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最後に、三匹ぐらいが斬る!! back next

登場人物

武藤玲司(鯖丸) NMC中四国支所のバイト。貧乏、貧乏性、バカと三重苦の院生。新しい彼女と悪霊付きのアパートで、絶賛同棲中。

有坂カオル 鯖丸の彼女。薙刀女、都市伝説二号等、どうでもいいあだ名を付けられ続ける女子大生。かなり強い。

三希谷晴美(魔法少女ミラクルるりか) 魔界名が長すぎるNMC中四国支所の新人。一言で言うと腐女子。

羽柴仁 弱小暴力団蒲生組の構成員。魔界出身で、魔法使いとしてはかなりの高レベル。銃と刃物を同時に使いこなす。

戒能悠木奈(サキュバス) エロ系に特化した魔女。毎度家出しては周囲を騒がせる、ええとこのお嬢様。

浅間龍祥(クイックシルバー)政府公認魔導士。何か色々企んでいる、唯一の悪役らしい悪役。

蒲生 蒲生組の組長。人望はあるが、微妙に頼りない。

最後に、三匹ぐらいが斬る!!

2.魔法少女ミラクルるりか(中編)

 そういう訳で三十分後、ビジネスホテル草薙の一室に、どこから見ても紛れもなくヤクザもんな二人が、るりかと向かい合っていた。
「何で連れて来ちゃったんですか…」
 その辺にパシらされたるりかは、二人に弁当屋の袋を差し出した。
「弱ってる間に確保しとこうと思って」
 ペットボトルのスポーツドリンクを一気飲みしてから、鯖丸は弁当を引っ張り出して食い始めた。
 精神と肉体の両方が弱っている羽柴は、要らないと言う風に差し出された袋を押し戻した。
「ちょっと、横になってええか。何か辛い」
 腰掛けていたベッドに、横になった。
「俺もー」
 弁当を一気食いした鯖丸まで、寝始めてしまった。
「ちゃんとしてください」
 るりかは、キャスター付きバッグから、スケッチブックを取り出して広げた。
「どうせ寝てるんだったら、もうちょっと絡んでください」
「起きろジン君。BL本のモデルにされるぞ」
 鯖丸は飛び起きた。
「ええーっ、折角だから服脱いで絡んでくださいよぅ」
「まぁ、服は脱ぐけどさ」
 羽柴に借りたヤクザ服が、あまりにも似合わないので、さっさと脱いでしまった鯖丸は、ベッドの背にかけてあった自分の服を手に取った。
 それから、ふと思い立った。
「どんなポーズがいい?」
「じゃあ、先輩上になって、ジン君の服を脱がして行ってください。シャツから」
「えー、俺、下から脱がす派なのにー」
「貴様ら、わしで遊ぶな」
 さんざん弄ばれた羽柴は、力なく言った。
「じゃあ、そろそろ本題に移ろうか」
 鯖丸は、羽柴を引っ張り起こした。

 発端は、二ヶ月前の一斉摘発で、羽柴が浅間を助けた事だった。
「元々、あいつがこっちで何やっとるんか、知りたかったんじゃけどな」
「うん、それは気になってた」
 政府公認魔導士の浅間龍祥、魔界名クイックシルバーは、数年前ハンニバルの事件がきっかけで過去の悪事が露呈し、大阪本部から四国支部に左遷されていた。
「危険を冒してまで助けちゃったのに、あいつ何も話そうとせん。恩知らずな奴じゃ」
「まぁ、いい人じゃないね。あれは」
 浅間を知らないるりかは、不思議そうに二人の会話を聞いている。
「それが、五日程前じゃ、あいつがサキュバスを連れて来た」
「へぇ」
 西谷商会に依頼があったのは、一昨日の晩だ。
 毎度の事とは云え、サキュバスもいい年をした大人なので、家出したら即依頼という訳ではないらしい。
「いずれ西谷の所の魔法使いが連れ戻しに来るから、匿えちう話じゃ。そんなもんすぐ見付かる言うたんじゃけど」
 本気で、あっという間に見付かったのだから、その通りだが、さすがにヤクザに匿われてるとなると、連れ戻すのはめんどくさい作業になる。
「サキュバスを匿うと、何かいい事あんの」
 鯖丸は聞いた。
「うちの組に資金援助してくれる。他に、浅間の方からも、色々便宜を図ってくれるんでな」
 羽柴は、もらったスポーツドリンクの封を切って、やっと少しだけ中身を飲んだ。
「一斉摘発で、外から来た同業者が撤退しとる。手広くやるチャンスじゃと、うちのオヤジは考えとるんじゃ」
「蒲生さん、そんな野心家だっけ?どっちかと言うと、昔気質の親分だったと思うけど」
 直接の知り合いではないが、蒲生組とは仕事で何度もやり合っているので、まんざら知らない訳でも無い。
 ヤクザとしてはまぁ、良心的な組織だったはずだ。
「オヤジは人がええんじゃ。浅間の口車に乗せられとるんよ」
「あいつのやりそうな事だな」
 浅間とは、多少の因縁があった。
 今回、トリコと組んだんじゃなくて良かった。
 浅間は、亡くなったトリコの夫の仇だ。また、命を狙って暴れ出したら、サキュバスの確保どころでは無くなってしまう。
「ジン君としては、どうしたいの」
 一応、羽柴に聞いた。
「ジン君とか呼ばんといてくれ。気持ち悪い」
 まだ、マキちゃんと鯖丸が同一人物だと納得出来ていない羽柴は、顔をしかめた。
 それから答えた。
「わしは極道じゃ。親を裏切る訳にはいかん」
「でも、浅間とは手を切りたいと」
「政府公認魔導士に知り合いがおったら、便利じゃけんのう。手を切りたい訳じゃない。ただ、オヤジは人がええからな。あいつにええ様に使われるぐらいなら、多少の損はしても、手を切った方がマシじゃと思うとる。個人的にはな」
「親分を裏切らないで、サキュバスを確保する事は、出来ると思う?」
 一応、ジン君にも立場というものがあるだろう。事を荒立てない方が、仕事としてもやりやすい。
「時間があったらな。浅間は、サキュバスを関西の魔界に逃がすつもりじゃ。わしらの手を離れたら、どこでも追っかけて行って、連れ戻したらええ」
 鯖丸は考え込んだ。
 浅間は、政府公認魔導士として、割合組織の上層に居た事もある。おまけに、彼からの依頼で仕事をした事もあったので、こちらの本名を知っている。
 魔界では、あまり会いたくない相手だ。
「そんなに待てるか。今度の土日は塾のバイト絶対休めないし、来週からは大事な実験で学校に泊まり込みなんだ。猶予はあと二日」
「何でこんな奴寄越したんじゃ、西谷の所長も」
 羽柴は、呆れた。
「それは、俺が最強だからだ」
 鯖丸は断言した。
「もういい、これから蒲生組に殴り込んで、サキュバス捕まえて来る。るりかちゃん、ロープかなんか持ってない?こいつ縛って行くから」
「持ってます」
 何でも出て来るキャスター付きバッグから、細引きを取り出した。
「あの…縛る時はシャツの胸をはだけて、それから高手小手縛りで…ええと、やっぱりこの椅子に後ろ手に縛ってから先輩が弄ぶ方が…ああ、どうしよう」
「うん、どうもしない。落ち着け」
 鯖丸は、るりかから細引きを取り上げた。
 とりあえず、逃げようとする羽柴を組み敷いて、紐で括ろうとしたが、抵抗する人間を縛り付けるのは、大変な作業だ。
 犯人を確保する様な類の訓練を受けた訳でもなければ、緊縛プレイの趣味もない鯖丸に、出来る訳も無かった。
 最後には、二人で紐に絡まってベッドから転げ落ちた。
 るりかは、冷静に二人をスケッチしている。
「手伝えよ」
 鯖丸は文句を言った。
「待ってください。今、いいとこ」
 スケッチを何枚も描いてから、るりかはハサミを取り出して細引きを切った。
「うう…ジョン太は簡単そうに縛ってたのに、意外と難しかった」
 そんな、元軍人で特殊部隊に居た様な人と、同じ事が出来ると思っている辺り、相変わらず根拠のない自信だ。
「ほんと、ええかげんにせぇよ、お前ら」
 絡まった紐から脱出した羽柴は、るりかのスケッチブックを見て青ざめた。
「嬢ちゃんには、わしらがこう見えとるんかい」
「え…何?うわ、こりゃひどい」
「別にいいじゃないですか。殴り込みなら、私も行きますけど…」
 るりかは、スケッチブックを取り返して、キャスター付きバッグに仕舞った。
「待てぇ」
 羽柴は止めた。
「一応約束じゃ。協力はする」
 まだ、あちこちに絡まっている紐を払い落としてから、羽柴は言った。
「ちいとだけ待ってくれ。オヤジを説得してみるわ」

「ジン君って、ヤクザのくせに律儀で要領悪いよなぁ」
 繁華街をぷらぷら歩きながら、鯖丸はつぶやいた。
「ヤクザだからじゃないんですか」
 隣を歩いていたるりかが言った。
「君は、時々はっとする様な意見を言うね」
 その辺の屋台で買った串焼きを食っていた鯖丸は、ジャケットのポケットから、ペットボトルを取り出して水を飲んだ。
 『飲み過ぎたらとにかく水分補給』と、ジョン太が言っていたのを思い出したからだ。
 奈良漬けを食っただけでふらふらする様な、アルコール耐性の無い人の意見が、どこまで信用出来るのか不明だが、実行しても特に損はないし。
 空になったペットボトルに、ホテルの洗面所で汲んだ水を詰めて、ちびちび飲んでいる鯖丸を、るりかはちらりと見た。
「先輩って、地球に優しいですね」
「貧乏性なだけだ」
 一応、自覚はあるのだ。
「ジン君、来ますかね」
 鯖丸を見習って、やはり歩き食いしていたるりかは、尋ねた。
 屋台の兄さんに頼んで、何とかケバブとかいう、肉の塊や挽肉を串焼きにして売っているやつを、野菜と一緒にサンドイッチにしてもらっている。栄養のバランスは良さそうだ。
「来なかったら、約束をチャラにされたか、説得に失敗したか、どっちかだろ」
「失敗したら、ジン君まずい事になるんじゃないんですか」
「そうかもね」
 スパイスの利いた串焼き肉を歩き食いしながら、鯖丸はうなずいた。
 こんなもんばりばり食ってる奴は、絶対二日酔いじゃない。
「来るといいですね」
 来なかったら、殴り込みに変更だ。
 それは、来た方がいいに決まっている。
 羽柴は、夕刻まで猶予をくれと言った。
 蒲生組の中で、羽柴がどれくらいの地位なのかは知らなかったが、とりあえず下っ端ではない事だけは分かっていた。
 それでも、親分を説得するのは、上下関係のはっきりしたヤクザ社会では、簡単な事だとは思えない。
 先輩には逆らえない体育会系と、似ていると云えば似ている。
 まぁ、鯖丸の場合は、言う事聞かない生意気な後輩だったのだが、それだけに、言うこと聞かないとどういう目に遭うかは良く知っている。
 体育会系であれだから、ヤクザだったら半殺しかも。
「ジン君、生きてるかなー」
 物騒な事を言いながら、待ち合わせに指定された場所に向かった。
 指定されたのは、今朝まで居た別荘地の外縁だった。
 相手のテリトリーに近いのは不安だが、外縁なら繁華街まで走って逃げられる距離だし、万が一暴力沙汰になった時も、周囲を気にしないで魔法が使える。
 指定の時間までは余裕があったので、二人は繁華街の外縁に陣取って、海辺に並ぶ高級別荘地を眺めた。
「もし、サキュバスが一緒に来た時は、先に確保してもらわなきゃいけないんだけど」
 るりかに念押しした。
「援護はするけど」
 自分がサキュバスに捕まって、敵側に回ってしまったら、るりかには対処出来ないだろう。
「大丈夫です。私の方が魔力は上ですから」
 頼もしい。
 浅間が同行して来た、最悪の事態については、るりかには言えなかった。
 向こうは、俺の本名を知っている。
 浅間が居たら、とにかくもう、向こうがこっちの本名を言い終わる前に、速攻で叩き伏せるしかない。
 技の出足も、繰り出してから相手に届くまでのスピードも、魔法使いの中ではかなり速い。
 出会い頭にぶちかませば、いけるはずだ。
 夕暮れの近付いた海辺を眺めながら、鯖丸は考えを巡らせた。
 浅間が居たら、魔法の出足優先で、このまま突っ込もう。サキュバスが出て来たら、少しでも可能性があるから、女になった方がいい。
 こういう場合の、ジョン太の判断の速さは、ある意味すごい才能だな…と、改めて思った。
 ハイブリットだから反射速度が速いとかではなく、状況判断が速くて的確なのだ。
 ジョン太が居てくれたら、何も迷わないで大暴れしていればいいのだが、今状況判断を任されているのは自分だ。
「浅間とサキュバスが同時に出て来たら、お手上げだ」
 正直な所を言った。
「だから君は、ここの状況が見える場所に、隠れててくれ」
「分かりました」
 るりかは、素直にうなずいた。
「本当にヤバそうだったら、躊躇わず一人で逃げろ。そんで、所長に報告して。一応、ジムニーの鍵も渡しとくから」
 ポケットから鍵を取り出して渡すと、るりかはそれを受け取らず、首を横に振った。
「先輩、一人で全部片付ける事を前提にしてませんか。私を有効に使ってください」
「ええと…」
 使われる事はあったが、人を使うのは慣れていない。
 頼りない外見のるりかにそんな事を言われて、鯖丸は少し驚いた。
 るりかの魔力ランクはA1で、物質操作系。能力の高さは、所長とほとんど変わらない。
 もうちょっとこの娘に頼ってもいいんだろうか…。
「君がどれだけ頼れるか、正直分からない」
 危ない橋は渡らない事にした。
 この場で判断しなければならないし、責任もあるのは自分だ。
「出来るだけの事はして欲しいけど、危なくなったら自分優先で逃げてね」
「はい」
「じゃあ、あの店の中に移動して」
 海岸が見渡せる雑貨屋の店先を指定した。
 外界にある様な、お洒落な小物を売っている雑貨屋ではなく、生鮮食品以外なら何でも扱っている、ど田舎と魔界にしか無い雑貨屋だ。
「お店の人は、適当に買収して。どうせ、サキュバスのパパが払うから」
「ラジャー」
 るりかは、雑貨屋に移動した。

 るりかを別行動にしておいて良かった。
 あっという間に窮地に陥った鯖丸は、思った。
 浅間とサキュバスが同時に現れるくらいは予想していたが、まさか羽柴が人質状態だとは、考えていなかった。
 というか、羽柴が単なる口約束を守る為に、そこまでする事態を想定していなかったのだ。
 羽柴は、見覚えのある蒲生組の構成員数名に捕らえられて、連行されて来た。
 背後に、浅間とサキュバスが居る。
「ジン君、大丈夫か」
 痛めつけられた状態で、先程失敗した高手小手縛りにされた羽柴が、兄貴分らしい年かさの男に押されて、高級別荘街の、芝生の生えた地面に突き転ばされた。
「君だったのか」
 浅間龍祥は、ヤクザ達を従えて、後ろから現れた。
 羽柴に銃口と刀が突き付けられている。
 鯖丸は、背中の刀に手を掛けたまま、止まった。
「君くらいの年齢の子は、本当に、二三年で変わるねぇ。前回は分からなかったよ」
 浅間とは、二ヶ月前の一斉摘発の時に、一度だけ顔を合わせていた。
「俺は分かったよ」
 鯖丸は言い返した。
「てめぇのくっさい人柄が、ぷんぷんしてたからな」
「武藤玲司、止まれ」
 全身が痙攣した。
 完全に動きを止められている。魔力では格下だが、さすがに政府公認魔導士の熟練度は高い。
「あの時、トリコを止めなきゃ良かったな」
 どうにか口は利けた。
「まだしゃべれるのか」
 浅間は、見下す様な視線で、こちらを見た。
「抵抗すると、辛いぞ」
 全身に、嫌な感触が走った。
 どう表現していいか分からないが、強いて言えば、体中の血管に、ちくちくして重たい、不快な物を突っ込まれた感触だ。
 全身が痛くて重い。
「お前らは本当に不愉快だ。これ以上俺の邪魔をするな」
「不愉快なのはてめぇだ」
 鯖丸は、浅間を睨んだ。
「こんなもん、低重力症のリハビリに比べたら、屁でもないわ」
 羽柴の方を、ちらりと見た。
 痛めつけられているが、特に諦めている顔ではない。
「ジン君、どうする?」
 羽柴は、鯖丸と浅間を見比べた。
 判断は一瞬でついた。
「こんな奴、わしらの味方でも何でもないわ。わしが義理を尽くさないかんのは、オヤジだけじゃ。武藤玲司、束縛解除」
 羽柴の命令で、浅間の命令が解除された。
 状況にもよるが、普通に考えれば、羽柴の方が魔力が高い事になる。
 羽柴が魔界出身で、熟練度が高い事を考慮しても、同等だろう。
 ジン君、意外と頼りになるな。
 サキュバスが前に出て来るまでは、状況は優勢だった。
 小柄な女が前へ出たとたん、皆が逃げ始めた。
 サキュバスの魔法は、有効範囲半径百メートル。
 男…というか、タイプの性別が女性な相手なら、魔力ランクも何もかも無視して、支配出来る。
 蜘蛛の子を散らした様に皆が逃げ去った後に、羽柴と鯖丸が残された。
 赤い唇の両端を持ち上げて、サキュバスがにやりと笑った。
「アホかお前は。何で一人で逃げんのじゃ」
 助け起こされた羽柴が怒鳴った。
「もちろん逃げるよ」
 羽柴の、後ろ手に括られた腕を掴んで魔力を通した鯖丸は、空中に飛び上がった。
 木の枝を足場に、更に高く斜めに飛び上がり、別荘の屋根から、上空へ逃れた。
 重力操作で飛ぶには、広い別荘地は足場が少ない。
 百メートルを移動する前に、魔法の有効範囲に飲み込まれた。
 不思議な事に、昔味わった様な、吐き気を催す不快感は無かった。
 射精する時の快感が何倍にもなって、延々と続く様な感じだ。
 一瞬で頭が真っ白になって、羽柴と一緒に、どさりと屋根の上に落ちた事も、その時は分からなかった。
 逃げなければいけないのに、逃げようという気持ちも起こらない。
 視界の隅に、るりかが外へ飛び出して来るのが見えた。
 サキュバスに向かって走りながら、何かがきらりと光った。
 確認出来たのはそこまでだった。

 気が付くと、屋根の上に倒れていた。
 目の前に、屋根の端と、そのはるか下に地面が見える。
 三階の屋根の上だ。
 落ちていたら只では済まなかった。
 羽柴を引きずって、ずりずり後ずさってから、鯖丸はもう一度地面を覗き込んだ。
 見慣れない、ピンクでフリフリのワンピースを着て、黄緑色の髪の毛がくりんくりんの少女が、天使の羽根が付いた短いステッキを持って、こっちを見上げている。
 もう一方の手に、ボコボコにされたサキュバスの襟首が掴まれていた。
「先輩、大丈夫ですかぁ」
 声には聞き覚えがあった。
「るりかちゃん?」
「早く降りて来てくださぁい。浅間さん達が戻って来たら、私一人の手には負えませんよぅ。早く逃げましょう」
「ちょっと待って」
 鯖丸は、羽柴の縄を解きながら、しどろもどろで答えた。
 サキュバスの魔法は解除されたが、身体的にはまだ、大変恥ずかしい状態になっている。
「一身上の都合で、ちょっと」
「どういう事になってるかくらい、分かってます。いいから早く」
「嫌だぁ、やおい本のネタにする気だろ」
 羽柴が一緒なのがまずい…と思いつつ見ると、ジン君は青い顔ではるか下の地面を見ている以外は、普通の状態だった。
 サキュバスの魔法の効き方って、個人差があるのか?以前とは、何か掛かり方も違うし。
「ゲイじゃないくせに、何で平気なんだよ」
 文句を言ったが、羽柴は縄を解かれて自由になったのに、鯖丸にしがみついた。
「やめろぉ、るりかがスケッチするぞ」
「高い所ダメなんじゃ、わし」
 あ…恐怖が性欲に勝ったのか。
「先に逃げて。すぐ行くから」
「ダメです。私一人じゃ、サキュバス運べません」
「ああ、もう」
 悲鳴を上げる羽柴を掴んで、三階の屋根から飛び降りた鯖丸は、気を失ったサキュバスも軽量化して担ぎ上げ、全速力で走った。
 ひらひらの魔法少女になったるりかは、けっこうなスピードに、普通に付いて来た。

 ホテルの部屋をチェックアウトして、気を失ったサキュバスを魔界から連れ出すのは、ぎりぎりセーフだった。
 戒能悠木奈は、境界の外で目を覚ました。
 同行して来た羽柴は、西谷商会の倉庫を、興味深げに眺めた。
「ほう、外界の魔法使いは、こんな感じなんじゃ」
 境界を抜けたるりかは、元の姿に戻っていた。服装も元通りだ。
「ええと…何て言っていいか」
 鯖丸は謝った。
「すごくマズイ事になってるんだろ。ごめん」
「しゃあないわ」
 羽柴は言った。
「わしは、自分の信念に従っただけじゃ。お前らのせいじゃない」
 魔界の外で見ると、羽柴はごく普通の青年だった。
 外見が変わった訳ではないが、雰囲気が違う。
「元々わしは、オヤジに拾われるまで、極道じゃのうて魔法使いじゃった。元に戻るだけじゃ」
「何があったか、聞いていい?」
 埃っぽい倉庫の中で、その辺にあった古そうな椅子を引きずって来て、皆が座る場所を確保した鯖丸は言った。
 サキュバスは、戒能悠木奈に戻ってしまって、しゅんとした感じで倉庫の隅に座っている。
「そら、あの女に聞いた方が早い」
 指差された悠木奈は、きっと羽柴を睨んだ。
「今度こそ逃げられるはずだったのに…」
「お前は心の病気だ。関西じゃなくて病院に行け」
 鯖丸は怒鳴った。
「自分だって病気のくせに」
 悠木奈は言い返した。
「治ったよ」
 確信はないが、言い切った。
「お前のせいで、ジン君は大変な事になってるんだぞ。大恩ある親分には、裏切り者と呼ばれ、元の仲間からは命を狙われ、抜け忍の様に逃げ続ける生活…」
「人を、勝手に妄想した窮地に陥れるな。それに、良く考えたらお前のせいじゃ」
「そうだっけ」
 あっさり忘れるつもりだったらしい。
「浅間は、私を人質にして、お父様と交渉するつもりだったのよ」
 サキュバスは、意外な事を言った。
「表向きは、この人の居る組を使って、自分は表に出ない、上手いやり方でね。成功すれば、関西の魔界へ逃がしてくれるはずだった」
「へぇ」
「この人が蒲生を説得しようとしなければ、成功してたのに」
「あ…親分は一応、話聞いてくれたんだ」
 もうちょっとマズイ事になっていると思っていたので、内心ほっとした。
「まぁ、オヤジは聞いてくれたんじゃが、兄貴らが反対してな。浅間に付いて行けば、見返りも大きいしのう」
「ジン君所の親分て、威厳無いんだな」
「言うてくれるな」
 羽柴もちょっと気に病んでいるらしい。
「それで、浅間は何を交渉するつもりだったの」
「お父様が魔界で所有している土地を、自分の物にしたかったのよ」
「へぇ、政府公認魔導士じゃ、もう出世出来そうにないから、不動産屋でも始めるんだ」
 鯖丸は、刀を倉庫に戻して、ファイルに記帳し、ディバッグに仕舞った。
 最近、セキュリティーの都合もあって、入出ファイルは倉庫に置かない仕様になっている。
 それから、ケータイを取り出して電話をかけ始めた。
「こんにちはー、NMC中四国支所です。お嬢さんを確保しました。迎えに来られますか、それともそちらまでお届けしますか」
 まだ、魔界の境界が近いので、電波状態は良くない。
 何度か聞き返しながら話し続けていた鯖丸は、電話を切って振り返った。
「家まで連れて帰ってくれってさ。家出ばっかりしてるから、扱いが雑になって来たね」
「やっぱり、帰らないとダメ?」
 戒能悠木奈は、すがる様にこちらを見た。
「仕事だからね。家を出たいなら、家族を説得するんだね。うちに依頼が来たら、また連れ戻すから」
 悠木奈は、肩を落とした。
「ところで、ジン君はどうする」
「済まんが市内まで送ってくれ。しばらくは外界でほとぼりを冷ますわ」
「分かった。るりかちゃん、帰ろう。仕事は終了だ。おつかれさま」
「それでいいんですか。何も解決していないのに」
「依頼は解決したよ。余計な事に首は突っ込まない方がいい」
 皆を促して倉庫から追い出し、厳重に鍵を掛けた。
「乗って。ちょっと遠回りになるけど、そんなに遅くならないで帰れるはずだから」
 羽柴は、ジムニーのドアを開けて助手席の背もたれを倒し、後部座席に入れる様にしてから、悠木奈を促した。
 お嬢様の悠木奈は、そんな貧乏くさい構造の車に初めて乗るらしく、目を丸くして後部座席に乗り込み「狭っ」とつぶやいた。
 キャスター付きバッグを荷台に放り込んだるりかが助手席に座り、ジムニーは発進した。
 幸いな事に、羽柴は魔界の入出に必要なパスを持っていたので、ゲートを出るのはスムーズだった。
 魔界出身の人間は、日常生活でよく、買い物や通学で外へ出るので、外界の人間より簡単な手続きでパスが取れるのだ。
「戒能さん、ちょっと聞いていいかな」
 車が走り始めて、しばらくしてから鯖丸は尋ねた。
 後部座席で、居心地悪そうに座っていた悠木奈は、うなずいた。
「浅間が欲しがってた土地って、魔界のどの辺にあるの」
「観光街の南側周辺を含む一帯です」
「へぇ」
 何気なくうなずいたが、その意味に思い当たって、嫌な予感がした。
 それは、観光街の繁華街を含んでいるだけでは無かった。
 その一帯には、殿の城がある。
 それから、魔界で最も重要な、異界への穴も。

 戒能悠木奈の家は、市内の高級住宅地の中でも、目立つ場所にあった。
 大変な豪邸だが、実際の本家は、魔界を挟んで、県庁所在地のこの市とは反対側の港町にあって、ここは主に悠木奈と夫の時雄が住んでいるという話だった。
「別に、羨ましくなんかないからねっ」
 ハンドルを握って、鯖丸は変なツンデレになった。
「お茶をよばれて行けば、中も見れたのに」
 るりかは残念そうだった。
「茶なんか帰って飲めるだろ。家まで送ろうか」
 事務所はもう、終業時間で閉まっているはずだ。
「いえ…事務所まで原付で来てるから、それに乗って帰ります」
「じゃあ、俺も車置いて帰るから、事務所で解散な」
 後部座席の羽柴を振り返った。
「ジン君はどこで降ろそうか?」
「わしも一緒でええわ」
 魔界に住んでいるくせに、なぜかケータイは持っていて、割と慣れた手つきでメールを打っている。
「外のダチにしばらく世話になるつもりじゃ」
 外界にも知り合いは居るらしい。
 西谷商会の事務所で、三人は解散した。

 …はずだった。
 約一時間後、羽柴仁は鯖丸の家で晩飯を食っていた。
 有坂カオルは、明らかにヤクザ以外の何者にも見えない男に、不信感たっぷりの視線を注ぎながら、ごはんをよそって差し出した。
 表面上はにこやかだが、絶対怒ってる。
 連絡も入れないで、突然人を連れて来たせいなのか、連れて来たのがヤクザだったからなのか、怒りのポイントは判然としない。
 大体、ここに引っ越してから、引っ越し当日手伝ってくれた以外では、一番付き合いの長い友人の迫田だって、まだ遊びに来てもないのに、何でこのヤクザは、遠慮無くメシ食ってんだ。
 おまけにお代わりまでしやがって。
「いやーすんませんな、奥さん」
 羽柴は言った。
「うまいですわ、これ」
 頼むからこれ以上有坂を刺激しないでくれ…と、鯖丸は思ったが、その辺の誤解に関しては、有坂の反応は別に悪くなかった。
「友達と連絡付いたら、早く帰れよ」
 一応念押しした。
「家は貧乏だから、ヤクザを飼う余裕はないんだよ」
「魔法使いとして、腕は悪うないくせに、甲斐性ないのう、お前は」
「やかましい。今すぐ出て行け」
 もう、実は学生だとか説明するのもめんどくさい。
 ていうか、魔界で一回言った気もするが、二日酔いでよれよれだったせいか、憶えてないらしい。
 今頃になって回復しやがって、この極道は…。
「あの人、飼うの」
 有坂は、小声で尋ねた。
「そんな訳ないだろ。すぐ出て行ってもらうから」
 鯖丸も、小声で答えた。
「仕事関係で、ちょっと協力してもらったから、晩飯くらいは我慢して食わせてやってくれない」
 六畳1DKの部屋は、密談には向いていない。
「いやいや、心配せんでも、すぐ出て行きますわ、奥さん」
 羽柴は、満足そうに茶をすすってから、両手を合わせてごちそうさまと言った。
「外界の電気炊飯器で炊いた飯は苦手なんじゃが、これは本当にうまかったですわ」
 そりゃそうだろう。この家にある炊飯器は、ワンゲルの部室から勝手に持って来た、年代物の兵式飯盒なのだ。
 付き合い始めた頃は、これでご飯を炊けるのは鯖丸だけだったが、最近は有坂も使いこなせる様になっている。
 炊飯器以外にも、鍋として、ヤカンとして、食器として、大活躍だ。
 最も、当のワンゲルでは、もっと軽くて性能のいいコッヘルや、インスタント食品が普及して、飯盒はあまり使われていないのだが。
「この羽柴仁、一宿一飯の恩義は、決して忘れません」
「暗に泊めろと言ってるんだな」
「お願いじゃ、一晩だけ」
 拝まれた。
「どうする?カオルちゃん。嫌なら追い出すけど」
 一応聞いてみた。
 魔界での羽柴は、そこそこ強そうだったが、外界に出てしまえば、体格も一回り上で、剣道の有段者な自分が絶対有利だ。
 棒的な物を持っていたら、有坂にも軽く捻られてしまうだろう。
 魔界出身の、魔力の高い魔法使いは、案外外界ではもろいのだ。
「うーん」
 有坂は考え込んだ。
「一晩くらいなら、飼ってもいいかな」

 翌朝、本当に知り合いと連絡が付いたらしく、羽柴は出て行った。
「何があったの」
 特に秘密にする様な内容の仕事でもなかったので、鯖丸は全貌を有坂に話した。
 普通なら、そこまで詳しい話はしないのだが、有坂が事情を知りたがったのと、あと、一泊の仕事から戻って来たら、髪型が微妙に変わっていた理由も、説明しなければいけなかったのだ。
 自分的には、シャギーが入って軽い感じと、以前の伸ばしっぱなしの違いが分からないのに、有坂は眉毛を整えられたのまで気が付いていた。
 女って恐ろしい。
「今度見せてね。その、女の子になった所」
「嫌だよ」
 絶対お断りだ。
「そんな迷惑かけちゃったなら、羽柴さんにはもう少し親切にしておいた方が良かったかな」
「ヤクザには関わらない方がいいよ。一晩泊めたから、チャラだ、チャラ」
 それで、今度の仕事はお終いのはずだった。

 それから十日程、鯖丸は忙しかった。
 期末テスト直前の中坊に振り回されつつ、自分の論文に必要な実験の準備を整えていると、だんだん何をやっているか分からなくなって来る。
 週明けから一週間、倉田教授の研究室に泊まり込んで、学校とバイト先を往復し、机の下で寝る生活だった。
 翌週の早朝、イモ虫の様にシュラフにくるまったまま、カセットコンロで調理したおじやをぼんやり食っていた鯖丸は、こんな時間に鳴っているケータイを手に取った。
 一段落したから、今日は家に帰ろうと思っていた。
 そして、風呂に入って布団で寝よう。
 電話の相手はるりかで、シュラフから脱出している間に、切れてしまっていた。
 一緒に泊まり込んでいた篠原が、恨めしそうな顔で布団から顔を出した。
 同じゼミの同級生だが、シュラフではなくマイ布団を持ち込んでいる辺り、鯖丸より重症である。
「おじやか…」
 昨夜、二人で食った鍋の中身を、ちらりと見た。
「僕の分も、残しといて」
 言ってから、また寝てしまった。
 外へ出てかけ直すと、るりかはすぐに出た。
「先輩、大変なんです」
「俺だって大変だよ。何? こんな時間に」
 メシ食ったらもう少し寝るつもりだったのに。
「昨夜からメールしてたんですけど」
 篠原が、大型の工作機械を使っていたので、着メロには全く気が付かなかった。
 いくら大学の敷地が広くても、夜中にそんな事をしていたら、周辺住民から苦情が来るかも知れない。
「ジン君が魔界に戻りました」
「ふうん」
 心底どうでもいいという口調で、相づちを打った。
「そりゃ良かったね。じゃあ」
「待ってください」
 電話を切ろうとした鯖丸を、るりかは止めた。
「ジン君とは連絡取ってなかったんですか」
「君は取ってたの?」
「はい。メールのやり取りしたり」
 ヤクザ相手に、何普通に友達付き合いしてんだ、この娘は。
「親分さんが、浅間に捕まって、ピンチらしいんです。親分さん側に付いた組の人達も、一緒に捕まったり、魔界を追い出されたりして」
 義理堅い羽柴の事だから、助けに行ったのだろうが、多勢に無勢の分の悪い勝負になる事は、目に見えていた。
 ジン君も大変だなぁ…と、まだ多少寝ぼけた頭で考えた。
「だから、これから助けに行こうと思うんです。先輩も行きますよね」
「いや…何言ってるの、るりかちゃん」
 おかしな娘だと思ってはいたが、ここまでおかしいとは…。
「仕事に私情を持ち込むなよ。今度は何の依頼か知らないけど」
 いつもジョン太に言われている事を言ったが、自分でもこのルールを守れている自信は無かった。
 説教しているジョン太本人だってそうだし、トリコに至っては、積極的に破りに行っている節がある。
 まぁ、仕事の邪魔にならない程度に、こっそり加勢するくらいなら…。
「プライベートだから、何の問題もありません」
 るりかは言い切った
「私、今日はお休みなんです」
「はい…?」
 本当に、何を言ってるんだ、この娘は。
「先輩は、今日の予定、空いてますか」
「空いてはいるけど…」
 うっかり口を滑らせてから、否定した。
「いやいや、一週間泊まり込みだったんだよ。帰って寝る」
「ジン君、死んじゃうかも」
 感情面に訴えて来た。
 勝手に死ねと思ったが、確かに後味は悪い。
「一円にもならないのに魔界に入るなんて、あり得ねぇ」
「先輩の人間性はよく分かりました。私は一人でも行きます」
 うわー、待て待て。何言ってるの、こいつ。
「お前に何が分かるんだよ。俺は他人にかまってる余裕なんか…」
 一瞬躊躇ってから、決心した。
「分かった。どうやって魔界まで行くんだ」
「車で迎えに行きます」
 るりかは言った。
「先輩、西瀬戸大でしたね。十分後に正門前に居てください」
 ケータイを耳元から離して、ちらりと時間を確認した。
「分かった。六時四十二分に正門前だな」
 あわてて室内に戻り、シュラフを片付けて、デイバッグを肩に掛け、ジャージの上着を手に取った。
「篠原君、帰る。お先ー」
「ああ、お疲れ。また、バイト?」
 篠原は尋ねた。
「だったら良かったけど…」
 ラジオ体操のうららかな音楽が、周囲の住宅街から聞こえて来る。
 校内を突っ切ると、馴染みのある気持ちのいい音とかけ声が響いた。
 剣道部と柔道部合同の道場には、何人かの人影があった。
 こんな時間から朝練に出ている、熱心な部員が居るとは、意外だった。
 有坂に付き合って朝練に出ていた頃は、道場独占状態で練習出来ていたのだが。
 忙しいけど、たまには来よう。
 作法通りに脱いだ靴をきちっと揃えて、神棚に一礼してから、鯖丸は練習の手を止めて、礼儀正しく挨拶する後輩達に言った。
「済まん、ちょっと頼みがあるんだけど」
「何ですか」
 慌てた様子と服装から、別に自分の練習に来たのでも、後輩の稽古を指導しに来たのでもないと分かったらしく、不思議そうにこちらを見た。
「どっかに素振り用の木刀あっただろ。あれ、貸してくれ」

 十分後、ジャージの上下に、頭にタオルを巻いて、木刀をディバッグにくくりつけた不振人物が、西瀬戸大正門前に居た。
 巨大な外車の四駆が、正門前に乗り付けた。
 左ハンドルなので、歩道側の窓が開いて、巨大な車体に不釣り合いなるりかが顔を出した。
「先輩、乗ってください」
「何だ、この車」
 驚いてたずねた。
「俊君に借りて来ました」
 俊君ってだれだっけ…と、鯖丸は考えた。
 ええと…ああ、ハートさんがそんな名前だったな。
「よく貸してくれたね、こんな、訳分かんない事に」
 こんな車に乗っているのは、絶対マニアだ。
 型番は古そうな車だったが、中も外もぴかぴかだ。ぴかぴかの四駆っていうのも、どうかと思うけど。
「車は特に問題無いです。魔界でも動く機種ですし。危ないからやめろとは言われましたけど」
 ハートも、今は出張中だ。
 近くに居ないので止められなかったのだろう。気の毒に。
 巨大な四駆は、がおんと獣じみたエンジン音を響かせて、加速した。
 日本の道路事情には合っていない車だが、るりかの運転技術は、特に問題は無さそうだった。
「じゃあ、詳しい話を聞かせてくれるかな」
 鯖丸は言った。
「それ終わったら、向こうに着くまで、寝てていい?昨日あんまり寝てないんだ」

 驚いた事に、るりかはいつの間にか羽柴とアドレス交換していて、何度もメールのやり取りをしていた。
 若い女の子にはありがちだが、本気でどうでもいい内容だった。
 そのくせ、返信しないと怒り出すんだよなぁ…と、鯖丸は、女関係にやんちゃだった、過去の事を思い出した。
 昼に何食ったとか、映画見たとか、今退屈とか、いちいちそういう事を報告して来て、一体何の意見を求めてるんだ、全く。
 こんな男が、それなりに遊んでいた過去というのも不思議だが、珍獣として価値があったのかも知れない。
 羽柴は、我慢強いのか、こういうのが苦にならないのか、意外とメールのやり取りは普通に続いていた。
 しかし、一昨日辺りからメールの内容が一変していた。
 どうやら、魔界を追い出されて来た舎弟と兄貴分を匿う事になったらしい。
 詳しく書かれてはいないが、兄貴分に当たる男は、ひどい怪我を負わされているらしい。
 潜伏先を転々としながら、病院に見舞いに行ったついでに、院内の売店で発売日より一日早く週刊誌を手に入れたとか、割と明るい話題にしか触れていなかった。
 最後のメールには、親分が捕まって窮地に陥っている事と、魔界に戻るので、もう連絡は取れなくなる旨が書かれてあった。
 今までのフレンドリーなメールと違って、状況説明だけの固い内容だ。
 最後に、今まで、カタギの女の子とたわいもないやり取りをしたのは楽しかったと書かれていた。
「ダメだ、こんなメール書いたらもう、死亡フラグ立ってるよ」
 鯖丸は、一通り見終わったケータイをるりかに返した。
「だから、折りに行くんです」
「俺、他人のフラグ折れたためしがないんだけど」
「私は得意ですよ」
 るりかは言った。
「フラグクラッシャーと呼ばれています。恋愛シミュレーションもエロゲーも、クリアした事ないですから」
「エロゲーって、あの、前髪が長い男主人公に、妹百人が群がる様な、理不尽なゲームの事?」
 ちょっと興味があったので、聞いてみた。
「そういうぬるいやつじゃなくて、全寮制女子校に雇われた不細工なおっさんの用務員が、お嬢様を次々陵辱する様な感じの」
「女の子がそんなゲームやるなぁ」
 さんざん悪さをしてたくせに、まだ女の子に幻想があるらしい。
「今度貸してあげますよ」
 鯖丸は、否定しないで黙った。

 仕事以外で、魔界に入るのは初めてだった。
 倉田教授の使いっぱで何度か来たが、あれもまぁ、仕事みたいなもんだ。
 完全に私用なので、会社の備品は一切使えない。
 木刀を借りて来たのは正解だったと思ったが、使い慣れた刀の感触が無いのは、何とも頼りない。
「変装して行った方がいいかな」
 鯖丸は考え込んだ。
「先輩、自覚はないかも知れませんが、それ充分変装ですから」
 普段着の鯖丸に、るりかは言った。
「単なる普段着だろ。これが何の変装に見えるっていうんだ」
「ええと、気の毒な人…」
 継ぎが当たって、洗濯の頻度が違うので、上下で色が変わってしまったジャージ。わかめの様によれよれのTシャツ。洗い過ぎてぱりぱりになったタオル。穴だらけのスニーカー。気の毒な人フル装備だ。
「そのジャージ、秀峰学園の学校指定のやつですよね」
「あ、分かる?」
 何年も前にモデルチェンジしたから、バレないと思っていたのに。
「同年代ですから」
「気の毒だと思ったら、こんな事に巻き込まないでくれよ」
 本気で言っている。
「ジン君はもっと気の毒な事になってますよ。利用しておいてポイ捨てはひどいです」
 それを言われると、気が咎める。
「分かったよ。何か作戦あるの」
「ありません」
 るりかは言い切った。
「そういうのは、人柄に欠陥がある先輩の方が、得意かと思って」
「お前の人柄も、相当問題あるぞ」
 お互い様だ。
 二人はしばらく黙り込んだ。
「あんまりこういうのは、やりたくないんだけど」
 鯖丸は言った。
「俺とるりかで、ガチで殴り込みすれば、済む事なんじゃない?」
 るりかの実力は、もう分かっていた。
 たいがいの相手は、力押しでいける。
「どこへ行けばいいか、分かってる?」
 聞いてみた。
「ええ、ジン君にそれとなく聞いてますから」
 るりかはうなずいた。

 るりかが案内したのは、観光街だった。
 中心からはだいぶ外れた場所で、うらぶれた飲み屋と食堂が、中途半端に和風な町並みの中に点在している。
 政府の肝入りで始めた、昔の町並みを再現した観光街が見事に大失敗した後、節操のない遊興地として発展した中心地からは取り残され、町並みの景観を維持するにも補助金も打ち切られて、ただの変な町になってしまっている。
 老朽化した時代劇の様な建物を、最近の建材で補修した店先に、けばけばしいプラスチックの看板が掛けられていたり、江戸時代の薬問屋を模した薬局の前に「笑っていいかな」のグラサンのタレントが、強壮ドリンクを持って微笑んでいるポスターが貼られて、ゾウのマスコットが立っていたり。
 無茶な景観だが、あと数十年したら、味が出るかも知れない。
 蒲生組の組事務所と主な縄張りは、この周辺だった。
 あんまり儲からなそうだな…と、狭い道を歩きながら鯖丸は考えた。
 工業街で、場末ながらも海沿いの地区を押さえているから、密輸関係でどうにかやって行けているのだろうが、ヤクザとは云え組の経営は苦しそうだ。
 浅間においしい話を持ちかけられたら、乗ってしまうのも納得出来る。
「ちょっと様子を見て来ます。私の方が、見た目警戒されないですから」
 るりかは、キャスター付きバッグから、何か取り出して、パーカーの下に仕舞った。
「るりかちゃん、それは何かな」
 鯖丸はたずねた。
 下手に武器なんか持っていたら、捕まった時かえって怪しまれる。
「ええと…魔法のステッキです」
「世間ではこれを、特殊警棒って言うんだよ。うわ、こいつスタンガンまで持ってる。バカじゃねぇの」
「ギミックを作るには、素材が必要なんです。放っといてください」
「俺が見て来るよ。荷物持ってて」
 ディバックと木刀をるりかに預けて、鯖丸は組事務所の裏手に回った。
 二階建ての建物は、以前は普通の民家だったらしく、玄関があって、窓からは畳の部屋が見えた。
 しばらく、板を組んだ塀の隙間から中の様子を伺ったが、人影はない。
 外からは見えない部屋に、誰かが居る気配はあったが、静かで、話し声も聞こえなかった。
 重力操作で二階まで飛び上がり、窓から中をのぞいた。
 中は無人で、テーブルの上には、花札と飲みかけの酒が入ったグラス、それに、何か良くない感じの包みが、散らばっていた。
 留守番を残して、出払っている様子だ。
「あー、ジン君とこ、お薬も扱ってたのか」
 拳銃の密輸が主な商売だったはずだが、まぁ、あり得る事だ。
「商売もんに手を出すなんて、なってないな」
 最近の流行は知らないが、よくある錠剤タイプのドラッグだ。それ程強い薬でもないだろう。
 屋根から降りて、るりかの所に戻った。
「ここには居ないみたいだ。留守番は居るから、行き先を聞いてみよう」
「分かりました」
 るりかは、普通に玄関の呼び鈴を押した。
「わぁ、何やってんの」
 やめとけばいいのに、組事務所に残っていた男も、普通に応対に出て来た。
「羽柴君の行き先を知りたいんですけど」
 るりかは言った。
「何じゃお前は」
 男はすごんだ。
「ちゃっちゃと言えー!!」
 仕方ないので、鯖丸が殴り込んだ。
 魔法を使うまでもなく、木刀一本でぼこぼこである。さすが武藤君、ヤクザくらいなら素で勝てる。
「誰じゃぁ、お前は」
 一応、極道としてのメンツがあるのか、男は口を割らなかった。
「この人は、羽柴君の彼氏で、マキオ君です」
 るりかが、とんでもない話をでっち上げた。
「早く白状しないと、何をされるか分かりませんよ」
「何をされるんだ」
 ヤクザは尋ねた。
「それは、口では言えない様な、色んな事です」
 少し俯いて、ぼそっと言った。
「お気の毒に」
 俺は一体、何をするんですか、るりかちゃん。
 ていうか、その路線で、木刀でボコるよりひどい事と云ったら、他にないだろう。
「犯しちゃるー」
「ひぇぇぇぇ」
 服をむしられた男は、悲鳴を上げた。
「助けてぇぇ、大オカマに掘られる」
「俺の路線は、これでいいのか」
 鯖丸は、自問自答した。
「ダメです。先輩はBLを分かってない」
 分かってどうするんだ。
 とりあえず、ボコったヤクザの首根っこを掴んで、悪い顔で凄んだ。
「大人しく口を割らないと、肛門科の診察券、三枚ぐらい持ち歩く様な体にしてやるぞ」
 脅し文句が怖かったのか、単にこれ以上木刀で殴られたくなかったのか、男は案外素直に、羽柴の行き先を吐いた。

「ああ…嫌な方向にダーティーなキャラになって行く俺…」
 町外れに向かって歩きながら、鯖丸はぼやいた。
「元からそんなじゃないですか」
 るりかは言った。
「うん、もうどうでもいいや」
 教えられた場所は、観光街の外側だった。
 町の外に広がる田園地帯が見渡せる場所に、古い一軒家が建っている。
 観光街にある、わざと作られた日本建築ではなく、本当に古い時代からある、大きな建物だ。
 表札は戒能となっていたが、別に驚かなかった。
 悠木奈が言っていた、浅間の欲しがっていた土地は、この辺りだ。
 間近に、殿の城が見える。
 魔界の宅配を、専門のバイトに任せる様になってから、殿には会っていなかった。
 相変わらず、昔のカラオケや、訳の分からないガラクタの宅配が時々入っているので、城に居る事は居るのだろう。
 浅間がこの周辺の土地を手に入れて、好き勝手な振る舞いを始めたら、殿も黙っては居ないと思うが、浅間の企みも、異界人である殿の反応も、今の所予想も付かなかった。
 今日の所は、羽柴を救出して帰るだけだ。
 それ以上の事をするつもりはない。
 るりかが何か言い出しても、それ以上首を突っ込むのはごめんだ。
 本当なら今頃、家に帰って有坂が作ったご飯を食べて、ゆっくり風呂に入っていたのに…。
 たいがいおかずは、近所の小さいスーパーで買った、得体の知れない地物の安い小魚を炊いたやつで、正直あまり好きでもないのだが、今は妙にあれが食いたい。それから…
 妄想がすけべな方向へ向かったので、しばらく楽しんでから修正した。
「ジン君助けたら、すぐに逃げるからな」
 るりかがまた、変な事を始めない内に、念を押した。
「殴り込む前に、逃げる準備しとこう。車、ここまで持って来て」
「分かりました」
 るりかは、ポケットの中に手を入れて、キーの感触を確かめた。
「それと、腹減った。何か買って来て」
 早朝に、おじやをちょっと食べただけで、もう昼時になっている。
 るりかも、朝は抜いたか、何かつまんだ程度だったらしく、うなずいた。
「金持ってないからおごって」
 臆面もなく言い切った。
「わぁ、先輩かっこいい。男の人って、中々そういう事言えませんよ」
「無いものは無いんだよ」
 格好を云々言っている場合ではないのだ。
「私もあんまりお金無いんですけど…」
 るりかは言った。
「イベントで本買い過ぎちゃって」
 どういう本を買ったのかは、聞かない方が良さそうだった。
「うーん、でも、他ならぬ先輩の頼みです。大盛りで卵も付けましょう」
「やったー、牛丼だな。すっごい久し振り」
 大学に入った頃は、牛丼屋でバイトしていたので、一日二食牛丼という、キン肉星の王子の様な食生活だったが、ここ数年一口も食ってない。
 魔界の中までチェーン展開している、命知らずな老舗が、観光街の中にあったはずだ。
「じゃあ、行って来ます。これ、持っててください」
 キャスター付きバッグを渡された。
「気を利かしてつゆだくとかにしないでね。普通の大盛りで、七味忘れずにもらって来て」
「分かりました」
 るりかは、さくさくと観光街に消えた。

 大型の四駆が、郊外に派手なエンジン音を響かせた。
 さすがに、目立つ事が分かっているのか、るりかはだいぶ手前で車を止め、魔方陣で隠した。
 農作業用に作られた東屋に座って、二人で牛丼を食いながら、話し合った。
「向こうは、分かってると思うけど、俺の本名を押さえてる」
 それが無かったら、問答無用で即座に殴り込んでいた。
「浅間側に回ってる蒲生組の奴らも、全員知ってると思って、間違いない」
「有名人は辛いですね」
 るりかは言った。
「私も、先輩の本名は知ってますから、押さえられた側から解除しますけど、まず、先輩だって分からない姿になった方がいいですね」
「また鯖子?」
 牛丼をかっこみながら、鯖丸は不満そうに言った。
「そりゃ、魔法整形苦手だから、安定して変われるのって、あれと鬼丸しか無いんだけど…正直、おっぱいでか過ぎて暴れにくい」
「贅沢な悩みですね」
「女のアスリートが皆、ぺったんこな理由を冷静に考えろよ。尻みたいな乳ぶら下げて、機敏に動けるか」
「黒岩先生は、邪魔じゃないんですか」
 突っ込んだ事を聞かれた。
「いやいや、そんなAカップとFカップみたいな違いはないからね、あれ。何を期待してるか知らないけど」
「だって、すごいってジン君が」
「お前、俺に見せてないメールがあるな」
「当たり前です。プライベートなメールもありますから」
 るりかは言った。
「まぁいいけど…」
 とりあえず、牛丼を食い切ってしまう事に専念した。
「おっぱいは我慢してください」
 るりかは、思い切った事を言った。
「この事あるのを予想して、26センチの靴を、借りて来ました」
 何でも出て来るキャスター付きバッグから、スニーカーをを取り出した。
 ヒールのある靴だと、本気で転けそうだし、このままの靴だと、変身した後サイズが合わないので、それは有り難い。
「服装は、私がギミックを作りますから」
「ギミックって、何なの」
 鯖丸は聞いた。
「最近、プレイヤーの間で流行ってる魔法です」
 やっぱりるりかはプレイヤーだったのかと思った。
 魔界には慣れているし、全く物怖じしていない。
「プレイヤーとオタク層は、けっこう重なるんですよ」
 初めて聞く様な事を言われた。
「物質操作系の魔法で、着用している服や装備から、全く違った外見と機能を作ります」
 そういう魔法については、理解出来る。
 要は特化した物質操作系だ。
「先輩は、女の子になってくれるだけでいいんです。後は私がやりますから」
 こんな私事で、危険な状況に自分を追い込む訳にはいかないし、正体がばれて会社に迷惑を掛ける訳にもいかない。
「分かった。とにかく、安全第一で、素早く事態を収拾出来るなら、文句は言わないよ」
 るりかが気を利かせて、牛丼と一緒に買って来てくれた茶を飲んでから、鯖丸は靴を脱いで、東屋の板張りの床に正座した。
「じゃあ、変身するから、思い切ってやっちゃってくれ」

 思い切った姿の二人が、戒能邸に向かっていた。
 ひらひらでちゃらちゃらの魔法少女と、むちむちでぱっつんぱっつんの悪の女幹部だ。
「釈然としない」
 鯖丸は言った。
「俺、何で悪側?」
「巨乳だからです」
 るりかは、世界中の巨乳女子を敵に回す様な事を言った。
「あと、そんな身長で、魔女っ娘は無理ですし」
「身長ぐらい変えてくれよ」
 鯖丸は文句を言った。
 元の体格よりは、だいぶ小さくなっているが、それでも170センチはあるだろう。
 両親とも背が高かったし、成長期に地球に来た事を考えると、本当はもっとでかくなっていた可能性はある。
 何か、身長の割に手足がでかいし…。
「それは無理ですよ」
 ひらひらの魔法少女に変身したるりかは言った。
 以前見た時は、黄緑色だった髪の毛が、今日は水色になっている。
 日によって違うらしい。
「大きさは変えられないですから」
「魔法って不思議だなぁ」
 今更そんな事を言うのも、どうかと思うが。
 大体、普通の魔法整形なら、大きさは変えられる。その代わり他人には使えない。
 物質操作系だと言っていたのも、納得だ。
「これ、今まで通り魔法とか使えるの?」
「問題ないです」
 るりかは言った。
「変わったのは見た目だけです。本当は色々変えるんですけど、先輩は基本能力が高いから、いじらない方向で」
「こんなギミックに魔力無駄遣いして、大丈夫なのかよ」
「全然」
 問題ないらしい。
「それと、露出多すぎじゃね?」
「生乳生足は、悪の女幹部の定番です」
 そんな定番、初めて聞いた。
 気の毒なジャージが、特撮物の衣装みたいになっている。
 頭に付いている、防御力の低そうなアーマーは、きっと粗品のタオルだ。
 木刀も、何だか伝説の剣みたいな外見になっている。
 若干不安は残るが、動き回るのに全く不自由はなかった。
 逆に言うと、見た目はアーマーっぽいが、防御力はジャージ並みだという事だ。
 RPG風に言うと『きのどくなぬののふく』『かわいそうなかぶと』『樫の棒』。レベル1の装備だ。
「ああ、何かもう、色々不安」
「じゃあ、元に戻しますか」
 るりかは聞いた。
「それも困るな」
 大きな門の前まで来てしまった。
 門構えにまで、瓦葺きの屋根が付いた昔の豪邸だ。
 門自体は、土壁ではなく木で出来ていて、向こうからのぞく手入れされた庭木が、広い庭がある事を暗示している。
 門はしっかり閉じられていたが、横にある通用口は、手で押すと開いた。
「広っ」
 一目見て、鯖丸はつぶやいた。
 戒能家は元々、ここが本家だったのかも知れないと思わせる様な、手入れの行き届いて年季の入った邸宅だった。
 素晴らしい日本庭園には、お金持ちの定番、錦鯉の泳ぐ池がある。
「入りますか」
 るりかは聞いた。
 そりゃ、入って行かなければ始まらないが、出来ればこっそり忍び込みたい。
「これ、忍者服とかに変えられないの」
 一応聞いてみた。
「意外と形から入るんですね」
 るりかは言った。
「忍者服は、地味だから嫌です」
「派手な格好で忍び込んで、どうするんだよ」
 裏口を捜そうと思ったのに、るりかはずかずか庭へ踏み込んだ。
 こいつ、本気でいいかげんにしろ。そして、俺もそろそろ学習しろ。
 るりかの首根っこを捕まえて、植木の陰に引きずり込んだ。
 変身したせいで、お目々もぱっちりで、子供っぽい顔になってしまったるりかが、こっちを見上げた。
 かなり可愛いが、少女がストライクゾーンに含まれていない鯖丸は、無感動だった。
「事を荒立ててどうするんだよ。こっそり捜せ、このバカが」
 とうとう、面と向かって平然とバカ扱いだ。
「こんな広い家、捜すのめんどくさいじゃないですか。暴れたら向こうから出て来ると思って」
 ダメだこいつ…事を荒立てる気満々だ。
「それに、ぐずぐすしてたら、ジン君の指とか無くなったりするかも」
「首が付いてりゃ、大丈夫だろ」
 ひどい事を言い始めた。
「付いてるといいですね、首」
 いくら浅間でも、そこまで無茶苦茶はやらないと思うが、ちょっと心配になって来た。
「分かった、じゃあ行こう。ただし、なるべくこっそりな」
 二人は、かさこそと中腰で建物に忍び寄った。
 広い庭に面した縁側からは、建物の中が見えるが、障子戸が閉められて、それ以上奥は覗けない。
 トリコが一緒ではないので、透視も中途半端にしか使えなかった。
 家が広すぎて、全然役に立たない。
 周囲には、動く物の気配は無かった。
 魔力の流れも、感知出来る範囲内では感じられない。
「入ろう」
 踏み石を踏んで、縁側に上がろうとする真横から、突然声が聞こえた。
「靴は脱いでよね」
 鯖丸とるりかは、その場で止まった。
 縁側の隅に、きっちり和服を着たサキュバスが正座して、渋茶をすすっていた。
「出た…」
 鯖丸は引きつった顔でサキュバスを見た。
 今まで、全然視界には入らなかったし、気配も感じなかった。
 エロ系以外にも、特殊能力があるのかも知れない。
「また、あんた達なの?」
 サキュバスは、うんざりした顔で、二人を見た。
 あっさり正体がばれてしまっている。
 二人は、顔を見合わせた。
「大声出される前に、やっちゃいましょう」
 るりかは、魔法少女の外観からはほど遠い事を言いながら、魔法のステッキを振り上げた。
 見た目はファンシーだが、本質は特殊警棒だ。
「やめてよね。今日は別に、邪魔するつもりも無いから」
 渋茶をすすりながら、和菓子をつまんでいる。どこのオババだ、あんたは。
「帰ったばっかりなのに、また家出したのかよ」
 鯖丸は聞いた。
「ここ、自分家なんだけど」
 サキュバスは言った。
「あんたに言われた通り、旦那を説得してね。行き先がここなら、魔界に入ってもいいって」
 工業街と違って、周囲百メートル以内に民家もないし、知り合いも少ない。実害は少なそうだ。
「ま、お父様は怒ってる訳だけど」
「ダメじゃん、それ」
 サキュバスの親子関係や夫婦関係は、よく分からなかった。
 我ながらひどい過去だと思うが、少なくとも家族関係に関しては、サキュバスより余程幸せな境遇らしい。
 悪さをすれば怒られて、普段はきっちり可愛がられる、普通の親子だったし。
「あの人は、何言っても聞かないから、いいのよ」
 サキュバスは、ため息をついた。
「ところで、何しに来たの?あんた達」
「いや、ジン君…羽柴が、死亡フラグ成立みたいなメール寄越すから、助けに来たんだけど」
「仕事でもないのに、わざわざ…?」
 サキュバスは、眉をひそめた。
「お友達なの?」
 鯖丸は違うと否定したが、るりかはうなずいた。
「ジン君は大事なお友達ですよ。邪魔をしないって言うなら、貴方の事は構いませんけど」
「そう、大変ねぇ」
 サキュバスは言った。
「じゃあ、早く行かないと、浅間に消されるかも」
「ええっ、本当にそんな大事になってんのかよ」
 内心、ヤクザ仲間にしばかれる程度だと思っていた鯖丸は、聞き返した。
「だって私、ここでこんな風にのんびりしてるけど、実質浅間の人質だもの」
「それは自主的に?」
 一応聞いた。
「まぁ、半々かな」
 そう言いながらも、サキュバスは平然と茶を飲んだ。
「じゃあ、人質確保」
 鯖丸は、サキュバスの腕を掴んだ。
「言っとくけど、体だけ女の子にしても、あたしの魔法は効くわよ」
「げっ、やっぱり…」
 鯖丸は、手を離して飛び下がった。
「あんた達が捜してるジン君とかは、味方と一緒に土蔵に居るわ」
 サキュバスは、庭の向こうを指差した。
「本名押さえられて、無事に帰れるとは思わないけど、まぁがんばってね」
 ひらひらと手を振った。
「その、魔法整形は解かない事ね。見破る能力者は、あいつらの中に居ないから」
「分かりました。ありがとうございます」
 るりかは、律儀に礼を言った。
「俺らがこんな事やってんの、会社の皆には言うなよ」
 鯖丸は、一応口止めして、土蔵へ向かうるりかの後を追った。

 時代劇に出て来る様な土蔵が、敷地の奥にあった。
 頑丈そうな壁と戸が、がっちり中と外を隔てているが、高い場所にある小さな窓は、開いていた。
 庭木に飛び上がり、中を覗いたが、昼日中の日差しに慣れた目には、薄暗い内部は良く見えない。
 ただ、隅の方に灯された明かりの下には、何人かの人影が確認出来た。
 座り込んでいる者と、囲む様に立っている者に分かれている。
 あんまり、楽しい状況では無さそうだ。
 薄暗い土蔵の中からは、明るい外がはっきり見えるはずだ。
 ちらりと確認だけした鯖丸は、すぐに木から下りた。
「忍び込める様な状態じゃないな」
 るりかに言った。
「正面から行こう。そういうの好きだろ」
「そうですね」
 るりかはうなずいた。
「入り口を派手に壊してもらえますか。私は、正面から目立つ様に踏み込みますから、先輩はあの窓から入って、ジン君の安全を確保してください」
 るりかがそうとう危険になる作戦だ。
「男前だな、君は」
 しまった、内心ちょっとかっこいいと思ってしまった。
「じゃあ、行きます」
 るりかは身構えた。
 入り口を壊す為に木刀を構えた鯖丸は、ふと気が付いて言った。
「こっそり忍び込むのに、俺、何でこんな派手な格好なんだよ」

2009.11/2up










後書き
 鯖丸が、一銭にもならない事をする。画期的。
 るりかって何か好き嫌い別れそうなキャラだとは思うんですが、出番を重ねて行く内に、じわじわ好かれて行くといいな…と、希望的観測をしつつ続く。

次回予告
 後は、るりか大暴れ、その後外界に帰ってからの話なんで短いです。
 有坂とケンカした鯖丸が、人生の重荷…というか、具体的には冷蔵庫を背負って歩くはめに。
 米も運ぶぜ。

最後に、三匹ぐらいが斬る!! back next

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