Aの中間くらいだよね」
決して低くはないが、ここまでの大事を起こせるとは思えない。
いや…そもそも、どんなに魔力が高くても、人間にはここまでの事は出来ない。
「諸君らが、何を基準に分けているのかは知らんが、この魔方陣は、技術と知識が重要だ。力は、余所から持って来れる」
殿が言った。
何だかとっても、嫌な予感がする。
「それはまさか、持って行った人の魔力を吸い上げてるとかじゃないよね」
鯖丸は聞いた。
「君は察しがいいね」
褒められたけど、全然嬉しくない。
「じゃあ、俺とかトリコって、いいカモじゃん」
「そうだ。捕まらない様にな」
今頃になって、変なアドバイスをしている。
そういう事は早く言えとか、異界人に言っても仕方ないのだろうが。
「気を付けるよ」
一応言った。
闇に紛れて、城の入り口まではたどり着いた。
城の通用口は開いていた。
葉脈のように城の表面を覆った物は、木の扉には及んでいなかった。
中は薄暗い。
「おじゃましまーす」
小声で要らん事を言って、鯖丸は中に入った。
中は見慣れた城の光景で、石と木で出来た廊下が、上へ続いていた。
入り口の横に、見張りが使っていた、昔の小学校から持って来た様な椅子が転がっているが、中は無人だった。
しかし、上には確かに、何かが居る。
ジョン太が先頭に立って、フリッツが列の最後尾に付いた。
夜目が利いて身体能力の高いハイブリットの二人は、ランクSが二人居ても、それが当然の配置だと思っているらしかった。
城を囲む様に螺旋状に巻いた通路を、一行は上へ向かった。
壁の様子が、少しずつ変わって来た。
外で見た血管の様な物が、白い壁に浮き出ている。
その密度が、徐々に濃くなっていた。
奥の部屋から、何かが出て来た。
それが何なのか、最初は分からなかった。
ずるりと、肉色の触手を引きずって、じりじりとこちらへ近付いて来る塊が、あの、根の様な、血管の様な物を体中から生やした人間だという事に、やっと気が付いた。
こちらを向いた顔には、見覚えがあった。
浅間側に付いてしまった、蒲生組の構成員だ。
開いた襖の向こうに、部屋の内部が見えた。
部屋の大半は、気味の悪い肉色の根で埋め尽くされていた。
外にある物の様に腐りかけてはいないが、むわっとする湿気と共に、生臭い空気が漏れ出した。
天井に近い部分は、やけにもやもやと真っ黒だった。
菟津吹が、悲鳴を飲み込むのが分かった。
男は、その部屋から生えていた。
引きずっている様に見えた触手は、部屋の中の肉塊と繋がっている。
「まさか、こんな所まで来るバカが居るとはな」
目を覆いたくなる姿の割に、口調はまともだった。
「殿様まで居るのか。俺の手に負えるかな」
言いながら、ずるずると触手を脱ぎ捨てた。
中から出て来たのは、意外な事に派手なアロハシャツを着た、普通の人間だった。
魔法攻撃は、いきなり来た。
空気操作系の衝撃波が、限られた空間を塞ぎながら、通路一杯に来た。
鯖丸が、反射的に出した空気の壁で押し留めている間に、トリコが放った水の魔獣が、衝撃波を吸い込み、飲み下した。
魔獣の半透明な体表が、ぶるぶると震えてから止まった。
二人のハイブリットが、間髪入れず前へ出て、男を取り押さえた。
菟津吹は、どこから手出ししていいのか分からず、傍観した。
殿はまだ、身動きもしていない。
薄いコートのポケットに手を入れて、悠然と立っている。
「意外と強いな、こんなだったか、こいつ」
蒲生組の構成員とは、以前仕事で何度かやり合っている。
この男がその時居た記憶はあるが、何の印象もない。
その程度の魔法使いだったという事だ。
今は違う様だが。
しかし、異界人とランクS二人と戦闘用ハイブリット二人。菟津吹にしても、魔法使いとしては強い方だ。
魔力が上がっているとはいえ、一人で止められる面子ではない。
「浅間の所へ案内しろ」
ジョン太が銃を抜いていた。
「こんな所にお化け屋敷作って、何やってんのか聞きたい」
フリッツが、男を後ろから羽交い締めにしていた。
戦闘用ハイブリットの反射速度で関節技をかけられたら、どんなに強力な魔法使いでも逃れる術はない。
その気になれば、相手が魔法を出す前に絞め落として意識を奪えるだろう。
男は全く動じなかった。
フリッツに拘束され、ジョン太に銃を向けられているのに、表情は平静だ。
「あの人は上に居る」
男は言った。少し、楽しそうな口調だった。
奥の部屋で、何かがうごめいた。
水が流れ出す様に、黒いもやもやが、部屋から出て来た。
それが、あの地震の後に来る影と同じ物だと分かるのに、少しかかった。
気が付くともう、周囲を囲まれていた。
もやもやと空中を漂いながら、次第に形を露わにして行く。
それは、悪夢に近い物だった。
百鬼夜行の絵巻や、ボッシュの絵画に似ていなくもないが、ユーモラスな部分は全く無かった。
気が付くと、派手なアロハシャツの男は、フリッツの腕から抜けていた。
余裕があったのは、はなから自分が侵入者の相手をする気など無かったからだ。
殿が居るせいで、化け物達は近づけない様子だったが、囲まれてしまって、こちらも一歩も動けない。
一つ一つの化け物には、それぞれ出鱈目な位置に、歪んだ人の顔が付いていた。
恐ろしいと言うより、生理的に嫌悪感を催す相手だ。
殿は、平然として皆の中心に立って、化け物を遠ざけていたが、時折勇気がある者なのか、単に無謀なのか、殿から離れた者に襲いかかった。
アロハシャツの男を追おうとしたフリッツは、化け物にたかられて、舌打ちしながら後退した。
「大丈夫か、お前。吸われてるぞ」
トリコが言った。
「体がだるい」
フリッツはうなった。
「体温が下がっていますよ。生体エネルギーを吸われたのか、単に熱を奪われたのかは、分かりませんけど」
菟津吹が言った。
黒いもやは、通路の向こうからもどんどん吐き出され、数を増していた。
「吹き飛ばしてみる」
鯖丸が、刀を抜いて前へ出た。
次第にもう、背後より前方の影が濃くなっている。
鯖丸は、意外と本気だった。
これがヤバイと、何となく感じているのだろう。
追い詰められた時くらいしか見せないくらい、本気の表情で、抜いた刀に魔力を溜めている。
普通の魔法使いなら、あり得ない速さで繰り出された空気の鎌が、通路を薙ぎ払った。
菟津吹は、ため息をついた。
ここまで速くて強いとは思わなかった。
噂半分で聞いていたが、高い依頼費を払っても、これならおつりが来る。
しかし、めったに見られない様な、見事な魔法攻撃は、影を素通りした。
「うぇ…」
けっこう傷ついたらしい鯖丸は、変な声を出した。
「魔法が効かないのか」
トリコが、水の魔獣をけしかけてみたが、物の見事に通り抜けた。
「ちっ」
銃を抜いていたジョン太は、用意していた魔法弾を、一応何発か撃ち込んだ。
火炎系の魔力がこもった弾丸は、任意の場所で爆発させたり、相手を焼き払ったり出来るはずだったが、期待していた様な魔法の発動は無かった。
それなのに、弾をくらった化け物は、床に落ちた。
「あれ…」
ジョン太は、首を捻って考え込んだ。
それから、全く魔法を使わずに、銃弾だけを相手に撃ち込んだ。
化け物が、ばさばさともがいて、床に落ちた。
「こいつら、もしかして、物理攻撃にはめっちゃ弱くね?」
殿に聞いた。
「我々の世界の物は、物理攻撃には弱い。周知の事実だ」
「早く言え」
ジョン太は、手近の化け物をぶん殴った。
それは、あっけなく床に落ちた。
「よっしゃー」
刀を構えた鯖丸は、前へ出ようとした。
「止めなさい」
殿は止めた。
「吾輩は別に構わんが、致命傷は与えない方がいい」
「え…?」
床に落ちた影が、変化し始めていた。
黒いもやの様な影が、徐々に四散し、周囲に消え、歪んだ人の顔が、影の中から露わになった。
それは、もやから吐き出され、形を取り、胎児の様に体を丸めた人の姿になった。
意識があるのか無いのか、薄ぼんやりとした顔で、ただ横たわっている。
「これ…」
鯖丸の表情が引きつった。
「人間?」
「向こうから出て来た奴らじゃないのか」
ジョン太は、殿を問い詰めた。
「そうだ。しかし弱い物達だ。こちら側に留まるには、媒体が要る」
「掠って行った人達を…」
さすがに、剛胆なトリコも、顔色を無くしている。
「問題ない。倒し方が分かったんだ」
フリッツが言った。
「殺さない程度に叩けばいいのだろう」
一度抜いていたナイフを、ベルトに戻して身構えた。
ジョン太も、銃をホルスターに納めた。
魔界で、回復魔法が使えれば、たいがいの人間は一発や二発撃たれたくらいでは死なないが、後味が悪い。
戦闘用ハイブリット二人が、前方を引き受けたので、鯖丸は敵影の薄い後方に回った。
トリコは魔法が使えなければ戦力外だし、菟津吹もそれ程は当てにならないだろう。
殿は、そもそも手出しをするつもりがあるのかどうかも、不明だ。
刀の刃を返して、背の部分で空中を薙ぎ払った。
影が落下し、次々と人の姿が現れた。
年齢も性別もばらばらな、一糸まとわぬ人々が、影の中から現れて横たわった。
若い者も年寄りも、子供まで居る。
中には、ペットだったらしい犬や猫まで混じっていた。
後方で、アロハシャツの男が、奥の部屋に逃げ込むのが見えた。
部屋に積み重なった、肉塊の様な根が、男を飲み込んだ。
一本の根が太さを変えながら脈動し、男をどこか別の場所に送り出すのが見えた。
見た目は普通だったが、まともな人間の行動ではない。
これは…この状態は、何も分からないまま先へ進んで、大丈夫なのだろうか。
前方の影が、ほぼ倒されていた。
戦闘用ハイブリットが二人も居るのだ。
物理攻撃で負ける要素は、全く無い。
「このまま行きますか」
思っていた事を、菟津吹が先に聞いた。
「用心に越した事はないが、行ける所までは先に進もう」
ジョン太は言った。
螺旋状に城を巻いた通路を、皆は上へ向かった。
黒い影の化け物は、時折行く手を塞いだが、倒し方が分かってしまった今となっては、大した障害にもならなかった。
壁はもう、一面がびっしりと、根の様な血管の様な、肉色の管で被われていた。
床に使われている石や、部屋を仕切る木戸や障子は、素材として馴染まないのか、そのままの姿だ。
簡単に倒せるとはいえ、生理的に気味の悪い…しかも元々は人間を叩き伏せて行くのだ。
皆は次第に無口になっていた。
城を半分以上登った時だった。
影の様な化け物は、もうほとんど出なくなっていた。
掠って行った人間の数にも、限りはあるだろうが、そこまで沢山の化け物は倒していない。
残りがどうなっているのかは、薄々気が付いていたが、皆はもう無言だった。
すえた様な匂いの漂う城の中で、ハイブリットの二人も、嗅覚が鈍っていた。
螺旋状に巻いた通路は、遠い先までは見通せない。
だから、出会い頭だった。
渋い色合いの和服を着たサキュバスが、行く手に立っていた。
何だか少し、楽しそうに笑って、こちらを見ている。
「ここまで来たのね」
バトルマンガの敵みたいな事を言って、笑った。
サキュバスの魔法範囲は、半径百メートル。インドア戦で、一番会ってはいけない相手だ。
幸い、トリコにはサキュバスの魔法は効かない。
「任せた」
一緒に前へ出ようとしたフリッツの首筋を掴んで、ジョン太は後ろに引いた。
気休めだ。
城の中では、サキュバスの魔法から逃れる距離は取れない。
後はトリコに任せるしかなかった。
「何でだ」
サキュバスの魔法特性を知らないフリッツは、文句を言ったが、即座に黙った。
皆、それどころでは無くなっていた。
サキュバスの魔法は、特殊だ。性的な刺激を伴って、相手を支配し、正気を奪い、精力を吸い取る。
ノーマルな指向の男と、試した者は居ないが、同性愛者の女相手なら、本名を押さえようが、魔力が格上だろうが、問答無用で支配して来る。
既に、体の自由が利かない。
結果は同じだが、魔法の効果には、個人差があった。
自力で魔力ランクを変えられるジョン太が、一番マシな状態だった。
菟津吹は、悲鳴を上げている。
鯖丸とフリッツは、苦痛は感じていない様子だが、全く動けなくなっている。
「任せろ」
トリコが身構えて前へ出た。
「何だ、つまらない」
サキュバスは、動けなくなった鯖丸の方を見た。
「ちょっとの間に、どんだけ遊んでるの、あんた」
菟津吹の方を向いた。
「まだ、あんたの方が美味しそう」
待て、それ、何のどういう基準だ。
以前、サキュバスに捕まった時の様な苦痛は、確かに無かった。
るりかと魔界に入った時にもそうだった。
もしかして、性体験の少ない方が、サキュバスの魔法を苦痛に感じるのか?
最初に見た時は、百メートル範囲の外からでも、吐くほど不快だった。
しかし、釈然としない。
「待てぇ、経験豊富な超絶テクの方が重要だろうが」
「何でしゃべれるの」
サキュバスは聞いた。
「すいません。何か、こんなにしちゃった一因は私なんで」
トリコは一応謝った。
「それはそれとして、お前は倒す」
「まぁ、大変」
サキュバスは笑った。
トリコには、サキュバスの魔法は効かない。
そうなれば、どう考えても勝ち目はないはずだった。
サキュバス一人が相手なら。
温存されていた影の化け物が、サキュバスの背後から現れ、押し寄せた。
物理攻撃能力は、平均以下のトリコは、しばらくの間抵抗したが、影に取り押さえられた。
状況から言えば、全滅だ。
撤退すら出来ない。
唯一頼りになりそうな殿は、微動だにしない。
ひたひたと、地震の前に現れていた、水の様な空気が来た。
城の上から、傾斜した通路を降りて来たそれが、間近に居たトリコの足下に触れた。
まばたきする程の間に、トリコが視界から消えた。
何の抵抗も出来なかった。
フリッツが、日本語でも英語でもないスラングで何か罵りなから、一歩前へ出た。
この状況で動けるのが凄い。
ハイブリットだからとか、そういう事ではない。これは、気合いの問題だ。
「あんたは要らない。混じってるから」
サキュバスは、手の平を空中で払った。
フリッツは後ろによろけて倒れた。
「あんたも」
ジョン太が、同様に追い払われた。
「それとあんた。人じゃないくせに、気持ち悪い」
指さされた殿は、その場で止まった。
「これとこれ、もらって行くわ」
鯖丸と菟津吹を指さした。
「すいません、逃げます」
菟津吹が叫んだ。
サキュバスの支配下なのに、魔法が発動していた。
瞬間移動能力だが、通常の物とは少し違っていた。
自分の周囲を巻き込み、近隣の空間ごと移動しようとしている。
どういうからくりか分からないが、今は撤退するのが賢明だ。
フリッツが、訳の分からない事を叫びながら、前へ出ようとした。
ジョン太が、どうにか力を振り絞って、首根っこを捕まえ、更に鯖丸の方へ手を伸ばした。
鯖丸が、気が付いてこちらへ手を伸ばした。
何か言おうと口を開いたまま、トリコ同様に持って行かれた。
瞬間、菟津吹が範囲内に取り込んだ皆の姿が、その場からかき消えた。
ジョン太が、相棒の名前を呼びながら手を伸ばしたのは、城から随分離れた、田んぼの真ん中だった。2009.12/20up
後書き
いやー、鯖丸掠われるの、久し振りだな−。武藤(ピーチ姫)鯖丸。
何かもう、掠われ全盛期(?)と比べると、初々しさが全然無いですけど…次回は多分全裸。お約束だ。次回予告
触手再び。そして、やっと浅間登場。
囚われ、危機に陥るトリコと鯖丸。新たな助っ人と共に救出に向かうジョン太。
怪物の跋扈する城で、決戦が始まる…とかいう、かっこいい内容にはなりそうにないけど、とにかく続く。
そして、蚊取り線香大活躍。