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大体三匹ぐらいが斬る!! back next

登場人物

武藤玲司(鯖丸) 貧乏な大学生。バイトだが魔力は異常に高い。

ジョナサン・T・ウィンチェスター(ジョン太) NMC中四国支所の社員。犬型ハイブリット。魔法は使えないが、素で強い。

吉村美津子(みっちゃん) ジョン太の嫁。ベテランのナース。名字は違うが、入籍はしているらしい。

吉村拓真 ジョン太の息子。桜下小学校二年四組。達観した小学生。割と美少年。

吉村美織 ジョン太の娘。三歳。椿幼稚園うさぎ組。

所長 NMC中四国支所の所長。元ヤンでレディースの総長だったらしい。

松吉 魔界の山間部にある民宿松吉の経営者。縄手山観光協会会長。

ますみちゃん 魔界の村の少女。かまいたちを見たショックで、口が利けなくなっている。

ハザマ 魔界の医者。変な人だが腕はいい。某有名無免許医から名前を取ったと思われるが、医師免許は持っている。

山本弘 鯖丸の友人。ワンゲルに所属。学校より山に居る事が多い。

迫田宗光 鯖丸の友人。剣道部の同輩。

溝呂木雅之 剣道部の監督で、鯖丸の師匠。

エンマ NMC関西本社の社員。火炎系の魔法が得意。

上方ハルオ・ヨシオ NMC関西本社の社員。冷気系の使い手。本業はお笑い芸人だが、あまり売れてはいない。

斑と平田 NMC関西本社社員。中四国支所から出向という形になっている。スパイダーネットを操る夫婦コンビ。

暁 その内出て来るかも知れない予定。

大体三匹ぐらいが斬る!!

2.ジョン太(前編)

 白い部屋の中央を、数人の人間が囲んでいた。
 医者が一人で、看護師が一人。残りは軍人で、軍服をきっちり着込んだ、将校クラスの人間も混じっている。
 人の輪の中に、車イスに乗った男が居た。
 拘束衣を着せられ、うつろな目で皆を見上げている。
 普通の人ではなくハイブリットだ。
 原型に近いタイプで、元々は毛皮に覆われていたはずの皮膚は、まばらな毛が生えただけでむき出しになっている。
「君は良くやってくれた、ウィンチェスター中尉」
 将校は、静かな声で言った。
 優しい口調だった。およそ、軍人が下の階級の者に話しかける調子ではない。
 子供に言い聞かせようとしている様にも聞こえた。
「誰も君を責めてはいない」
 隣の女性士官が、やはり静かな口調で話した。
 刺激するのを恐れている様にも聞こえる。
「子供の両親は、あなたを告訴しないと言っています。あれは事故だったと…」
 男の顔に、ゆっくりと表情らしき物が浮かんだ。
 拘束衣に包まれていても分かる程痩せこけた体が、かすかに震えた。
「あの事故は公表されない。君は研究者コロニーを救った英雄だ。回復したら、二階級特進で復帰出来る。
 残念だが、もし退役したいなら、傷痍軍人としてそれなりの補償を…」
「うるせぇ、黙れ」
 吠える様な声で、男は怒鳴った。拘束衣に包まれた体を、渾身の力を込めてよじった。
 痩せ細った体からは信じられない力で、拘束衣の頑丈な革ベルトが二つ、はじけ飛んだ。
「吉村君」
 医者が、隣の看護師に目配せした。
「はい」
 女の看護師は、車イスの男に近寄り、首筋にハンドガン型の注射器を押し当てた。
 軽い音と共に、薬液が注入された。
 男は止まらなかった。
「子供が死んだんだぞ。俺が殺したんだ。無かった事にするのか」
「不幸な事故だ」
 将校は言った。
 男は、叫び声を上げた。暴れながら拘束衣を引き千切り、車イスと一緒に床に倒れた。
 人々は、一様に一歩、後ずさった。
「今の薬は効かないのか」
 将校は、医師にたずねた。
「その内効きます。今、これ以上強い薬品は使えません」
 医師は、眉間にしわ背寄せて、将校に責める様な視線を向けた。
「もっと回復してから、話し合う訳にはいかないんですか」
「私もそうしたいが…」
 将校は、ため息をついた。
「いや…そうだな。話し合いが出来る状態ではない。上にはそう報告する」
 男は、倒れたまま床の上で身をよじった。
「まだ七歳の子供だ。何でだよ。何で俺を庇う」
 叫び声は、すすり泣きに変わっていた。
「もう無理だ。殺してくれ。誰か俺を殺してくれよ」
 泣き声はやがて静かになり、男は床に横たわった。




 鯖丸は、新しく借りたアパートの一室で、バイトの呼び出しメールを受け取った。
 六畳一間、風呂無し、便所共同で築四十年の木造アパートだったが、住む場所が出来ただけで有難かった。
 半年以上、住所不定学生としてワンゲルの部室で暮らしていたので、とうとう周囲には部員だと思われてしまった。
 ついに本物の部員として、試合にまで出される始末だったが、本来所属している剣道部の主将は、黙認してくれた。
 親兄弟も親戚も居なくて、学費はともかく生活費は誰にも頼れない事は、部の人間は皆知っていた。
 住所不定なのに学校に居られたのは、ワンゲルのおかげだ。
 ただ、山登りにも試合がある事は驚いていた。
 ワンゲルとの兼部は、足腰の鍛錬になるだろうと言われた。
 低重力の地球外コロニーで育って、筋力や骨格の強さにコンプレックスのある鯖丸には、重力に逆らうスポーツは、割と心地良かったので、続ける事にした。
 もちろん、優先順位としては、学業、剣道、バイト、ワンゲルだが。
 そんな、順位では三位のバイトだが、実際の生活では、一番重要だった。
 時給がすごく高いので、月に二、三度仕事を受ければ、それでどうにかやって行けたのだ。
 ただ、一回というのが何日かに及ぶ事は良くあって、その度に講義を受けられない理由を説明したり、代返を頼んだり、レポートを提出したり、様々な苦労はあった。
 屋根のある場所で暮らせて、ご飯も食べられるのだから、文句は言えない。
 メールは、上司で相棒のジョン太からで、明日から十日くらい来られないかという内容だった。
 冬休みなので、日程は空いている。
 早速、明日から入れるというメールを送り返した。

 約束の時間は、めずらしく早朝だった。
 もちろん、社員のジョン太は、毎朝会社に出勤し、現場以外のデスクワークもこなしていたが、バイトの鯖丸が係わるのは、現場だけだった。
 たいがいは、昼頃からの行動が多い。
 会社に寄らないで直に出るから、家まで来て欲しいと書いてあった。
『朝飯は、家で食ってけ』
 ジョン太は、魅力的な提案をした。
 ジョン太の住所は、鯖丸の住んでいるぼろアパートの残った旧市街より、幾分現場の魔界に近かった。
 中心街に近く、そこそこのマンションや住宅が集まっている場所だ。
『行きます。朝イチで行きます』
 鯖丸は、張り切ってメールを送り返した。 

 始発電車も、まだ動いていなかった。
 地方都市の交通網は、現在でもそんなに整備されているとは言えない。
 タダメシを食う為なら、どんな努力もいとわない鯖丸は、トレーニングがてら走って行く事にした。どうせたったの四キロだ。
 ジョン太の家は、中心街のマンションで、新しい建物ではないが洒落た作りになっていた。
 呼び鈴を押すと、早朝なのにジョン太はすぐ出た。
 小脇に泣き叫ぶ幼児を抱えて、その口に歯ブラシを突っ込んでいる。
「おう、良く来たな」
 言うなり幼児を押しつけられた。
「悪いけどそいつの歯、磨いといて。すぐメシにするから」
 さっさと奥に引っ込んでしまった。
 泣き叫ぶ幼児を抱えたまま、おろおろしていると、反対側のドアから、子供が出て来た。
 小学校低学年くらいの男の子で、ハーフの様な顔立ちをしていて、髪も少し茶色っぽい。すごく可愛い子供だ。
 ただ、目鼻立ちや耳の形が少し普通の人とは違うので、ハイブリットだという事が分かった。
 たいていのハイブリットは、この子の様な外見だ。普通の人間と見分けが付かない者も多い。
 戦後の混乱期に混血が進んでしまったので、原型に近いジョン太の様なハイブリットの方がめずらしいのだ。
 子供は、しばらく不思議そうな顔で鯖丸を見てから、何かを思い出したらしかった。
「あ、今日家で朝ご飯を食べて行く武藤君だね」
 タメ口だ。
「僕、吉村拓真。桜下小学校二年四組」
「西瀬戸大理工学部二年の武藤玲司です」
 小学生のどうでもいい自己紹介に付き合う鯖丸だった。
 その間も幼児は泣き続けている。
 吉村拓真は、手を伸ばして幼児を抱き下ろした。
「この子は美織。三歳。椿幼稚園うさぎ組」
 どうしても所属を明らかにしたいらしいが、どうでもいいので名前と年齢だけ記憶に留める事にした。
「父さんが、武藤君はけっこういい子だって言ってたけど、思ったより大人なんだね」
「まぁ、君の父さんよりは子供なんだけど」
 やっぱりジョン太の子供らしい。名字が違う理由は、何だか聞き辛かったが、拓真は美織の手を引っ張って洗面所に連れて行きながら、どんどん家庭の事情を暴露してくれた。
「父さんて、ちょっと変でしょ?見た目じゃなくて、中身も」
「うーん、まぁ、いい人だけど、変と言えば変かな」
 あいまいに返事をした。
 自分が子供だった頃を除けば、子供と接した事も無いので、どう反応すればいいのか分からない。
「日本では、母さんの姓を使った方がめんどくさくないから、吉村なんだ、僕達。
 何かこだわりなさ過ぎだよねぇ。近所のおばちゃんに、リコンしてるのとか聞かれて、困るし」
「お母さんとは、一緒に住んでるの?」
 変な心配が心を過ぎったので、聞いてみた。
「当たり前じゃん。今日は夜勤明けだけど、もうすぐ帰って来るよ」
 何だかすれ違いが多くて大変そうだ。
 バイトの自分でも、魔界に潜りっぱなしの日が続くと、携帯も使えなくて、けっこう友達付き合いに支障を来す。
 夫婦だったら、もっと大変そうだ。
 洗面所へ行くと、美織は自主的に歯を磨き始めた。
 磨き残しを手伝って、口をゆすがせた頃、ジョン太がメシが出来たぞと、呼びに来た。
 ああ、こういうのが、普通の家庭なんだろうか、…と、鯖丸は思った。
 両親の夫婦仲は良かった。かなり良好だった。
 大規模ステーション建設の為に設置された技術者のコロニーで、皆忙しかったから、地球上の家庭とはかけ離れていたが、それでも愛情はたっぷり注がれて育った。
 変な宗教観を持ったテロ組織に全滅させられなければ、今頃は軌道上で両親の仕事を手伝っていたはずだ。
 ただ、地球に来てから、普通の家庭には接してないので、今ひとつ普通が分からない。
 俺はこの先、普通の家庭を持てるんだろうかな…と、鯖丸は考えた。
 二三秒考えて、少し絶望した。

 鯖丸の絶望をよそに、朝食はものすごく美味しかった。
 ジョン太は、いわゆる『料理の上手い男』だった。
 単に上手いだけでなく、後片付けもきちんと出来る万能タイプだ。
 更に、家事全般そつなくこなせるらしかった。
 奥さんの顔を見てみたかったが、時間が来たので、家を出る事にした。
 エレベーターの前に立った時、ドアが開いて、疲れた顔をした女が出て来た。
 ジョン太と目が合うと、太い首に抱きついた。
 ジョン太は、誰はばかる事なく女と長い時間キスしてから、鯖丸の方を向いた。
「みっちゃん…ええと、嫁の吉村美津子。こいつ、鯖丸な」
「あの…サバです」
 うろたえた挨拶しか出来ない。
「ああ、武藤君。もっと子供かと思ってた」
 反応が息子の拓真と同じだ。
「今度十日くらいかかるんだ」
 ジョン太は説明していた。
「うん、いいけど帰る時は、連絡してね」
 二人はもう一回抱き合ったので、鯖丸は身のやり場が無くて、先にエレベーターに乗った。
 強引に閉じようとしているエレベーターのボタンを押しながら待っていたら、みっちゃんがこっちを向いた。
「ごめんね。この人と付き合うの、大変でしょ」
 別に全然大変じゃない。むしろ楽な方だ。
「大丈夫です」
 がっつり強気で答えた。

 ゲートまでは鯖丸がハンドルを握った。
 免許を取って数ヶ月しか経たないのに、鯖丸の運転技術は、若葉マークの付いたマニュアルの四駆を、コンビニのおにぎりの包みを解体しながら転がせる程上達していた。
「まだ食うのかよ」
 付き合いで買ったカフェラテをストローで吸いながら、ジョン太は呆れた感じで言った。
 さっき自宅で、炊飯器が空になるまでメシを食っていた奴の所行ではない。
 更に、おやつのまるまるバナナの袋まで、開け始めた。
 まぁ、食べ盛りだからなぁ…と、ジョン太は思った。
 少し前に二十歳になったばかりだし、けっこう本気で剣道をやっている様子だし、男の方が成長期が終わるのが遅いから、まだ少し背が伸びるかも知れないし。
 昔の自分がどんなだったか、明確に思い出せなくなっているのが少しショックだったが、大体こんな風だった気もする。
 すっかり、中年のおっさんになってしまった。
 今の方が幸せなので、特に不満な訳ではないが…。
「鯖丸。お前、動物は好きか?」
 仕事の話を始めた。
 鯖丸は、まるまるバナナをくわえたまま、困惑した顔でこちらを見た。
 犬っぽい外見のハイブリットに聞かれたら、どういう内容の話が始まるか、判断出来ないのだろう。
「いえ、特に好きとか嫌いとかは…。動物に触った事も、あんまりないので」
 地球外のコロニーで生まれ育ったら、大体そんなものだろう。ペットや食料で飼われる動物も宇宙には居るが、低重力のマイナーコロニーでは、どちらも贅沢だ。
「実は、今度の仕事は動物相手なんだけど」
 ジョン太は説明した。
「たぶん、殺す事になると思う」
 鯖丸は、少しの間考え込んだ。
「調査に三日間かける猶予があるから、無理そうだったら、外から応援呼んで、交代するけど」
 今まで入ったバイトや外部からの応援で、どうしても生き物を殺せない人間が何人か居た。
 別に、ベジタリアンでもないくせに、動物は殺せない。
 鯖丸はそういうタイプには見えなかったが、単純に動物と接する機会が全くなくて、普通に怖いという可能性は高かった。
「医学部のラットは、触った事あるけど」
 ちょっと遠い目になった。
「あんまり美味しくない」
「食ったのかよ。それ絶対、何かの実験で病気持ってるだろ」
 驚いたので、お笑い芸人の様に突っ込んでしまった。
「だって、農学部の牛は、でかくて手に負えなかったんだもん」
 鯖丸は、恐ろしい事を言い始めた。
 頼むから、こっそり盗って来るのは野菜だけにしてくれ。
「今度の対象は、食えないぞ」
「ええ、何で食えない奴を殺すの?」
 本気で不思議そうな顔をしている。
 まぁ、宇宙では生き物を無駄に殺す余裕はない。
「そいつは食えないが、人間をもう、十人以上食ってる。被害者十三人の内、八人が外からの観光客。二人は地元の農家。残りは、駆除を依頼された魔界育ちの魔法使いだ」
 魔界で生まれ育った人間は、魔力の高い低いはあるが、魔法の熟練度は外の人間に比べれば格段に高い。
 魔導変化した生物相手に、戦いを挑むならともかく、逃げ切れないで殺されるというのは異常事態だ。
 更に、魔界生まれで魔界育ちの、魔法を生業にしている人間が殺されている。尋常の強さではない。
「俺たち二人でやれるの」
 鯖丸は不安そうな顔をした。
「まぁ、無理だな」
 ジョン太はあっさり言った。
「調査が一通り終わったら、外に戻って応援を呼ぶ事になると思うよ。久し振りに所長が暴れる所を見れるかも」
 鯖丸は、自分が使っている刀の、前の持ち主の事を考えた。
 もっさりした感じの、眼鏡をかけた中年の女。皆が所長と呼んでいるので、未だに名前も知らない。
 昔、ジョン太と組んでいたという話は、聞いた事があった。
 どんな風だったのか想像しようとしたが、出来なかった。複雑な気分だ。
 鯖丸は、黙り込んだまま手続きを済ませ、いつものゲートを通過した。

 会社の倉庫で、ジョン太が持ち出そうとしている武器を見て、鯖丸は顔色を変えた。
 いつもの、32口径と44口径の拳銃はともかく、ショットガン、マシンガン、アサルトライフル、ロケットランチャー、手榴弾。兵器には詳しくないので、何だか分からない物もある。
 どこぞの小隊相手に一人で戦争する様な勢いだ。
 どの武器も外界で使える最新兵器ではないので、金属製だ。この重量を持ち運べるつもりなんだろうか…。
 鯖丸は改めて、今回の仕事が今までとは違うのだと実感した。
 それしか扱えないからだが、いつもの刀一本だけの自分が、頼りなく思える。
「俺の装備は、いつも通りでいいのかな?」
 おずおずと聞くと、ジョン太は「ああ」とうなずいて、薄いベストを出して来た。
「これ、着とけ。念の為だから」
「何?」
 薄くて軽いが、明らかに布ではない。
「防刃ベスト」
 ジョン太は答えた。
 鯖丸はジャケットを脱いで、急いでベストを着込んだ。

 魔界では、GPSが使えない。
 昔からある磁石のコンパスも、時々動作がおかしくなる。
 鯖丸に運転を任せたジョン太は、紙の地図を開いて周囲の地形を確認しながら、行き先を指示した。
 山間部に入り、崩れかけた山道を何とか通り抜けて、目的地に着いたのは昼前だった。
 十数軒が寄り集まった集落が見えた。
 周囲には、田畑の中に民家が点在している。
 人工的な環境で育った鯖丸でさえ、ちょっと心を動かされる様な、外の世界にはもう残っていない里山の風景だ。
 指示されて民家の庭に車を駐めると、ジョン太は車を降りて深呼吸し「ああ、空気が美味しい」とか言った。
 乗って来た車の排ガスが、まだ辺りに漂っている。
 嗅覚が鋭いと自称する割に、雑な男だ。
 民家の軒先から、老人が近付いて来た。
 ジョン太とは知り合いらしく、親しげに挨拶を交わしてから、鯖丸の方を向いた。
「ああ、こいつは新しい相棒の…」
「鯖丸です」
 軽く頭を下げた。
「松吉だ。よろしく」
 意外に若々しい口調だった。
 魔界の人間は、外と違ってアンチエイジング治療を受けられない。
 魔法でどうにか出来るとも聞いていたが、個人差もあるだろうし、この人は見た目より若いのかも知れない。
「この辺で仕事する時は、いつも世話になってるんだ」
 ジョン太の説明を、松吉が補足した。
「普段は副業で民宿をやってるんだけどね」
 懐から、リーフレットを取り出して差し出した。
『豊かな自然と懐かしい風景の中で過ごす、魔界のスローライフ。縄手山観光協会』とか書いてあった。
「あれが出てから、観光客も引き上げちまって。まぁ、よろしく頼むよ」
 着いて来いと いう風に、家の中に入ったので、二人は後に続いた。

 広い土間のある古い民家は、暖房がある訳でもないのに、意外に暖かかった。
 奥の部屋には、何人かの男達が集まっていて、囲炉裏を囲んで話し合っていた。
「外の人達が来たよ」
 松吉が声をかけると、皆が振り向いた。
「おお、ジョン太なら腕は確かだな」
 何度か来ていて、顔見知りらしい。
「何だ、今度の相棒は随分若いね。大丈夫かい」
「ああ、こいつこう見えて、歌次さんより魔力高いから」
 おお…というどよめきが起こったので、鯖丸は所在なげに頭をかいた。
「で、その歌次さんは?」
 皆が空けてくれた場所に座って、鯖丸にも隣に座る様合図してから、ジョン太は聞いた。
 皆は一瞬黙り込んだので、何となく事情が分かった。
「そうか…殺された魔法使いは、歌次さんだったのか」
「街から来た魔法使いと一緒に、山に入ったんだが…」
 全員、帰って来なかったのだ。
「どんな奴なんだ」
 ジョン太は身を乗り出してたずねた。
 鯖丸は、囲炉裏にかかった鍋から、具の多い煮込みうどんを注いでもらって、順調に食べ始めていた。
「わからねぇな。見た奴は皆死んでるから」
 少し頭の薄い男が、うなった。
 歌次と仲の良かった作造だ。
「たぶん、かまいたちのでかい奴だと思うんだが」
 松吉の妻だという女が、一升瓶を持って台所から上がって来た。
 皆に渡す前に、片手で持って、少し力を込めているのが分かった。
 酒は瓶ごと全部、熱燗になっていた。
「雑な事すんなよ、お前。こんなに飲まねぇだろ、昼間から」
 松吉は文句を言った。
「お客さんも居るだろ」
 女は言って、土間になった昔風の台所に戻って行った。
「ジョン太は飲まねぇって、何回言っても憶えてくれないんだ」
 松吉はため息をついた。
「ああ、こいつにやってくれ。ガキみたいに見えるけどもう二十歳だし」
 鯖丸に酒は押しつけて、ジョン太は話を続けた。
「鳴き声とか、通り道とか、何か見た奴は居ないか?匂いとか」
「あんたみたいに、鼻が利く訳じゃないし」
 中では、比較的若い男が、言った。
「雁元の所の娘が、栗の収穫に行って、あれの通った後と糞を見つけてる。後は…」
「ますみちゃんが食われた観光客を見つけたんだが…」
 隣に座った中年の男が、辛そうな口調で言った。
「あんなひどい死体を、いくつも見たんだ。怯えちまって、まだ口も利けない」
「ますみちゃんは、十二才の子供なんだ」
 若い男が、事情が分からない鯖丸に説明してくれた。
 無心にうどんを食っていた鯖丸は、手を止めた。
「今日は、村の中で話を聞いて回るよ」
 ジョン太は言った。
「明日、山に入って実物を見て来る。たぶん、Aランクの魔法使いを一人ずつ入れた、三人編成のチームが二つでやる事になると思う」
 おお…という歓声が上がった。
「こいつはランクSだが、経験が浅いからA扱いという事で…」
 鯖丸の肩をたたくと、皆が注視した。
「そりゃ、すごいな」
「俺とこいつと、あと、バラクーダが入る。もう一チームは関西本社から助っ人が来る事になってる」
 どんな話なのか、鯖丸には理解出来なかったが、村の人々の顔は明るくなった。
「どうせ観光会社三社合同出資だ。高い仕事だから、皆、必要経費はどんどん上げてくれよ」
「おー」
 盛り上がっている。
 盛り上がりに便乗して、どんどんメシを食いながら酒を飲んでいた鯖丸は、そろそろいいかげんにしろとジョン太に怒られた。
「出掛けるぞ。話を聞いて回らないと」
「はーい」
 椀の底に残った白菜を吸い込んで、ごちそうさま…と手を合わせてから、鯖丸は後ろに置いてあった刀を掴んで、後に続いた。
 生姜も入った汁物を食ったので、暖かくはなっていたが、顔色一つ変わっていないし、足取りも全く普通だ。
 皆で回し飲みしたとはいえ、そこそこの量は酒も飲んでいるはずだった。
「いやー、今まで居なかったタイプだな、あれ」
 松吉は、面白そうに言った。

 雁元の娘はともかく、ますみちゃんは何も話してくれなかった。
 部屋の隅に座り込んで、両親にさえ口も利けない状態になっていた。
 これは無理だな…と、ジョン太は思った。
 帰って、明日の準備をしようと言ったが、鯖丸は思う所があったらしく、靴を脱いでますみちゃんの座っている部屋の隅まで上がり込んだ。
 何をするつもりなのかと思ったが、本人も良く分からないらしく、少女の前に座って、しばらく黙り込んでいた。
 少女が、鯖丸を見上げた。
 暗い目だった。
 目が合った瞬間、鯖丸は膝に置いた両手をぎゅっと握って、ひどく辛そうな顔をした。
「何か見た?」
 低い声で聞いた。
 少女の顔に、少し表情が表れた。
「見たんだ」
 少女は、首を横に振った。
「死体を見たくらいで、そんなにならないよね」
 いや…気の弱い子ならなるだろうとジョン太は思ったが、何年か前に仕事でここへ来た時、もっと小さかったますみちゃんが、捕まえた蛇をぶんぶん振り回して、男の子をびびらせていたのを見た記憶があった。
 特に大人しい子供ではない。
「殺される所を見たから、怖くて辛いんだろ」
 少女は震え始めた。
「忘れた方が楽だけど…ずっと忘れてたら、もっと酷い事になるよ」
 泣いている。理由は分からなかったが、ますみちゃんから何か聞けそうな気がして、ジョン太は見守る事にした。
 鯖丸はしばらく俯いて泣いていたが、顔を上げて手の甲で顔をごしごし擦った。
「思い出せるうちに思い出そう。俺みたいになったらダメだ」
 少女は少しの間固まった。それから、長い悲鳴をあげた。

 松吉の家で、畳の部屋に布団を敷いてもらって、その晩は眠った。
 ますみちゃんの話は、結局聞けなかった。
 ますみちゃんの両親は、二人を追い出して、二度と来るなと言った。
 鯖丸は眠れない様子だった。
「気にするな」
 ジョン太は一応なぐさめた。鯖丸はため息をついた。
「俺の両親は、あの子と同じくらいの頃に死んだんだ」
 今まで、自分の身の上について、鯖丸は全然話さなかった。
 地球外の低重力環境で育っていて、子供の頃から電脳接続の高性能プラグを装着しているくらいだから、月の様な宇宙の都会ではなく、人手の足りない小規模なマイナーコロニーの生まれだろうとは想像が付いていた。
「聖地の上にコロニーが浮いてるのが許せないとか、寝言を言ってるテロリストに襲われて殺された」
 何も言えなかったので、ジョン太は黙って聞いた。
 親兄弟が居なくて、一人で生活しているのには、事情があるのだろうとは思っていたが、本人が話すまで、聞かないでおこうと思っていたのだ。
 こいつの年齢と、宗教系のテロリストというだけで、何処で起こった何の事件かはっきり分かった。
 きつい。
 報道された内容だけで、充分ひどい事件だったが、昔の知り合いからもっと酷い詳細を聞かされていた。
「その前後に何があったか、全然思い出せない」
 細い声で、辛そうな口調だった。
「たぶん、コロニーを襲った一ダースくらいの奴らに犯されたはずなんだけど…」
 勇気が要る告白だ。ジョン太は無言で聞続けた。
「レスキューが来た時には、生きているのは俺だけで、襲って来た奴らも、皆死んでた」
 何があったのか、想像は付いた。鯖丸は、魔法が使えなくても、素の戦闘力はかなり高い。
 もし、重装宇宙服を装備していたら、生まれた時から宇宙に居る子供相手に、かなう地球人は少ないはずだ。
 本人もきっと、何があったか記憶はなくても自覚しているのだろう。
「高校を卒業する少し前まで、解離性同一性障害の治療を受けてた。ごめん、病歴があったら採用されないと思って」
 ジョン太は考え込んだ。
 何となく、そんな感じの事情があるのではないかと思ってはいた。
 何でもない普通の青年にしては、魔力が高すぎるからだ。
 心が病んでいる者の方が、一般的に魔力は高い。
「気にするな。こんな仕事してる奴は、皆病気だよ」
 暗い天井を見上げながら、ジョン太は言った。
「ジョン太は違うでしょ。魔法使えないし」
「そうでもないさ」
 何でもないと思える様になっていたはずなのに、言ったとたん胸が痛んだ。
 あれから十数年過ぎている。立ち直る猶予は鯖丸よりずっと長いし、一人ではなかった。
 俺は弱虫だな…と思った。
「俺は子供の頃、宇宙飛行士になりたかったんだ」
 ジョン太は告白した。
「でも、こんな外見だから、結局軍人として宇宙に出る事になって」
 ジョン太が、戦闘用ハイブリットの先祖返りだという事は、一緒に仕事を始めてから少しして知った。
 もちろん、法律上は普通の人間と同等だが、人の感情までは、法は支配出来ない。
「木星戦争で、研究者コロニーの守備に着いてた」
「うん、俺も知ってる。あれ、ジョン太だったんだ」
 宇宙で生活している人間にとっては、地球人以上に有名な事件だ。
 当時の鯖丸は、まだ子供だったはずだ。拓真と同じくらいの…。それから、死んだあの子供と。
「たった一小隊で、研究者のコロニーを守ったんだ。教科書にも載ってる」
「出来る訳ねぇだろ、そんな事」
 ジョン太は、吐き捨てる様に言った。
「守れてねぇ。何十人も死んだ。そんな連中を銃で脅して、寝ないで戦える薬を処方させたんだよ」
 確か、国連軍が支援に来るまで一ヶ月近くかかっていたはずだった。
 寝ないで戦える薬が何なのか、鯖丸は知っていた。
 事情があって多少薬物の知識があったのだ。
 きっと、アッパー系のドラッグだ。それも、たちの悪いやつ。
 一ヶ月も使い続けていたら、普通は死ぬ。
 小隊の何人くらい生き残ったのか、怖くて聞けない。
「あの頃は、皆と一緒に死ねば良かったと、ずっと思ってたよ」
「そんな事言わないでよ。ジョン太の部隊は、研究者コロニーを救った英雄だって…」
「あの後、手の付けられない麻薬中毒になって、コロニーの子供を殺した事件は、オフレコになっているからな」
 ジョン太は言った、辛そうな声だった。
「俺みたいなタイプのハイブリットは、錯乱して暴れ出したら、普通の人間には止められないんだ」
 鯖丸は黙り込んだ。
 ジョン太は、非難でもいいから、宇宙育ちのこの子供に、何か言って欲しいと思った。
 自分が殺した、あの子供の代わりに。
 しかし鯖丸は、少しため息をついて、言った。
「でも、そんなの…誰も責められないよ」
「ああ、誰も責めなかったよ」
 だから今、こんな事になっている。きっと、自業自得だ。
 寝返りを打って鯖丸に背を向けた。
「悪かったな、変な話聞かせて」
「ううん、別に」
 他に、どう言っていいか、分からない。
「済まん、少し泣く。聞かなかった事にしてくれ」
 別にいいじゃん、そんな事…と思ったが、声を殺して泣いているジョン太には言えなかった。
 辛かったら普通に泣けばいいのに。

 翌朝、鯖丸が目を覚まして庭に出ると、ジョン太は何事もなかった様な感じで歯を磨いていた。
 柿の木の下に、湧き水を引いてある桶があって、柄杓が乗せてある。
 おはようと言ってから、水を一杯飲んだ。すごく美味しい。
 ジョン太は、口をゆすぎ終わってから「ああ、おはよう」と言った。
「俺、歯ブラシ持って来てない」
 鯖丸が言うと、ジョン太は庭の隅を指さした。
「風呂の横に洗面所があるから、そこに置いてあるやつ使いな」
 そう言えば民宿だと言っていた。
 古い作りの農家らしく、風呂場も便所も、家の外と中どちらからも出入り出来る様になっていた。
 薄暗い洗面所に入って、ジョン太が外で歯を磨いていた理由が何となく分かった。雰囲気が暗い上に、灯りがない。
 固形の石けんとカミソリも置いてあったので、石けんを顔に塗り付けてからカミソリを手に取った。
 見慣れた安全カミソリとは全く違うタイプの、刃物としか表現のしようがない代物だ。ヒゲを剃るよりえんぴつを削る方が向いている。
「無理」
 諦めて顔だけ洗った。
 歯磨きは外でしようと表へ出ると、ジョン太はもう、車から武器を積み降ろして、出発の準備を始めていた。
「早いね」
 少し驚いて言った。
「明るい内に済ませたいからな。早く支度しろ」
 鯖丸は、大急ぎで雑に歯を磨いてから、部屋に駆け戻った。

 松吉の奥さんが用意してくれたおにぎりを食いながら、二人は山に入った。
 日帰りだから、食料と水くらいで、大した物は持っていない。テントもシュラフも無くて、すごく楽だ。
 ジョン太は、いつもの拳銃は一丁だけ残して、後は短機関銃とアサルトライフルを持っていた。
 さすがに、持って来た武器を全部携行してはいない。
 それでも相当な重量になっているはずだった。
「何か一個持とうか?荷物スカスカだし」
 ジョン太は振り返ると、何だか小馬鹿にした感じでふっと笑った。
「別に。遅れずに付いて来ればそれでいいよ」
 特にペースも上げないで、普通にそのまま歩き続けた。
 道が無くなっても、傾斜が見上げる程急になっても、普通に黙々と歩き続けた。
 しまった。この人時々、すごく大人げないんだった。
 鯖丸は、四本足の変な生き物になって、よろよろと急斜面を登り始めてから三十分近く経って、やっと泣きを入れた。
「すんません、自分、生意気でした。もうかんべんしてください」
 ジョン太は立ち止まって、こちらを見た。悔しい事に息も乱してない。
「荷物持ってあげようか?サバちゃん」
 すごくええ顔でにっこり笑われたので、ちょっと殴りたくなった。

 そこで休憩になった。
 鯖丸はその場に倒れて二三分死んだ。
「お前、ワンゲルじゃなかったっけ」
 ジョン太は不思議そうに聞いた。
「ワンゲルって、五十キロの荷物を担いで山道を走り登ったり、食料も水も持たないで、目的地までの到達時間を競ったりするんじゃないの?」
「どこの世界の軍事演習だ、それ」
 鯖丸はうなった。
「部員が足りないから、人数あわせで居るだけだよ、俺は」
 お金が無くて前のアパートを追い出された時、寝泊まりさせてくれた恩もある。
 とりあえず、シュラフで寝る事にかけては、上級者だ。
「うん。俺もまさか付いて来れるとは思わなくて…」
 ジョン太は、あさっての方を向いてぼつりと言った。
 こんなGPSもコンパスも効かない山で、付いて行けなかったらどうなると思っているんだ、この人は。
「でも、距離は稼げたから、時間に余裕があるな」
 太陽を見上げて、そんな事を言っていてる。
 昼用に渡されたおにぎりを食いながら、地面に地図を広げた。
「はぐれた時の用心に、現在地は憶えててくれ。今はここだ」
 鯖丸は、自分の地図を出して、急いで印を付けた。
 驚いた事に、かなりの距離を登って来ている。
「この先は、武器だけ持って行こう。身軽な方がいい。相手がかまいたちだったら、動きが速いからな」
「かまいたちって、どんな動物だっけ」
 鯖丸は、真顔で聞いた。
「お前、理科の成績、悪かっただろ」
 ジョン太は、呆れて言った。
「失礼だな。理数系だぞ、俺」
 鯖丸は反論した。
 小学生理科の話をしているんだが…と、ジョン太は思った。
「かまいたちなんて動物は居ないよ。イタチ科の動物が魔導変化した奴が、かまいたちだ」
 本来のかまいたちの説明は、面倒なので端折った。たぶん、妖怪図鑑に載っている類の生き物だ。
「いたち…」
 鯖丸は考え込んだ。
 大した事は考えていないのは、すぐに分かった。
「後ろ足で立ち上がって、かわいいポーズをする…」
「それ、レッサーパンダだから」
 動物に対する鯖丸の知識には、一切期待しない事にした。
「まぁ、いつも通り、俺には分からない魔力の流れがあったら、教えてくれればいいよ」
 なぜか具がタコ焼きの、変なおにぎりを食っていた鯖丸は、まっすぐ上を指さした。
「じゃあ、あっち」
 地図の上では分水嶺と水神の祠がある場所で、ジョン太が目指していたのと、大体同じ方向だった。
 最後にかまいたちが出た栗畑から、ずっと臭いを追って来ていたのだ。
 ちょっと嫌な予感がした。
 追って来たかまいたちとは、別の個体の臭いがしたからだ。
 鯖丸が指さしているのは、追って来たかまいたちの痕跡から少しずれた、別の個体の臭いがする方向だった。

「二匹居ると思う」
 ジョン太は深刻な顔で言ったが、鯖丸は何の感想もない様子だった。
 人工的な空間で育った人間に、野生動物の恐ろしさを説明しても無駄だ。
「二匹同時に出くわしたらやばい。東の斜面から回り込もう」
「うん」
 一応、緊迫した事態なのは分かっているらしく、足音を潜めて後から付いて来る。
 祠のある谷すじから、風が吹き上げて来た。
 鯖丸は、顔をしかめた。
「獣臭い」
 ジョン太は自分の二の腕をちょっと嗅いでみてから、ああ…という顔をして、谷すじを見下ろした。
 今まで臭いを追って来ていたから分からなかったが、普通の人間にも嗅ぎ分けられるくらい、近付いたのだ。
 黄色っぽい長い生き物が、のんびり寝そべっているのが見えた。
「わぁ、フェレットだ」
 鯖丸は小声で言った。
 いや…、あれはイタチ…と言おうとして、ジョン太も少し考え込んだ。
「フェレットだな、あれ」
 野生化したペットが魔界に入り込んだのだろう。元々イタチ科の動物だし、かまいたちになる可能性はある。
 愛玩動物だと思って見ると、けっこう可愛い。
 ただ、この距離からかわいく見えるという事は、大きさは大体四メートル。きっと、熊より強いだろう。
 イタチ科の動物は、猫科や蛇科と同じくらい魔力が高い。
 おそらく魔法も使うはずだ。
「やばいな。もう一匹を確認したら、すぐ戻ろう」
 その時、風向きが変わった。
 異様な雰囲気を感じて鯖丸が横を向くと、ジョン太の全身の毛が逆立っていた。
 そっと視線の先を見ると、起き上がったフェレットと目が合っていた。
 風向きが変わって臭いを悟られたとか、そう言う事は後になって知った。
 首筋を掴んで引き倒されたギリギリ上を、パンという乾いた音と共に衝撃波が走り抜けた。
 草刈り機で雑草を刈り取る様に切り倒された広葉樹が、ばらばらと降りかかった。
「逃げろ!!」
 斜面を転がる様に、二人は走った。
 背後から何度も、衝撃波が襲いかかった。
 木の根に足を取られて転んだ時に、かまいたちが背中と尾の間に真空を作って、空気の鎌を撃ち出しているのが見えた。
 一度撃つと、次までにタメの時間が出来る。
 その間にジョン太が、フルオートで短機関銃の弾をばらまいて、弾幕を作った。
 鯖丸は刀を抜いて、ベテランの魔法使いでも無理なくらい短時間で、魔力をためて撃ち出した。
 かまいたちは、木々をへし折りながら後ろへ吹っ飛んだ。
「ダメだ、死んでない」
「逃げられればいい」
 走り出した二人の前に、もう一回り大きな影が躍り出た。
 吹き飛ばされた仲間を踊り越えて、巨体からは信じられないスピードで、弓なりに長い体を曲げて着地した。
 もう一匹のかまいたちだった。
 ジョン太は相変わらず、脊髄反射としか思えない速度で銃弾を撃ち込んだが、かまいたちは止まらなかった。
 さっきの奴より、鎌を作る時間が異常に短い。
 鯖丸がパニックを起こさないで対応したのには驚いた。
 手に持った刀を盾にして、衝撃波を斜めに受け流そうとしたのだ。
 避けられないなら、それ以上の事は出来ない。
 ただ、相手が強すぎた。
 日本刀にしてはごつい刀身は、斜めから力を受けたのに、簡単にへし折れた。
 折れた刀を握った腕が、ぼとりと地面に落ちた。
 腕を切り落とされた鯖丸は、そのまま吹き飛ばされ、木の幹に叩き付けられて止まった。
 さすがのジョン太も、一瞬、固まった。
 しかし、この程度でうろたえる程、やわな男ではなかった。
 ありったけりの銃弾をかまいたちに撃ち込んでから、鯖丸の本体と腕を拾い上げ、人間には不可能な速さで斜面を走り下りた。
 かまいたちの気配が消えるまで、走り続けた。

「起きろ、このバカ」
 ぶん殴られて目が覚めた。
 まだ山の中に居て、目の前でジョン太が何か怒鳴っていた。
 体中が痛い。
 特に右手と胸の辺りが痛い。
 ジョン太の白っぽい毛皮が、べったり血で汚れている。
 わぁ、大変だ。ジョン太すごい怪我じゃないか。
 周囲を見回して、最後に自分の状態を確認した鯖丸は、ちょっとの間呼吸が止まった。
 どこをどう見ても、自分の右手が肘の少し上から無かった。
 着ていたジャケットも、そこからすっぱり切れていて、服の上から何かを巻いて止血したらしかったが、血に染まっていて何で巻いているのか判別も付かない。
 ショックを受けたと自分で自覚する前に、悲鳴を上げていた。
「まぁ落ち着け」
 冷静な口調で、ジョン太は言った。
「だって、無いもん。手が」
 震えながら声を出すのにも、努力が要った。
「あるよ、ほら」
 見覚えのある腕が差し出された。
 こんな角度から見た事はないが、どう見ても自分の手だ。
 ただ、自分の体に付いてない時点で、あると言えるのだろうか。
「いいか、時間がない」
 ジョン太は、真剣な顔で言った。
「お前が気絶してる間に、だいぶ時間が経った。早くくっつけろ」
「ええ?」
 何を言われているのか、分からなかった。
 そんなの、冷却保存して外科医に付けてもらわないといけないんじゃ…。
 考えてから鯖丸は、やっと自分がどこに居るか思い出した。
 魔界で、しかも山の中だ。
「先月研修で、怪我の治し方は教わっただろ」
 まぁ、切り傷とかは…。絶対無理だろ、これ。
「お前くらい魔力が高ければ、理屈では楽勝だ」
 ジョン太は無謀な事を言った。
「俺は魔法が使えないんだぞ。自分でやれ。腕が無くなってもいいのか?」
 それは困る。
「このままだったら、死ぬかな、俺」
 鯖丸は聞いた。
「別に死なねぇよ。片手が無くなるだけだ」
 まぁ、義手を付ければ普通に生活出来るだろう。ただ、それだと剣道を続けても障害者スポーツという別のジャンルになる。
 きっと、学費免除の特典は打ち切られるだろう。魔力は高いから、今の仕事は続けられるだろうが、学校を辞めてしまったら、今まで将来の目標の為にしてきた苦労が…。
「早くしろや、おい。これ取ったら血がどばーっと出るから、さっさとくっつけないと、出血多量で本気で死ぬぞ」
 ジョン太は、止血してある紐の結び目に手をかけた。
「待って、今、走馬燈回してるから」
「死ぬ予定もないのに回すな」
 もう一回殴られた。
「分かった。やるよ」
 紐を解くと、本当に血が噴き出して、見ているだけでくらくらして来た。
 切り落とされた右手を押しつけられた。
 覚悟していた何倍も痛い。
 目を閉じて、叫び声を上げた。
 研修で教わった、元通りに戻るイメージを、必死で反芻した。
「よし」
 ふいに、肩を抱かれた。
「良くやった、偉いぞ」
 目を開けると、見慣れた腕が見慣れた場所にあった。
 つなぎ目が酷い傷跡になっているが、腕がない事に比べたら、全然ましだ。
「たぶん肋骨も折れてる。内臓も傷んでるかも知れん。早く戻って、治してもらおう。自分で出来る分は回復しとけ。後が楽だから」
 防刃ベストがぐちゃぐちゃになっているのを、鯖丸は愕然として見下ろした。
 これが無かったら、胴体まで真っ二つになっていたかも知れない。
 急に全身が震えだした。
 さすがに軍人上がりだけあって、ジョン太の応急処置は早くて適切だった。
 体中が痛くて辛いと言ったら、ちょっと驚くくらいの量の鎮痛剤を、砕いて水と一緒に飲まされた。
 背負われて山道を下り始めたら、涙が止まらなくなった。
「ごめん。俺、重いよね」
「軽い。全然軽い。あんな食ってて何でこんな軽いんだ」
 本気なのか強がりなのか、全然分からないが、少なくとも自分は軽くない。
「いつも迷惑かけてるし。今日だって、転ばなかったら…」
「お前は良くやってるよ。大した経験もないのに」
 それ程軽くない自分を背負っているのに、下りの山道で、ジョン太の足取りは全然乱れなかった。すごく安心だ。
「今日は俺の見込みが甘かっただけだ。お前のせいじゃない」
 体中が痛いのに、眠くなって来た。
 普通なら、こんな状態では眠れない。
 薬のせいかも知れなかったが、もう、そんな事を考えるのもしんどかった。
 目を閉じると、急激に意識が無くなった。

 運び込まれた場所は、村の医者だという男の家で、鯖丸の腕を一目見るなり「うわ、ぶっさいくに繋げやがって。下手くそめ」と、文句を言った。
「そう言うなよ、こいつ、魔法使い出してから四ヶ月しか経ってないんだ。怪我の治療は、これが初めてだし」
「うわー、無茶するなぁ。そんな奴が自分でやったのかよ。わし、そういうバカ大好き」
「元通りにしてくれ」
 ジョン太は言った。
「できるよ、もちろん」
 医者は、軽く言った。
「何ヶ月くらいで…?」
「…二日で」
 寝ていたと思った鯖丸本人が、弱々しく言った。
「出来るか。いくらバカ相手でも」
 医者は、偉そうに腕組みして断言した。
 それからちょっと考えて聞き返した。
「元通り動けば、傷跡は残っていいのか?」
「見た目はどうでもいいです」
「待て」
 ジョン太は、一応止めた。
「こいつは、外でスポーツ競技の剣道をやってる。勝てなくなったら今後の生活に多大な不都合があるはずだ。
 精密な動作を、怪我をする前と一切変わらずに出来る様、きっちり時間をかけて治してくれ」
「お前、一昨年わしがやった治療に、不満がある様子だな」
 鯖丸の腕を触って診ながら、医者は言った。
「当たり前だ。あれから照準が0.02ミリも左斜め上48度にずれて、元に戻すのにどれくらい苦労したと思うんだ」
 一般人には分からない微細なレベルで、本気で怒っている。
「お前は魔力が低いから、魔法も効きにくいんだよ。こいつと同じ怪我をしてたら、お前だったら元通りにするのは無理だね。
 むしろ、お前なんかを回復させたわしの腕を賞賛して欲しい」
「外に帰ってから、病院に行けば良かったよ、普通に」
「何だとー」
 言い争いながらも、服を脱がせて体中を点検し、手を触れて魔力を送り込む。
 何だか少し楽になって来た。
「ところで、何で二日?」
 医者は聞いた。
「外から応援が来るまでに治したいから」
「お前、まだあれとやる気なのかよ」
 ジョン太は呆れた。
 もうこの仕事は辞めると言い始める事を、半ば覚悟していたのだ。
「当たり前だ。負けたままじゃ帰れない」
 ガキっぽいし、すぐ泣く割には根性あるなぁこいつ…と思った。
「二日じゃ無理。今現在、外に出たら死ぬくらいの怪我なんだぞ、お前」
 医者は容赦なく言った。
「その腕な…ここに居ればくっついてるけど、魔界を出たら、ぼとって落ちる。外れるね、絶対」
 鯖丸の顔が、引きつった。
「完全に治すのは、一ヶ月くらい必要なんだ。外に出ないで、こっちで普通に動けるくらいなら、一週間コースで」
「じゃあ、それで」
「やめとけよ。新陳代謝を加速されたら、すっげえ痛いぞ」
 明らかに嫌な過去のあるらしいジョン太は止めた。

 どれくらい時間が経ったのか、全く分からない。
 障子越しに見える光は夕方の物だか、朝方の物だか、一日経ったのか、半日経ったのか、それとも何日も経ったのか、見当が付かない。
 あの、ノリの軽い医者が、何度か魔法を使った治療を繰り返していたのは、かすかに記憶があった。
 相変わらず全身が痛い。
 呼吸が楽なので、折れていた肋骨は繋がったらしい。
 自分の吐く息が熱い。
 熱があるかも知れない。
 目が覚めたのは、美味しそうな匂いがしたからだ。
 首を捻ると、枕元に、焼き魚と野菜の煮物と味噌汁と、茶碗に山盛りのごはんがあった。
「おお、目を覚ました」
 見覚えのある医者が、楽しそうに言っていた。
「すごいな、こいつ」
 そりゃあ、ご飯が出来ていたら、起きるでしょう…と、鯖丸は、まだ朦朧としている意識の中で思った。
「お腹空いた」
 かすれていたが、声は出た。
「そうか。じゃあ、起きて食え。もりもり食え」
「うん」
 起き上がるのに、大変な苦労が要った。
「あ…ご飯の前にトイレ」
「ああ、廊下の突き当たりだから」
 医者は言った。
「はーい」
 よろよろするが、どうにか壁にもたれて歩けた。
 用を足して戻る途中で、相変わらずジョン太と医者が口論しているのが聞こえた。
 自分は一体、一日寝ていたのか、数時間寝ていたのか、分からなくなった。
 とりあえず、寝ていた部屋に戻って、医者に報告した。
「先生、血尿出た」
「そうか、まぁ、色々ぶつけたしな」
「うん、大丈夫だと思う」
 今までにも、防具無しで木刀で打ち合った時に、そんな事はあった。何でそういう無茶をしたのかは、もう記憶がないが。
「食って寝ろ。よく寝たら早く治るからな」
「うん」
 右手で箸を持とうとしたが、上手く動かない。
 仕方がないので、左手に持ち替えて、不器用に魚をむしった。
「食わせてやれよ、怪我人なんだから」
 横合いからジョン太が文句を言って来た。
「うるせぇ。お前は大体、相棒を甘やかし過ぎだ。こいつが見た目通りのガキだと本気で思ってるのかよ」
 医者が文句を言っている。
 相変わらず体中痛いが、ジョン太に文句を言えるのは所長くらいだと思っていたので、けっこう面白い。
「お前よりよっぽどタフだよ。悔しかったら、魔法使える様になれ、バカ犬が」
 ジョン太が魔法使えないのは、魔力が低いせいだと思っていたが、医者は違う考えの様に思えた。
 しかし、バカ犬は暴言だ。
「あの…」
 鯖丸は、魚をむしり終わってから、言った。
「スプーンか何かください」
「よく食えるな、お前。大体、一人で便所に行けるとは思わなかったし」
 医者は、呆れた顔をした。
「寝てた方が良かったの?俺」
 むっとして鯖丸は聞いた。起き上がるのにも、多大な苦労が要ったのだ。
「いや、好きな様に活動してくれ。出来る範囲で」
「じゃあ、出来る範囲で」
 医者の頭頂部の毛を、かまいたちの技で水平に削ってから、メシを食って寝た。体調は悪かったが、割と熟睡出来た。

「じゃあ、俺は一旦帰るから」
 ジョン太が言うと、鯖丸は泣きそうな顔をした。
 調査にかける予定だった、三日目の朝が来ていた。
「増援を呼ぶ事になるから、一日や二日じゃ、戻れないと思う。たぶん、仕事の日程も延長される」
 ちょっと表情が明るくなった。
 本気でもう一度かまいたちとやり合うつもりらしい。
「大人しく養生してろよ」
「うん、分かった」
 神妙な顔でうなずいてから、ごそごそ起き出そうとした。
「何だ、寝てろよ」
「ケータイ」
 部屋の隅に置いてある、ぼろぼろになった服を指さした。
 ジャケットのポケットに、電源を切った携帯が入っていた。
「外に出たら、連絡入れて欲しいんだけど。山本と迫田と溝呂木先生」
 最近の携帯は丈夫なので、電源は普通に入った。もちろん圏外だが。
「分かった。お土産買って来るけど、何がいい?」
「まるまるバナナと、ぷっちんメガプリン」
 コンビニで買える物しか思い付かないのが、気の毒だ。世の中には、もっと美味しい菓子は山程あるのに。
「うん、買って来てやるよ。それと…」
 廊下をどすどす歩く足音がする。
「お前に、愉快な髪型にされたハザマ先生は、大変怒っておられる」
 朝だ!起きろ病人ども…と、怒鳴っている声が聞こえた。どういう医者だ。
「俺が戻るまで、無事で居てくれよ」
「ええっ」
 障子戸がすぱーんと開き、頭頂部だけ水平にカットされた変な髪型の医者が、会心の笑みで仁王立ちになっていた。
「おはよう、鯖丸君。ステキなリハビリ日和だねぇ」
 普通リハビリって、もうちょっと治ってからするもんなのでは…。
 物凄くイヤな予感がした。

2008.10.19 UP










後半予告
 鯖丸、かまいたちにリベンジの後半戦。
 世間のしがらみにもまれるジョン太とか、色々あるけど所長が大暴れします。乳見せも有り。

後書きではなく、中書き的なあれ
 実は、これをアップしている今、実際に書いているのは五話目くらいなんですが、扉絵(人物紹介の下にあるあれ)書くのがめんどくさくて、まだこんな所です。
 本当は挿絵も入れたいので、うろうろ迷いながらアップして行く事になると思います。
 今後の展開で、辻褄が合わなくなったら、以前アップしてた文章が突然改竄されている事態もあり得ますが、その辺は笑って流してください。
 こうして二話目の話とか手直ししていると、鯖丸が初々しくて涙が出ます。
 今書いてる悪魔超人は、一体何者だー。
 まぁ、人は変わって行くものなんですけどね。変わり続けます。

 後半に続きます。

注・この物語はフィクションです。魔界が係わる性質上、実際の解離性同一性障害(多重人格障害)や薬物中毒とは、違う表現になっています。

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